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2、ペット探偵からの引き継ぎ


 依頼人の家はヒイラギ通りにある三階建てのアパートだった。大きな出窓の付いた洒落た造りで、比較的新しい雰囲気の建物。その駐車場の片隅に、携帯灰皿を片手にタバコを吸っている女性がいた。

 髪型はショートボブ、大きめのトレンチコートと小柄な体格が少しアンバランスに思える。ストライプのシャツに細身のジーンズ、ピンクのラインが入ったスニーカー。年は、だいたい三十代の中頃くらいだろうかと陽一は適当に当たりを付けた。

「お、君が少年探偵?」

 陽一が歩いていくと、彼女は少し遠目の距離から陽気に声をかけてきた。

 柔和そうな顔つきと甘ったるいタバコの匂い。緊張していた陽一は、彼女から醸し出される人当たりの良い雰囲気に、幾らか表情を和らげることができた。

「ただの高校生です。桜井陽一と言います」

「春っぽい名前だね。私はこういうもんです」

 女性はコートのポケットから名刺入れを取り出して、そこから一枚の名刺を陽一に渡した。


『天城興信所 安城まどか CHIEF DETECTIVE』


 シンプルな文字列の後ろには三毛猫の写真がプリントしてある。


「……あなたが、ペット探偵なんですか?」

「うん」

「ちょっと待ってください」

 混乱した陽一は、背負っていたリュックを下ろして中から封筒を取り出す。

 服部から渡された資料にはたしかに、依頼人の名前が書かれていた。『安城まどか』。――間違いない。

「あなたが、依頼人でもあり、ペット探偵でもある、と……」

「あれ、服部くんから聞いてなかったの?」

「初耳です」

「そうなんだ。まあ、服部くんってお茶目なところあるからね。ちょっとしたサプライズのつもりで黙ってたんじゃない?」

 まどかは泰然と口元を綻ばせ、短くなったタバコを灰皿に突き入れる。


 落ち着いて考えてみれば、そう大した問題ではない。でも、つまらないことでからかわれるのは不快だなと内心で思いながら、陽一は会話を続けることにした。

「――知り合い、なんですか」

「うん、まあ。趣味友達って感じ」

「趣味、ですか」

「興味ある?」

 ――まどかの聞き返し方からは、なんとなく、詮索を嫌がっているような雰囲気が感じ取れた。

「興味、ありますね」

 陽一はあえて空気を読まずにそう尋ねた。高校生と三十代のペット探偵に共通する趣味なんてあるのだろうか。

「一緒に黒魔術を試したり、怪物から逃げ回ったりする趣味なんだけど」

「……はい?」

「君、内心が素直に顔に出るタイプだね」とまどかはにやついた。「からかいがいがある」

「それはどうも」

 趣味友達というだけあって、服部さんと気が合いそうな人だなと、陽一はため息をついた。

「どうでもよくなりました。仕事の話をしましょう」

「そうだね。――と言っても、服部くんに渡した資料以上のことは、何もないんだ。保健所に電話して、動物病院も回って、ポスター刷って、貼って、住民会にも相談して。やれることは全部やったんだけど、手がかりなし。みーたんは煙のように消えてしまってね」

「……そうですか」

 ならばなおさら、自分にできることはなさそうに思える。

「俺は何をやればいいんです?」

「娘に付いてあげて、一緒に探してあげてほしいんだ」

 まどかはそう言うと、小さくため息をついて、二本目のタバコに手を伸ばした。


「正直、猫を見つけるのは難しいと思う」


「猫を……?」

「うん。二ヵ月探して見つからないときって、たいてい、どうにもならないんだよね。遠くに行きすぎて戻って来られなくなっちゃったか、他の家に閉じ込められちゃったか。幾らでも暗い想像はできるけど、真相は藪の中」

 咥えて火を付けようとしてから、思い直したようにライターをしまって、タバコも手元に戻す。

 未成年の前だからと気を使ったのだろう。陽一は、お構いなくとは言わなかった。煙を吸いたくはなかったからだ。

「でも、そう言ってもあの子は納得しないんだよね。ひなみはどうしても自分で探したいみたいなの。ママがヘボ探偵だから見つからないんだって、怒っちゃってね。結果が出てないからなんとも言い返しようがないんだけれど」

 まどかは苦笑しながら、チラリとアパートの上の方の階を見上げた。

「ほんとは依頼人として、家でお茶でも入れておもてなしするべきなんだろうけど、それもひなみが自分でやるって張り切っちゃってね。しょうがないから家の外で、一人のペット探偵として引き継ぎ業務を行ってるわけなのよ」

 まどかはやりきれなさそうにそう言うと、

「何か質問ある?」と水を向けた。

「――質問、というか。やっとしっくり来ました」と陽一は答えた。

「期間がゴールデンウィークに限られてるのは、娘さんが学校休みだからなんですね」

「うん、そういうこと。君も休みだろうから、頼みやすいし」

「……一緒に探せないってことは、安城さんは仕事なんですよね」

「正解。今から隣町までドライブだよ。自分ちの猫ばっかり探しても、お金にならないからねぇ」

 まどかはそう言うと、今度は車の鍵を取り出して、すぐ後ろに止まっていた黒いミニバンのロックを外した。

「そうだ。報酬の一万だけど、先に欲しい?」

「ええ、それはもちろん」

「だよねー。実は報酬も娘に預けてあるから、うまいこと言いくるめることができたら、先に貰えるかもよ」

 あっけらかんとそう言い放つまどかに、陽一は面食らって、思わず一歩後ろに引いた。

「あくまでも、娘さんが依頼人って体ですか」

「うん。まじめな話、そういう体で頼みたいのよ。あの子が納得するかどうかが大事なところなんだよね」

「……それならそれでいいですけど、でも、その」

 言い淀む陽一に、まどかは微笑みかけて続きを促す。

「不安じゃないんですか。初対面の、知らない奴と娘さんを二人で」


 陽一はそう言いながら、本当に言いたいことはこれじゃないなと思い直した。

 冗談みたいな空気のまま進んでいく商談に、気持ちが付いていけないのだ。大人って、契約ってこういうものなのだろうか。何か違う気がした。だがそれをうまく考えとしてまとめることができなかった。


「まあ、そだね。思ってたよりスポーツ刈りな運動少年って感じだし、大丈夫なんじゃない?」

 まどかはにこにこしつつも、時間を気にしているのか、チラリと腕時計に目をやった。

「えっと……スポーツ刈りかどうかですか?」

「第一印象は合格ってこと。それに、服部くんの紹介でしょう。だからそもそも信用してるの」

 まどかはそう言うが、陽一にはピンと来ない理屈だった。

「そんなものでしょうか」

「あれ、意外と服部くんの印象悪し? 後輩には好かれないタイプなのかな」

 と、まどかは小首をかしげる。

「嫌いじゃないですけど。信用できるってより、つかみどころがないって感じがしませんか」

「どんなところが?」

「……ペット探偵と知り合いだったりするところですよ」

「そりゃそうだ」とまどかは破顔一笑した。

「まあたしかに怪しいところはあるね。そう聞くと」

「――ええ」

「じゃ、服部くんは抜きにして、君に直接尋ねようかな。君は自分のこと、信用できる?」

「……」

 どうなんだろうと陽一はたじろいだ。


 自分で自分のことを信用できるか――?


 考え込み始めた陽一に、まどかは軽く手を振って前言を翻した。

「分からないんなら、やっぱり服部くんが君を信用して仕事を回したってところに軸を置いた方がいいんじゃないかな。君を信じる服部くんを信じろ、私も信じる、ってことだね」

「――そんなものですか」

「そんなもんだよ。深く考えなくていいよ。ただ、君の仕事ぶりには服部くんのメンツがかかってるってことでもあるから。先輩の顔を潰さないように、それなりには気張ってね」

「もちろん、まじめにやるつもりです」

「うん、よろしく。夕方くらいにその日の進捗メールしてくれればいいから。そうだなぁ、三百から五百字くらい? 書くことなかったら娘の様子を細かく書いてくれればそれでいいからね」

「了解しました」

「じゃ、私は仕事行ってくるねー」

 まどかは小さく敬礼のような仕草をしてから車に乗り込み、素早くエンジンをかける。

 陽一は黙って見送るつもりだったが、急に尋ねたいことを思い出して、慌てて駆け寄り、窓をコツコツとノックした。

「――どうしたの?」

「ちょっと、気になって。服部さん、俺のこと、どういう風に紹介したんですか?」

「ああ。気になる? えーっとね。ブレーキ踏みすぎるところはあるけど、まじめでいい奴って言ってたよ」

「ブレーキ……?」

「娘を預けるにはぴったりの、安全牌ってところじゃない? つまりは四枚目のシャアだね」

「四枚目のシャア……」

 言葉の意味はよく分からないが、あまり褒められてなさそうな言い草だなと、陽一は渋い気持ちになった。



      ○


 アパートの303号室のインターフォンを鳴らすと、待ってましたとばかりにドアが開いて、中から女の子が姿を見せた。

 五年生か六年生くらいだろうか。緩くパーマをかけた髪をリボンでまとめ、グレーのジャケットにピンクのフリルスカートという気合の入った格好をしている。顔立ちは大人びているが、くっきりした二重の瞳はそれこそ深夜の猫のように爛々と輝き、かなりハイになっているのが一目で分かる表情だった。


「お待ちしてました。あなたが高校生探偵の桜井陽一さんですね!」


「え……っと」

 面食らっている陽一をしり目に、女の子は邪魔くさいとばかりにドアを開け放つと、両手を組んで丁寧に一礼をした。

「よろしくです。ママから聞いてるんです。すごく腕利きの探偵さんだって聞いてます。あ、申し遅れました。私、安城ひなみって言います。ひらがなでひなみです。書きやすいようにって、わざわざひらがなにしたんだそうです。親バカですよね」

 早口でまくし立てるひなみのあまりの勢いに、陽一はすっかり飲まれてしまった。

「その、……うん。いや」

 しっかり否定しないとまずいと思ったのだが――

「あ、ごめんなさい玄関先で。どうぞおあがりください。すぐにお茶を持ってきますね。用意してあるんです。ジャスミンのお茶です」

「ジャスミンの、いやそのね……」

「あ、ひょっとしてお嫌いですか? 麦茶もありますけど」

「……じゃあ、麦茶で」

「はい。入ってすぐ左の部屋が私の部屋です。座って待っててくださいね」

 そう言うなりひなみは廊下を小走りに駆けていく。

 取り残された陽一は、どうしたものかと思いながらとりあえずドアを閉め、部屋に向かうより他なかった。



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