蛇の口には気をつけたほうがいい件
とりあえず風呂に連れてきた。
ちなみに今は使い方を説明しているだけでもちろん服を着ている。
「す、凄い。一体、トール様の住まれているダンジョンの部屋はどうなっているんですか?」
そりゃ畳で感心しているなら当然だろう。
リアは風呂の中をキョロキョロを見回して驚いている。
もはやなにに驚いているのもかもわからない。
「ダンジョンっていうよりマンションのはずなんだけどね。響きが似てるけどさ」
「へ?」
「あーいや。なんでもないです。これが湯船ね。この中に入るんです。わかる?」
「わかります! 貴族の邸宅や王家にはありますし」
ほうほう。金持ちのウチならダンジョン側の世界にも風呂はあると。
「でもいいんですか? 大賢者様の湯殿を私などが使って」
「いいからいいから。で、このシャワーはわかりますか?」
湯殿。昔の言葉で浴室のことだろうか。
もっともリアが話すのはテレパシーのような言語だけど。
リアはすまなそうな顔をする。
「あーいいんですよ。わかんなくたって当然です」
「す、すいません」
リアは体を縮めてさらに恐縮したような顔をする。
「いやいやいや! 本当にわかんなくたっていいんだって。大賢者の作ったアーティファクトは凄いだろうって見せつけてるみたいなもんですよ」
「そうだったんですか」
「こんなダンジョンの奥に住んでいると客もこないですからね」
「なるほど。でも凄いかどうかは使い方がわからないと」
どうやらリアは正直らしい。おべっかを使ったりはないようだ。
そっちのほうがいい。
「じゃあ使い方を教えますよ。この蛇口をひねるとお湯が出てきます。ちょうどいい温度に設定しといたから体洗うのに便利でしょ? 湯船と分けられるから衛生的だしさ」
僕はシャワーからお湯を出しながらリアに見せた。
彼女は無反応、無表情だった。固まっている。
「あ、あれ?」
やはり大したことなかったのか?
ちょっとふざけてお湯をかけてみるか。
リアは急に大きくビクンッとする。
「うわっ」
「ほ、ははは本当にお湯だ。ど、どどどうなってるんですかこれぇ?」
どうなってるかと言われても水の圧力とガスの熱エネルギー?
「えっと、火魔法と水魔法?」
「なんで作ってる人が疑問系なんですか。でも本当に凄いですよ。戦争や戦いのアーティファクトを極める賢者様は多いけどお風呂のアイテムなんて。ああ、早く使ってみたい……」
どうやらリアはお風呂好きだったようだ。
そして騎士をしていても優しいことがわかった気がする。
「待て待て。早まるでない。これはわかるか?」
「なんでしょう? ツルツルして見たこともない素材です」
ツルツルした素材か。そりゃプラスチックは知らないだろうからな。
リアが期待に目を輝かせる。
「ふっふっふ。これはねー。ここ押すとからだ用の石鹸と頭髪用の石鹸、頭髪をサラサラさせる用の石鹸が出てくるのです」
「ほ、本当ですか? やってもいいですか?」
「ああ、もちろん。ここだよ。軽くね」
「わわわ。液状の石鹸なんですね。泡立ちも良いし凄くいい香りがします。お花の香りでしょうか?」
石鹸は昔からあるって知っていたけど、現在のようなプッシュ機能付きのプラスチックボトルに入った泡立ちが良い物はないだろう。
しかも花の香り付きだ。
リアは手に泡立ててうっとりとしている。
これ以上、お風呂をおあずけするのは酷かもしれない。
「じゃあ大体説明したからダイニングにいるね。鎧は脱いで磨りガラスの外に置いといて。しばらくしたら着替えも外に置いとくから」
「ありがとうございます!」
この物件は風呂場の前に洗面所があって洗濯機もそこにおけるようだ。
しばらくすれば、彼女は洗面所に鎧を脱ぎ置くだろうから、僕はジャージとTシャツを持って行ってあげればいい。
ブラとパンツはどうしよう……。
まあ残念ながら……もとい幸運にもジャージは上もあるから、Tシャツを直接来て胸の凸がわかってしまうということもないだろう。
……やはり上はTシャツしかないって言おうか。いや、なにを考えているだ。おばあちゃんが泣くぞ。
「リア~、着替え持ってきたんだけどもう浴室に入ってる? 洗面所って言ってもわからないか。脱衣所に入って大丈夫ですか?」
「はーい。大丈夫です」
どうやらリアはお風呂を満喫できているようだ。
ジャージを鎧の上に置く………………。
…………。
……。
今、気がついたんだが、この物件は和室もあるのに変なところがオシャレで、この磨りガラスもプラ製の偽物じゃなく本物の磨りガラスだ。
しかも、磨りがかなり薄く、不透明感が少ない。
少なくともアリア=エルドラクスが湯船に浸かっているのではなくて、シャワーで体を洗っていることがわかる。
そして鍛え上げられた抜群のプロポーションであることもわかる……気がする。
もっと見たいがこれ以上は闇の魔導師になってしまうギリギリの時間かもしれない。
「じゃ、じゃあここに着替えの服を置いときますよ」
「はい。なにからなにまで本当にありがとうございます♪」
彼女の声が弾んでいた。どうやら気持ちよい時間を過ごせているようだ。
僕はおばあちゃんの笑顔を思い浮かべながら、後ろ髪を引かれる思いで洗面所を後にしようとした。
「ひゃっひゃあああああああああああああぁ!」
うぇぁっ!? 今、まさに出ていこうとした洗面所の奥からリアの悲鳴が響いているではないか!
「どうしました!?」
「ああああああああああああああ!」
呼びかけてもリアは悲鳴を上げるばかりだった。
ひょっとしてゴブリンか? はたまたスライムなのか!?
いくらリアが騎士でも剣も鎧もない。
くそ! 部屋の中は安全地帯かと思ったのに!
そうだピッケルは! 腰のベルトに刺したままだった。
今行くぞ!
「リアアアアアアアアアアアアァ!」
彼女の名を叫びながら磨りガラスを開ける。
いきなり何か透明なものが顔に飛んできた。
「ひゃあああああああつめてえええええええええ!」
風呂場ではシャワーが蛇のように暴れて冷水を吐き出していた。
「あああああああああああああああ!」
リアの悲鳴もまだ続いている。
僕は視界を奪われながらも状況の原因がわかった。
ゴブリンでもスライムでもない。
きっとリアが水量をマックスにして、それにビックリして温度調節を一番冷たくしてしまったんだろう。
あるいはその逆かもしれない。
蛇のとうに暴れるシャワーの蛇口をひねって水を止める。
「あはは。この物件、最大にすると結構水量があるんだな。調整はゆっくりしてね。それから温度の調整はこっちで……」
説明しながら濡れた顔を手で拭いながら視界を回復させる。
げええええええええええええ!
そこには文字通り生まれたままの姿のアリア=エルドラクスがいた。
「い、いや、その違うんだ! あの、その、これは! 君を助けに来ただけで!」
僕は振り返って、後ろにいるだろうリアに言い訳をした。
背を向けたところで今さら手遅れだ。
これは殴られてもおかしくない。
いや殴られるぐらいならいい。
ところがシャワーの水で冷やされた僕の体は暖かい感触に包まれた。
「こ、怖かったです……」
えぇ? どうやら僕は後ろからリアに抱きしめられたらしい。
小さな泣き声も聞こえる。
背中にはおそらく二つの……感触も感じるが、そんな気にはなれなかった。
彼女はいつ敵が襲ってくるかわからないダンジョンで、意識があるまま放って置かれるという死の恐怖を体感したばかりなのだ。
ちょっとしたハプニングも怖くなっていても仕方ない。
彼女は震えていた。
「リア。大丈夫?」
「ごめんなさい。もう少し……」
僕は優しい気持ちになる。
彼女はまだ僕の部屋で休んでいたほうがいいだろうしなあ。
そうだダンジョンに置いてきた盾を拾って来てあげようか。
きっとダンジョンはまだ怖いだろう。
ゴブリンもいなかったしきっと大丈夫さ。