お持ち帰りしてしまった件
やはり、この大きな柱の向こうの暗がりに倒れているのはゴブリンのようなモンスターではなく、人間の女性のような気がする。
女戦士ではなく女騎士さんだと判断したのは、太ももを肌蹴させていても、遠目にもどこか気品を感じさせたからだ。
どこかの英雄召喚の物語に出てくるような美しい女騎士。
少なくともその可能性はありそうだ。
胸の鼓動のなかに緊張感ではない高揚感が混じる。
しかし、本当にゴブリンではないといえるのだろうか。
怪しいところがないといえば、嘘になる。
ひょっとしてあの女騎士は釣り餌なのではないか。
それ以前に状況のすべてが怪しい。だが。
「人はあんな冷たい石床には寝ない。本当にあの人が人間なら即ち危機であるということだ」
助けなくてはならない。
おばあちゃんに人には親切にしろと言われている。
女性、しかも死にそうになっている……かもしれない女騎士さんならなおさらだ。
「ここで勇気を出さなきゃいつ出す。日本の村人Aだってやるときゃやるんだよ!」
そう自分に言い聞かせてピッケルを持つ手に力を入れる。なんの音も聞き漏らすまいと恐る恐る進む。
足を踏み出す前に床をピッケルで一々叩く。
柱から顔を出して周囲を確認。柱の死角にもゴブリンはなし。
女騎士さんは全く動かないが、かすかに嗚咽を漏らしている……ように聴こえる。
ゴクリという音が喉からして、自分が唾を飲んだことに気がつく。
どういうことだ? 女騎士さんは石床に横になりながら泣いているのか?
強力なヘッドライトで何度も照らしているのだ。
こちらに顔を向けてもいいんじゃないか?
罠なのか、それとも危険が近くにあるのか?
さきほどの高揚感はすべて吹っ飛び、極度の緊張だけに支配される。
しかし、もし危険が迫っているなら早く助けないと命に関わるかもしれない。
僕はついに大部屋の柱の陰から足を一歩踏み出す。
もちろん一番気になるのは女騎士さんだが、それだけに意識を囚われてもいけない。
壁、天井、床、ありとあらゆるものをヘッドライトで照らして確認しながら慎重に進む。
胡散臭い不動産屋の事務所に入った時の百倍は緊張している。
かなり女騎士さんに近づいた。もうゴブリンと見間違えることはない。確実に女騎士さんだ。変装の可能性も極めて低い……と思う。
おそらくとても美しいだろう顔も見えつつある。
だが先ほどから段々と大きくなってきている音はハッキリと女騎士さんの嗚咽とわかった。
「ひっぐ、ぐす……」
なぜ泣いているんだろうか。しかも、やはりこちらを見ないで上を向いたままだ。
大部屋を隅々まで照らせるようになったヘッドライトが、この部屋には女騎士さん以外に誰もいないことは教えている。
だが女騎士さんの数歩向こうには部屋の向う端の石壁があって頑丈そうな鉄の扉とスイッチのような石のボタンがある。
やはり釣り餌なのだろうか?
あそこから多量のコブリンが出てくるのか?
慎重に慎重に。今までの僕の人生のなかでもっとも慎重に行動しなければ、即デッド・エンドだ。
僕は声をかける前に小さな石を拾って女騎士さんに投げてみた。
意外にも一発で鎧に命中。
「ひっ、ひっ。やめて」
え? 日本語?
いや違う。日本語ではない。
英語ですらない謎の言葉なのだが、僕の耳には日本語のように……というか意味が通じて聞こえた。
増々、罠である気もしたが、同時に目の前の女性の怯え様は真に迫っていて演技とも思えなくなってきた。
時間も少ないかもしれない。思い切って声をかける。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「こ、来ないで!」
「だ、大丈夫かどうか言ってくれないと日本語と変な言語で意味が通じてるかわかんないです」
「い、いいから来ないで! お願い!」
僕は幾分、冷静になった。少なからず情報を得ることができたからだ。
とりあえず日本語と女騎士さんの聞いたこともない言語で意思疎通はできること。
女騎士さんは動けないでいるようだということ。
「い、今からそっちに行きますよ」
「こ、来ないでって言ってるじゃない!」
「だってアナタ動けないでしょう?」
「動ける! 動けるわ!」
「いや動けてないし……」
どう見ても演技には見えない。もし演技だとしたらこの女騎士さんは女優だ。
まあ遠目から見ても女優並にお美しいお顔をなさっているが。
いや女優よりも美しいかもしれない。
来ないでという叫びを無視して、慎重に歩を進める。
「今、助けます」
「や、やめて、犯さないで、殺さないで」
は、はい? なんか今この女騎士さん、なんかおかしな事を言ったぞ。
もう女騎士さんは数歩の距離だ。
「今なんて言いました?」
「お、お掃除とかお洗濯とかなんでもしますからっ! 殺さないでっ! ゴブリン様っ!」
「ゴ、ゴブリン!?」
わかった。どうやら僕と女騎士さんは、この真っ暗なダンジョンのなかでお互いにお互いの存在をゴブリンだと思っていたらしい。
しかし、僕はすぐに女騎士さんをゴブリンではないとわかったのに、ここまで誤解されるのは悲しい。
こう見えてもおばあちゃんからは透はカッコイイねと言われていたんだぞ。
ゴブリンと一緒にするな。
「あっそうか。ヘッドライトか!」
よく考えたら、僕はヘルメットに付いているライトで彼女を見ている。
彼女からしたら眩しいだろうし、僕の顔は影になってよく見えていなかったに違いない。
しかも彼女はなんらかの理由で首を動かすことができないようなので横目で見るしかない。
僕はヘルメットを外して、自分の顔をよく見てもらうために、彼女の目の前に顔を移動させ下から照らした。
「ひっひいいいいいいいいいぃ!」
彼女は美しい顔を引きつらせて気を失ったようだ。
「失礼だな!」
そうは言ったが、僕は暗い場所で顔を下からライトで照らすとかなり怖い顔になることに気がついた。
「彼女、相当怯えてたのに……やっちまった……でも生きてはいるみたいだぞ」
調べたところ外傷もないようだ。
鎧の鉄板越しからもわかる豊かな胸の鼓動……もとい脈拍も正常っぽいし、息もしている。
「なら、どうして? あっ……」
僕はあることに気がついた。
彼女の股間のあたりからヘッドライトの光を黄金色に反射させる液体が流れ出ていることを。
身体的な危険シグナルか、気を失うほどの恐怖によるものかわからないが……。
「ここに置いといたら危険かもしれないし、何よりきっと恥ずかしいよね」
ダンジョンには救急車も来てくれはしないだろう。
僕は彼女をある安全地帯に運ぶことにした。
そう、僕の新居であるマンションの部屋だ。
ピッケルをベルトに挿して彼女を背負うことにした。
「騎士さんの両腕を僕の首にまわして……ふ、ふとももを担いでよっこいせ。お、重え! 盾はとても運べないから置いていくしかないな」
僕は彼女の太ももをしっかり握ってヨロヨロと自分の部屋に戻っていった。
最初は最高の触り心地だと思ったが、黄金色の水で持ちにくくってしょうがない。
その上、僕の服までびしょびしょに濡れてしまった。