とんでもない物件を契約してしまった件
新作はじめました
「ひょっとして……この物件……幽霊とか出るんじゃないですかねえ? ははは」
僕は〝幽霊〟という非現実的な言葉を出すのが恥ずかしかったので冗談めかす。
もっともコミュ障なので上手く冗談めかせて言えているか自信は無い。
それでも不動産屋は冗談と受け取ってくれたようだ。
「ははは、お客さん。冗談は止めてくださいよ。幽霊なんて出るわけないじゃないですか」
そうだ。なにも心配いらない。マンションやアパート等でなにか事故があった場合は、入居者に告知をする義務があるとか聞いたような気がする。
スーツ姿なのに胡散臭さを出せる不動産屋であっても、日本国にいる以上、告知しなければ、法律によって罰則を受けることになるだろう。
「ですよねぇ。ははは」
「ボソ(まあゴブリンとかスライムが出るって話だけどな)」
ちょっと待て。聞き逃さなかったぞ。
この男、僕の愛想笑いに合わせて極小さい声でおかしな事を言ったぞ。
「あの……なにか言いました?」
「じゃあ、この契約書のここに名前を大きく書いてください。ここにはハンコをポンッてね」
明らかにヤバイ予感がしている。
ゴブリン? スライム? 僕が好きなゲームやラノベに出てくるモンスターの名前か?
ヤバイッ、ヤバイッ、ヤバイ! 僕の第六感がそう告げている。
だが、23区外とはいえ、都内の2LDKが家賃3万円という魅力には抗えない。
そう僕はとある事情から大学を中退した悲しいバイト戦士なのだ。
チラッと目の前の男を見た。
現実感アリアリの殺風景な事務所にいるヤクザ風スーツ男の口からゴブリンなんて言葉が出てくるわけがない。
そう思っていた時期が僕にもありました。
僕は契約書にハンコをポンッと押して名前を書いてしまった。
鈴木透と。
◆◆◆
「おーけー。そういうことね」
玄関から出るとマンションの廊下が〝ダンジョン〟になっているってわけだ。
なんでダンジョンってわかるかって?
「玄関のドアを開けたら真っ暗だったからアイポンの懐中電灯機能使って照らしたら、廊下が自然岩の石張りになってるって……ダンジョンじゃんよ!」
完全に事故物件だよ。というか事故物件ってレベルじゃない。
いやいや、ちょっと待て。何かの間違いかもしれない。冷静に思い返してみよう。
引っ越しの業者さんが帰ってから僕は一人で荷解きをしていた。
夜になったから夕食を買いにコンビニに行こうとした。
――で、玄関から外に出ようとしたら廊下がダンジョンになっていた。
結局、落ち着いても結論はなにも変わらなかった。
どうりで契約を急がせるわけだ。
一度、誰かが住んだ後は事故物件であることを告知しなくていいとか聞いたことあるしな。
あの胡散臭い不動産屋はゴブリンとボソッとつぶやいて告知したつもりなんだろう。
「つうかコレ生きて帰れるんだろうか。あ……生きて帰れるかって、考えたらここがもう僕の家じゃんか……」
僕は静かに玄関のドアを閉めて鍵を回した。
玄関のドアは頑丈な鉄製だ。
暴漢には有効に作用すると思う。
「暴漢には有効でもゴブリンやスライム、あるいは……ド、ドラゴンにはどうなんだろう……」
先ほどマンションの廊下ならぬ、ダンジョンの廊下の左右も一応確認したが、パッと見たところゴブリンもスライムも近くには居なかった。
しかし曲がり角の向こうにはゴブリンどころかドラゴンがいたっておかしくない雰囲気だった。
安心は全くできない。
2LDKのリビングダイニングに置いてある椅子で座って頭を抱え込んだ。
そういえば、ドタバタで夕方から部屋の電気を付けることも忘れてた。
真っ暗な部屋に窓から外の街灯の灯りが降り注ぐ――。
「街灯の灯り!?」
頭をあげて窓の外を見ると……電柱に街灯とまぎれもなく日本の光景だった。
「どーなってるの? まさか!」
僕は玄関から靴を取ってオタクグッズ置き場にしようとしていた和室の大きな窓から外に出てみた。
都市特有の素晴らしい排ガスの匂いがした。
ビルの灯りに街灯の灯り、車のライト、すぐ先にはコンビニと総合ディスカウントストアのトンスキホーテの灯りが夜空の星々の光を圧殺している。
暗闇に支配された石張りの通路の世界とは似ても似つかなかった。
「普通の日本……立川市の街中だ……。このマンションはどうなってるんだ?」
もう一回、先ほど外に出た窓からマンションの和室に戻る。普通に戻れた。
「ひょっとして玄関から出るとあのダンジョンに繋がるのか? ってことはなんだ? つまり……」
窓から出入りするだけのデメリットで都内の2LDKのマンションが月3万円ってことなのか。
事故物件どころか良い物件かもしれないぞ。
つうかむしろダンジョンとか楽しそうじゃね?
僕は自分で自分の冷静さに驚いていた。
「僕が冷静になれるのもゲームとかラノベに浸りすぎたせいかもな。あのヤクザかっこ不動産屋ならきっとしょんべんちびって一日もあんな部屋にはいられないよ。くっくっく」
僕はルンルン気分でコンビニとトンスキホーテに行き、食料と……そして探索用道具を買い漁った。
◆◆◆
それにしても総合ディスカウントストアのトンスキホーテは凄い。
「まさかヘッドライト付きヘルメットに登山用のピッケルまで売られているとは……」
防具はないが、この手のダンジョン探索の灯りと武器としてはどちらも最高なのではないだろうか。
特にこのヘッドライト付きヘルメットは松明やランタンで冒険している世界だったら伝説のアイテムレベルかもしれない。
「行こう……ダンジョンに」
玄関のドアに耳を当てておかしな音がしないか確認する。
「とりあえず、ドアを開けたらすぐにゴブリンが襲ってくるということはなさそうだ。スライムは……音するのかね……?」
僕は玄関のドアをそっと開けた。
ヘッドライトが暗闇を照らす。
アイポンの懐中電灯機能とは段違いの光量だ。
「あれ? 通路かと思ってたけど違ったみたいだ」
どうやら部屋のドアの前に大きな柱があってその向こうにはさらに大きな空間というか部屋があるようだ。
もし縦横が同じ大きさなら、広さは高校のプールぐらいだろうか。
柱を通路の壁と思ったらしい。
「まさか柱の死角の向こうから急にゴブリンさんこんにちはにならないだろうな」
玄関のドア越しではなく、今度は直にダンジョンの空気から音を聞こうと必死になる。
「……!」
大軍ではないと思う。思うけど……柱の向こうの部屋の奥から息遣いらしき音が聞こえるやんけ……。
「ゴ、ゴブリンか」
僕は今、体の半分だけ玄関、半分だけダンジョンという状態だ。
ゴブリンを目視するためには完全に玄関から出て柱の影から顔を出さないといけない。
「いたとしても多分、一匹。それに本当にいたら走って玄関に戻ればいい。よし行くぞ!」
ああ、止せばいいのに。あの不動産屋なら絶対にやらない。
僕はゲームのやり過ぎなんだろうなと思いつつ、ダンジョンに足を踏み出した。
玄関の扉が消えるということもない。
逃げ道を確保しつつ慎重に歩を進め、柱の陰から部屋の奥のかすかな音をたてている方を覗いた。
「ひっ! いた! ゴブリン!」
無機質な岩肌の壁と床に明らかに有機的な肉体が横たわっていた。
僕はすぐに柱の陰に引っ込む。
めっちゃ驚いた。驚いたが……。
「どうやら弱っているゴブリンかもしれないぞ」
そのゴブリンは牙をむき出しにするでもなく、こちらの光のほうを見るでもなく、ただ横たわっているだけだった。
だから驚きはしたが、音を聞いた時よりも恐怖は少なくなっていた。
罠の可能性もあるが、見た瞬間、直感で弱々しさを感じたのだ。
どうする。もう一度確認するか。
「ここまで来たんだ。するしかないよな」
慎重に柱の陰からゴブリンを覗く。
先ほどよりはだいぶ長い時間ゴブリンを観察してゆっくりと柱の陰に戻った。
「つうか……あれ……ゴブリンか……?」
有機物に感じた物体はゴブリンの太ももだったらしい。肌色が妙に艶めかしかった。
よく見れば、太ももの上半身は鎧を来ていた。盾も近くに転がっていた。
そしてライトに照らされると黄金のように美しく反射する金髪が石床に散っていた。
「ゴブリンじゃなくて……ひょっとして……女騎士なんじゃないだろうか?」
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