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正義

 中隊がトラックから降ろされた場所は、とても小さい町だった。運転手は名前も知らないのだという。しかし道路にある案内標識には”タカツキ”と記されていた。彼らは琵琶湖北部の前線に駆り出されたのだ。

 小隊長たちは到着するなり最寄りの司令部から聞けるだけの情報をすべて聞き出した。最近の敵の活動、こちらの損失、装備の差異や戦闘の規模、ほかにも敵味方問わず食事や宿舎の状態、嗜好品の有無なども根掘り葉掘り聞いた。

 それは隊員たちも同じだった。交代となった部隊の兵士たちから多数の情報を聞き出していた。

 聞くところによれば敵の活動自体は大したことはないようだった。だが戦闘が陸地のみならず湖でも行われているということはあまりに意外な情報だった。しかし隊員たちのその眼で確かめてみれば、なんてことはない。湖の向こう、対岸の敵の活動が見て取れるほどの距離しかなかったのだ。当然夜間になれば、明かりの小さな動きさえも見えた。

 この日本一大きな湖とやらは、その程度の大きさしかなかった。彼らにとっての”国一番の湖”の常識の外にあった。それこそ今現在抱えているMk17小銃を撃てば、何発かは敵に当たるのではないかと思えるほどだ。

 そういった意味で言えば、この高槻という町はとても不安定な戦場だった。すぐ北には敦賀湾を囲む敦賀の街があり、そこはかつてこの中隊が敵の補給基地としての機能を亡き物にしたわけであるから、この湖北を制圧することは敵にとって日米を押し返す切っ掛け、補給線の再確保に繋がりうるのだ。

 これが直接的にしろ、間接的にしろ、この冬の間の戦争の流れを決め、春に向けた大きな戦略規模の活動に多大な影響を与えることは重々承知できることだった。

 しかしながら隊員たちは尋常ならざる不満を持っていた。

 本来ならば前線における戦闘任務を主とする活動については、おおよそ1か月程度までとされている。過酷を極める前線での任務は、例え直接的な戦闘でなくとも体力、精神力ともに消耗の激しいものであることは容易に想像がつくだろう。

 その中で彼らはおおよそ2か月に渡り前線にほど近い状況での任務に就いた。包囲した敵兵との砲撃戦や森林での緊迫した歩兵戦闘を、降雪量も気温の低下も厳しい冬の間、耐え忍んでいたのだ。

 隊員たちは決してそれを投げ出さず、完璧な形でやり遂げてきた。冬の間には戦線が進みづらい、負傷者が多数あり補充兵も十分でないなどという、云わば陸軍の問題点についての彼らなりの配慮でもあった。

 にも関わらず師団は急な転戦を彼らに強いた。それも前線から前線へという異例の移動である。幾ら彼らが特殊歩兵大隊であると言っても、”労働法”に背くような荒行に理解を示せるほど彼らは大人ではなかった。

 当初は司令部からの命令通り、前線の監視任務と時折行う哨戒任務に就き、以前より多少は過ごしやすい高槻の防衛に当たっていたが、これは小隊長たちを始めとする将校たちが”上”と交渉する間だけのことだった。

 将校たちは隊員たちの様子などを具に観察し、疲弊の度合いを医療大隊と相談して陳情書を作成し、「すぐにこの馬鹿げた過重労働を止めるべき」だと求めたのである。

 回答は比較的早く返ってきた。

 フォーリー中尉の弁を借りて要約すれば ”隊員たちの疲労や衰弱は大いに理解した。だが少なくともあと二週間は何とかしろ” ということだった。然れば交代を約束するという重要な一文もここには含まれていた。

 こうして中隊は結局のところ師団の命ずる通り、湖北高槻の防衛任務を続けることとなり、この戦いには事実上敗れてしまった。実のところ、こういった要求は何だかんだと棄却されるのがある意味”習わし”ではあった。

 それでも医療大隊からの援助、食料や水などは勿論のこと、嗜好品についてもある程度分けてもらえるという約束を取り付けたことは見事な勝利であるといえた。

 そしてあと二週間の辛抱だと思えば、僅かなチョコレートバーや煙草、ガムなどで疲れた体と心を癒すことができた。そんな頃であった。

 

 第一小隊は定例となった哨戒任務、要するに捕虜狩りの任務に就くこととなった。2月の10日、ちょうどこの町に着いて9日目のことだった。

 この日もポール大佐はこの小隊に加わり、所謂オブザーバーとして彼らと時を共にした。休息を与えられない部下たちへの贖罪か、或いは小隊長らの疲労を補うための保険か。これは心中図りかねた。

 彼らは湖北に築いた前線を北側から抜けて山間の農村地帯を通り、向こう岸にほど近い小さな町を目指していた。

 そこでは中国軍兵たちが時折戦線を監視するために出入りしているとの情報があった。この一帯が小さな町とそれらを繋ぐ山々に囲まれた集合体であるため、双方にとって手を出しにくい場所でもある。

 加えて目的の場所は以前の前線部隊でも赴いたことはないという比較的民家が密集した地域であった。

 行軍は日が沈んでから行われたため、辺り一面は星明かりと月明かりの照らす暗闇に覆われた。隊員たちはそれぞれに目を凝らして、人影や車輌の類がないかどうか確かめながら、しかし着実に歩を進めていった。

 湖には澄んだ風に小波が立っていて、整備がなされた砂利の海岸を静かに打ち続け、その脇には枯草が生い茂っており、常緑樹の街路樹たちが整然と立ち並んでいる。僅か数えるほどの木々は手榴弾か砲弾かは不明だがその餌食となり太い幹が根元から弾け折れているという景色は不謹慎ながら美しさや儚さも醸し出していた。

 敵の姿はまるで無かった。しかし何か鼻を突くような異臭が漂っているのだけは気になった。それは町に近づくにつれ一層、より一層と濃くなり、隊員たちはこれまでになく緊張感を高めた。

 誰からともなく無言のまま自然と戦術隊形を取り、まず最初の民家を見つけると、一度停止して町の様子を観察し、五感を総動員して敵の存在を確かめた。しかしやはり敵の気配は一切しなかった。

 やがて小隊長のウィリアムズ大尉が徐に腰を上げ、隊員たちに隊形を維持してゆっくりと着いてくるよう合図すると、隊員たちは歩を揃えて音を立てず、気配を消して、遂に目標の哨戒地点に入っていった。

 まず気になった点はごみなどの散乱状態であった。これはどの町でもいえることではあるが、それに反して民家や塀には銃痕が無く、荒らされた形跡はない。戦争初期に放棄されたか、あるいはそれ以前にこの集落が没落したか、いずれにせよ戦闘が行われたような形跡などはなかった。

 しかし歴戦の隊員たちには異様なこの雰囲気とこの異臭の正体が何であるか、頭の片隅には想像が付いていた。これは彼らがかつて中東で知り得た感覚に近いものがあった。

 とはいえその眼で確かめられない内は、誰も言葉を発しはしなかった。互いに感覚を共有しているからこそ、他の者も同じように思っているのだという連帯感を持っていた。おおよそ町の中心地、大してそう広くはない民家の集落の中央を通る道路に、彼らの想像通りの光景が見えた。

 誘いこまれそうな暗闇の中、薄く照らされたその物体は、人間の死体と思しきものだった。思しきものと表現するには些か歯がゆいような其の物。死した後、動物に食い荒らされ、行く末は腐り果て、最早原型を留めない腐敗した肉と骨の残骸は、痛ましいという表現を超越した先の何かとしか言い様はなかった。

 それも無数にあった。正確な数は不明ではあるが、優に五〇を数える遺体の数々。すでに誰も小銃を構えるものはいなかった。

 この犯人は誰であろうか。これらを損壊させたのは野鳥や肉食動物であることは言うまでもないだろう。だがそれ以前に人間がこれほどまで多くの民間人たちがこうも同じような場所で無下に死しているというならば、最早それも言うに憚らざるを得ないだろう。始めから分かりきっていることだ。

 中国軍、韓国軍の日本本土進攻において、およそ計り知れない程の民間人が犠牲となったようだが、この町もその一つなのだろう。これを戦争と呼ばず、虐殺と呼ばずして何と言う。

 アメリカ国民の中でも一等正義感の強い屈強かつ実直な隊員たちは、この光景に怒り以上の感情を持たずには居られなかった。師団の不誠実な命令も、医療大隊の物資管理担当者の気に食わない態度も、何もかも忘れた。

 これが中国人がやったことでも韓国人がやったことでも、彼らにはどうでもよかった。今まさに敵陣へ乗り込み、暴虐の限りを尽くして報復してやるという心持になった。だがそれらは一時的に抑え込み、ウィリアムズ大尉の命令通り、町の西側の中国軍の前線に対する警戒に当たった。

 このとき、ウィリアムズとポールはこの事実をどのように伝えるかを考えていた。最も良い方法は広報部を連れて映像、画像で以て敵国へ戦争法違反の申し立てを行い、戦争における切り札に使うというものだろう。

 しかしここは前線も前線。いつ敵軍が攻めてくるかも知れないこの場所にぞろぞろと無防備に前進するほど危険なことはないだろう。敵の砲撃部隊にとっては格好の標的である。

 だからといってこれを見過ごすわけにはいかない。当然、非人道的な行いを放置するほどポール大佐も甘くはない。だが隊員たちとは違う点としてこの行いに対する怒りなどはなかった。あくまで戦争交渉のカードになりうる事実を利用すべきだという、有体に言えば利己的な考えが元の意志である。

 ウィリアムズもそれに近い考えを持っていたものの、怒りは十分にあった。今すぐにでも司令部へ通信を試みて、敵の暴虐の有らん限りを吐き出したい気持ちが勝っていた。そこに小隊長、将校としてのあるべき考えがせめぎ合っていた。

 このおよそ数分の短い話し合いは、至って迅速かつ端的に終わり、部隊には招集の令が掛けられた。さて如何様にするのか、という期待の視線がポール大佐に一斉に向けられた。

 隊員たちは期待せずに居られなかった。あのポール大佐が下す処置とは何であろうかと。この血も涙もないような、身体をチタンか何かで作られたようなポール大佐が、敵にとっては死神のように冷淡で冷酷なこのポール大佐が、このときに何を語るのか。彼らは彼女の”報復の一糸”の言葉を期待したのだ。しかしそれはあまりに期待外れだった。

 「よし、退却する。」

 ただそれだけだった。

 呆気にとられた隊員の一人が彼女に怒りの矛先を向けた。

 「待ってください。”コレ”はどうするんです?このまま放っておけと?」その問にポールは毅然として答えた。

 「その通りだよバーネット伍長」

 「アンタこれを見て何も思わないのか!?」静寂を破って大声を上げたバーネットを、エドワード軍曹が制して言った。彼はより冷静ではあったが、バーネットと同じ気持ちではあった。

 「大尉も、それでいいんですか?」

 ウィリアムズも横目でエドワードを見て、はっきりと答えた。

 「ああそうだ、エド。任務は果たした。隊列の先頭に立て。退却するんだ。」

 隊員たちの怒りはウィリアムズ大尉とポール大佐に向けられた。落胆といってもよい。

 「どいつもこいつもクソったればかりだ。」と誰かが言った。

 

 結局のところ、この光景を目の当たりにした第一小隊には”口を慎むように”との令が下った。しかしこの事実は瞬く間に中隊全体に広まった。敵対国に対する怒りと自身たちのリーダーの不甲斐なさは、中隊の士気を一挙に下降させるには十分すぎた。

 しかしながら一隊員たちが司令部に乗り込んでいってもどうにもならないことはわかっていた。彼らの多くは自分たちの力のなさ、発言力のなさも同時に噛みしめていた。

 不条理であり、不誠実であり、自らの正義感には大いに反する行為に他ならなかった。だからこそ隊員たちが絶対の信頼を置いていたあの大佐が”何も言うな”と命じることがあたかもその期待の裏切りのように思えてならなかった。

 彼女なら何とかしてくれるという甘えにも似た隊員たちの考えもそこにはあっただろう。しかしそれは甘えでもあり、同時に強烈かつ強靭なバックボーンとして彼らの支えとなっていたわけである。

 この事件を受けて、中隊の雰囲気はかつてないほど悪化した。遂に前線を離れるという日になってもそれは変わらず、何か淀んだような空気感があった。交代の部隊はこう思った。”比較的楽な地域の前線だと聞いていたのに、なんだってんだあの部隊は。俺たちはとんでもないところに来てしまったのではないか”

 何はともあれ、晴れて2013年の2月27日、ポール大佐率いるこの中隊は二度目の休息期間を勝ち取ったのであった。


 しかしながらあのポール大佐は決して彼らの期待を無下にした訳ではなかったということを、彼らは後に知ることになる。

 能登半島に残存し必死の抵抗を続けていた敵軍一団が総降伏し、ついに東日本を奪還せしめんとした、その時。まさにライジング作戦が完結せんとしたその時に、彼女はそんなことには目もくれず、陸上自衛隊の重鎮との話し合いの場を設けていた。

 それは米国陸軍側には何の承諾も得ない独断での行動であっただが、日本側は嬉々としてそれを受け入れ、彼女の大きな決断を初めて聞いた第一の人々となった。

 雪解けの春、芽吹き、草木が生き返り、戦線が動き始める季節。日米が一丸となって中韓への怒涛の反撃を行おうというこの重要な時期に、彼女は決断した。

 

 「大佐、つまり貴女は”造反を行う”という理解で宜しいですか。」

 陸上自衛隊の各幕僚の御前で、彼女はしかと頷き、肯定したのであった。

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