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顧客満足度

 ポール中隊の隊員たちは,とある雪深い街で新年を迎えた。そのささやかなお祝いには鹿肉のコーン煮が振る舞われた。これはフィリップス一等軍曹のお手製で,高級レストランのディナーに匹敵する絶品だった。

 彼らは毎日のように哨戒へ出ていて,気温は時折氷点下を記録する厳しい寒さを越えたあとは,毎日のように同じ家へ帰り,手狭な部屋に縮こまって休息を取る。

 彼らの最近の主な任務は,砲兵の護衛であった。彼らは昼夜を問わず雷鳴のような重砲の咆哮を響かせた。お陰で眠りはとても浅かった。

 睡眠不足の原因は他にもあった。それは運ばれてくる負傷兵たちの悲鳴だった。扉を閉めていても,窓を閉じていても,その声は聞こえた。大抵は一しきり叫んだ後にパタリと止む。その時の静寂が,隊員たちは嫌いだった。

 中隊衛生班のフィリップス軍曹は自分の隊の兵か否かに係らず,この基地の負傷兵の治療に駆り出され,毎日くたくたになるまで働いた。

 しかしその労力に見合うほどの成果は挙げられなかった。毎日何人もの兵士たちが苦しみの中で死んでいき,傷の痛みに耐え忍ぶ者に安らぎを与えることも出来ず,前線に戻れた者は数少ない。

 いくら手を洗っても血の臭いは消えなかった。隊員たちに振る舞った料理が,血生臭くなっていないか,彼は正直不安だった。

 例え戦況を聞かずとも,隊員たちには前線の状況が手に取るように分かった。イラクでは前線のない闘いで苦しんだ彼らだが,それとは一線を画した。敵は明確で,前線はハッキリしている。 

 最終的に作戦が承認されたのは一月の中旬になってからであった。敵拠点間の幹線道路への襲撃,それによる各拠点間の分断。この主な目標は二カ所あった。

 南砺(ナント)という街には七つ,大野という街には六つの幹線道路が繋がり,それぞれ敵戦線の北部と南部を支えているため,この道路を一時的でも封鎖できれば,膠着した戦いに流動性を持たせられる見込みがある。

 この作戦には幹線道路を通る車列への打撃力,敵後方まで回り込む機動力が必要であり,加えて忍び込むための隠密性も必要とされた。

 だが戦車は隠密に不適格であるし,一般歩兵では機動力に欠ける。それらを満足する部隊は,数多の米軍部隊の中においても数少ない。白羽の矢が立てられたのはポール大佐だった。

 

 中隊は今冬一番に冷えた日の夜遅くに出発した。雪は降っていなかった。澄んだ夜空に三日月が浮かんでいた良い夜だった。

 味方の前線部隊を追い抜くのは然程時間を要しなかったが,それからは違った。森の見通しが悪く,積もった雪に足を取られてしまい,思うように進めなかったからだ。

 おそらく敵は腰を下ろして前線を監視しているはずである。焦って動きまわると発見されたときに対処しづらい。しかし機動性も必要なため,駆け足は止めなかった。

 この結果,彼らは前進しては停止するという機動を繰り返すことになった。加えて寄り固まって行動したので,もし待伏せされた場合は容易に包囲され壊滅する可能性は高い。

 それでもポールは機動力と被発見性を取った。小隊長たちは完璧に指揮し,隊員たちは森に吹く風の如く木々の隙間を駆け抜けた。敵はそれらに全く気付かなかった。

 目的の幹線道路まで辿りついた時には既に日付は変わっていた。中隊はこの幹線道路と並行に走る鉄道を双方見下ろすことができる高台に腰を据えた。

 この内,第二小隊は更に前進し,敵が通行するであろう道路の両脇に六つの爆弾を設置した。それぞれ導火線を付け,それを一杯まで引いた後,起爆装置を取り付けた。

 底冷えする山間での待伏せは非常に耐え難かった。特にこの冬の間に野外でじっと待つということがなかった隊員たちにとっては一層特別に感じられた。しかしこれで音を上げる者たちではない。

 隊員たちはただただ静かに敵の車列が到着するのを待った。誰一人静寂を乱す者はいなかった。澄み切った氷のような空気のその一部と化した。

 やがて暗闇の向こうにライトが見えた。白銀の谷に反射して,きらきらと輝いた。それらは列を成して続いて繋がり,隊員たちが潜む影を濃くした。

 前哨のポール大佐はこの車列を睨みつけながら,静かに右手を挙げて起爆装置を握る特技兵のガルベスに合図を送った。彼は二つの起爆装置を両手に握り,ポールの右手を睨んだ。

 車列先頭の装甲車からトラック三台,戦車二両と上に乗った敵兵たち,トレーラ一両,間を空けてトラック二両,装甲車が続いていたその車列は,予想以上の大所帯だった。

 中国軍はこの瞬間まで何一つ気付かなかった。敵の接近は勿論,ましてや待伏せとは露知らず,油断という言葉すら不適切なほどに油断していた。

 この気配を隊員たちとポールは勘付いた。そしてポールは挙げた右手を握り,見えない紐を引く動作を行った。これが合図だった。

 突然に道路が爆発した。先頭の装甲車の後部はその爆風で浮き上がり,排気音をひとつ唸らせて,道を塞ぐように横転した。捲れたアスファルトが粉々になって降り注いだ。

 トラックの運転手はブレーキを一杯に踏んだ。しかし停止の瞬間に風防を突き破った弾丸が彼の頭部に命中した。即死だった。助手席の兵士も程なくして射殺された。

 中国軍の96式戦車は,随伴歩兵を振り落とし,揃って右前方に砲を向け,絶え間なく発砲する第二小隊を狙った。しかし直ぐに対戦車ロケット弾が向かってきた。

 この弾はそれぞれ二両の96式戦車の砲塔前面に当たり,一つの砲塔回転装置と,一つの迎角調整装置を破壊して,大砲二つを無力化して見せた。敵にとっては不運としか言い様がなかった。

 不意打ちを食らった中国軍も反撃せんと展開を始めるが,この時をガルベスは待っていた。二発の爆弾に点火し,多数の敵歩兵へ加害することができた。

 続けて,残りの爆弾も発破した。敵は選択を迫られた様に感じた。銃撃に晒されるか,隠れて地雷に葬られるかの二択である。当然後者の可能性はもう無いが,敵はそれを知らない。

 更に彼らは明確な指揮官を有していなかった。この部隊は前線への移動のみであったため,最高指揮官は小隊長に留まっていて,部隊全体の統率が取れる者が居なかった。

 混乱は極限に達した。この迷いはポール大佐の部下たちにもはっきりと見て取れるほどだった。しかしポール大佐は第二小隊に撤退を命じた。隊員たちは少し驚いた。

 今なら第二小隊の戦力でも,この車列に更なる打撃を与えることが出来ると思えたからだ。この膠着した戦争を打開するチャンスが目の前にあるような気がしたからだ。

 隊員たちのこの一瞬の戸惑いはマック大尉の命令で一蹴された。「退却!」

 M2重機関銃と小火器による制圧射撃を受け,中隊のいる高台まで第二小隊は疾走した。先ほどまで頭を廻っていた考えや迷いはなかった。

 彼らは深い雪と凍える空気を切り裂いて走った。敵の弾丸が彼らを追い抜いて駆けていく様子が見えても,走るのは止めなかった。

 第一小隊のサイモンはM24狙撃銃に梃子摺っていた。ここまで退却する第二小隊の援護をすべく敵の火点に発砲するものの,敵が多すぎてキリがなかった。

 またボルトアクションのM24狙撃銃を手早く連射するには慣れが必要だったが,彼は半自動のM14小銃を愛用していたので,この操作に慣れていなかったためでもあった。

 彼は敵兵の左大腿に命中させたあと,槓杆を上げて引き,素早く押して次弾を装填したはずだったが,引っかかる感触があったため,もう一度引いて押し込もうとした。

 すると一つの薬室に二つの弾丸がひしめき合ってしまった。荒く押し込んだ槓杆は頑として動こうとしなかった。有態に言えば,彼のM24は装弾不良を起こしたのだ。

 その頃,ポール大佐は第二小隊を引き連れて退却を完了した。各遮蔽物に身を隠すよう命じた後,彼女はサイモンのこの様子に気づき駆け寄り,自分の小銃と交換するよう言った。

 サイモンは言われた通りにした。ポールは腰のナイフを引きぬいて,M24に突き立てて軽く叩いた。見事に外れた弾薬が宙に舞って落ちた。

 彼女はそのままM24狙撃銃を構え,敵に銃撃を始めた。サイモンは彼女が撃った弾が敵に吸い込まれるように命中する様子を見学した。

 百発百中だった。すべて頭部か胸部に命中していて,装填動作も無駄がなかった。直ぐに装弾数の五発を撃ち尽くしては,また次の五発を装填して撃った。

 彼はこのM24狙撃銃をあまり良く思っていなかった。装填は面倒だし,引き金が軽すぎて発砲のタイミングが掴みづらい。だがポールがこの銃を扱う様子を見て考えが変わった。なんと格好良いのだろう,そう思った。

 見蕩れている彼にポールは気付いて,M24を彼に返し,こう言った。「下手クソ」。クリステンソンはこれを聞いていて,笑いを抑えられなかった。

 駆け寄ってきた第三小隊のバーンズ少尉は,彼らを見て怪訝な表情を浮かべた。戦闘中に笑う者はイカれた奴か,馬鹿な奴だ。という認識があったので,どちらだろうかと考えたからだ。

 しかし考えるのは止めた。もともと馬鹿二人ではないか,と思い直した。そしてポール大佐に駆けてきた本来の目的を果たした。「退却準備完了。ご指示を。」

 ポールは”よし”と返答して,無線でフォーリー大尉を呼んだ。フォーリーも同じく準備完了の旨を伝えたので,彼女は中隊全員に聞こえるよう叫んだ。「退却!」


 隊員たちは再び森を駆けていった。今度は止まらなかった。先に退路を確保した第三小隊と第四小隊の隊員たちを辿るように走った。敵の追撃はほとんどなかった。

 唯一の被弾はM2重機関銃の射手,フットランド一等兵だった。彼は退却した先に重機関銃を設置して援護しようとしていた所,右の胸を撃たれた。

 年間一〇冊は小説を読む彼は思っていた。きっと自分も撃たれた時は,小説の登場人物のような台詞を吐いて倒れるのだろう。”くそったれ”や”ちくしょう”などでも良い。

 しかし現実はそうならなかった。彼は被弾した瞬間から,腹の底から湧きあがる呻き声しか上げられなかった。激痛で台詞などまったく出てこない。

 フィリップス軍曹がすぐにやってきて,彼の手当てを行って,最後に麻酔を打って仕上げとした。それでようやくフットランドは”言葉”を発することができた。

 「”ちくしょう!”」それにフィリップスが答えた。「こんなの軽傷の内だぞ。」

 だがフットランドは「違うんだ!」と言った。担架を組み上げながらフィリップスは聞いた。「何が?」

 「もっとカッコいい台詞を吐いて倒れたかったんだ!」フィリップスは笑った。

 担架は第三小隊の隊員が持った。フィリップスは彼らにフットランドを運ぶよう言うと,フットランドの傷口をポンと叩いた。彼はまた呻き声をあげた。


 中隊は前線まで戻り,敵の追撃を警戒するまで任務にあたった。夜明けまでは前線で待機して,そのあとはまたあの基地に戻った。

 その日の午後,作戦は成功したことが分かった。大野の街に米軍が雪崩れ込んで,遂に奪取したのだ。この前進はわずか数キロだが,大きな前進だった。

 しかしながら南側の南砺での攻勢は失敗した。結局のところ,戦線は南に少し移動しただけであった。

 だが北側だけでも前進したことで,米軍と自衛隊の野戦砲の射程距離の中に,敵の海岸堡を収めることができた。これで南側が墜ちるのも時間の問題であろう。

 この夜,隊員たちの吉報はもう一つあった。第三小隊のアダムスが戻ってきたのだ。およそ三カ月ぶりの再会であった。

 彼は豊橋で負傷したあと,後方に送られ病院で治療に専念していた。傷は完全に癒えてはいなくとも,医師は”歩行可能な患者”リストに彼を復帰させることにした。

 少しの間,彼はリハビリを行った。基本的な運動と体操だけだった。患者たちの入れ替えのどさくさに紛れて,彼は病院を抜け出した。あまりに退屈だったからだ。

 戦場に復帰したアダムスだったが,ここは病院よりも退屈だった。基本的に屋内でごろごろしているか,暇な哨戒をする以外にやることがない。

 加えて傷が冷えると痛みが出てくる。しかしそれでも彼は仲間たちと一緒に居たかった。病院に居たら,彼らに置いてけぼりにされるのではないかという不安もあった。

 だが結局のところ,彼はこの戦場で一発とて撃つことはなかった。ポールが次の手を打ったからである。先の作戦から四日後,ポールはまた隊員たちを集めて言った。

 「任務がある。」

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