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 この年の12月になる頃には”ライジング作戦”は佳境に入った。

 10月8日に静岡の浜松から始まり,太平洋側から進撃した自衛隊と合衆国陸軍は,敵の激しい抵抗を受けながらも愛知を奪還した。

 中国軍と韓国軍は富山,福井,石川まで後退を余儀なくされたが,このまま包囲される彼らではなかった。機甲師団は戦線の中央突破を行い,包囲を試みる敵を逆に包囲しようと考えた。

 しかしポール中隊が山間部でこの出鼻を挫いて彼らを後退させたため,実現されることはなかった。開戦から優勢だった侵略者たちは陥った劣勢を脱する機会を失った。

 合衆国陸軍は既に琵琶湖の北東まで戦線を押し上げており,最早,包囲されるのは時間の問題であった。とはいえ闇雲に進撃すると敵に挟撃される危険もあるため,本作戦の最後の一手はやや慎重に考えざるを得なかった。

 素早く敵を分断しつつも,挟み撃ちされる前に戦力を展開させるためには,もっと正確な情報を集め,戦略を練る必要があった。

 序盤で非常に有効だったのは無人偵察機であった。航空自衛隊の制空権を活用して,敵の上空から偵察活動を好きなように行うことができたし,これには人的損害を出さないという点で大きな利点もあった。しかしこれを簡単に許す中国軍ではなかった。

 彼らはすぐに一帯へ強力な電波障害をもたらす装置を配置した。無人偵察機の操作は電波で行うので,これには一溜まりも無かった。銃で撃ち落とすよりもずっと効果的でずっと楽な装置だった。

 その後は危険な有人航空機での偵察とするか,電波障害装置を破壊するか,という様々な選択がされた。しかし結局のところ,偵察は歩兵部隊が行うという古典的な方法に落ち着いた。

 そこでポール大佐が師団本部からの要請を受けた。特別任務大隊への特別任務の要請である。

 敵の補給基地がある敦賀という街へ偵察を行い,敵部隊の戦力評価に加え,補給物資の物品や量を確認するという難しい任務だった。

 ポールはこの偵察部隊の編成を一個分隊規模に定めた。基本的に敵と交戦する必要はなく,気付かれる可能性を極力減らす必要があった。

 その為,偵察部隊には中隊の中でも選りすぐりの隊員,10名が選ばれた。この選出はポール大佐自らが行った。そしてこの部隊の指揮もポール自身が行うこととした。

 装備は通常戦闘と似通っていたが,銃には消音器を取り付けられ,同時に亜音速弾を携行させる点は違っていた。またMk17小銃を持っている者はそのままだったが,M14を持つ二人の選抜射手には自衛隊のM24狙撃銃が支給された。

 他に三日分の食糧と小型カメラを持って,12月1日の未明にこの偵察部隊は行動を開始した。

 

 この頃,敦賀という街の中国軍は小さな悩みを抱えていた。それは盗難だった。盗まれるのは決まって食糧品で,兵士たちに人気がある煙草などの嗜好品が盗まれることはなかった。

 これを兵士たちの罪とするには少しの違和感があった。補給担当官の一人は,兵士たちが時折騒ぎを起こして食糧や嗜好品の類いを強奪することを知っていたが,隠れて盗むという事例はあまりなかったからだ。

 そこで犯人は現地の日本人ではないかと考えるのは必然と言えた。敦賀の一帯から民間人は避難していて,街はゴーストタウンと化しているが,生き残りが居る可能性は除外できなかった。

 しかしこれほど常習的に陸軍から盗難を行えるのかという疑問もあった。実際に兵士たちが日本人を見たという話も聞かなかった。

 専らの話題は敦賀の二〇キロ南に合衆国陸軍と自衛隊が迫ってきているという物だった。日々増える補給品と日々変わる配送先が彼らの不安を掻き立てたので,小さい盗難は当たり前に起こる事で,仕方のない事だという認識に変わっていった。


 だが,これが日本人の仕業だと言う見立ては実のところ当たっていた。敦賀の市街地の東の森林では,二人の日本人が隠れ住んでいて,内一人の男が中国軍から食糧をくすねては森に持ち帰って飢えを凌いでいたという訳である。

 その犯人はまだ高校生であった。正確には8月の終わりに中国軍が彼らの街を蹂躙し始めたその時までは高校生だった。地元の高校に通う普通の男子学生であった。

 彼らが避難するとき,中国軍はそれが自衛隊員であろうと民間人であろうと構わず攻撃を行った。避難優先の自衛隊員は十分な武装を与えられておらず,民間人を守りきれず,多くの民間人が犠牲になった。

 その光景を間近で見た当時高校生の彼は,パニック状態の街から逃げ出すことにした。彼も男子の端くれとして”兵士”の魅力を感じたことはあったが,小さな憧れはこの時に消失した。

 迫りくる中国軍兵から,彼は死ぬ思いで逃げた。避難を求める人々の波に逆らい,猛烈で明確な恐怖を背に感じながら,彼は息も絶え絶えに走った。

 視界も眩む逃走の途中で逃げ遅れた人を見つけた。それが見知った顔であることにも気付いた。同じ高校に通う女生徒だった。立ちすくむ彼女の腕を握り,彼は再び走りだした。

 二人は住宅地を抜け,田園地帯も越え,森の細道に入っても走ることを止めなかった。発砲音と爆発音が聞こえなくなるまで,その足を止められなかった。

 しかしやがて二人は立ち止まった。もう体力が続かなかったのだ。運よく崖に開いた横穴を見つけたので,二人はそこで休むことにした。夜になったらここを出て,もっと先へ逃げようと考えていた。

 ここで二人は初めて互いの名前を知った。男は,工藤 ヤスヒロ と言った。女は,新実 ユウカ と言った。家族は無事だろうか,友達は無事だろうか,そんなことを話すだけの心の余裕はまだあった頃だった。

 夜の帳が降りて,二人は絶望の光景を見た。火の海に包まれる敦賀の街並みであった。光源のない森からは,炎の灯りでまるで真昼の様に日に照らされていると感じられた。もう二人は逃げなかった。覚悟を決めたと言っても良い。

 そしてそこでの生活が始まった。二人は協力してこの困難に立ち向かうことにしたのだ。ヤスヒロは生活に必要な物を求めて街まで戻り,ユウカは横穴を住居に仕立てるために篭った。

 自給自足の知識など無い二人であったが,食は街に戻って取りに行き,暖は近くの民家の布団や毛布を貰い,火はライターで着け,水は川から汲んで用意出来た。

 森での生活が軌道に乗る頃には,街に中国軍兵が溢れていた。ヤスヒロは彼らに見つからないよう食糧を求めて少しずつ奥へと侵入した。冷凍や冷蔵が必要でなく日持ちのする食べ物はそう多くはないので取り尽すまでの期間は短かった。

 そこで彼は大胆にも中国兵の補給品を狙うことにした。下水道を伝って基地へ行き,彼らのトラックに忍び込んで,詰められるだけの食糧をバッグに詰めて盗んだ。これを何度かやる内にはコツを掴んでしまった。

 初めてヤスヒロが軍用食糧を持ちかえった時,ユウカは激怒した。ヤスヒロは初めて彼女が感情を露わにするところを見た。街から逃れたあの日から,一度も絶望を顔に出さず,前向きな姿勢を崩さなかったユウカと同一人物とは思えないほど違って見えた。

 もし中国人に見つかれば,何をされるかは火を見るより明らかだった。ユウカはヤスヒロが居ることで精神的なバランスを保っていた。彼が居なければ今のユウカはなかった。

 しかし飢えには勝てなかった。山には食べられる物があるかもしれないが,二人には調べる術も確かめる余裕もなかった。ヤスヒロが持ち帰る敵の食糧だけが二人の命の全てだった。

 そして二人の共同生活は十五週間になった。その間,ヤスヒロは何度も敵の補給の隙を突いて,沢山の食糧を持ちかえった。しかし得られたのはそれだけではなかった。

 中国軍の雰囲気が変わってきたことに気付いたのだ。言葉は一切分からないが,緊張感が高まっていることは分かった。自分の”盗み”が警戒され始めたかとも考えたが,違う気もした。

 ある日,中国軍がとても騒がしかったため,彼は盗みを取りやめて戻ることにした。ヤスヒロは謝罪したが,ユウカは相変わらず笑顔で出迎え,食べ物はまだ何とかなると励ました。

 しかしヤスヒロが戻った理由はそれだけではなかった。負傷した中国軍兵を見たのだ。それは戦闘が行われたことを意味していた。ということはつまり自衛隊が近くまで来ているということだと思った。

 とはいえそれは想像に過ぎない。実際に姿が見えた訳ではないし,中国軍の高い警戒感の中で無暗に行動すれば,二人とも彼らに見つかる可能性がある。そのためヤスヒロは敢えてユウカに何も言わなかった。

 

 そして翌々日の朝にヤスヒロはまた街へ向かうことにした。ユウカへそれを告げると,彼女はとても申し訳なさそうに感謝の言葉を返した。二人で一つの缶詰めを分けあって朝食を取り,一杯の水を飲んだ後,彼は横穴から外へと出た。

 ユウカは笑顔で彼を送った。見えなくなるまで彼の後ろ姿を見るのは毎回のことだった。

 彼は足跡が残らないよう気を付けながら藪を抜けた。深い森林と細い林道を辿り山を降りようとした。足を踏み出す度に小石が小さく音を立て,枯れた木々の枝が遠くで落ちる音がした。

 そのとき,彼は異様な気配を感じて立ち止まった。

 突然汗が噴き出して,膝が笑い,眉一つ動かせなかった。

 何とか意を決して敵から奪った03式小銃を手に取り安全子を回す。二つの眼は,道の先,木々の陰,草の向こうと次々に映す。

 ゆっくりと最も近いクヌギの木に隠れようとしたその瞬間,彼の後ろから突然人の手が這い出して,彼の口を強く掴み,引き下ろされた。彼は死を覚悟した。

 ユウカのあの笑顔をもう二度と見ることはないと確信した。大変ながらも充実した日々はもう来ないと悟った。自分の死よりもユウカのこれからを案じた。しかし聞こえた声がその思考を止めた。

 「Hush. Keep quiet. (シー,静かに)」

 それは英語だった。中国語とは違う言葉だった。いつの間にか閉じていた眼を恐る恐る開けると,そこには白人の顔があった。蒼い目が鋭い女性だった。

 ヤスヒロは静かに小さく頷いた。その女性は何やら合図を送ると,草陰や木々からわらわらと大柄な外国人たちが出てきた。どうやってその身体を隠していたのか,彼には理解できなかった。

 外国人たちは11人居た。皆,小銃を構え,ヤスヒロに銃口を向けていた。

 彼の口を押さえている女性は小さくも重い声で彼に聞いた。

 「Japanese?(日本人か?)」もう一度ヤスヒロは頷いた。

 「Are you alone?」聞き取れなかったヤスヒロは眉を動かした。

 「アナタ,ヒトリ?」片言の日本語に彼は頷いた。すると次は英語だった。

 「NO SPEAK, OKEY?」また彼は頷いた。ゆっくりと口から手が離れていった。

 

 ポール中隊は,敦賀の東にある森で,生き残った日本人を見つけた。ポール大佐は静かに忍び寄って,彼の後ろに回り,そして捕らえた。全く気付かれない見事な移動だった。

 幾つかの”会話”をした後,最後に”喋るな”という指示に頷いた日本人をそっと解放した。彼はとても怯えていて,頬にはポールの手の跡がくっきりと残っていた。

 日本人が持っていた敵の小銃を取り上げた隊員たちは直ぐに周囲警戒の位置を取った。ポール大佐がまだ話をするだろうと考えたからである。

 その予想は当たったが,ポールは彼と意思疎通できなかった。日本人は”自衛隊”,”助けて”,”あと一人”と何度も言っているようだが,ポールも”静かにしろ”,”敵はどこだ”,”ここで待て”と捲し立てた。

 しばしの間,この二人の噛み合わない会話は続いた。互いが互いの言葉を理解できなかったので,とてもじゃないが埒が明かなかった。

 するとポールは一つの言葉が気になった。”あと一人”とは何か。そこについてゆっくりと聞いた。まるで幼児と会話しているようだと隊員たちは思った。それでもなんとか話をした。

 日本人は”自分の他にもう一人居る”と言っているのではないかとポールは理解した。そのもう一人の所まで案内するよう言うのも一苦労だったが,とにかく伝わったようだった。

 それから隊員たちは日本人の後に続いて,細道を外れ,森林を抜け,藪を割いた先に行くと,立派な横穴が空いている崖に到着した。なるほどこれは敵に見つからないと感心する場所だった。

 横穴に着いたところで日本人は横穴に入り,もう一人の名前を呼んだ。するとその日本人の男の子と同じぐらい幼い見た目の女の子が出てきた。隊員たちはそれぞれその横穴が愛の巣であると確信した。

 その女の子はどうやら英語を少し出来るようだった。女の子は”ニイミ,ユウカ”,男の子は”工藤,ヤスヒロ”と名乗った。そしてポール大佐はとても助かった思いがした。忌々しくストレスのたまる会話を交わさなくて良いからである。

 そこでやっとポール大佐は意思を伝えることができ,敵の位置や規模を聞き出すことも叶った。しかし日本人二人の望みについて,ポール大佐は拒否した。

 つまり”我々は偵察の任務で通りがかったので,任務が終わるまで君たちを助けられない”ということだった。ユウカは大きな瞳に涙を溜めながらポールを見つめた。

 それを見た隊員たちは,ポールになぜ女の子が泣いているのか質問をした。大佐は隊員たちにありのままを伝えた。”日本人の救助”は我々の任務には含まれていない,とも言った。

 彼らは居たたまれない気持ちになった。二人を助けることは人として正しいかもしれないが,軍人としては,その任務にない以上手出し出来ない。

 レイ上等兵は,偵察のあと連れ帰るという案を提示したが,ポールより先にクリステンソンが制した。この偵察部隊と行動することこそが危険という意見だった。

 三カ月以上も生き長らえている日本人たちを今さら保護する必要はないとするのはレインハート一等兵の意見だった。放っておいてもじきにここを攻め落とすなら大差ないといって同調する者もいた。

 ここでフォード曹長が,彼らに黙るよう命じた。「我々の任務は敵の情報を集めることだ。日本人たちは置いていく。いいな。」

 隊員たちは黙って頷いた。ポールはユウカに”済まない”と呟き,ユウカは”待って”と言った。だが彼女は待つつもりはなかった。しかしユウカはポールの前に立ちはだかって,こう言った。

 「待って,敵の情報ならあります!」隊員たちは耳を疑った。

 ポールは立ち止まって聞き返した。するとユウカは繰り返して言った。確かに言ったのだ。

 ユウカは,ヤスヒロに何か日本語で伝えると,ヤスヒロは横穴に入っていき,しばらくすると戻ってきた。それは一冊のノートだった。

 そのノートにはびっしりと日本語が書き込まれていた。ポールはこのノートがなにを意味するか聞くと,ユウカは「中国軍の兵士たち,そして彼らが輸送した物を書き記した物」だと言った。

 それはまさにポール大佐率いる偵察部隊の求める情報だった。

 

 そのノートには,とても細かい情報が記載されていた。

 基地に届いた物品の名前や量,基地から出た物品の名前や量,それを車両で行ったか,輸送船で行ったかまで記され,また歩兵の巡回ルートや基地に配置されている車両,歩兵の数なども図で示されていた。

 これはヤスヒロが敵の食糧をくすねる時に逐一書き込んだもので,それをユウカが分かりやすくまとめていて,おおよそ一週間毎の時系列になっていた。

 隊員たちは腰を据えて,ユウカの説明を聞いた。とても実用的な情報であり,偵察活動でも捉えにくい時系列の輸送情報は特に価値が高かった。

 一通り聞いた後,ポールは頭を抱えた。良いことは敵の情報を得たことだが,悪いこともあった。敵の輸送物品の中に,鉱石類があることに気付いたのだ。

 通常,軍の運営に鉱石は不要である。それどころか荷物でしかない。大金と労力を掛けてわざわざ海底から採取した鉱石を敵に向かって投げて攻撃する訳でもあるまい。

 限られた輸送の中で鉱石に割くとするならば,それを弾薬に変える以上の価値が求められるはずである。これは軍を超えた,国家の判断になるだろう。

 要するに中国軍は日本への侵略と共に,日本海に眠る海底資源を貪っていたのだ。これはポール大佐の身に余る事実だった。市販のA4ノート一冊には国家を揺るがしかねない威力があった。

 そこでポール大佐は中隊本部の情報担当,マーク少尉に連絡を取ることにした。合衆国陸軍の回線を介し,”予めマークと打合せしておいた”特殊回線に繋げた後,彼らは内々の話を始めた。

 彼女からの相談を受けたマーク少尉は同じように頭を抱えた。少し時間をくれと言って,しばらくした後,プランを提案した。

 それは予定通り偵察任務を行って,陸軍にはその内容を報告。そしてノートの内容は日本人二人の身柄と引き換えにして自衛隊へ内密に渡すという物だった。ポールはそれを承諾した。

 通信を終えたあと,ポール大佐は隊員たちを集め,予定通りに偵察を行うことを告げた。彼らにはノートの内容が日本語であること,素人の記載であることが理由だと伝えられた。

 そしてユウカとヤスヒロへ,自衛隊に身柄を引き渡すことを約束した。しかし偵察任務を行って戻るまでは,横穴に潜んで待っているようにと言った。二人は彼女を信じて待つことにした。

 

 ユウカとヤスヒロはとても希望に満ちた夜を過ごした。あのアメリカ人たちはきっと私たちを助けてくれるという期待を持たせてくれた。

 12月になった山の横穴はとても寒かったが,二人は寄り添って毛布を被り,互いに暖めあいながら,ここでの思い出を語り合った。

 食べられそうな草を煮てみたがとても不味かったこと,鹿が迷い込んできて驚いたこと,地震が起きて慌てたこと,この間食べた久々のお米が美味しかったこと,山では星空がきれいだと気付いたこと,木々のざわめきが怖かったこと,数えたらきりがなかった。

 これからはどうなるだろうかということも話し合った。自衛隊が保護してくれたら,衣食住で今以上困ることはまずないだろう。しかしあれこれと工夫して横穴で暮らすよりも活動的な生活ではないだろうと笑いあった。

 そこには家族や友人もいるかもしれない。もしこの生活を聞いたらとても驚くに違いない。その驚く顔が見てみたかった。話したいことは沢山あった。逆に驚くような話を聞けるかもしれない。

 しかしもう二人で,こうして寄り添うことは無くなるかもしれないと思うと,少し残念に思った。三カ月以上の共同生活で,互いに好意と言うには生ぬるい感情が芽生えていた。

 言うなれば家族のような存在だった。中国軍が攻めてこなければ生まれていない存在であったことは皮肉のような気がした。

 二人は,二人の話をし続けた。ポールの偵察部隊が戻る時間になっても,その話は尽きることがなかった。この時間がいつまでも続くことを願っていたのかもしれない。

 

 翌日の朝,ポール大佐と隊員たちは偵察任務を終えて,約束通り日本人二人が待っている横穴に帰ってきた。隊員たちには横穴にいる二人の談笑がハッキリと聞こえた。

 なんと能天気な物かと思えた。遂に戦火から脱出する時分になっても,まだ二人は話を止めなかった。それをフォード曹長が制して,二人は分けて連れられることになり,ようやく二人は口を噤んだ。

 帰りの歩みは中々に速かった。当然訓練など受けていない二人は,隊員たちに着いていくのでやっとだったが,二人とも足取りは軽かった。

 偵察部隊の中に民間人二人が居る姿はとても浮いて見えた。しかしポールの部下はきっちりと仕事をこなし,終始敵に見つかることはなかった。

 夕方になる前には,自衛隊の前線の基地へと辿りつくことが出来た。

 こうしてユウカとヤスヒロの長い闘いは幕を閉じた。

 日本人の自衛隊員の日本語を聞き,二人は涙を流して抱きあい喜びあった。安全という物が如何に尊いものかを全身で感じ,そして表した。

 この二人を出迎えた第10師団の自衛隊員は,この二人が連絡よりもずっと元気そうなことに驚いていた。とても三カ月もの間サバイバル生活をしていたとは思えなかったのだ。

 野戦病院も受け入れを整えていたものの,軍医は入院不要と診断したため,二人はすぐに後方部隊へ輸送された。前線基地に居る方がずっと危険だった。

 自衛隊のジープに乗りこむとき,ユウカとヤスヒロはポール大佐に改めてお礼を言いに行った。僅かな時間しか許されなかったが,ポールは快く二人を迎えた。

 このときポールはある物を渡した。それはケースの煙草と粉末コーヒーの箱だった。二人はコーヒーが好きではないし,また未成年であるし,命の恩人にこれ以上迷惑を掛けられないと思い,それを返そうとした。

 しかしこれは誰かに何か頼みごとをするときに使う物だと諭された。その上,二人の身柄確保は”私の給料”に含まれているので,礼は不要だと言った。

 それでも二人は何度も何度も頭を下げ,片言の英語で礼を繰り返し,ポールに最後の別れを告げた。二人を乗せたジープは夜の内に基地を出ていった。

 

 その後,ユウカとヤスヒロは茨城まで行き,同じ施設に入所した。別の建物だったので,頻繁に会うことは出来なかったが,それでも時間と場所を決めて会うことは出来た。

 自衛隊からは事情聴取を何度も受けた。二人は中国軍の所業の数々,火の海となった敦賀の光景,そしてあのノートの内容を具に話した。それらはとても衝撃的という他なかった。

 時を同じくして,ポール大佐は陸軍へ”偵察の結果”を報告した。またマーク少尉はあのノートについて独自に自衛隊と連絡を取った。このことはポールとマークだけが知っている。

 隊員たちはポールから”ノート”については一切を忘れるよう命じられた。こういうことは軍人にはあることだと皆この話題に触れなかった。

 

 数日後,合衆国陸軍と自衛隊は共同して歩兵部隊と機甲部隊を編成し,敦賀へと乗り込み,この街から中国軍を追いだした。そして中国軍と韓国軍は完全に包囲された。

 反撃の道を断たれ,雪に閉ざされた彼らは撤退を余儀なくされるだろう。合衆国陸軍と自衛隊はそう思っていた。

 しかしこの冬の雪中戦は考えていた以上に苦戦を強いられた。敵は徹底抗戦の構えで熾烈に反撃したが,それよりも日本海側の海上戦闘が思うように進まなかったことが原因だった。

 包囲はしたが補給線をしっかり断てなかったのは,作戦の詰めの甘さのように思われた。とはいえ歩兵部隊を始めとした陸戦部隊は確実に歩を進めていった。

 ポール中隊はこの前線からは一歩下がった後方部隊に配置された。そのためほとんど戦闘を行わなかった。これはとても恵まれていた。

 前線ではまるで七〇年前のヨーロッパの冬の様な,塹壕と砲撃の闘いが行われたからである。一部では機甲部隊同士のもっと激しい戦闘が繰り広げられたという。

 これに比べて隊員たちは屋根のある家に居られたし,暖かい食事を取ることが出来た。滅多に攻撃は受けないし,無謀な上官に突撃を命じられないで済んだ。

 あの時と違うのは,補給がある程度安定していることだと言えたが,それは前線の兵士たちにとって恵まれているとは言い難い状況を作り出した。

 軍はとにかく多くの弾薬を支給して寄こした。これにより中国軍と韓国軍は滞りなく砲撃を行う事ができたし,自衛隊と合衆国陸軍も滞りなく前線を押し上げられた。

 この補給の安定性は,結局のところ戦闘を拮抗させて激化させる以上の効果を上げる事ができなかった。両軍とも講和の材料にしようと躍起になったのである。

 そして年内には終わると言われたライジング作戦は,結局2013年になっても終わる気配を見せなかった。それどころか激化する一方だった。

 こうなると補給の問題ではなく,人員確保の問題に発展しつつあった。このまま両軍共に消耗していけば,双方の国の未来すら摩耗しかねない勢いだった。


 何か,特別な一手が必要だった。

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