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資質

 中隊の安寧はそう長くはなかった。師団は彼らを再び戦場へ送ることにしたのだ。この作戦にはあまり時間的猶予が残されていなかった。

 日本列島は世界屈指の豪雪地帯を有していた。この積雪は早くて10月下旬から始まり,12月には本格化する。積雪量は一メートルを超えることは,これらの地域では珍しくもない。

 少々の積雪では軍用車両,特に戦車などの履帯の走破性に何ら影響しないが,歩兵部隊の行動には制限が掛り始める。積雪が進むにつれて顕著になり,車両の行動にも悪影響を及ぼす。

 自衛隊と米軍は,本格的な降雪が始まる前に敵国たる中国軍と韓国軍への進撃を進めたかった。現在の戦線は,この豪雪地帯の中央を通っている。今まさに分水嶺にあるのだ。

 中国軍と韓国軍の補給線は大きく二つのルートで支えられている。一つは日本海上を運航する輸送船,もう一つは日本本土上の陸路である。

 海上は積雪の影響を受けにくい。しかし陸路は大きく影響を受ける。積雪が本格化すれば,彼らは海上輸送に頼らざるを得ないだろう。

 しかし彼らには戦線に隣接している海岸堡があった。幾ら陸上の動きを制限しても,例え作戦通りに彼らを豪雪地帯に包囲したとしても,補給がある限り彼らは熾烈に抵抗するだろう。

 それどころか滋賀県に進撃した自衛隊と合衆国陸軍は逆包囲されかねない。中国軍とて先月からの敵の進軍が,この補給に支えられた自軍の主力戦力への包囲作戦だということは察しが付いている。

 包囲したい日本側とそれを阻止したい中国側との間に新たな戦線が誕生した瞬間だった。

 ポール大佐はこれまでの太平洋側での進撃ではなく,この内陸の山岳地帯での攻防を任せられることとなった。自衛隊の進撃に協力し,補給線を遮断するという重大な任務であった。

 

 前線に戻ってきたのはおよそ一カ月ぶりだった。過ごしやすかった気温はさらに下がって厳しい冬の到来を予感させた。美しかった紅葉はほとんど終わっていて,裸になった木々には霜が降りていた。

 隊員たちは長い長いトラックの旅を体験した。自分の体を抱き抱えるようにして,頬を流れる冷たい風に耐えた。到着したのは日が落ちた後だった。

 夜明けとともに,隊員たちは降り立った街の全貌を見ることができた。前後左右に高い山々に囲まれていた。ちょうど谷の部分に街が栄えているこの光景は,砂漠のオアシスに建つ街並みのように思えた。

 小隊長たちは民宿に設置された大隊本部に召集され,ポール大佐と共に地域の地形や地図を参照した。そこで敵味方の配置や戦況の報告を受け,一通りを頭に叩き込んだ。

 ポール大佐はバーンズに補給品の受け取り,ウィリアムズに武器弾薬の整理,フォーリーには隊員たちの宿舎の確保,マックには給仕の管理をそれぞれするよう言い伝えた。

 幸いここには宿泊施設が何軒かあったので,すぐに確保することができた。彼らは代わる代わる歩哨に着いて,度々小さな戦闘を行った。

 

 ある夕方,第四小隊のヴィクター一等軍曹が大隊本部に居た。フォーリー中尉は,彼が正午頃に行った歩哨の報告を受けていた。そこにポール大佐とマック大尉がやってきた。

 フォーリー中尉は珍しく難しい顔をしていた。マックは彼に今日の戦闘のことか尋ねたところ,そうだと頷いた。

 自然と小隊長たちはヴィクターと地図を囲んで,ポールもその輪に加わった。フォーリーは人差し指で地図をなぞりながら,部下の言葉を一つずつ繰り返して確認した。

 「それでここを通って,ここの北で,接敵か。規模は一個分隊,武器はQBZ03,迫撃砲が一門と。」

 ヴィクターはメモを見ながら肯定した。中尉は返事をせず,地図をなぞって続けた。

 「分隊をここまで後退させて,機銃を掃射した?」

 これにも彼は肯定した。フォーリーは地図と睨みあいながら,彼に続きを言うよう促した。すると彼は再びメモに目を落とした。

 「中継点まで退却させました。敵はまったく引きませんでしたし,二つあった十二・七mmが底を付いたので。」

 「弾薬缶二つ?」フォーリーが質問し,「はい」ヴィクターが答えた。

 「敵の増援,追撃は?」続けた質問には,「いいえ」と言った。

 ふむ,とフォーリーは唸った。ポールはフォーリーの表情を見て,彼に質問した。

 「何か引っかかるのか?」すると彼は答えた。「ええ」

 それが何についてか,フォーリーはまた地図を使って説明し始めた。まずは前置きがあった。

 「敵はこれまで三度,我々と接触しています。場所はここと,ここで二度。」

 「こちらにはM2,四十ミリ,六十ミリがあります。ここと,ここです。敵にとっては重砲火でしょうが,いずれも増援はありません。」

 フォーリーはポールを見た。彼女からの言葉を待っているようだった。しかし言葉はなかった。沈黙が彼に話を促した。

 「大した”自信”ですよ。実際こちらもそこまで損害を与えられませんでした。でも追撃もしてこない。」

 ここでウィリアムズが口を開いた。「反撃を恐れたからでは?重火器を揃えているし。」しかしフォーリーは眉間に皺を寄せた。どうも彼の意見と違うらしい。

 この違和感に気付いている者はフォーリー以外に居ないようだった。彼に対し反証を挙げられる者も居たが,皆それを心にしまった。ポールは彼へ見解を明らかにするよう言ったので,フォーリーは核心に迫った。

 「つまり,単独部隊で我々の攻撃を押し返す力があって,自分でもそれを分かっているのに,我々の中継点までは潰しに来ない。ここを潰せばもっと楽になるのに。」

 彼は地図を強く突いた。

 そしてもっと噛み砕いた言葉で,これを表そうとした。

 「敵は何かデカイことやろうとしてます。それと,敵の部隊はかなり”極端”ですよ。」

 前者は小隊長たちに緊張を与えた。しかし後者は理解できなかった。それをポールが感じ取り,彼らの代わりに質問をした。

 「極端,とは?」中尉はもう一度考えてこう言った。

 「かなりの馬鹿か,かなりの手練れです。」皆,彼の言いたいことは理解した。

 「お前の勘は?」とポールが言った。言わずとも答えは分かっているようだった。

 「十中八九,手練れです。」

 

 ポール大佐は彼の勘を信じた。そしてフォーリー中尉に第四小隊を率いて前進するよう命じた。接敵したらその場を保持せよという内容だった。

 すぐさまフォーリーは小隊を集め,北にある谷に向かって歩き始めた。自衛隊員の居る中継点を挟んで,より一層谷は深くなっていった。

 街と言えた風景は,次第に田舎というべき景色に変わった。コンクリートの家々は木造の民家に,アスファルトの駐車場などは広い水田と畑になり,小道の数も極端に減っている。

 しかし谷の中央には整備された広い道路と水が枯れた用水路があった。戦車が悠々走行できる道路は,山岳地帯においては貴重だったし,用水路は塹壕のように使うことができた。

 フォーリーは小隊の先頭に立っていた。隊員たちは二列縦隊で彼に着いていき,用水路と道路が交差するところまで歩いたところで急に止まった。

 停止を命じたのはフォーリーだった。彼は続いてハワード伍長を呼んで地図を持って来させた。そしてじっと地図を見詰めた。

 その様子を見たハワードは小隊長に疑問を投げた。「接敵予定はまだ一キロほど先ですが」

 しかしフォーリーは地図から目を離さなかった。そして返事を待つ伍長に,先に伸びる道路を指差して言った。「お前,あれを見て何か思い出さないか」

 そこには黒いビニール袋が落ちていた。他にもゴミくずが落ちていることはあったが,それよりもずっと大きいものだった。ハワードは,まさか,と返した。

 彼らは以前イラクに居た。そこでは民兵との戦いを経験したが,それよりも悩まされた物があった。即席の爆発物,いわゆるIEDだった。どうにも見憶えがある出で立ちであった。

 フォーリーは小隊を道から退けて,水田を横切って進行することにした。ハワードは水田にも地雷があるのではと危惧したが,フォーリーは否定した。水田には荒らされた形跡がなかった。

 小隊の半分はフォーリーの言うことを信じた。彼は何度もこういう勘を働かせていた。半分は半信半疑だった。心配しすぎだと思った。この行軍だって意味はあるのだろうか。

 水田はとても歩きにくかった。水は干上がっていたが土壌は柔らかく,踏む足が沈む上,枯れた稲が足に絡みついた。先ほどまで歩いていたアスファルトの歩道が恋しい。

 西には太陽が沈む頃合いだった。低い雲が広がっていたので夕焼けは見えなかったが,水田の向こうにある生垣に差しこむ僅かな光の動きに,誰かが気付いた。

 

 その瞬間,敵の火点が一斉に開いた。

 フォーリーは小隊全員に聞こえるように叫んだ。「伏せろ!」言われるまでもなかった。

 水田に伏せた彼らは応射を返しつつ,水田の土手まで移動して遮蔽物を確保した。レインハート一等兵はそれを支援するため,持っているM240機関銃の引き金を可能な限り引き続けた。

 この間にフォーリーは中隊司令部を無線を飛ばし,接敵したことを伝えた。この位置を保持することが必要だったので,分隊長のヴィクターとフォードは部下を出来るだけ散開させた。

 とにかく敵の火力に撃ち負けてはいけなかった。敵にどれほどの戦力があるかは分からないが,側面に回り込まれると小隊規模では対応できない。

 この鍔迫り合いはしばしの間続いた。中国軍も迫撃砲や大砲などを撃ってくる様子はなく,小火器による掃射に留まった。第四小隊は水田に釘づけにはされたものの,押し返される訳でも側面攻撃をされる訳でもなかった。

 激しい銃撃の交換は次第に弱くなり,日が落ちる頃には発砲すら無くなった。どうやら敵も弾薬が底を突いたようだった。

 それから隊員たちは静かに地面を掘ってタコつぼを作った。水田は硬い土と違って掘り進めるのは容易だと考えていたが,少し掘ったところで無数の石に行く手を阻まれてしまい,彼らは振り下ろすショベルが石に当たって音を立てないよう静かに掘り進めた。

 気温は氷点下になろうかいうほど下がり,冷たい土は彼らの体温と体力を奪っていった。その上,この谷間は風がよく通った。

 一つのタコつぼには二,三名が入り,まずは残り少ない弾薬を数えた。残弾は多い者で弾倉一つ分,少ない者はゼロだった。彼らは二重の意味で震えた。

 そこへポール大佐率いる中隊が,彼らの予備弾薬を持って前線に上がってきた。彼女らはM2重機関銃三門,迫撃砲二門,そして糧食と水を持っていた。

 月明かりも見えない曇り空に,パックに入った冷たい食糧はとても侘しかった。風に乗って中国軍の晩飯の匂いがしてきたからである。敵は暖かい飯にありついている。さっきまで腹が減っていたが今度は腹が立ってきた。

 彼らはほとんど寝ずに夜通し前線を見張った。辺りはとても静かで,とても暗かった。

 第四小隊は最も敵に近い場所から動けなかった。後部には他の小隊が居たが,敵に見つかる危険を冒してタコつぼを出ることはできない。

 もうすぐ夜が明けようとするころに,ポール大佐がフォーリー中尉のタコつぼまで這ってやってきた。敵の動きがないので,もしこのままであれば,夜明けと共にこちらから仕掛けようと囁いた。彼は頷いて答えた。

 前線の左翼にはバーフィルド二等兵とスキャタレラ二等兵がいた。直に彼らにもその旨は伝えられた。二人は腕を組んで,タコつぼの壁に背を当て,じっと前線を見ていた。

 空が少し明るくなってくる頃になって,彼らは突然人の声を聞いた。それは前方から聞こえてきた。どうやら話し声の様で,言葉は中国語のように思えた。

 彼らは腕を崩してMk17小銃を手に取り,話し声のする方へ照準を合わせた。鼻息一つ立てないよう口を少し開け,少しの動きも見逃さないよう目を見開いた。

 すると小さな赤い光が見えた。初めはそれが何か分からなかったが,すぐに煙草の火だと気付いた。敵の歩哨だった。

 彼らはこの危機的状況に気が付いていなかった。静寂の中で談笑し,暗闇の中で煙草を吸っていた。ポールの隊員たちには考えられない失態であった。

 全く無警戒な中国軍の歩哨は,水田のあぜ道をとぼとぼと歩いた。それはバーフィルドとスキャタレラにとって永遠のような長い時間に感じられた。

 彼らの他に前哨についている第四小隊の面々も,直ぐに敵の話し声が聞こえた。そして薄らと人影を見ることができた。それは二人とは余りに近い距離だった。

 バーフィルドは何度もグリップを握り直した。スキャタレラは一度も瞬きをしなかった。心の中では”俺たちに気付くなよ”と唱えた。

 すると中国兵たちはぞろぞろと引き返し始めた。張りつめた緊張が解かれていくような気持ちがした。実に危なかった。彼らはそう思った。

 

 しかし中国兵の一人が,煙草を大きく吸い上げると,指で摘み,ぴんと空中へ飛ばした。

 その煙草は放物線を描いて,バーフィルドの目の前で一旦バウンドすると,彼らのタコつぼの中に落ちた。中国兵はその様子を横目に見ていたが,突然彼は足を止めた。

 彼は飛ばした煙草の行方をじっと見つめた。火が着いたままの煙草の吸い殻は,水の張っていない水田に投げたはずである。普通ならまだ赤い火種がまだ見えているはずである。

 その中国兵は地面に空けられた,人二人分の縦穴とそこに居るであろう人影に突然気づいた。そして彼は踵を返して走り始めた。

 バーフィルドとスキャタレラの両名はその瞬間に引き金を引いた。静寂と暗闇の中,一旦発火炎が見えたと思うと,それは連鎖的に伝播し,両軍の猛烈な銃火に変わっていった。

 暗い夜空には曳光弾をはっきりと見ることができた。眼下の生垣には無数の敵の火点がくっきりと見えた。中隊の誰かが撃った曳光弾がそこへ飛んで行って,代わりに敵の撃った曳光弾が近く地面や頭の上を飛んできた。

 中隊の後方の丘に待機していたキース上等兵も,M2重機関銃に飛びついて,敵の居る生垣へと銃撃を開始した。もう一つのM2重機関銃も少し離れた位置から火を吹き始めた。

 しかし敵も重機関銃を発砲した。この曳光弾のやりとりは長さ一キロ,幅数百メートル,高さ数十メートルという壮大な見物になった。一帯に居る兵士たちがこれに参加していた。

 ポール大佐は弾倉を一つ使い切って,これを交換する際にベックス伍長の名を呼んだ。伍長も射撃を中止して彼女の方を見た。

 「敵の中で指示だけをする奴を見つけて撃て!」

 了解とベックスは返事をして,タコつぼの中で一捻りすると持っていたM14小銃を再び構えた。テレスコピックスコープを覗き込み,敵の火点を左側から水平になぞって行った。

 一度一通り火点を見ていった彼は,次に反対側からそれを繰り返した。そして左側の火点に小銃を向けた時にピタリと静止した。

 彼の眼には一人の敵が映った。それは如何にも指揮官と言った男だった。少しの間観察していたが,彼には何か感ずる物がないと思ったので,彼はまた小銃を右方向へ向けた。

 そこで彼は再び静止した。照準に重なった男に釘づけとなった。その男はしきりに辺りを見渡していて,腕の仕草には直感めいた物を感じた。

 そしてベックスは静かに息を吐き,引き金をゆっくりと絞ると,長い銃身から七・六二ミリ弾が射出された。銃弾は男に向かって真っ直ぐに飛んで行った。

 男は機銃手の後ろに居て,自分の部下に対して射線の向きを変えようとしていた。上げた右腕を振り下ろそうとしたとき,ベックスの放った弾丸が彼の首に命中した。

 一帯の中国兵に対し彼の死は大きな影響を与えた。およそ二〇〇名の兵士たちは,突然司令塔を失ったので,今度はどこを撃てばよいのか判断に困った。

 すぐに次の指揮官が取って変わった。しかし彼は小隊規模の指揮経験しかなかった。非常に短期的な物の考え方をしてしまった。

 マック大尉は驚くべき光景を見た。右翼の敵が突如として移動を開始したのである。身を隠せる生垣から出て,遮蔽物が何もない道路を渡ろうとしていた。彼は冷静に判断した。

 第二小隊はマックの指示を受け取って,道路に飛び出した敵兵を一人ずつ撃ちとっていった。制圧力の高い連射はせず,命中性の高い単発射撃に徹した。

 これを見たポールは,右翼を突いて敵の側面に部隊を展開させられると考えた。しかし前面の第四小隊は弾薬が終えるのも時間の問題であり,この火力の維持は右翼の第二小隊が補填する考えでいた。後部の第三小隊を前進させる時間的猶予があるか分からなかったので,残るは第一小隊となった。

 しかしウィリアムズ大尉に全てを任せるのは判断に迷った。とはいえ彼の指揮能力や,隊員の力量に不満があった訳ではなかった。”出来る”という自信があるかどうかが分からなかった。

 そこでポール大佐はウィリアムズに直接聞いてみることにした。彼女はタコつぼを這いだして,真っ直ぐウィリアムズの居るタコつぼへと走って行った。

 隊員たちは再び驚いた。間抜けな敵と同じことを中隊長がしているように見えた。しかし敵の弾はまるで彼女を避けているかのように外れていった。

 ウィリアムズは彼女がこちらに走ってくる姿を見て,自分の目を疑った。そしてやはりこの人は尋常ではない,と確信した。

 そんな彼を余所に,ポールはタコつぼに飛び込んで,選択を迫った。彼女の鋭く蒼い目が,驚いたウィリアムズの目に突き刺さった。

 「ウィリアムズ,第一小隊を連れて敵の右側面に回り込め,行くなら今しかない。もしお前に自信がないなら,私が小隊を連れていく。どうする?」

 その時,彼には先月のことが鮮明にフラッシュバックした。敵戦車の迂回に気付かず,多くの有望な若者たちの命を危険に晒した記憶だった。あの時と同じような山に囲まれた風景が,自分自身を責めている様にも感じられた。

 しかし同時にポールから言われたある言葉を思い出した。

 リーダーなら必ず決断を下すべきなのだ。

 「私がやります。」彼がはっきり答えた。ポールはその言葉を待っていた。

 「道路脇の用水路を使って忍び寄れ。迫撃砲班も自由に使ってよし。」「イエッサー!」

 そう言った彼を,ポール大佐はタコつぼから押し出した。そしてウィリアムズは散り散りになってタコつぼに居る自分の部下たちに向かって叫んだ。

 「第一小隊!俺に着いてこい!」

 自信に充ち溢れた隊長の姿を見た部下たちは驚かなかった。次々とタコつぼを駆け出した後は,彼を全速力で追いかけた。柔らかい土壌も枯れて腐った稲も全く気に留めなかった。

 第一小隊は土手を乗り越えて,コンクリートで出来た用水路に飛び込んだ。そこでウィリアムズが隊員たちに行動の内容を手短に説明した。

 そしてもう一度,着いてこいと命じると,小隊を率いて用水路を遡り始めた。この用水路は道路の下をくぐった先で別の用水路に繋がっていた。その角を曲がると,真っ直ぐ敵の側面まで行ける手筈だった。

 彼は迷わず走って行った。屈強な隊員たちが着いていけない程の速さだった。そして幾らか進んだ後に,用水路の壁にあった階段を二段飛ばしで駆け上がった。

 そこからは敵の側面の様子を伺い見ることができた。遠い生垣の火力は以前として凄まじい物だったが,右翼の歩兵部隊にはやはり混乱が見られた。

 それを確認するとウィリアムズは用水路に再び飛び降りて,帰りを待っていた隊員たちに手信号を送った。音を立てるな,という合図だった。

 再び第一小隊は走り始めた。周りは高いコンクリートの壁に仕切られていて,戦闘の様子を確認することは出来なかったので,隊長の指示だけを頼りにした。

 ウィリアムズはまた階段を上ると土手に伏せ,片手は双眼鏡を持ち,もう一方は無線機を抑えていた。目標は右翼の敵火点,また後方にも敵の動きがあった。

 この指示を受けた中隊の迫撃砲班アレン二等軍曹は,少し離れた丘の斜面から六〇ミリ迫撃砲の炸薬弾を三発発射させた。そして着弾すると同時に土や草,石などを凄まじい爆発と共に撒き上げ,降り出した雨と一緒に空から降らせた。

 敵には精神的な威圧をもたらせたものの,然程制圧することは出来なかったので,ウィリアムズは照準の修正を要請し,アレンがそれに応えて五発を発砲した。

 次の爆発は先ほど撒き上げた物の他に,鉄と肉片を加えた。敵の銃座,タコつぼ,生垣の土手,そして移動しようとする敵兵たちを次々に吹き飛ばした。

 この瞬間にウィリアムズは隊員たちを用水路から脱出させ,敵が待つ陣地へと突撃させた。隊員たちは力の限り速く走り,小銃や機関銃を発砲しながら目の前の中国兵たちに迫った。

 そして第一小隊の突撃を見た他の小隊の者たちも,一斉にタコつぼを這い出すと,中国軍の火点へと突撃を開始した。彼らの足音や叫び声は,まるで地鳴りのように敵兵へ響いた。

 迫撃砲の砲撃に続いて歩兵部隊の津波を見た中国兵たちは,次々に生垣を離れて後退を始めた。他に遮蔽物は見当たらなかった。彼らのほとんどは背中に弾丸を受け,計り知れない恐怖の中で絶命していった。

 

 その後の事は,ウィリアムズにも明確な記憶がなかった。

 逃げる敵兵は勿論のこと,動く物は片っ端から撃って撃って撃ちまくった。しかしどうやら中国軍を押し返すことには成功したようだった。

 敵のタコつぼから見たものは,無数の敵の死体と色とりどりの空薬莢に埋まった地面だった。

 午後になる頃には本格的な雨が降ってきた。元々水田だった土壌はみるみる泥に変わっていき,タコつぼの形はほとんど残らなかった。

 この時間になると中隊の隊員たちは暖かい食事を取ることができた。後方から味方部隊が上がってきて,彼らと前線を変わってくれたのだ。

 皆は旨い自衛隊の飯を噛みしめながら,激しい戦闘に想いを馳せるように一時を過ごした。

 するとポール大佐の元に,中隊司令部に居るはずのマーク少尉が自衛隊のジープに乗ってやってきた。彼は上官であるポールに対して敬礼することなく会話を始めた。

 「随分くたびれてるな。」彼女は目を閉じて黙って頷いた。

 「中国軍は大野という街まで後退した。やつらは機甲師団を,この谷から南下させるつもりだったらしい。今日の午前にもここに到着していただろう。」

 少し誇らしげにマーク少尉が言った。ポールは彼に基本的な質問をした。呆れ半分だった。

 「そうか。それで,それだけのことを言うために出張ってきたのか。」

 「大手柄だろうからね。早く伝えたかったのさ。」

 ポールは鼻で笑った。そして「私がやった訳じゃない。」と言った。

 その言葉にマークは疑問を持った。彼女は持論を展開した。

 「敵の前進を止めたのはフォーリーと第四小隊,そして後退させたのはウィリアムズと第一小隊だ。」

 それにはマークは納得しなかった。「君は彼らのリーダーじゃないか。」しかし彼女は否定した。

 「私はリーダーじゃない。奴らにとってはボスだ。」「なるほど」ようやくマークは理解した。若しくは反論することが億劫になった。

 するとマークはズボンのポケットに手を突っ込み,何かを取りだして彼女に放り投げた。ポールはそれを目で追って,胸で受け止めた。

 それは”大尉”の階級章だった。ポールは敢えて冗談を言った。

 「三階級”降格”するとは思いもしなかった。」マーク少尉は口を空けて笑い,違うと言った。

 「フォーリーのだ。君から渡してやってくれ。」彼女は頬を緩め,しばしの間その階級章を眺めると,フォーリーの名を呼んだ。

 事情を知らない彼は小走りでポールの元に駆けてきた。そしてマーク少尉の敬礼に敬礼を返すと,彼女の前に跪いてこう言った。

 「任務でしょうか,大佐。」ポールとマークは揃って笑みを浮かべたので,彼は少し怪訝な表情を浮かべた。そしてポールがマークと同じように,その箱を放り投げて渡した。

 「おめでとう,大尉。」

 フォーリー大尉は階級章の入った箱を開け,驚いた様子でまじまじと見つめていた。

 雨に濡れたシルバーが,彼の眼にはとても眩しく映った。

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