フリー・フリッカー
ジョナサン・レイ上等兵には夢があった。故郷に大きな農園を買って,両親に快適な家を建ててやりたかった。庭には芝生を敷き,壁の色は白にすると決めていた。
レイは中学のアメフト部に入って,高校でもアメフトを続けた。彼は中々に優秀なクオーターバックだったが,彼のチームは地元で二回しか勝てなかった。周囲は,良い大学に入ればドラフトにかかる可能性は少なくないと励ましたが,レイは大学には行かなかった。
両親はジョナサンには大好きなアメフトを続けて欲しかった。ジョナサンは認めないが,きっとお金がかかることが気がかりなのだと分かっていた。現実にレイ一家は息子を大学に通わせるお金がなかったが,両親は借金してもかまわなかった。
高校三年の秋になって,突然ジョナサンは陸軍に入ると両親に告げた。母は反対した。父も初め反対したが,息子の意志が予想より固いことを理解した。大切な一人息子は,自らの人生に向き合っている。それを応援するのが父親だと決心した。
年が明ける頃,レイは陸軍に入隊した。アメフトとは比較出来ない程の厳しい基礎訓練を乗越え,また秋がやってくる頃に特科兵の教練に参加する権利を与えられた。そこでポール大佐と出会った。
ポールはレイを気に入った。彼よりも体力テストや射撃テストで得点の高い者は居たが,レイには冷静さがあり,ストレスに耐性があった。アメフトで彼が学んだ事は,敵がタックルしてくる中で,正確なパスを投げるという技術だった。
レイは第25歩兵師団の特別任務大隊に配属された。ポールは自分の中隊の第一小隊に彼を置いた。
ウィリアムズ大尉がこの小隊長になったとき,レイ上等兵には不思議な違和感を憶えた。見た目は年相応に若いが,彼よりも長く陸軍にいたサイモンやレイシーよりも精神的年長者に感じた。
それは第一小隊の隊員たちも同じだった。彼の学生時代や一家の苦労を知る者はいないが,彼の才能よりも経験した試練を感じ取ることができた。隊員たちにとってレイは誠実で思いやりがある男だった。
豊橋を占領したポール中隊は,次に北の山岳地帯へ向かった。そこには自衛隊の歩兵部隊と戦車部隊が居たが,GPSや無線に障害が出てしまったため,進軍につまづいているとのことだった。
山岳地帯ではこのような障害が度々起こることを隊員たちは知っていた。しかしあまりに広範囲だったので,敵の障害機器が設置されている可能性があった。そしてこの装置を設置しているのは韓国軍ではなく中国軍のはずだった。
輸送トラックに一時間揺られたのち,中隊は自衛隊の補給基地へと到着した。休憩は僅かな時間だったが,駐車してある10式戦車を見つけた。この戦車は一〇〇台も無かったので,隊員たちはを物珍しく眺めまわした。
自衛隊の第一師団は,このアメリカ人たちが少し鬱陶しかったので,食べ物で釣ることにした。クラッカーを配ってもらった隊員たちは気前が良いことに機嫌を良くし,その半分をバッグにしまい,もう半分は食べることにした。
ポール大佐は基地の現況を確認しに行っていた。ウィリアムズもそれに同行した。地図を作成していた自衛官は,ポールの質問に一つずつ答えたものの,ここ数日の中国軍の動向は非常に散発的で状況は読みにくかった。加えてその自衛官の説明は,彼らにとって精確さに欠いていた。
このときポールは直感的に敵にも戦車部隊が居るのではないかと思った。しかし自衛官は小規模な装甲車は見たが,戦車は居なかったと言った。ならそれを確かめようではないかと提案した。
そこでポールはウィリアムズへ斥候に出るよう命じた。基地から通ずる一本道の先にある小さな学校まで行けば,敵の動きが分かるだろうと予想した。この学校は両軍の間では何度も取ったり取られたりを繰り返している所だった。
山が連なっているので視界は決して良くないものの,中国軍はこの学校から辛うじて見える位置に基地を持っていた。そのため自衛隊がこの場所に居座ることを拒絶し続け,自軍の監視塔として利用したかった。
ウィリアムズは第一小隊を集めて,斥候の内容を伝えた。隊員たちは黙って聞いていたが,口にまだクラッカーが残っている者が居た。何を食べているんだとウィリアムズが聞くと,隊員たちは正直にクラッカーですと答え,続けて”腹ごなしでもしに行きますか,大尉”と返した。
第一小隊はAT-4対戦車ロケット二門,M2重機関銃一門持って田舎道を辿り始めた。道のそばには小川が流れていて,民家と水田が交互にあるような所だった。
道路は整備されていて路面は比較的新しいが,曲がりくねっていて,高低差も少しあった。前衛にはレイ上等兵が付き,二番手にはロレイン一等軍曹が付いた。
レイは慎重に歩を進めた。道の向こうや石垣の上,小屋の窓やガードレールの隙間にも目を向けた。しかし学校が見えるようになっても敵の姿は無かった。ウィリアムズは小隊に橋を渡らせて腰を下ろさせて,中隊本部に無線を飛ばした。
しかし無線は通じなかった。やはり山を隔てての通信が出来なかった。ウィリアムズは予定通り学校へ向かうことにした。レイは再び小隊の先頭に立ち,小隊はレイに着いていった。
学校は隊員たちがこれまでに見たことがないほどに小さかった。時計台が付いた校舎が一つだけあって,長さも五〇メートル強だった。隊員たちは塀や花壇などに隠れつつ,校舎を取り囲んでいった。
ウィリアムズはレイとサイモンを連れて時計台に登った。校舎の四階のフロアに梯子があり,それを登るとちょうど時計台の小窓から顔を出すことができた。
サイモンは自分のM14小銃に取り付けているテレスコピックスコープを使って中国軍の居る方角を覗いた。すると微かだが人影のようなものが見えた。しかし戦車の類いは見えなかった。
ウィリアムズは梯子を降りて,バーネット伍長に地図を持って来させた。そして地図を受け取ると梯子をもう一度登り,サイモンの隣に腰を掛けた。地図の向きを直し,見える道や地形と照らし合わせ,サイモンが見えたという人影が居た距離を測ろうとした。
すると彼の視界に,この時計台の内壁の埃が落ちる様子が映った。ウィリアムズは何気なくそれを見たあと,ハッとした。なぜ埃が落ちたのか,それに気付いたためだった。
彼はサイモンに静かにするよう耳打ちをして,そっと耳を澄ませた。すると微かに履帯の音が聞こえたような気がした。双眼鏡を腰から外し,音のする方を見てみると,
先ほどまで自分たちが歩いていた道の真ん中に,戦車が止まっているのが見て取れた。車体側面には中華人民解放軍の星のマークがあった。ウィリアムズは戦慄した。
彼の他にこの戦車に気付いた者はいなかった。ウィリアムズとサイモンは慌てて梯子を下りて,その下に居たバーネットのベストを掴み,今すぐ建物から離れるよう命令した。
レイはウィリアムズに次いで敵の戦車に気付いた。彼はこのとき三階の窓に居て,戦車の砲塔がこちらに向いてくる様子を見てしまった。ウィリアムズが四階から階段を降りて三階に来た時,96式戦車の炸薬弾が轟音と共に飛んできて,校舎の四階に命中した。
静かな山に大きな爆発音が突然響いた。第一小隊の隊員たちは驚いてその場に伏せた。レイは自分が死んだのだと感じた。頭がクラクラするし,耳鳴りは酷かった。その階の塵や埃が充満して,窓の外には煙が立ち込めていた。
ウィリアムズは三階に戻りレイを見つけた。彼はうつ伏せに倒れていた。体を起してみて怪我がないようだったので,彼を立ち上がらせ「ここから出るぞ」と言って走り始めた。
奇跡的に第一小隊の誰にも怪我はなかった。校舎に居た者はすぐに建物から離れ,敵の戦車から見えないよう校庭へと疾走した。敵戦車は機銃を発砲しながら道路を走り,学校へと向かい始めた。
ウィリアムズは校庭の先にある小川の土手まで行くよう指示した。第一小隊はわき目も振らずその指示に従い,次々に土手を飛び越えた。バーネット伍長は少し遅れてしまい,敵の七・六二ミリ弾を右肩に受けて土手の手前に倒れ込んだ。
仲間はすぐにバーネットを土手に引き込んだ。そして彼の野戦服を破き,負傷の具合を確かめた。ロレインはバッグからガーゼと包帯を取り出して彼を手当てした。
第一小隊は土手に寄りかかって射撃を始めた。M2重機関銃もバッグから取り出し,組み立てると同時に射撃し始めた。
敵の96式戦車は一旦停止したかと思うと,また炸薬弾を発射した。これは第一小隊が居る土手の手前に炸裂し,大量の土が雨のように降り注いだ。
クリステンソン二等兵は迫りくる敵戦車にAT-4対戦車ロケットを撃ち返した。この炸薬弾は戦車の正面に命中したが,強固な装甲の表面を傷つけただけに過ぎなかった。ウィリアムズは第一小隊を小川の土手に沿って後退するよう命じた。
このとき重いM2重機関銃は置いていくよう言った。そしてあと一つになった対戦車ロケットも捨ててしまえと言った。土手を走っていく隊員たちには,中国軍が激しい銃撃を浴びせた。
小隊は何とかウィリアムズが無線通信を試みた位置まで戻ることができた。そこでもう一発の戦車砲を浴び,破片はレイシー伍長のヘルメットと水筒を吹き飛ばし,彼の臀部を加害した。
エドワード軍曹はレイシーを担いで隊員たちを追いかけたが,続いて歩兵が発砲した五・八ミリ弾が左のふくらはぎに命中し,レイシー共々地面に転がった。
ウィリアムズはエドワードを起こし,レイと一緒に担いで小川を渡った。分隊長のロレインは,サイモンとクリステンソンへ,代わってエドワードを担ぐよう命じた。そして一度腰を据えて,ウィリアムズに指示を仰いだ。
第一小隊はかなり逼迫した状況であった。戦車に狙われ,歩兵に包囲されかけようとしていた。しかし戦車がなぜ小隊の背後に回り込んだのか分からなかった。少なくとも小川の向こうまで後退すれば,今見える敵の96式戦車と歩兵部隊の包囲から逃れ,味方部隊の居る基地まで戻れる望みがあった。
しかし通信が出来ないので,これに全てを賭けるわけにはいかなかった。退却する間に追い付かれたならば,部隊は壊滅する可能性がある。
そこでウィリアムズは道から外れた神社を使って敵を撒くことにした。ここは周囲が森に囲まれているので,戦車は登ってこられない。歩兵の足を止めるには森を使って速度差を稼ごうと言うのである。
負傷した隊員は無事な隊員に担がれ,小隊は後退を始めた。戦車のエンジン音がこちらに向かってくる音が絶えず聞こえていた。石の階段を上り鳥居を潜ったあと,境内の隅で応急処置の続きを行った。
中国軍は小隊を見失ったようだった。しかしそこは鬱蒼とした森林の中の一本道であり,五〇名近い歩兵が隠れる場所は限られているので,彼らはすぐに神社に駆け昇ってきた。
レイは中国兵が見えるとすぐさま発砲して敵を釘づけにした。そして中国兵が階段に展開して反撃するタイミングを狙って手榴弾を投擲し,小隊の跡を追った。
第一小隊は細いけもの道に入った。曲がりくねっているアスファルトの道路とは違って,ほとんど真っ直ぐではあったが,高低差と足元の悪さは酷いものだった。
隊員たちは代わる代わる散発的に反撃し,中国軍が追い付けないよう心がけた。木を遮蔽物にした彼らには,敵の弾丸が木々に跳ね返って飛んできては,裂けた木の皮が弾けて飛び散った。
このときウィリアムズは小隊の足を急がせたかった。森を抜けて敵の足を遅らせるだけで良かった。だから反撃などせず,とにかく走り抜けるよう叫んだ。最も後方に居たレイは先頭に居るロレイン軍曹を追い抜く勢いで走った。彼はまさしく飛ぶように森を駆けた。
ロレインは森を抜けて水田の土手を通って道路に戻ってくると,振り返って隊員たちを確認しようとした。そこでブロック塀を伝って走るアルフォンソ二等兵の背中に敵の銃弾が命中する瞬間が見えた。ロレインは駆け戻って彼を手当てしようとした。
ウィリアムズはアルフォンソの後ろに居て,彼が目の前で倒れるのを見て慌てて足を止めた。そして彼を抱き抱えて意識がまだあることを確認すると,水田の向こうにある農家の陰から敵の戦車のエンジン音が聞こえてきた。
その戦車は道路を高速で走り抜け,小隊の側面まで到達していた。ウィリアムズは今度こそ終わりだと悟った。手はアルフォンソの野戦服を握りしめ,目は敵戦車を睨みつけていた。96式戦車の大砲はウィリアムズとロレインに向けられた。
すると突然,真反対の小川の土手から,森林迷彩の戦車が現れた。非常に急な土手を駆けあがった戦車は一旦宙に浮いたかのように見え,道の真ん中まで走ると,何かに引っかかったかのように急停車した。そこで隊員はその戦車が自衛隊の10式戦車であることを認識した。
敵の96式戦車は,すぐさま10式戦車に照準を合わせなおした。そして一個小隊の間近にいる敵戦車に大砲を発砲した。しかしその砲弾は戦車前面左の装甲と砲塔の側面に弾かれてしまった。
この瞬間,ウィリアムズは部下たちに「伏せろ!」と叫んだ。隊員は土手や塀などに慌てて身を隠し,大きな体を小さく折りたたんだ。
敵の砲撃を受けたこの10式戦車は直ちに発砲した。装填された徹甲弾は撃発と共に音速の四倍以上の速度で砲身から撃ちだされ,三〇〇メートルほど空中を飛翔した後,96式戦車の正面装甲を破壊して,乗員の三名を血煙に変えた。
このときの砲弾は二つの分離した金属の破片も連れ添っていた。これは敵の戦車には当たらなかったが,一つは空高く跳びあがって,もう一つはウィリアムズのすぐ横を通りぬけて飛び跳ねた。それは土がめくれ上がるほどの威力だった。
敵戦車を撃破した10式戦車の後ろから,もう一両の10式戦車が飛び出してきて,二両は中国軍に敢然と立ち向かった。道路を走った向こうにも敵戦車を見つけると,同じように徹甲弾を見舞った。その後方にも装輪装甲車が二両あり,森の中国兵へと機銃掃射を行い始めた。
第一小隊の隊員たちは唖然としていた。何が起きたのか理解できないという表情だった。しかしポール大佐と中隊の仲間たちがこちらに走ってくるのを見ると,それぞれ安堵の表情を浮かべられた。張りつめた緊張がやっと解かれたのだ。
一緒にやってきた衛生兵のフィリップスが,アルフォンソの容態を見に駆けてきた。ウィリアムズは撃たれた場所を彼に伝え,そのまま治療を手伝うつもりだった。ポール大佐はウィリアムズにこう聞いた。「他に負傷者は?」
「エドワード,レイシー,バーネットです。」そう言ってフィリップスに目配せをして,今言った彼らを診るよう促した。そしてポールは正直な疑問を述べた。ウィリアムズが言葉に詰まったので,他にも居るのか思った。「それ”だけ”か?」ウィリアムズは「はい」とだけ答えた。
ポールは「そうか」と言って,第一小隊の隊員たちを見渡した。するとウィリアムズが彼女に問うた。「なぜここに?」
「四発,爆発音がしたからだ。」彼女は微笑んだ。「見た所,AT-4は両方とも使ったか?」
「いいえ」ウィリアムズの表情は硬かった。「一つは置いてきました。」
ポールは何度も小さく頷いて「良い判断だ」と褒めた。「M2もだな」「はい,そうです」言葉が交わされた。
ウィリアムズはいつまでも表情を変えなかった。そこでポールは彼にまた任務を与えることにした。
「デイヴ。部下を労ってやれ。」
翌日,中隊は学校を占拠した。自衛隊の戦車部隊は敵を押し返し,彼らの基地まで後退させた。そして中国軍が学校を迂回するために使った細い未舗装路を封鎖した。
先日第一小隊が危機に瀕した学校には,激しい銃撃の痕が残っていた。戦車の大砲を受けた校舎四階には大きな穴が空いていて,吹き飛んだ窓枠が校庭を飛び越えた小川まで到達していた。
放置した重機関銃と対戦車ロケットは拾い直して,前線の監視に回した。それは学校から一〇〇メートルほど進んだ建物で,他の建物といえば小さな小屋がある程度しかなかった。
真夜中,この監視に着いたのはレイ,サイモン,クリステンソンの若い三名だった。
三人は森の静寂を破らないよう声を潜めながら,自分たちが経験した先日の戦闘を語り合った。始めクリステンソンは聞き手に徹していたが,サイモンに促されて口を開いた。
彼は,幼い頃からも色々なピンチに直面してきたと前置きをして,それでも一番ヤバかったと評した。しかしレイが居なければ,もっと多くの負傷者や死者を出していたかもしれないと言った。
レイはこの時,初めて自分の夢について明かした。
農園を持つこと,家を建てること。サイモンにも共感できるところがあった。唯一,家の壁の色については意見が分かれた。
この会話を聞いていたクリステンソンは,独り言を呟くように言った。「俺には夢がないんだ」二人はしばし沈黙し,レイが答えた。「きっとこれから見つかるよ」
その後また沈黙が流れた。三人には居心地の良いような悪いような言い様のない雰囲気があった。そこに近づいてくる足音を聞いて,その雰囲気は緊張に一瞬変わった。
足音の正体は中隊長だった。ポール大佐は「やあ」と軽く挨拶した。
「こんばんわ,大佐」三人は座り直して,背筋を伸ばした。
「僕たちが寝ていないか心配だったんですか?」とサイモンが冗談を言った。
動きはあったかとポールは問い,サイモンが,いいえありませんと返答した。三人はポールが居る前で話をしなかった。してはいけない様な気がした。
ポール大佐の近くには,いつも冷たい空気が流れているように感じた。特別な理由が無ければ,彼女の隣には居ようとは思わなかった。だが今は前線の監視をしなければならない。
彼女は何も語らなかった。若い彼らには,それが”話しをするな”という態度なのか,または”話しても良い”という態度なのかは判りかねた。
するとレイがポールに質問を投げかけた。恐る恐るといった様子だった。「大佐,発言しても良いでしょうか?」
「許可しよう。」彼女は頷いた。
「自分は,戦場にいるとき,どうしても眠れません。眠ろうとはするんですが,なかなか寝付けなくて。」
ポールは黙っていた。サイモンもクリステンソンも静かに聞いた。
「目を閉じると,自分が撃った敵の,姿が見えるんです。」
レイは言葉を選んでいるようだった。床の文字を読んでいるようにも見えた。意を決したレイは,ポールに言った。
「大佐は,どうですか?」
「何度かそういう質問を受けたことはあるよ。」彼女は穏やかな口調で返した。
「結論から言うが,私はぐっすり眠れる。だからお前たちの悩みを本質的に理解してやれない。こう見えてもう長いこと戦場に居るから,感覚が麻痺しているんだろう。」
「慣れ,なのでしょうか。」レイが聞いた。
「いいや」ポールは否定した。「そういう物ではないだろう」
そして質問を返した。「レイ,昨日何人の敵を倒した?」
「八名です。大佐。」すぐに答えた。
「では」彼女はまた質問した。「昨日何人助けた?」
「何です?」少し間を空けて,レイは聞き返した。ポールは前線に向けた目線を隣のレイに向けた。
「私が思うに。お前が昨日助けたのは,四九名だ。」
腑に落ちないレイは眉をひそめたが,彼女は続けた。
「確かに四人は負傷した。だが死んではいない。お前が撃った一発一発は,お前の仲間の命を繋ぎ止めた。そしてお前を助けたのも,お前の仲間の一発一発だ。」
「それとこのM2も取り返したしな。」そう言って設置している重機関銃を叩いて,ポールは微笑んだ。
「我々はあの学校も取り返した。大穴は空いたし,あんな小さい学校に何人通ってたかは知らんが,自分の学校が無くなるよりはマシだろう。」
「レイ」
じっと見つめる蒼い目にレイは気付き,「はい」と言った。
「これからは”何人救ったか”を数えるんだ。それは仲間でも,誰でもいい。その日誰かのために何かをしたら,それで十分だ。ゆっくり休むことを許可する。」
「もし何も出来なかったら?」
「その時は,明日何かを出来るよう,今日をゆっくり休め。」
レイはやっと笑みを浮かべた。矛盾しているのか,正しいのか分からなかったが,少し楽になったように感じた。
サイモンは白い歯を見せ,「僕は眠ってもいいですか」と茶化したので,クリステンソンが小突いた。「もし寝たら,チンク(中国人)共のベッドに送ってやるよ。」
ポールは微笑んだまま,気になる言葉を発した。
「奴らのベッドまで運ぶのは”骨が折れる”な。」
三人はその意味が”敵の攻撃に遭う”ということだと思った。しかしどうやら違うことにじき気付いた。
「どういう意味です?」クリステンソンが聞いて,彼女は答えた。「そういえば言ってなかった。」
「合衆国陸軍が韓国軍を蒲郡から追い出した。」「ガマゴオリ?」「豊橋の次の街さ」ポールはため息を吐いて続けた。
「それから中国軍も後退した。この先の基地にももう居ない。」
三人は驚いた。「では,何のためにここで監視を?」
「まあ,念のためだ。」”なるほど”と誰かが言った。
ポールはおもむろに立ち上がって,農家を後にしようとした。先ほどの話をしに来たのだろうと思われるのも仕様がなかった。
しかし彼女は”ひとつ言い忘れた”と言って振り返った。とてもわざとらしかった。
「今のうちに荷物をまとめておけ。」そしてこう続けた。
「明朝に前線を離れる。だが最後まで気を抜くな。」
最後に頬を緩めたポール大佐は農家から去り,基地へと戻っていった。
レイ,サイモン,クリステンソンは顔を見合わせた。皆,目を丸くしていた。そして言葉を理解して,静かにその喜びを分かち合った。
第25歩兵師団 特別任務大隊はその役目を果たし,遂に前線を離れることとなった。
隊員たちは意気揚々とトラックに乗り込み,一時間の窮屈な移動にも笑顔を絶やさなかった。再び列車を経由して東京まで戻って,そこからはまたトラックで移動した。
暖かいベッドと焼きたてのパンが彼らを待っていた。たっぷりと腹を満たし,ブーツを脱いでくつろいだあとは,熱いシャワーも浴びられた。例え一日でも,前線から離れるのは良い気分だった。それが二日,三日と続くと,これ以上ない極楽に感じられた。
将校たちは山のような報告書を書いた後,外出が許可された。知名度を信じて東京に行く者も居たが,基地に居る自衛隊員から観光地を聞き出して北海道まで足を運ぶ者も居た。
しかし隊員たちが一通りの羽目を外したので,外出から帰ってきた将校たちの最初の仕事はそれらの後処理だった。彼らはまた憲兵との睨みあいをすることになった。
そこで彼らの気を紛らわせる方法を将校たちは考えた。それが自衛隊員たちの教練に参加させることだった。つい数週間前に始まり,現在も進行中である”ライジング作戦”に主力として参加した彼らを置いて,他に適任は居なかった。
自衛隊員には戦前も自衛隊員だった者や,予備役だった者,そして戦争が始まってから志願した新人隊員と様々だった。しかしほとんどが戦闘経験を積んでいなかった。
そのため射撃や運動といった基本的なことを始め,部隊行動や戦術・格闘術・心構えなども教えた。皆が流暢に英語を話せなかったし,彼らも日本語を理解できないが,実戦を経験した彼らの教えを,自衛隊員たちはとても熱心に聞いた。隊員たちも,悪い気はしなかった。
この一連の教育は僅かな期間だった。彼らにはまだ実戦は早すぎたが,自衛隊は彼らを戦線に投入した。見送った若い自衛隊員の一体何割が生き残れるか,答えは聞かなくても想像できた。
しかしジョナサン・レイ上等兵は悲観しなかった。少なくとも何割かの自衛隊員は生き残れるかもしれない,と考えるようにした。その隊員はまた誰かを助けることが出来る。
レイは今日を若い自衛隊員のために使ったことを誇りに思った。そして明日の誰かのため,今日もまた眠る。