世界一美しい戦場
東から日が昇る時刻になって,ポール大佐は中隊を集め,移動を開始するよう命じた。
目標は浜松にある航空自衛隊の航空基地と言った。ここは韓国軍が拠点としていて,中隊の出発地点からおよそ一〇キロ西北西にあった。また最も近い自衛隊の航空基地は清浜という所にあって,それが六〇キロ東であることは士官たちにとって既知の事実だった。
加えてこれから航空基地を奪還するにあたり,中隊が得られる航空支援の拠点でもあった。この支援は日本が担当することになっていて,市街地への空爆は避けたいとのことだった。
師団はポール大佐に中隊を率いて敵の対空車両の位置を特定して空爆の指示,またはこれの破壊を命じた。しかし周辺は住宅が密集する狭い道路が大半で,対空車両のような大きな車両を分散して配置することは難しかった。
出来たとしても隠れた歩兵に車両を破壊されかねないので,ポールは航空基地を見渡せる高所をまず第一目標とした。基地の南にあるそれは送電線を支える鉄塔だった。
敵の抵抗は激しくなかった。第二小隊のアレン軍曹はウエスト二等兵を連れレーザー目標指示装置を持って鉄塔の一番上までよじ登った。
そこからは浜松市内の住宅を無数に見ることができて,その先に辛うじて滑走路と対空レーダー,車両の数々を望むことも出来た。
ポール大佐は中隊本部を通じて誘導指示準備が完了したことを伝え,本部は自衛隊を通じてF-2戦闘機の操縦士に情報を送信した。
しばらくして,轟音を轟かせて飛来したF-2戦闘機が,JDAM空対地爆弾を一つずつ落としていく様子は実に見ものだった。次々と爆音が地面を鳴らし,衝撃波が空に弧を描く様子が,一キロ離れたポール中隊にも見て取れた。
着弾して爆発すると隊員たちは歓声を上げては喜んだ。
しかし地響きの度に鉄塔が揺れたので,アレン軍曹は鉄塔に振り落とされるのではないかと思った。
隣のウエストは空爆の様子に夢中になっていたので,自分の分隊長がまさか転落しそうになっていたことには気付かなかった。
そして梯子を降りるとき,アレンは「さっき俺に起きたことを喋るんじゃないぞ」と言ったので,ウエストは何が起きたかを察して笑いを堪えられなかった。今度はウエストが落ちそうになった。
航空基地は空爆のあと間もなく制圧された。非常に精密な空爆だったため,ポール中隊はそれ以上の攻撃を必要しない程,敵は麻痺状態だった。
進撃が予定より早いので,隊員たちはこの航空基地で一晩を過ごすだろうと予想したが,第二ストライカー旅団戦闘団が北の田園地帯から敵を一掃したので,その晩は夜通し行軍することになった。
街頭が煌々と浮かぶ浜松の市街地を抜けると,突然拓けた景色に遭遇した。
ちょうどこの日は新月だったので,数メートル横にある 深々と頭を垂らした稲穂が見えないほど辺りは真っ暗闇だった。揺れる穂の波音が耳に触れて,秋虫たちの演奏に華を添えた。
そして湖から抜ける風に乗った草と泥の臭いはどこか懐かく,隊員たちの胸をすいた。田園地帯の中央に走る川を超える頃に,戦車の潤滑油と火薬の弾けた臭い,そして人間が焼ける臭いが取って代わった。
明くる朝,中隊は左右を山に挟まれた農村で朝食を取った。食事は味気ないものだったが,朝日を浴びた森には霞が掛かっていて,蛇のようにうねった小川には紅葉が流れ,赤や黄色に燃える野山は朝露に濡れて輝いた。
それは中隊の誰一人見たことのない景色だった。師団が撮影機を持つことを禁じていたので写真を撮ることは叶わなかったが,隊員たちは各々心に焼き付けた。
第二小隊は山を通る有料道路まで斥候に出る任務を与えられた。偵察機が意味を成せない長いトンネルがあり,この道路は韓国軍が集結している豊橋という都市に通じていた。
味方の装甲車部隊は南方の湖に沿って進軍するため,敵が迂回して攻勢に転じることを阻止しなければならず,更に北方から圧力を掛ける陸上自衛隊の支援に繋げることができる。
問題は敵の所在が不明確な点だった。また山間部であるので,谷間を進むしかなかった。山はさほど急勾配ではないが,足の踏み場がない鬱蒼とした森林を歩くことに大きな意味はない。
マック大尉は小隊を二つに分け,一方は慎重に策敵させ,もう一方にその後部を守らせた。前衛が岐路に差し掛かると,第二小隊は西へ進路を変えた。
進んでいく度に民家は減り,田畑すら見られなくなった。細い道以外に見えるのは林だけだった。昨晩の五月蠅いほどの虫の声はなく,異様なほど静かになった。
すると先頭に付いていたローガン一等兵が突然しゃがみ込んで隊員たちを止めた。マックは身を屈めながら,膝を立てて警戒する隊員たちを追い抜き,ローガンのいる先頭まで駆けて上がった。
ローガンは林が開けたところで停止していた。田畑と民家が見え,予想通り敵が居ることが分かった。
マック大尉は双眼鏡で敵の位置や装備を確認した。視認できる機銃陣地は一つだったが,右手の死角の先には丘があるので,それはもう一つあるだろうと考えた。また迫撃砲もあって可笑しくなかった。
敵が気付いていなかったので,マックは後方を守っている隊員を前線に上げることにした。この隊員たちは道を離れ,雑木林に分け入り,草木を避けて静かに歩いた。先導するアレン軍曹はその灰色の目を見開き,しきりに首を振って人影を探した。
隊員たちに張りつめた緊張の糸は,一歩を踏み出す毎に折れる小枝で切れそうになった。笹の葉が膝を撫でるだけでも汗が噴き出すのが分かった。
朽ちて崩れかけた古い小屋にやっとの思いで辿り着くと,アレンには木々の隙間から敵の前哨がハッキリと見えた。これで側面攻撃の準備は整った。
アレン軍曹が小隊長のマックに無線を送ると,すぐにM240機関銃の連射音が聞こえてきた。マックもこの火点に加わって,韓国兵たちに情け容赦ない鉛の雨を降らせた。
敵は積んだ土嚢や田畑の土手などに身を隠して応射を始めた。K3機関銃の射手もこれに倣った。あるとすれば迫撃砲も直に反撃を開始するだろう。
アレンは敵が側面に対して無警戒になったことを確信した。そして分隊員を素早く前進させ,最前の二名に手榴弾を投げる準備をさせた。弾倉を交換するのを待ち,一斉に手榴弾を投擲した。
三発の手榴弾はほぼ同時に爆発して,地面の土や草,敵兵の肉や骨も諸共何もかも吹き飛ばした。アレンはそこへ突撃した。隊員たちはそれが生きていようが死んでいようが構わず動く物を全て撃った。
マック大尉はこれを確認すると第二小隊を前進させた。敵の砲がこちらに照準を合わせる前に接近する必要があった。そのため全員立ち上がって全力疾走した。
選抜射手であるベックス伍長は走りながらも敵の機銃陣地をもう一つ見つけた。想定通り土手の上にあって,前方の物と併せて十字砲火を形成していた。敵からは見晴らしがとても良いので,小隊にとっては脅威と言うほかなかった。
第二小隊はアレン軍曹らに追いつくと,生垣や民家の壁を使って身を隠した。マック大尉はベックス伍長に土手の上の機銃を抑え込むように命じた。
伍長は民家の物置小屋の上へ登った。そこでM14小銃を構えてスコープを覗き,引き金を引き絞った。真っ直ぐに飛翔した弾丸は,敵の射手の首に命中し,赤い血は噴水の様に舞い上がった。
韓国兵たちは撃たれた射手を掴んで機関銃から引きはがすと,もう一度機銃掃射をせんと血で汚れた銃床に頬を押しつけて照準器を覗きこんだ。しかしベックスは引き金を引かせなかった。
第二小隊はまたもや二つに分かれた。マック大尉は分隊を率いて,ベックスが沈黙させた機銃陣地に向かって駆けあがった。棚田の縁を遮蔽物にして小さく敵の側面を突きながらも確実に前線を押し上げた。
マック大尉は援護射撃をするアレンの分隊へ射撃を中止するよう合図してから,敵が集まっている土手の向こうへ手榴弾を投げつけた。爆発と同時という時宜を待って突撃し,これを制圧した。
この機銃陣地からは,初めに見つけた機銃陣地をはっきり見ることができた。案の定迫撃砲も備わっていた。しかしマックたちは丘の上にいたので,敵にとっては身を隠せる遮蔽物が何もなかった。
アレンは分隊員が射撃する方向を南から西へと転向させ,機銃陣地と歩兵部隊へ制圧射撃を行った。マックも分隊を展開させて韓国兵たちにありったけの弾丸を撃ち込んだ。ほとんど鴨撃ちだった。
第二小隊がこの谷を制圧して半時しない内に,ポール大佐が残りの小隊を連れてやってきて,中隊は合流した。前哨は対戦車ロケットを手に入れた第三小隊が代った。
中隊は出来たてで歪みの無い綺麗なアスファルトの有料道路を歩いて,一・五キロほどあるだろうトンネルを通過した。電気が通っていないのでトンネルの中腹は昼間だと分からないほど暗かった。
抜けてからは再び田園地帯が広がった。中隊は有料道路の下を歩いて進んだ。まばらだった家々は次第に住宅地に変わり,有料道路は大きなジャンクションに繋がっているのが見えた。
この後中隊は韓国軍と小さな小競り合いをした。敵が退却の準備をしている所に奇襲を掛けた形になり,数多くの捕虜を獲得した。そして北上してきた第二ストライカー旅団戦闘団と合流した。
三ケ日という街で一息吐いた後は,再び移動だった。しかし装甲車の上に登って良いと言われたので,皆その言葉に甘えることにした。少し冷たい風が顔に当たるのは非常に心地よいものだった。
そして今日二度目のトンネルを,今度は装甲車の上で味わった。赤いテールランプの車列が真っ暗なトンネルに反射して見えた。乗り心地はさて置くにしても,中々良い経験をしたように思えた。
その日は野営することになった。もう豊橋は目の前という位置だった。隊員たちは変電所の手前でタコつぼを掘り,腰を据えて前線を監視した。翌日の朝と翌々日の夕方には韓国の斥候がやってきた。
彼らはそこで小隊毎に代わる代わる休息を取りながら三日を過ごした。
師団は天候が悪いことを理由にした。実際に彼らが言うように天気は悪かった。とはいえ日が差す時間が短い日があったものの,予想された雨は降らなかった。
10月14日の明け方になって中隊は前進を命じられた。いよいよ豊橋を攻め落とそうと言うのである。北東からは陸上自衛隊の第10師団が,そして東方・東南からは合衆国陸軍の第25師団がそれぞれ進撃することになった。
ストライカー部隊は,ポール大佐が率いる中隊の前に居た。周辺は広大な田園地帯となっていて,見晴らしは悪くなかった。小さな川を渡った後,一キロ程先に民家が並んでいるのが見えた。
先頭のM1126ストライカーの車長は外部画面を熱線映像に切り替えた。するとその民家の窓に黒い点のように映る熱源を発見した。車長はこれを敵だと判断した。
敵の所在はポール大佐を通じて各小隊長に伝えられた。しかし距離があったのでストライカー部隊もポール中隊も射撃はしなかった。敵の重機関銃ではこの装甲を抜くことはできない。
問題は対戦車砲,ロケット砲,ミサイルの類いであった。当然だが戦車や自走砲も含まれていた。韓国軍もストライカー部隊が接近していることに恐らく気づいていたが射撃はしなかった。彼らも敵を充分に惹きつけて砲撃しようという魂胆だった。
この睨み合いはしばらく続いた。ストライカーはその間,韓国兵を監視しつつアスファルトの道路をゆっくりと進み,野砲や車両が潜んでいないか慎重に策敵した。
ある交差点に差し掛かったとき,部隊は六〇〇メートル前方に野戦砲の動きを察知した。そしてその火砲がこちらに照準を合わせていることに突然気付いた。瞬間,その砲が火を吹く瞬間を見た。
「「来たぞ!」」 「「隠れろ!」」
ストライカーに随伴する歩兵の誰かが叫んだ。敵の放った初弾は命中せず,畑の中央の地面に大穴を開けた。
敵の砲火は四つの一〇五ミリ砲から成っていて,これらは次々と榴弾を撃ち込んだ。その内一つは前から三両目の同じく一〇五ミリ口径のストライカー自走砲の側面に命中した。だがこれは鳥かごのようなケージ装甲を吹き飛ばしたに過ぎなかった。
このストライカーの車長は,実に不快な被弾をさせた一〇五ミリ砲に向け,すぐさまM2重機関銃の射撃を開始した。これは撃破ではなく位置指定の目的があった。射手はそこへ成形炸薬弾を二発撃ち込んだ。
野戦砲を一つ破壊された韓国兵はK6重機関銃を執拗に発砲した。多数の銃撃に怯え,土手から動かない味方部隊を見て,突然ポール大佐は中隊を置いて走りだし,凄まじい怒号を飛ばした。
「ここで止まるな!戦え!」
同じ師団でも大隊は違うポール大佐の檄はこの隊員たちに冷静さを取り戻させた。あの将校は道のど真ん中で小銃を連射しているというのに,我々兵士は草に顔を埋めて縮まっている。なんと惨めだろうか。
ストライカーの乗員もこれには驚いた。敵から見れば良い的ではないか。しかし装甲車だけが突出しても同じ事だった。将校たちは我に返って部下を掌握して,土手を遮蔽物にしながら前進するよう命じた。
気が気でなかったのはポールの部下たちであった。しかしポールはひとしきり怒鳴った後,中隊に戻ってきた。ほっと胸を撫でおろす隊員たちを余所に,大佐は「貴様らもだぞ!立て!」ともう一度叫んだ。
歩兵は蜘蛛の子を散らすように分散して敵の銃座へ突進した。ストライカー部隊は畑を突っ切った。
自走砲は柔らかい土に足を取られながらも,野戦砲に一〇五ミリ砲を見舞った。続けて民家の窓に見える火点目掛けて同じく炸薬弾を射撃した。荒々しく土手を乗越えた後,別の野戦砲を同じように潰した。
前から二両目に居た兵員輸送車は,敵が発射した一〇五ミリ砲弾に右側の装輪を破壊された。重機関銃は生きていたので,車長は固定砲台になることを決意した。韓国兵はロケット砲を撃ち返し,乗員をまとめて絶命させた。
数百メートルの距離を詰められた韓国兵たちは,野戦砲を二門置いたまま後退し始めた。彼らは川を渡り,後方部隊に合流しようという所だった。迫撃砲を搭載したストライカーの乗員たちは停車してそれを観察し,慎重に照準を合わせ,一二〇ミリ榴弾を次々に撃った。
韓国兵の中にはその場に留まって抵抗する者も居た。中にはロケット砲を撃とうとしている者が居たが,それらは突撃してきた歩兵部隊が蹂躙した。
敵兵は周辺で一本しかない橋に爆薬を取り付けていた。もしも後退するときはこれを爆破し,合衆国陸軍の車両が川を渡ることを阻止しようと画策していた。
爆薬は凄まじい音を立てて鉄橋の足を破壊して,鋼鉄は悲鳴を上げながら折れ曲がり,橋は見るも無残な姿になった。韓国兵にとって予想外だったのは,ここ数日は雨が降っていなかったので,川の水位が低いことだったかもしれない。
ストライカー部隊は橋などに目も暮れず,各々堤防を下って川に突っ込んだ。大きな車輪の三分の一ほどが沈んだものの,水しぶきを上げながら川底を蹴って進み,この川を渡ってしまった。歩兵たちは浅いところを選んで渡る余裕さえあった。
川の向こうはより多くの民家があった。しかし先ほど放った一二〇ミリ迫撃砲の打撃を受けている家はそれ相応の数があった。合衆国陸軍は川の堤防に沿って前進した。
敵を迂回する理由は,それが居るであろう場所が市街地であるため戦闘車両の支援が受けにくくなることと,友軍である自衛隊が北東から侵攻するに辺り,彼らと連携して敵を挟撃するためにある。
住宅地は見渡す限りの農園の向こうにあった。その中では場違いな病院が一つ立っているのが見て取れた。ポール大佐は配下の各小隊長を呼び付け,前進の準備をさせた。
ここで中隊本部から報告が上がった。豊橋市街地における敵の反撃が強く,ポール中隊の南に居る味方部隊は苦戦しているという。そのため師団はストライカー部隊の一部を豊橋攻勢に回すことにした。
この部隊はポール中隊の前に居た部隊であった。彼らは反対方向に転回し,ぞろぞろと南へ向かい始めた。どうやら浜松に続いて砲撃支援は無いらしいということに気付いた隊員たちは困惑した。
第一小隊のエドワード一等軍曹は,小隊長を差し置いて質問した。それを聞かずには居られなかった。
「大佐,支援なしにどうやって前進せよと仰るのです。」
鋭利な蒼い目がエドワードに向けられた。続けて第三小隊のバーンズ少尉も口を開いた。
「エドの言うとおりです。我々には両翼の援護もありません。敵に包囲されるのが”落ち”だ。」
ウィリアムズ大尉にも同じ想いがあった。今この一個中隊以外の味方は周囲から居なくなってしまった。そしてこの農園の向こうには敵が大勢居て,待ち伏せているはずだ。少しの間,沈黙が流れたときウィリアムズは言葉を発しようとした。それをフォーリー中尉が制して,心を読んだかのように答えた。
「じゃあ日本人に全部任せるって言うのか?もしグック(韓国人)共が北の自衛隊を抑えちまったら,補給線をぶった切って包囲するって作戦自体成立しなくなるぜ。」
「それに”ここ”は視界が開け過ぎている。敵からしたら良い的だ。移動しなきゃ。」フォーリーは少し苛立った様子にも見えた。対してマック大尉はポーカーフェイスを守っていた。彼は静かに諭すように言った。
「私は貴女に従います,大佐。」
中隊長であるポール大佐には決定権があった。有無を言わせない絶対的な権力を以て,命令に従えと言うことは簡単だった。ポールは自分に向けられた様々な意思を持つ目を一つずつ見つめていき,最後にふっと鼻で笑ったかと思うと,大きく息を吸って決断を述べた。それを聞いた小隊長たちは息を飲んだ。
「前進する。」
ポールは続けた。
「だが,位置は変える。さっき川を渡った場所まで戻り,そこから前進する。少なくとも右翼は自衛隊に持ってもらおうじゃないか。」
先ほどまで神妙な面持ちだった小隊長たちは,頬を緩ませて自信に満ちた表情で返答した。
「「「イエス,サー」」」
元来た道を戻る道のりはおよそ二キロだった。中隊は三列縦隊になり,農園のあぜ道を駆けていった。手入れが成されていない雑草が背高く伸びていたので,大柄な米国人たちが移動する様子は韓国兵たちには悟られなかった。
しかし一度後退した敵にとっては,彼らが行った二キロの往復による時間的な余裕を与えることとなった。これは精神的に回復する効果をもたらせた。
北からは自衛隊が攻勢に出ているので,一帯の韓国兵たちは対自衛隊の構えをしていた。南ではやや優勢であり,これに米軍のストライカー部隊が向かったのは見えていたが,攻撃するには遠かった。
ポール中隊は破壊された橋の手前まで戻ると,今度は市街地へ向かって前進を開始した。
前衛を任されたのはエドワード軍曹とその分隊員たちだった。彼らは屋根,窓,草陰,壁の至る所を注意深く狙い,敵の有無を判断しながらも素早く前進した。そしてカーブした大通りに差し掛かった。
この通りには中央分離帯があり,身を隠せる生垣があった。エドワードはレイシー伍長をこの生垣から出して道の反対へ行くよう命じた。すると敵のいる方角から声がしたことに気付いた。
レイシーにも声は聞こえた。これを敵だと判断する時には体が勝手に倒れ,レイシー伍長はアスファルトの地面に突っ伏した。エドワードは彼が撃たれたと思った。
ウィリアムズ大尉はこの様子を見て,第一小隊を前面に押し出すことにした。サイモン上等兵とクリステンソン二等兵が中央分離帯を飛び越えてレイシーの元へ駆け寄った。そしてうつ伏せになっている彼を仰向けにひっくり返し,何処を負傷したのか手早く確認した。
レイシーは”撃たれたショック”で目をつむってしまい,状況を理解できていなかった。幸いなことに胸の防弾パッドが銃弾を跳ね返していた。彼は無事だった。撃たれる直前に上手く半身になっていた様だった。
クリステンソンは彼の弾薬帯を掴んで引き摺っていき,生垣の向こうへ放り込んだ。サイモンはレイシーが落としたヘルメットとMk17小銃を拾って,また生垣に戻った。
韓国兵も虚を突かれた気分だった。先ほど迂回したと思った敵がまた来たのである。しかし守りを固めていた敵は激しく抵抗をすることができた。標的は眼下の第一小隊だった。
重機関銃,小銃が至る所から発砲してきたが,ウィリアムズは意外に冷静だった。敵が火力が小火器のみならば撃ち勝てる自信もあり,しっかりと身を隠せる生垣に居たからでもあった。
第一小隊が敵を惹きつける間に,マック大尉は敵の火点の中にぽっかりと空いた穴を見つけた。それは交戦範囲の右と左にそれぞれ一つずつあった。右の方がやや大きい穴のように見えた。
通常ならばその穴を突くのが正攻法である。しかしマックは敢えて左に展開させることにした。第二小隊は建物や生垣に隠れながら展開すると,敵へ攻撃を仕掛け始めた。
すると韓国兵たちは第一小隊への火点の一部を第二小隊へも向け始めた。それは彼らにとっては右方向への方向転換となった。第一小隊の後ろに居たフォーリーには,マックの”したいこと”が分かった。
マックは第二小隊にどんどん前へ出るよう命じた。そしてよく狙って冷静に撃てと言った。この指示を受けた第一分隊の指揮官であるパルセート一等軍曹は,敵に狙われるリスクを承知で遮蔽物から身を乗り出し,左目を閉じ,じっと照準を睨んで,それから引き金を引いた。
パルセート軍曹が放った弾丸は若い韓国兵の胸を裂いて心臓を貫いた。その時パルセートはマックの命令の理由を実感した。”敵は右へ銃を向けるとき,体が開いている”
市街地での戦闘については,韓国兵も十分な訓練を積んでいた。練度の高い米兵でも,半身になって遮蔽物の陰から射撃する彼らに弾丸を当てるという作業は,決して楽ではなかった。
しかし右手の射手が右方向へ銃を向ける際,銃だけを動かす癖が見られた。これは,半身になって投影面積を減らし,弾丸に当たり難くするという効果を発揮出来なくさせた。僅か数インチの差ではあったが,隊員たちはこの僅かな差を捉える事が出来た。
パルセートとアレンの二人の分隊長は,的確に敵の戦力を削いでいった。火点の穴は次第に大きくなり,第二小隊は一気に突破して敵を包囲した。敵の銃撃は止み,第一小隊は生垣を飛び越えて前進した。
中隊は市街地へ突入した。大通り沿いに第一小隊が進み,その後方を第三小隊,左方を第二小隊,またその後方にフォーリー中尉が指揮する第四小隊がいた。フォーリーは中隊の側面にある農園から敵が迂回して攻撃してくることを妨げることに神経を集中させた。
韓国兵は案の定,中隊の側面へ展開を始めた。しかし彼らより口径の大きい小銃を使用するポール中隊に対して,あまりに不利な交戦距離であった。フォーリーは決して深追いせず,敵が広い農園に出てくるよう,巧みに誘導してみせた。
その反対,右側面には自衛隊が居るという状況は隊員たちの,あくまで想定であった。実際に自衛隊の隊員を視認した訳ではないため,中隊が突出している可能性は否定できない。第三小隊は人影が韓国兵なのか自衛隊員なのか,民間人なのかを判断することが必要とされた。
バーンズ少尉は第三小隊の指揮官として,部下の特性をしっかりと把握していた。目が良く,命令には忠実な若者ばかりだった。射撃能力や冷静さでは他の小隊に劣るものの,特に体力が高く,背負うバッグの中のほとんどは他小隊の予備弾薬を詰めていた。
第一小隊が高架を超えようとするとき,第三小隊のアダムス二等兵は人影を見つけた。バーンズは識別できない場合は撃つなと命じた。伍長のワトソンがその確認のために人影が見えた場所まで駆け足で向かったが,突然人影が飛び出してきて,小銃を向けていることに気付いた。
数発の銃弾がワトソンの脇を掠めて行った。ワトソンはすぐさま膝を立てて小銃を発砲して,その韓国兵を射殺したが,後ろではアダムスが倒れていた。
アダムスの隣に居たキース上等兵が,彼の名を叫んで駆け寄った。アダムスは右の大腿に銃弾を受けていて,小指ほどの傷口からは赤々とした血液が溢れて滴っていた。キースはその傷口を強く手で押さえ,止血を試みながら衛生兵を呼んだ。
衛生兵が来る間,アダムスは仕切りに”くそったれ”,”ちくしょう”と悪態を吐いた。キースは「名誉の負傷だ。国に帰れるかもな。」と慰めを言ったが,アダムスは「帰りたくねえ!まだ一週間しか経ってないのに!」と返した。
医療班のフィリップス軍曹はすぐにやってきた。アダムスの傷口を確認すると,彼の両足を上げさせ,傷当てを強く巻き,左足へ鎮痛薬を注射した。そして折りたたみ式の担架に乗せて,部下にアダムスを運んで行かせた。
第三小隊の隊員たちは,今度見えた人影は問答無用で撃つつもりだった。しかしバーンズに”識別出来るまで絶対に撃つな”と釘を刺さされた。
ウィリアムズの第一小隊にも,この識別作業が必要だった。レイシー伍長は先ほど韓国兵に弾を当てられた憤りを隠せなかった。通りから敵を一掃したあと,小隊は前進して敵を追い詰め始めたところ,レイシーは人影を見つけた。
そしてそれが”韓国人”なのか”日本人”なのかを判断する前に,手榴弾のピンを抜いて人影に向かって思い切り投げつけた。その爆風は人影を小隊の前へ押し出した。そこで,ようやく敵であったことが判った。
ウィリアムズは,敵に射撃され始めても一向に隠れようとしないレイシー伍長の首根っこを掴んで遮蔽物へ押し倒し,「なぜ指示に従わないんだ!」と怒鳴りつけた。
レイシーは「すみません。でも指示に逆らっていません。」と反論した。
「”手榴弾を投げるな”とは言われませんでした。”言われた通り撃っていません”」と言うのである。
ウィリアムズはこの”屁理屈”を聞き入れなかった。「人間には自主性があるんだ。それがないお前は人間じゃないのか。人間ではない者を部下にするほど俺は出来た人間じゃないぞ。」レイシー伍長は降参した。「分かったよウィル。俺が悪かった。」
北から来る自衛隊は韓国軍を後退させ始めた。その様子は,やがて中隊にも見て取れるようになった。後退する韓国軍の内ある部隊は,ポール中隊の前に躍り出てしまった。そして彼らの多くは死傷した。
中隊はさらに西へ進むことにした。自衛隊の第10師団も同じ様に西へ進んだ。
25師団のストライカー部隊は韓国軍を豊橋の中心部へと追い詰め,日が落ちる頃,遂に韓国軍を陥落させた。一帯の韓国兵たちは包囲され,多くの死傷者と捕虜を出すことになり,また後退を余儀なくされた。
ポール中隊の隊員たちはその日,三河湾に沈む夕日を眺めることができた。実に輝かしい夕焼けだった。しかし遠くで聞こえる銃声や爆発音は変わらず聞こえてきた。
夜になって,中国軍が南下してこちらに向かってきているという事実が告げられた。韓国軍とは比較にならない程の人員が投入されている。この中国軍と戦う心構えをするときが来たのだ。
隊員たちが戦ったこの一週間は,まだ戦争の序章に過ぎなかった。進んだ距離は五〇キロにも満たない。取り返すべき領地のほんの一握りを取り返したに過ぎない。そして敵の主力である中国軍とはまだ戦ったことはない。
合衆国陸軍は隊員たちに「一週間戦えば,休暇を与える」と約束したはずだったが,これは守られなかった。交替する部隊が,彼らに代わって進撃するという期待は破られてしまった。
この情報は隊員たちの失望につながった。実に馬鹿げていた。車両支援,砲撃支援はまともに与えず,その上まだ戦えというのは,あまりに酷いではないかと思った。
しかしある一方で,ここまで優勢に事を運んでいる自信もあった。これは我々でなければ成しえなかったことだとも思った。そして信頼に足る隊長たちに率いられていることを神に感謝した。
小隊長たちはそれぞれがベストを尽くした。そして部下たちが皆ベストを尽くしていることを理解していた。だからこそ,彼らには相応のタスクを与えることができた。信頼できるからこそ,期待もできた。
この信頼感は,中隊の誰もが感じている物だった。しかし彼らはその信頼に依存することはなかった。明日もまた,彼らには任務と期待が与えられるだろう。