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500億ドルの戦争

 米国西海岸出身で三十路を超えるウィリアムズ大尉が穏やかな日差しと平和の中にあるハワイを訪れたのは,旅行のためではなかった。

 民間人に紛れて旅客機の快適なシートに身を委ね,スコフィールドにある米軍基地が見えるころには,砂と銃弾の舞うイラクを発ってから35時間が経ち夕方になっていた。それでも長旅の疲れを感じさせない背筋が伸びた歩みは実に軍人らしかった。

 検問でいくつかのチェックを受けたあと大きな宿舎に入ると,マグカップを片手に持った将校に出会った。

 どうやらその将校はウィリアムズを知っているらしく,にこやかに手招きした。

「ウィリアムズ大尉ですね。こちらが本部です。」

 将校が廊下奥のドアを開けると,その部屋の奥に見知った顔があることに気付いた。ウィリアムズは,「失礼します。」と一言添えると,一層姿勢に気を付けて進み,気を付けを取った。

「ウィリアムズ,只今到着いたしました。」

 敬礼を受けたその人は,腰の深いシートから立ち上がり敬礼を返した。基地でも数えるほどしか居ない女性の中の一人で,一等の美人だったが,見る者を凍りつかせる鋭い蒼い目と,えも言われぬ存在感があった。それを表すかのように数人の将校が揃うこの部屋の中でも,白頭鷲の階級章は最も高い階級を示していた。

 白頭鷲を付けたアリス・ポール大佐はウィリアムズを快く出迎えたあと,空いた椅子に座るよう命じた。

 ウィリアムズがポールに初めて出会ったのは,彼がまだ中尉で,イラクのある集落でのパトロール中に銃撃を受けたときのことであった。そのとき彼は第82空挺師団の1個小隊を指揮していたが,敵の銃撃があまりに激しかったため,近辺にいる友軍に応援を要請し,その増援として派遣されたのがポール大佐率いる第25歩兵師団の中隊であった。

 ウィリアムズはそのとき初めて本当の軍隊とはいかなる物かを見た気がした。

 中隊長のポール大佐は素早くかつ的確に小隊へ指示を下し,小隊は敵へ確実に打撃を与え,分隊は敵を完璧に制圧したのである。隊全体がポールを中心に統率され,一つの機械のように高度にシステム化されていた。とりわけ彼女が指揮するのは師団の中でも指折りの精鋭が集まる特別任務大隊であり,かつ経験も豊富だった。その戦闘でウィリアムズの小隊は1名の死者,2名の重傷者,6名の負傷者を出すことになったものの,ポールの中隊は1名たりとも負傷者はいなかった。しかし敵は100名近いの大部隊であったので,ウィリアムズは畏怖と敬意を覚えた。


 ほどなくしてウィリアムズはポールに対して憧れの気持ちを抱くようになった。そしていつの日か彼らとともに戦いたいと願った。その願いは一年後,ポールの方から手が差し伸べられることとなり,ウィリアムズは二つ返事で引き受けた。

 その時ポールは82空挺の師団長の前でウィリアムズにある質問を投げかけた。「82空挺と25師団のどちらが優れているか」というのである。

 ウィリアムズはポールが真剣な顔をしていることに改めて気付き,ひととき迷って「マム,申し訳ありません。その質問には答えかねます。」と答えた。

 ポールは82空挺師団長に一瞥してこう返した。

 「ウィル,難しい決断だろうが,リーダーなら必ず判断を下すべきだ。お前の迷いは小隊全体の不安に繋がり,不安は隊員を蝕む。」ウィリアムズは”確かにその通りだ”と自分が恥ずかしくなった。

 ポールは少しだけ表情を緩め,「特にウチの連中に関しては,それに気を付けてくれ。」と言った。加えて「マム,ではなく,サーと言え。」と注意した。その日ウィリアムズは第25歩兵師団への転属と,大尉への昇進が決まった。

 ポール大佐はその時のことを思い出し,椅子に座ったウィリアムズへもう一度同じ質問をした。はウィリアムズは迷わず答えた。

「それは”82空挺”です。」

 ポールは笑みを浮かべることでその返事としたが,中隊本部の将校たちはイラクでの二人のやりとりを知らなかったので「どうやらかなりの自信家らしい」と思うと同時に,この中隊の中でも生え抜きの第一小隊の小隊長に選ばれることに各々合点がいったのであった。

 

 翌々日になって,ウィリアムズは中隊のメンバーと顔合わせを行う機会を得た。それは午前中の基礎体力トレーニングの後で,昼食を取る前のことだった。

 ポール大佐は中隊を整列させ,簡単な紹介をした。真新しい肩章を縫い付けた森林迷彩の野戦服を身にまとった初々しい小隊長を,隊員たちは笑顔で受け入れた。

 一部は先のイラクでの戦闘を憶えている者もいて,彼に代わる代わる質問をした。前どこの部隊に居たか,M4小銃とM16小銃のどちらを使っていたか,その他にも,好きな女のタイプ,アメフトは好きかどうか,最近いつ散髪したかまで問う者もいた。

 とにかく至極どうでもよい話題に時間を割いた結果,ウィリアムズは昼食を取った気がしなかった。彼が食事をする暇を隊員たちは与えなかったのだ。

 後になって,それが示し合わされた軽い洗礼なのだと理解した。

 ウィリアムズは,もう一度今日をやり直せるとしたら,”毅然とした態度で質問を遮る”か,”早めに昼食を取ろう”と後悔した。ただ,”中国と日本が戦争をすると思うか”と問われたときの返答は恥ずべきでないと考えた。”私は望まないが,その準備はしておこう”

 

 その頃,中東の戦火の他にも,世界的なテロ懸念や,麻薬市場の活発化など,世界は争いと不安に満ちていた。だがここ最近の最もホットな話題は極東に眠っていた領土問題についてだった。

 中国と日本の間には尖閣諸島があり,また韓国と日本においては竹島があった。いずれにせよ各本土から離れた小さな島々ではあったが,国防や国益にとっては重要な意味を持っていたことは既に古くから国家の認識のうちにあった。

 しかしながら2010年になって次々と海底資源が確認されると,それらの領土問題は国家間の対立を生むほどの意味を持った。

 特に中国経済がバブル的な進歩を見せる中,レアアースやエネルギーといった資源が日本の管理下に置かれるとすれば,国家を根底から揺るがしかねない痛烈なダメージがあるとされた。これは韓国においても同様と言えた。

 また,同じ日本を相手とする中国と表面上でも同調することが,嫌中に傾くよりは国益となると判断したことが理由と言われた。

 そして当初は数万ドル程度だと言われたその海底資産の価値は見る間に増加し,2012年になる頃には500億ドルを相当するほどの価値であることが分かった。

 これは日本の年間国家予算の20%に匹敵するほどであったが,まだそれらは未調査分予想を含んでいなかったため,今後も相当量の海底資源が見つかることは想像に難くなかった。

 だがその頃には日本と隣国との国家間には深い溝が刻まれており,それがいつ何時燃えあがるか予想がつかなかったので,それ以上の調査は一向に進まなかった。

 それでもその当事国である日本では,国家ほどに懸念を示す国民は少なかった。

 第二次大戦の後の平和な環境と,それを支える憲法,アメリカとの友好的な関係が理由だと言えた。それどころか自衛隊や在日米軍の解体と撤退を求める声もあった。こ

 れらには中国や韓国が仕向けたという疑いの目も向けられたものの確たる証拠はなく,自衛隊が十分な防衛準備を整えることに対して,国民は否定的であることが多かった。


 日本では加えて2011年,大震災に見舞われた。

 M9.0に達するこの地震は同時に大津波を発生させ,多くの人々が命を落とした。

 そして原子力発電所は制御不能に陥り,あのチェルノブイリに匹敵するほどの原発事故として世界中が注目し,フクシマの名はその人々の記憶に刻まれることとなった。

 これらを総合して,とある評論家は,日本は東西からあらゆる困難に晒されている,とした。

 しかし復興するに当たって,先の海底資源があれば,これに事欠かないだろうとも付け加えた。またアメリカ政府は,これらを期に日本への支援を約束することとなり,これを中国は否定的にとらえた。

 この対立は結局のところ,日米と中韓を中心とした太平洋全体を巻き込む緊張状態に発展した。

 

 これと同時期に第25歩兵師団はイラク派遣を中止とされハワイへ戻った。

 少しの休暇を挟んだ後,対イラク武装勢力の訓練は対中・対韓の大規模戦闘訓練に変更された。また同時に従来のM4小銃やM16小銃を中心とした小火器は新しいMk17小銃に置き換えられた。

 この他にも戦車を代表として装甲車に対応する訓練が本格化した一方で,IEDや対ゲリラ戦に対応する訓練はほとんど無くなった。

 ウィリアムズはその訓練が始まる頃,82空挺から25師団へと転属してきた。

 故に彼の小隊はもちろんのこと,中隊を構成する隊員たちは,それらの訓練を通じてウィリアムズ大尉がどのような指揮官であるか,信頼に足るかを注意深く見ることができ,また彼も自分の小隊と,他の小隊がどのような隊員で構成されているかを十分に理解する猶予があった。

 中隊に四つの小隊がある中で,第二小隊の指揮は周囲から”マック”という愛称で呼ばれるマクレーン大尉だった。

 彼は寡黙でほとんど笑わなかったが,面倒見が良かったので,ウィリアムズが中隊に馴染むように気を使ってくれた。 指揮官としても実力は高く,隊員から信頼はとても厚かった。

 隊員たちが交流を目的として開いた賭け事やスポーツには決して参加しなかったが,誰一人悪態をつくものは居なかった。

 第三小隊の指揮官はバーンズ少尉で,マックとは正反対のような人間だった。隊員を基地内のバーに誘っては,しばしばトラブルを起こした。

 酒も煙草も好きだったが,体力は人一倍あったので,一晩飲み明かした朝の基礎体力トレーニングでは,二日酔いで青い顔をした隊員たちを後ろ向きに走りながら檄を飛ばすことができた。

 また彼らと一線を画す第四小隊の指揮官はフォーリー中尉だった。彼は不思議な男だった。

 南部出身で訛りが少しある話し方は独特で,人とは違う価値観を持っていた。

 隊員からは”何を考えているか分からない”と不安が漏れる一方,随分と”鼻が利く”ので,敵に先手を与えることはほとんど無いことを以て,マック大尉以上に信頼する隊員も少なくなかった。

 そして他に情報管理担当や,政治的な事務を行う指揮官も居たが,中隊で最も信頼されているのは中隊長であるポール大佐を置いて他には居なかった。

 彼女は他の佐官の中に居て目立つほど若く,他の佐官とは違い未だに戦闘指揮官に留まっていることは皆の疑問だった。

 中には”機密扱いのサイボーグ”だと言う者もいれば,”人体実験の末に生まれたクローン”だと言う者もいたが,結局どうしてその若さで大佐まで昇れたのかを説明できる隊員は居なかった。

 とはいえ士官学校を卒業し職業軍人になるという一般的な士官の昇進ルートとは違うだろうと誰もが思っていた。

 それは隊員たちの話題には上がっても,本人へ問い合わせる事なかった。”知ったものは消される”という説が,隊員たちの間では当たり前になっていたからだった。


 ウィリアムズ大尉が第一小隊を任されて半年が経つ頃,士官が順番に呼び出されたことがあった。

 彼も例に漏れず,他の小隊長と共に師団会議室に出頭するよう命じられた。

 0900時に予定されていたその会議は一旦中止され,1100時に変更となった。それでも会議は始まらず,フォーリー中尉が「いやな雰囲気ですな」と笑みを浮かべたが,周りの騒然とした空気から只ならぬ状況であることはウィリアムズにも理解できた。

 そして1130時になって,師団長とスーツを着た初老の男が次々に会議室へと入り,部屋の扉を閉じて端的に状況を述べた。

 「中国政府が,日本政府へ宣戦布告を行った。また韓国政府も同じく宣戦布告を行った。」スーツの男は外交官らしかった。「これらは合衆国への宣戦布告と同義である。」と強い口調で付けくわえた。

 そして師団長は神妙な面持ちの士官たちを見まわして「合衆国大統領は,太平洋軍たる第25歩兵師団もこれに投入することに同意された。」と伏し目がちに告げた。

 即日,基地の全員の外出許可は取り消され,日本へと渡航する準備をするように通達された。直に隊員たちにもその旨が伝わった。

 先んじて命じられた外出許可取り消しに文句や冗談を飛ばす者もいたが,国家間の戦争が始まってしまったことを実感するようになると,もう誰も文句を言わなくなった。そしてより一層真剣に訓練に励むようになった。

 しかしながらあの通達から一か月経っても,二か月が過ぎても,一向に渡航の日は来なかった。

 毎日の決められたリフレッシュの時間には,カードやドル札を広げることなく,ニュースを見る時間に費やされ,皆食い入るように見た。

 ニュースでは,陸軍が伝えなかった色々なことを教えてくれた。

 中国軍と韓国軍は宣戦布告からそう経たずして九州地方への上陸を達成していたこと。自衛隊が酷く苦戦していて撤退が続いていること。民間人が避難に遅れて被害に遭っていること。そして米軍は中々戦線に出てこないことを隊員たちは知ることができた。

 基地の隊員たちの多くがいち早く日本へ行きたいという気持ちを持った。「このままでは日本が負けてしまう。戦わずして負けるなんて,これ以上間抜けなことがあるか!」というのである。

 これはウィリアムズも同じ気持ちだった。

 そしてこれ以上民間人の犠牲を許してはならないという怒りを燃え上らせ,日に日にその怒りは増した。

 その怒りを発散するために,基地では頻繁にトラブルが起きた。大抵のトラブルは兵士たちの喧嘩だった。

 それほど暴れたくて我慢できない若者が基地に溢れたのである。このころ憲兵の仕事はピークになった。

 そしてようやく陸軍が作戦を承認して,10月の初めに日本へ渡ることを隊員たちは知った。宣戦布告からおよそ4カ月が経とうとしていた。

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