終わりのプロローグ
そこは、元は緑が溢れる草原だった。街と街を繋ぐ中継点であり、晴れた日は多くの人が行き交う、活気ある場所だった。
今は、荒野と化していた。
むせ返るほど血の臭いが辺りを包み、完全なる静寂を保っている。
動くものは一つとしてない。あるのは、死体か、そうとも言えない肉の塊だった。
だが、彼は生きていた。
黒い髪は血にまみれ、脇腹に傷を負いながらも、まだ生きていた。もっとも、奇跡でも起きないかぎり、その命もあと数分というところだろうが。
虚ろな瞳で、空を見上げる。いつの間にか、灰色の雨が降ってきていた。
彼は喉から声を搾り出す。
「俺は……死ぬみたいだな」
やっとか。
恐怖も、後悔もなく、思い浮かんだのはそれだけだった。
やっと――死ねる。
何度も死のうとした。でも無理だった。どれだけ無理をしても、彼は生きていた。周りの者たちが消えていっても、自分だけは残っていた。
それはさながら呪いのようで、彼は逃れるためにいっそう激しく戦った。
勇猛果敢に向かってくる奴も、悲鳴を上げて逃げる奴も、均等に殺した。
慈悲や、温情もないクソッタレな世界を恨みながらも、ただただ殺した。
そんなふざけた人生が、やっと終わる。
彼の心は、安堵で満ちていた。死への恐怖など、あるはずなかった。
むしろ痛みもないこんな楽な死に、感謝さえしていた。
――唯一、気掛かりなことがあるとするなら。
残った奴らのことだ。
こんな世界でも、彼には仲間と呼べるものがいた。お節介で、お人よしな奴らだ。それに、手間もかかる。
自分がいなくなったら、あいつらは大丈夫だろうか。
そんな考えが頭を過ぎり――彼はすぐにそれを捨てた。
何を馬鹿な。俺は保護者か。
あいつらは、馬鹿みたいにしぶとい。気にかける必要なんて何処にもない。
自分の甘さに苦笑して、彼は瞳を閉じる。昔は、こんなこと考えもしなかった。
顔に当たる雨が気持ちいい。
そのまま、眠ってしまおうとした瞬間。
「私の、初勝利ね」
声が聞こえてきた。
彼は、重い瞼を上げる。
彼女が、立っていた。
毎日欠かさず手入れしていた小麦色の長髪は、血と泥で固まってしまい、いつものような輝きはない。細長い四肢も傷だらけだ。
しかしそれでも。
彼女は美しさを損なわず、笑みを浮かべて彼を見下ろしていた。
彼は微笑して、口を開いた。
「……ああ…………そうだな」
初勝利。
戦闘が始まる前、彼女が言った。
どちらが最後まで立っていられるかと。
何年も前から続いている、勝負の始まりだった。彼女は何かにつけて、彼と張り合おうとするのだ。
彼は今まで一度も負けたことがなかった。これが初の敗北だ。
俺は死にかけだぞ。普通そんなこと言うか。
おかしさが込み上げてきた。この状況でそんな言葉が出てくることに、彼女らしさを感じる。
彼女は、いつもそうだった。
いつも太陽のように、周りを照らし続けた。その明るさが、彼の支えにもなっていた。
「ふっふー。俺に勝ったら、何でも一つ言うことを聞いてやるって、言ってたよね」
「…………そうだな」
もう死ぬのだ。全財産を彼女に上げてもいい。裸で土下座してやってもいい。どうせ意味はないのだから。
彼は穏やかに、次の言葉を待ち――
「じゃあ、言うね。私の代わりに、生きて」
「なっ!?」
言葉を失った。
彼女の胸元のネックレスが輝きだす。そこにあるのは、蒼穹の如く透き通った宝石だ。エターナルブルー。彼女の誕生日に、彼がプレゼントしたものだった。
荒野には不似合いな神々しくまばゆい光りは、二人を囲む。竜巻が起こり、雨が弾き飛ぶ。
彼は痛みを無視して、強引に起き上がった。
「てめぇ! やめ、くあっ……」
だが、すぐに激痛が奔り膝から崩れ落ちる。再度、力を入れようとするが、身体が命令を聞かない。足の腱が切れているのだ。
魔力も底をついているこの状態では、肉体強化をすることもできない。さっき少しでも立てことすら、奇跡に近かった。
それでも、彼は起き上がろうとする。ミノムシのように転がり、無様を晒しながらも、力を振り絞る。
知っているから。
彼女が使おうとしているのは、自分の生命力を他者に分け与える魔法だと。使えば彼女は確実に死ぬことを。
自分が死ぬのはどうでもいいが、彼女はそうじゃない。この先も、皆を照らし続けるものであり、こんな所で命を落としてはいけないのだ。
だから、だから――
必死になる彼を見て、彼女は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「だーめ。これは勝ったご褒美だからね。絶対服従なんだよ」
ふざけるな!
叫んだはずの怒声は、出ていなかった。
出せなかった。
もう、喉に力が入らなかった。
身体も、動きを止めていた。
意識が遠退く。瞼が重い。
最後の力で上空に手を伸ばし、虚空を掴んで――そこまでが、限界だった。
ふっ、と意識が消える。
「ごめんね、クラウス。大好きだよ」
最後に彼が見た光景は、彼女の泣き顔だった。
プロローグをとりあえず最後まで読んでくれた読者の皆様、ありがとうございます。この度は久しぶりに小説を書いたしだいなんですが、どうもちぐはぐです。なんとかなっていればよいのですが・・・・・・
もしよろしければご愛読ください。