1日について
今日は唐突に思い立ったため、私の1日についてを記述することにする。
月がまだ空を照らしている中、私は起きる。すぐに洗面所へと行き、まず水が枯れていないか、樹の幹を確認する必要がある。何故なら私の家では水が枯れやすい。一度枯れてしまうと、後々面倒になってしまうため、起きがけに確認する必要があるのである。そして身支度を済ませ、ランタンに火を灯し、お気に入りのスリッパを履いて外に出ていく。落下物に注意を払いながら、樹の葉を確認していく。これまた危険な作業なのだが、先程も言った通り水が枯れやすいため、仕方がないのである。
その後、今度は仕事の一環として、樹上をくまなく探す。落下物はないか、それとも墜人は居ないか、調べるのである。私が住んでいる場所だけでなく、下の場所へと降りたりしなければならない。ランタンを持ちながら縄ハシゴを下っていくのは、非常に面倒な作業であった。そうしていると、日陽が樹上を照らしはじめる。一通り見渡した後に、帰宅して朝食を済ます。そこからようやく私の仕事は始まるのである。
私の仕事は2つに分類される。
1つ目は、この集落で命を落とした者の葬送である。彼の者に身繕いを施し、そして死想の祭壇へと運ぶ。そして儀式を済ませ、遺族が別れを惜しんだ後、その祭壇に木々を積み、そして火を放つのである。最初はこの仕事を引き受けるのが嫌であった。自然に死んだものを葬送するのは、全く問題は無かった。しかし堕人のような損壊が激しいものと、死後発見にかなりの時間を費やしたものは、悪臭が極めて酷く、すぐに形が崩れてしまうため、扱いも難しかった。特に臭いに敏感な私にとっては非常に酷な作業であった。それが理由で親がその仕事をこなしている所を見るのも嫌だった。
しかし、跡を継がなければならない為、経験を積むためにそれを見学しなければならなくなったのは、私が15のときであった。その1年後に両親は墜人と衝突し死んでしまったのである。私は全く知識も経験もないまま、その役目を果たさざるを得なくなったのだ。しかも、両親を葬るために―。
2つ目の仕事が、両親を失った原因だった。それは、墜人の調査である。この世界において、事故によって上から落下してしまうことは、よくある話である。運良くすぐ下に設置されている事がある、ネットに絡まれば助かる見込みはある。しかし、それを通り過ぎてしまえば、死は避けられないのである。そうして落下死してしまった人のことを、私達は墜人と呼んでいる。彼らを葬る際、どこから落ちたのか、そして落ちた原因は何か、そして落ちてしまった人は誰なのか、特定する作業が必要なのである。それが、両親と私の仕事なのである。この作業は危険である。樹上から落下する危険性、そして上から落下してきたものに直撃する可能性が高いからだ。だからこそ、両親は墜人の破片や遺品を回収するときに、死んでしまったのだ。
しかし、両親は普段は調査に細心の注意を払っていたはずだ。でも、この日はいつもと状況が異なっていた。その時の墜人は、いつも落ちてきている人々とは、全く様子が異なっていたのである。損壊が激しかったものの、普段見慣れたような服とは違い、布2枚だけを着込んだ、原始的なもので構成されており、持ち物も、私達が住んでいるものとは明らかに異なる文明の品々だった。まるで、原始人のような暮らしである。
両親はこの墜人を見て、この仕事を続けてきてよかったと感涙していた。私にはその意味が全く分からなった。でも、お母さん、お父さんは、この墜人によって殺されたという結果だけが残ったのだ。憎しみが沸々と湧き上がるだけだ。
そうだ。この仕事を引き受けたのは、多分、復讐のような意味合いもあるかもしれない。
しかしながら、今日は墜人も居なかったため、楽な気持ちで軽い仕事を始めることが出来た。そんな日は年に数回しかないのだ。そんな日の作業は単純で、両親やその祖父母がまとめ上げた資料を、現在の観点から書き足したり、自身の考察を踏まえて整理していく。
これは、医学の発展に繋がるものであり、さらには後々の技術の向上を踏まえた重要な作業なんだ…と、お父さんがそのように私にしつこく教えたものである。私はこの作業の息抜きのために、一度気晴らしに外に出ていく。そのついでとして、色々な作業を行うこともある。今日は枝の剪定を行うことにした。
当然樹には剪定が必要である。そうでなければ樹の枝は家の中にまで蝕んで、最終的にはその空間を上の層から押しつぶしてしまうからだ。しかし、その作業は一般的には難しいとされているらしいのだが、私は昔からこの作業が得意だった為、剪定師は不要だった。この作業のコツは、敢えて薄着で挑むのである。その理由は、衣服が樹の枝や蔓に引っかかってそのまま墜人になるといったパターンが多いからである。
剪定を済ませると家に戻ってすぐ服を着替え、その後葬送の仕事が無ければ、葬送した後の死亡証明書を絵を添えて記したり、依頼された怪死の調査文書に目を通し、それに私の専門知識をもって回答する。基本的には大した内容にならない事のほうが多いのだが、私の調べでその事件が解決することもたまにあった。
日陽はいつの間にか消え去り、再び月が舞い戻ってきた。私は、この月を眺めるのが大好きである。私が大切に育てているココアの実をもぎ取り、台所ですり潰していく。その間、あまりにも丸く、美しく輝いている月を眺め続けるのである。月は、私の一番の親友だからなのかもしれない。死者は何も語らない。でも、月だけが、私に何かを語りかけてくれている気がするのだ。それは私が、孤独だからなのか?そんな思いを抱きつつ、ランタンに火をつけて、夕食の準備に明け暮れる。
葬送や墜人の調査の後だと、御香をたくさん焚かなければ、その悪臭で自分も墜人になりたい気分になってしまうが、今回はその依頼も無かったため、私は安堵して食事にありつくことが出来た。
この仕事を始めた頃は、本当に食欲が湧かなかったものだ。こんな仕事をしなければならないという気持ちと、両親を失った心で悲しみの感情以外は浮かんでこず、常に泣いてばかりであり、そして悪臭からの苦痛でいっぱいであった。
しかし、慣れというものも怖いものである。あんなに辛かった孤独感も、あの悪臭にも今では些細な問題として処理することが出来てしまっている。それは、成長によるものなのだろうか。それとも感覚の麻痺なのか。
今日のメニューはバジルソースの水草と米のリゾット、キュウリと人参のスープ。そしてココアミルクだ。肉は好物なのだが、今日は上層にある畜産農家のところまで行かなかった為に諦めることにした。こういう日もある。しかし今日の食事は良く出来たと我ながら感心する。
一通り寝る前の支度を整えると、寝る準備に入る。早く起きるために、すぐに眠りにつかなければならない。ベッドに入る前に、ランタンの火を消した後、小さなキャンドルに火を灯してから、私の愛おしい両親の為に祈りを捧げる。私は特に宗教に入信しているわけではないが、そうすることで、なんとなく、勇気を貰えるのである。
そして、眠る前に私のお気に入りの本を読んでいる。これに関しては一つのルーティンのようであり、規則に則った生活をしなければ、突然の葬送のときに困るのである。不測の事態に備えて、普段は規則正しい生活をする。それが私が編み出した一つの考えである。
本の内容についてなのだが、それは滑稽極まりない、奇妙な球体世界の話である。私達の世界は、延々と続いている長くて太い”樹”の上で生活している。しかし、この小説の世界は、なんと”球”の上で暮らしているのである。ボールの上で生活するなんて、意味不明極まりないものであるのだが、その珍道中が面白い。どうやって水を確保するのかとか、あまりにも広くて、道に迷ってしまうところ、そして最終的に広い世界で野垂れ死にしてしまう。なんて内容なのか。
確かに、月は一部の研究者からは球体の可能性があるとされている。しかし、皿のように、薄っぺらい円盤ではないかとも言われているので、結局のところよくわからない。そんなミステリアスなところも、私が月に惹き込まれる理由の一つなのかもしれないが。
こんな内容の小説を読んでいると、やはり何度も読んでいるせいなのか、気が付いたら眠りについている。ただ、そんな日はあまりに理想的な過ごし方だったために、小説の内容について考えるよりも、こんな事を想い、眠りにつくのである。
次もこんな日でありますように―。
しかし、本来なら、このような理想の一日は、滅多に無いのが現実だ。いつも誰かが死に、墜人が現れ、彼らを葬送したり調査したりしている。だから私は今日も、ある祈りを捧げながら眠りにつく。
明日は、こんな日でありますように―。




