12.雪の上にて
地球人たちはようやく雪の峠にたどり着いた。
この向こうからは北の斜面になる。雪はもっと深くなり、吹き溜まりには万年雪も積もっている。
その時を待っていたのがジョーだった。今まで、荷物でしかなかったスキー板がようやくのことで役立つ。ジョーは雪深い北海道育ちで、スキーが趣味。
月面シャトルの操縦をしていた時、暇を見つけては月面の乾いた斜面を利用してサンドスキー楽しんでいたくらいだ。だから荷物室にスキー板を置いておいた。
「僕は人類史上、初めて月でスキーを楽しんだ男として記録される。」と吹聴。
「月の砂は乾いていて粒もそろい、凄く滑りやすいんだ。おまけに重力が小さいからアクロバチックな運動もできる。この技を地球で披露したら、絶対オリンピックで金メダルを取れる。」と自慢していた。
今度の逃避行の出発前にヨーコから、「あなたの雪の知識が役に立つ。スキー板も使うかもしれないから持って来て」と言われていたのだ。
確かに崖上りや馬の背では板のおかげでバランスを崩しそうになり、ハイ松地帯せは板が邪魔をして、抜け出すのに苦労もした。だが、今ようやくその苦労も報われる。
眼下には誰の足跡もない雪面。もう心は、この白いキャンパスにどのようなシュプールを描こうかと考えている。
「ジョーできる限り歩きやすいで滑って頂戴、しっかり頼むわよ」疲れで思わず、ヨーコにも少しでも楽になりたい本音が出る。
「分かりました。これからプロ級の腕をお見せしますよ」努めておどけて返す。
「ぃやっほー。」ジョーの叫びが山にこだまする。一気に斜面を滑り終え、新たなピークとなる、次の斜面に取りついた。
そこからは板を担ぎ、ジグザグに山を登りっていく。
「本当にうまいな」ラキッチもその手並みに感心した。彼もスキーの経験はあるがジョーの技量には敵わないとあっさり認めた。
「さあ、私たちも続きましょう」ジョーの坂を駆け降りる姿を見てヨーコも元気を取り戻している。
スキーによって踏みしめられた雪は先ほどよりも歩きやすくなって、何よりも緩やかな弧を描いて滑ってくれたおかげで、その後を辿るのは楽だった。
ジョーはルート探索を指名された時、次のような指令を授かっていた。
「北側は雪が深いから、怪物を倒す最適な地形があるはず。そこを見つけ出して。またもし作戦が失敗した時のことも考えて、我々が逃げ出せるルートを探し出して」
雪崩の起きそうな場所を見つけながら、安全な逃走ルートも探さなくてはならない。
出発前にドローンでこの雪山の地形は見ており、作戦に使えそうな場所の目星もつけてある。
ジョーがやろうとしているのは、実地を見て、狙い通りの場所か、確認することだ。
下に目を下ろすと、沢が西に走っている。目標地点から下って来ている沢だ。ここから、150m降りれば沢に入り、その沢に沿って登っていけば、罠にもってこいの場所になる。
しかし、そのコースはいつ雪崩が起きてもおかしくないコースでもあった。
はるか西にある大きな湖から発生した雪雲がこの山にぶつかり、たくさんの雪を降らせる。その雪が、この沢に集まり、最終的には氷河になって北に下っている。
「ふぁー」思わずジョーの口からため息が出た。沢へのコースは雪山のベテランなら絶対選ばないルートだ。
しかし、ヨーコから絶対確認してと言われたのがこのようなルートなのだ。
「よし、行くしかない」覚悟を決めて身を躍らした。
その後、ヨーコ達の姿が30分後たって沢の入り口に見えた。無線機を取り出す。
「ヨーコ、そこからは一人ずつ間隔をとって、歩いてきてください。大声を上げたり、決して転ばないでください。小さな衝撃でも雪崩の危険性があります」細かい注意をする。
「分かったわ」ジョーが心配するのも無理なかった。100人を超す集団が歩けば、雪山にどんな衝撃を与えるか分からないのだ。ちょっとした衝撃が、雪の塊を転がし、そのまま斜面を駆け下って大きな雪崩を呼び起こすことはしょっちゅうだ。
ヨーコもこんな危険なルートを歩きたくはなかった。ただ怪物はこれまで忠実に地球人の後を追ってきている。怪物を罠にかけるなら、ヨーコたちも危険を冒さないとならない。
この作戦の決行前にジョーはヨーコと激しく口論していた。
「雪の深い沢に入るのは危なすぎます。」ほとんど素人ばかりの雪山はに入る危険性を上げた。
「私たちが安全第一で尾根伝いに山を登り、沢を避けていたら蛸も決して沢に入らないわ。沢に入るのは雪山ではとても危険なのは分かった。でもこの危険を冒さなければならない。沢に蛸を誘い込まなくては私たちの勝利はないし、生き延びることも出来ない。」
「いや、雪崩に巻き込まれたらどうしようもありませんよ。私は絶対反対です」
「でもね、ジョー。怪物を倒せる手段はもうこれしか残ってない。怪物を倒せなければ私たちの体力は尽きて、追いつかれてしまう。それなら、少しでも生き残れる道を選ばないといけない」
ヨーコは宇宙服のバッテリのことも気がかりだった。全員電気の消費に注意をして省エネを心掛けているが、それでも持って明日一杯だろう。それがすぎたらもはや体温を維持できなくなる。食料だっていつまで持つか気がかりだ。ヨーコの決意にジョーも折れた。
「それならば、雪山に入ったら、僕やラキッチの指示に絶対従ってください」それがジョーの唯一求めた条件だった。
「これから雪崩の巣を通ります。危険は覚悟の上です。皆、ラキッチの後から間を取りながら、ジョーのいる尾根を目指します」
今までよりもゆっくりと、一行は進んだ。
それを、尾根から見ているジョーも気が気ではなかった。沢の上流に当たる所には雪が、庇のように覆い被っている。不安定な形の雪が何時崩れ落ちるか分からない。
ジョーの見る限り尾根の雪にひび割れの兆候はない。だが、どんなことでひび割れが生じ、そこから雪崩が発生してヨーコ達に襲い掛かるか分からないのだ。ジョー達にできるのは雪崩が発生しないよう祈るしかなかった。
20分後、全員が沢に入り、ゆっくりと、その沢を上って来る。
そして、遂にラキッチを先頭に続々と地球人たちが到着。ヨーコも笑顔で登ってきた。
「ね!私の言った通り、大丈夫だったでしょう」その言葉には自分の運に対する絶対の自信がある。
リーダーは運の良い者でないと務まらない。
自分は絶対大丈夫という自信が周りの者を元気づけ安心させる。
(この人には敵わない。やると言ったら、必ずやり遂げてしまう)心の中でジョーは呟いた。
そして、待ちに待った女性が上ってきた。急いでジョーは駆け寄る。人目も気にしないで抱き寄せた。
「私は無事よ」キャサリンが熱く答える。二人の仲はもう認知されていた。
「ここなら、うってつけね。」ヨーコが地形を見回しながら言った。
さすがに危険地帯を通ってきたばかりで、その顔には安堵感がありありだ。沢に入ってから傍を片時も離れなったシンシアもようやく笑顔を取り戻している。
「皆、一休みよ。その後準備に取り掛かるわよ。イワン達にも早く合流するように言っとくわ」
イワン隊はもう怪物と間を取りながら見張る必要はない。今からは怪物をできるだけ引き離すことだった。
ヨーコが今後の方針を話す。
「蛸は私たちより30分ほど遅れている。このまま、蛸も私たちを追って沢に入るでしょう。それを見計らい、雪の中に仕掛けた火薬を爆破して雪崩を起こす。蛸は雪崩に巻き込まれ雪に閉じ込められる。怪物を氷漬けにするのよ」
蛸が人間達を追って、危険な沢に入るのは十分ある。雪崩も上手く巻き起こせるだろう。だが、巨大な蛸を閉じ込めるのか分からない。
大きな雪崩になるのか。怪物を巻き込めるか。巨大な岩石が当たっても、なんでもない顔で追いかけてきた怪物だ。雪に埋もれても、また這い出してくるかもしれない。
蛸が雪崩にも耐えてしまうようなら、人間達の必死の逃亡劇がまた始まる。いや、地球人にもう体力は余りない。今度失敗すれば何人の者が逃げる気力を失いかねない。
成功するかしないか、一か八かの賭けだった。
既にマルコス隊は発破作業の準備に取り掛かっている。イワン隊もヨーコより遅れて20分後に到着した。
「作業は順調ですよ」ヨーコの代わりに現場監督を引き受けているヘンリーが言った。
山は新雪と根雪とが積み重なっている。尾根付近には風により舞い落ちた雪が、庇のように斜面にせり出してもいる。これ以上ない雪崩の条件が揃っているのだ。
その斜面に火薬を仕掛けていくのは大変危険を伴う。
この作業をマルコスとライアンが引き受けてくれた。
「慎重にやってくれ」火薬を仕掛ける間に雪崩が起きたら、今までの苦労が水の泡になる。
二人は慎重に尾根近くの雪の庇に歩を進めた。穴を掘り、火薬を産める。そして導火線を伸ばしながら尾根の後ろに身を潜めた。
作業に5分も要しなかった。しかし、その間、誰も言葉も交わさず見守っていた。
その作業がほぼ終えた頃、怪物が対面の小山に姿を見えた。
小山から怪物が引き返すか、尾根のコースを選択したら今までの努力は無駄に終わる。それは人間たちの生き残るチャンスは失せてしまうことでもある。
固唾を呑んで怪物の行動を見るしかない。
「よし!」ヘンリーが望遠鏡を覗きながら思わず口にする。
向こうの山の斜面を怪物はゆっくりと下りだした。
怪物は罠に何も知らずに近づいてくる。ただ鷲が上空を旋回しているのがずっと気がかりだった。
マルコスの山の斜面での行動は見られていて、火薬の仕掛けに気づかれたかもしれない。
じりじりと怪物が沢に入ってくれるのを待った。
怪物が歩みをやめた時など、「何故だ、何をやっているんだ」と思わずにいられない。
「もう少しだ。そのまま進め」発破隊はただ、それだけしか思わなかった。
そして、とうとう沢の真ん中まで降りた。
「いまだ」マルコスが導火線に火をつける。数秒後火薬が爆発。
尾根の雪が吹き飛んだ。吹き飛ばされた雪は数m3もない。ただ、斜面に降り積もっていた雪のバランスを崩すのには十分だった。
最初転げだした雪が、次々と周りの雪を巻き込み、山の斜面全体にまで及ぶ。斜面の雪は沢に一気に崩れ落ちた。
一部が崩れ落ちるとその近くにあった雪も支えがなくなり崩れ、それがまた近くの雪にと連鎖していく。すべてが下に、沢に、滑り落ちた。
沢のすべて埋め尽くし、ドドッドという轟音を発しながら流れていく。
山は姿を変えた。
はらわたを揺さぶるような唸り、地響きがを伴って流れ雪が押し寄せて来る。
怪物はこれにすぐ反応した。
彼に恐怖心は湧かなかった。これまで、嵐、竜巻など多くの天変地異に遭遇した。
全身嵐に揉みくちゃされ、斬り裂かれたこともある。雷の直撃を受けて黒焦げにもなった。でも、彼は生き延びた。
強靭な肉体、そして無尽蔵な生命力が彼にはあった。
押し寄せて来る雪崩に正面から受け止めようと向かい合う。
彼の目線より雪崩は低い。足を踏ん張れば受け止められる。そう考えた。
実際に雪崩を受け止め、雪の流れは止まる。
「こんなもの、なんてことない」そう思った。
だが、それは一時の気休めだった。
彼の立っている雪面が雪崩と一緒に流れ出したのだ。彼は足を掬われ雪崩に押し流されてしまう。
流れの先端には大きな渦を作られ、すべてのものを飲み込み込んでいく。
跳ね上げられ、押しつぶされ、何もかもが流れに掴まった。
怪物にとっても、流れが急すぎた。抵抗はできない、雪崩は大きすぎた。
雪の渦に巻き込まれ、持って行かれた。
怪物は雪の流れの中で何度ももんどりうち回転し流されていく。
尾根で見下ろしていた地球人も凄まじい雪崩の勢いに、腰が引けて思わず後ずさりするほど、恐怖を覚えた。
しばらくして沢一面に雪煙に全てが隠れてしまう。
空気が震え、地響きがする。
まだ雪崩がまだ終わってないと分かるが、見えないだけになおさら怖さを感じる。
ようやく雪煙が薄れた時、あたりを見渡すと、地形が一変していた。
さっきまで二つの尾根の間を深くえぐっていた沢は、平らで厚い雪で覆われていた。
広い雪原に動くものひとつ無く、生命を感じさせる気配さえない。雪の塊が散乱しているだけで雪面には怪物を示すものはなかった。
「ヘンリー、蛸の姿は見えない?」ヨーコがすぐ問い合わせる。
「怪物は雪崩に巻き込まれました。奴が死んだかこれから調べます」
人間達は斜面を注意しながら降り、蛸の痕跡がないか丹念に雪面を探した。
雪崩ははるか下に3キロ以上も続いていた。そのどこかに蛸が沈んでいるはずだが見当もつかない。
どこかにあるはずだが、蛸の切片さえも見つけることはできなかった。
「雪崩の量は少なくとも1万トンにはなるでしょう。怪物は最低でも10mの雪の下に埋まっているはずです」ヘンリーが地形から判断して言った。
「もう、探しても無駄ね。下山するわ」その表情にはようやく決着をつけた喜びがにじみ出ている。
「今日の野営はなんとか岩山でしたいものね。もう雪はいやよ」ヨーコの言葉に実感がこもっていた。
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どちらが上か下かも分らない。怪物は雪の流れの中でもがいた。
そのうちに、流れが止まる。全ての足が氷と雪の中でがっちり挟まり、頭からズッポリ埋まり息ができなくなっていた。
足の何本かは千切れ体から遠くに飛ばされたようだ。だがこのくらいで怪物の生命力は消えない。
彼は思っていた。
「いずれ時間が来れば雪は溶ける。この雪氷から解放され、表に出られるはずだ。
そうしたら今度こそ虫けら供を叩き潰すのだ。
虫けらが悪賢いのは分かった。次は油断しない。
追い詰め、悲鳴の声を聞きながらじっくり締め上げていく。
次の機会を待てばよい。」
そう思って、少し休むことにした。
ただ彼は知らなかった。この雪氷が氷河に続いていることを。




