怪盗の正体⑤
団長室でも感じた空気の揺らぎは、人の視覚を歪める魔術だ。
「こんな複雑な術式……」
隠形術の一種というのか、目くらましにも近い魔術は、高度な術式が必要とされる。
そんな魔術を常時展開し続けることのできる人間が、〝普通〟であるわけがない。
「他の人を誤魔化すことができたとしても、わたしは騙されません」
リュートが身に纏っている魔術は、自分の本当の姿を隠すもの。
なぜ、自分の姿を偽る必要があるのか。
「……」
漆黒の瞳がラヴィアンを見つめてくる。
その瞳が、〝誰か〟に重なる。
リュートの、茶色の髪に、漆黒の瞳。
あの夜に見た、漆黒の瞳と同じ色の髪。
――偽りの姿。
そして、彼から感じた魔術の波動は……。
「貴方は――……」
意を決し、リュートの正体を暴こうとしたラヴィアンに、リュートの唇がくす、と引き上がった。
「それ以上はダメですよ」
その唇にそっと立てた人差し指を押し当てて、リュートは「秘密」の仕草をする。
「好奇心は身を滅ぼします」
にっこり、と笑顔を浮かべて。
「見て見ぬふりをするのも処世術の一つです」
「……っ」
静かにラヴィアンの前まで歩いてくるリュートの空気に気圧されるかのように、ラヴィアンは気持ち身を引いた。
「僕の目を見て?」
ラヴィアンとリュートの身長差は二十センチくらいだろうか。
その言葉に操られるかのようにリュートを見上げてしまったラヴィアンの瞳に、言葉を紡ぐ艶やかな唇が映り込む。
「――『黙れ』」
「――!?」
一瞬、喉が焼けるように熱くなった。
だが、それは本当に一瞬で、気のせいだったかと思ってしまうほどだった。
「いい子だ」
「あ……?」
頭を撫でるように、さら、とラヴィアンの髪に触れたリュートは、柔らかな笑顔を置いてその場を去っていく。
「待……っ」
慌てて制止の声をかけるも、今度こそリュートが立ち止まる気配はなかった。
「……な、に……?」
今、自分の身にいったいなにが起こったのだろうか。
そんな不安に駆られる中、胸に抱いた確信に、ラヴィアンはドキドキとした緊張に身体が強張るのを感じた。
――謎の怪盗の正体は。
こうしてはいられないと、ラヴィアンはすぐにその場から駆け出したのだった。
*****
団長室の扉をノックして、返事を待つことなく扉を開け放つ。
「団長……!」
勢いよく現れたラヴィアンに、事務机に向かっていた団長は顔を上げ、驚いたように目を丸くする。
「どうした」
そんなに慌てて。とラヴィアンの様子を窺ってくる団長が、すぐに警戒の色を強めたのは当然のことだろう。
宝物庫の施錠が新しいものと取り換えられるまでの時間は、残すところあと四日。いつ、何時、なにが起こるかわからない状況だ。
「早急にご報告したいことが……っ」
その怪盗を捕まえるために。足早に団長の元に向かったラヴィアンは、そこで喉に伝う空気が絡まるのを感じた。
「――っ、……っ」
声を発しようとするものの、喘息を起こしたかのように喉からはヒューヒューという音が鳴るばかりで言葉にならない。
「……!?」
痛くも痒くもない喉に手を当てて、ラヴィアンは大きく目を見張る。
(声が出ない!?)
たしかに、言葉を音にしようとしても声にならなかった。
――『――『黙れ』』
頭の中で、強い声が響く。
あの瞬間、喉を走った灼熱の意味は。
そこで、理解する。
ラヴィアンは、声を失ったわけではない。
「ラヴィアン? どうした」
強い警戒心の中に訝し気な空気も醸し出し、立ち上がりかけた団長がラヴィアンの顔を窺ってくる。
「……っ」
ラヴィアンはあまりの悔しさにグッと拳を握り締め、姿勢を正すと頭を下げる。
「……すみません。わたしの勘違いみたいです。お忙しいところを邪魔してしまい、申し訳ありません」
「勘違い?」
頭を下げたことにより、団長からは見えない角度で、ラヴィアンは唇を噛み締める。
勘違いなどと、そんなことがあるはずがない。
むしろ確信は深まるばかりだというのに、今はこうするしかできない自分が情けなくて仕方がない。
「はい」
顔を上げることなく頷くラヴィアンに、団長の不審げな視線が突き刺さるが、そのまま深々と謝る以外はできなかった。
「……」
「……」
しばし奇妙な沈黙が落ち、団長が細い溜め息を吐き出す気配が伝わってきた。
「……わかった。なにかあればすぐに報告するように」
決して納得はしていないだろうが、とりあえずはラヴィアンを信じて引いてくれた団長の優しさにほっと胸を撫で下ろす。
「はい。失礼いたします」
頭を下げたまま挨拶し、ゆっくりと身体を起こしたラヴィアンは、胸の中に激しい怒りを抱えながら扉に向かう。
一瞬、ラヴィアンが声を失った原因。それは。
――『――『黙れ』』
あれは、口を封じための拘束魔術。
(ありえない……!)
あの時の一瞬の出来事を思い出し、ラヴィアンの背中には冷たい汗が伝わった。
(そんな、高等魔術を……!)
ありえない。ありえるはずがない。
けれど、実際にそれは起こっている。
(呪符もなく、そんなこと……!)
魔術を使うには、基本的に印と呪符が必要だ。
実力次第で、簡単なものであればどちらも省略できるようになったり、短い作法で発動することができるようにはなるものの、その分少しだけ精度が落ちたりもする。
だが、高度になればなるほど、省略することは不可能に近くなってくる。
それなのに。
あの時、リュートが印を結ぶ姿も、なにかを唱えている様子もなかった。
(こんな身近にいるなんて……!)
あまりにも盲点だ。
――まさか、怪盗の正体が、王太子の側近などと。
リュートがラヴィアンにかけた魔術は、怪盗の正体に関する発言や行動に制限をかけるもの。
解除しない限り、怪盗の正体を誰かに告げることは叶わない。
(どうすれば――……!)
とにかくもう一度リュートに接触するしかないと、ラヴィアンは最後に見たリュートの後ろ姿を思い出し、その背を睨み付けたのだった。




