怪盗の正体④
いつ現れるかわからない怪盗の存在に、ラヴィアンたちが警戒を強める中。なにごともなく三日の時が過ぎていった。
(眠くなっちゃうわ……)
中庭に続く外廊下を歩きながら、ラヴィアンの口からは大きな欠伸が洩れる。
この三日間、ラヴィアンは自宅に帰ることなく城の当直室に詰めていた。怪盗が姿を現すのは夜の可能性が高いため、一晩中気を張っていてまったく眠れていない。その分昼間に仮眠を取ってはいるのだが、昼の時間帯が必ずしも安心とも言えないため、寝てはいても眠りはとても浅かった。
暑くもなく寒くもなく、過ごしやすいぽかぽか陽気の今日。昼食後に心地よい眠りに誘われてしまったとしても、それは仕方のないことだった。
「ん~~」
さすがに二度目の欠伸は噛み殺し、眠気を飛ばすために大きな伸びをする。
その時。
(今、なにか……?)
視界の端を小さな黒い影が駆け抜けていったような気がして、ラヴィアンは一瞬にして気を引き締める。
いったい今の影はなんだったのだろうと、その影が消えた方向へ足早に駆けていき、ラヴィアンの足はすぐに止まった。
――にゃぁ~~。
自分を追い駆けてくる存在に気づいたのか、その影は一度立ち止まると、ラヴィアンのほうへ振り向き、鳴き声を上げる。
ラヴィアンの足元から数メートル先にあった影の正体は。
(猫……?)
なぜこんなところに猫が紛れ込んでいるのだろう。
実際は黒ではなく、黒と茶色のマーブル模様だった猫は、驚いて目を丸くしたラヴィアンの隙をつくように、くるりと背を向けて地を蹴った。
「あ……! 待って……!」
なんとなく気になって、つい追いかけてしまう。
(早い……!)
けれど、もはやラヴィアンから関心を失くした猫は己を追い駆けてくる存在など気にすることなく、一目散にどこかに翔けていくため、追いつくことは叶わない。
「あ……!?」
緑の間を走り抜け、中央にある噴水を横切ったところで、繁みの中へ入り込んだ猫の姿は見失ってしまった。
「どこに行ったのかしら……?」
どうしても気になってきょろきょろと辺りを見回すものの、繁みを揺らす気配すら感じられない。
だが、その代わりに。
「あ……」
数メートル先から歩いてくる人物に、ラヴィアンの目は見開いた。
「え?」
ラヴィアンの視線に気づいたのか、相手もこちらへ顔を向け、一瞬視線が交錯する。
お互いに立ち止まり、見つめ合う。
腰に剣を携えた、その人物は。
「……リュート様」
動揺を隠せないまま名前を呼び、心臓がドキドキと鼓動を打つ。
それは決して、リュートの顔が美しく整っているからではない。
「貴女はたしか……、警備団所属の魔術士、ラヴィアン殿」
まじまじとラヴィアンを見つめ、確認を取ってくるリュートは、人懐こそうな柔らかな空気でにこり、と笑った。
その姿は、毛並みのいい高貴な大型犬を思わせる。
「はい。先日はお世話になりました」
勝手な思い込みで、リュートに対してお固そうなイメージを持っていたラヴィアンは、そのギャップに少し驚かされながら、頭を下げて挨拶をする。
相手がどんなに優しく気さくに話しかけてこようが、相手は伯爵家の次男で王太子の側近だ。身分も立場もラヴィアンより上であることには間違いない。
「こんなところでなにを?」
にこにこと話しかけてくるリュートに、ラヴィアンは辺りへ視線を彷徨わせる。
「猫が……」
「猫?」
思ってもいなかった答えが返ってきたからだろうか。リュートは少しだけ驚いたような顔をして、ラヴィアンの視線を追うように辺りへ意識を廻らせる。
「猫を追い駆けて」
なぜ、こんなにもあの猫のことが気になるのだろうか。
「見ませんでしたか? 黒茶のマーブル色をした猫です」
リュートの顔をじ、と伺ったラヴィアンに、リュートは肩を竦めて申し訳なさそうに微笑した。
「残念ながら」
「そうですか……」
繁みから出ていく姿を見かけていないということは、その中に隠れているということだろうか。
どちらにせよ気配すら感じられず、ラヴィアンはがっかりとした吐息を洩らす。
「その猫がどうかしたんですか?」
リュートが、にこにことした柔らかな笑顔で尋ねてくる。
だが、その笑顔の向こうに圧のようなものを感じ、ラヴィアンは無意識に息を呑む。
「いえ、ただ、なんとなく気になっただけで」
太陽の下で笑うリュートは、その陽光がとても似合うほど明るく優しい雰囲気を持っている。
けれど、なんだろうか。ラヴィアンの胸に湧き上がってくるこの警戒心は。
「リュート様こそ、なぜこんなところに?」
実際に足が動くことはなかったが、リュートから一歩心の距離を取りながら、ラヴィアンはそっと目を凝らす。
今はとくに魔術の流れを感じてはいなかったが、第六感のようなものがラヴィアンに告げていた。
――気をつけろ。警戒しろ。
と。
「休憩時間に、少し散歩をしていただけですよ」
陽の光を見上げて笑顔を向けてくるリュートの姿からは、不審な点など見つからない。
それでも。
「そうですか」
頷きながら、細心の注意を払ってリュートを見つめる。
「……」
「……」
沈黙が落ち、ラヴィアンの視界の中で、ゆらり、と魔術の波が揺らいだ。
(――!?)
確実に存在している、その魔術の流れの正体は。
「それでは、失礼しますね」
「あ……」
にこり、と笑って踵を返したリュートに、ラヴィアンは思わず声を上げる。
「待ってください……!」
呼びかけに足を止めたリュートは、ゆっくりとラヴィアンのほうへ振り返る。
全神経を目に集中させてはじめて気づく、空気を揺るがせている魔術の波動。
その中心にいるのは。
「リュート様」
真っ直ぐリュートを見つめ、ラヴィアンは緊張の息を呑む。
「単刀直入に不躾な質問を申し訳ありません」
しっかりとラヴィアンに向き直ったリュートが優しく笑う。
「なんでしょうか」
ラヴィアンの背中には、嫌な汗が滲んだ。
その柔らかな空気にも、人懐こそうな笑顔にも騙されてはダメだ。
ラヴィアンには〝視える〟――、真実を曲げている魔術の揺らぎが。
「貴方は本当に魔剣士ですか?」
魔剣士は、魔剣を操る騎士の総称だ。正確にいえば、リュートは魔剣士であることに間違いはないのだろう。
ただ。
「おっしゃっていることの意味がよくわかりませんが、どういうことですか?」
柔らかな空気も優しい笑顔も崩すことなく、リュートは疑問を投げてくる。
隠しているというのなら、リュートがラヴィアンの問いかけに答えないのは当然だ。
団長室で〝視た〟魔術の波動と、今、ラヴィアンの目に映る波動は同じもの。
そして、さらに言うならば――……。
「……リュート様」
数拍の間を置いて、ラヴィアンは慎重に口を開く。
「魔術が使えないなんて嘘ですよね?」
ラヴィアンが直接話を聞いたわけではないものの、少なくとも、リュートを知る人間たちからリュートが魔術を使えるという噂は聞いたことがない。
リュートに対する周りの評価は、あくまで〝魔剣を操る天才騎士〟だ。
「いえ。あいにく僕には魔術の才能はないみたいで」
本当に残念に思っているかのようにリュートは苦笑を零しているものの、ラヴィアンは騙されない。
「なにを言っているんですか」
リュートからは、どんな反論、反撃が返ってくるのだろうか。
警戒を強め、身構えながら、ラヴィアンはリュートへ詰問の目を向ける。
「だったら、今あなたが身に纏っているその魔術は誰のものだって言うんですか」




