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ファースト・キスの魔法  作者: 姫 沙羅


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決戦①

 転移の魔術が存在していることは知識としてはあったものの、実際には見たことがない。複雑な術式と莫大な魔力が必要とされるため、もはや使える者がいないからだ。

 だが、巨大な魔法陣の上に立たされたリュートは、まさに今、魔王・アドレシアの手より、王太子とファリスとともに転移の魔術を初体験していた。

(シャロル……!)

 足元から光が立ち昇り、存在が薄れていく中で、リュートは近くにいるであろう相棒の気配を探して心の声を上げた。

 ここで離れ離れにされてしまったら、リュート一人ではとてもではないが魔王に立ち向かえない。

『大丈夫にゃ。あとから追いつく』

(わかった)

 どうしたものかと焦りが湧いたものの、返ってきたのは落ち着き払った力強い答えで、リュートは安堵の吐息を零して転移の魔術に身を任せた。

 足の先から頭のてっぺんまでを光に包まれ、その眩しさに思わず目を閉ざした一瞬後。光が収拾し、そっと瞼を開けたリュートの瞳の中には、先ほどまでとはまったく違う光景が飛び込んできた。

 ここが国内なのか国外なのかもわからないが、長年人の手が加えられていない森の奥であることをなんとなく感じた。

 太古の昔に森の奥深くに作られた神殿、という表現が一番しっくりくるだろうか。蔦の這う白い柱や奥に見える大木から感じる神秘的な空気は、かつてこの世界に神々が存在していたことを伝えてくるような神聖さがあった。

「こちらに、儀式の間をご用意させていただきました」

 どうぞ。と促され、リュートは意思のない人形状態になっている王太子とファリスに倣って白い石畳の上を進んでいく。

 すると、十段ほどの階段を登ったところに古びた小さな噴水があり、その手前に置かれた二つの祭壇に横たわっている人影を見つけ、リュートの心臓はドキリと跳ねた。

「!」

 それぞれの祭壇に、まるで棺で眠る聖人のように手を組んで横たえられていたのは、リョートが抱いていた嫌な予感通り、国王とラヴィアンだった。

「彼女は……」

 焦点の定まらないぼんやりとした瞳でラヴィアンの姿を認めた王太子が、抑揚のない声色で疑問の声を零した。

 自分の意志というものを完全に奪われている王太子は、物事の善悪もわからなければ判断能力も失っているため、この状況の異常さを疑問に感じることすらない。

「ご存知でしたか? この時代にまだ聖なる乙女が存在していたとは、驚きでした」

 にこやかに微笑むアドレシアの話を耳にして、リュートのこめかみはぴくりと反応した。

 アドレシアの微笑みが作り物めいたものであることにも寒気を誘われるが、ラヴィアンが聖女としての力を持っていることに気づかれてしまっていることも、迂闊だったと背筋が凍る思いがした。

「聖なる乙女?」

 多少の自我は残されている王太子の力ない問いかけにアドレシアはにこりと笑い、「ええ」と力強く頷いてみせる。

「彼女はこの時代に唯一存在する〝聖女〟の力を秘めた者です」

「そうなのか」

「彼女の聖なる血を捧げれば、神は必ずや我々の願いを聞き入れてくださることでしょう」

 古来にはそのような儀式が存在していたかもしれないが、そんなことで人間の願いを神が叶えてくれるかといえば大間違いだろう。

「父上が……元に……」

「はい」

 だが、完全にアドレシアの支配下に置かれてしまっている王太子は、滑稽噴飯な話も簡単に鵜呑みにし、疑問を抱くこともない。

「儀式を執り行わせていただいてよろしいですね?」

「そういうことであれば」

 もはや指示を仰ぐというよりもただの確認でしかないアドレシアの質問に王太子は深く頷き、現代ではただの殺人罪でしかない行為に許可を出す。

「さすがは殿下です。素晴らしいご判断だと称賛いたします」

 あくまで自分は下の立場であるという態度を崩さないアドレシアの白々しい態度は不快以外のなにものでもない。

「そうか。ありがとう」

 ただの音でしかない王太子の謝礼にアドレシアは満足そうな笑みを浮かべ、祭壇のほうへ近づいていく。

「では、さっそくですが始めさせていただきますね。みな様はそちらにお座りになって儀式を見届けてくださいませ」

(ラヴィアンさん……!)

 儀式の準備に取りかかるアドレシアを眺めながら、リュートは思念伝達の魔術を使ってラヴィアンへ呼びかける。

(ラヴィアンさん! 聞こえますか!? ラヴィアンさん……!)

 今はまだ、動く時ではない。

 今はアドレシアの支配下に置かれた操り人形のふりをして、油断を誘うことが最善の行動だ。

(ラヴィアンさん……!)

 ラヴィアンの意識は完全にないのか、ないとしたらただ眠らされているだけなのか、それとも王太子たちのように支配下に置かれてしまっているのか、状況によって救出方法も変わってくる。

 このままなにもわからなかったら、と不安が過ぎるが、その時、脳内でかすかなラヴィアンの息遣いが聞こえた気がした。

(ん……?)

(ラヴィアンさん!)

 覚醒を予感させるラヴィアンの反応に、リュートの心の声も明るくなる。

(……リュート、さま……? あれ……? わたし、なにを……?)

 記憶が混濁しているらしき戸惑いの思考が伝わってくるものの、王太子たちとは違ってしっかりとした意思を残しているらしいラヴィアンの困惑にはほっとする。

(……わたし……? あれ……?)

 どうやら身体が動かないらしい気配があり、皮肉にも、まだ自分の状況を理解していない状態で動かなくてよかったとも思う。

 ラヴィアンが意識を取り戻したことをアドレシアに悟られることは悪手でしかない。

(いいです。そのまま眠ったふりをして聞いてください。必ず助けてみせますから、いくつか質問に答えてください)

(あ、はい)

 とにかく最速で互いの状況と情報を擦り合わせなければと急くリュートの声に、まだ少しばかりぼんやりとしているラヴィアンの返事が届く。

(身体は本当に自分の意志では指一本も動かせない状態ですか? それとも)

(あ。そんなことはなさそうです。たぶん、普通に動きます)

 冷静に状況を見極めようとするリュートへ、こちらも最短で自分の身に起こっていることを理解しようとしているラヴィアンの声が返ってくる。

 どうやら先ほどは昏睡の魔術から目覚めたばかりで、脳の指令が身体へ上手く届かなかっただけらしい。今は問題なく好きに動かせそうだと聞いて、問題が一つ解消されたことにリュートは安堵の吐息をつく。

(では、こちらが指示を出した時にはすぐに応じられそうですか?)

(たぶん……。いえ、動いてみせます)

 次の段階へ進んだ質問に、ラヴィアンからは一瞬疑問を抱く声が聞こえてきたものの、すぐにきりりと切り替えたラヴィアンの責任感の強さには、ついつい笑みを誘われて口元が緩んでしまいそうになる。

(さすがはラヴィアンさんです。頼もしい答えをありがとうございます)

 自分の運命(さだめ)とは無関係なラヴィアンを巻き込んでしまったことには命を賭けても責任を取らなければならないと思っていたものの、その一方で、ラヴィアンを選んだことは間違いなかったと自分の見る目に確信を持つ。

(不安な思いをさせてしまうかもしれませんが、少しだけ待っていてくださいね)

 リュートは心の中でにこりと微笑み、優しく穏やかな声をかける。

(いえ、そんな……)

 リュートとラヴィアンがそんな会話を交わしている間にも、神事は粛々と進んでいく。

 祝詞を唱え、神酒を注いだ聖杯を掲げ、表面上は神に願いを乞うアドレシアは、なにを企んでいるのだろうか。国王を正気に戻すためなどというのは当然虚言で、真の目的はなんなのだろうか。

『リュート』

(シャロル)

 そこで、ふいに頭の中へ響いた声に、リュートはその声の持ち主の姿を求めてそっと視線を動かした。

『すまぬ。遅れた』

 アドレシアに気づかれないように転移の魔法陣を利用してここへ飛んでくるのはかなり骨の折れる作業だったと吐息を零すシャロルは、声は届けども視線を巡らせる範囲内では姿は見当たらない。

『状況は?』

 迅速な情報共有を求められ、リュートは手短にここまでの動きを説明する。

『わかった。もっとも隙ができるのは儀式の終盤にゃ。最後に儂が割って入るから、その隙にアレを連れ戻せ』

(了解)

 可愛らしい猫を擬態してはいても、シャロルの中身は神の時代の聖獣だ。

 相棒の頼もしい提案に頷き、リュートは祭壇の方へ視線を向ける。

(ラヴィアンさん。聞こえました?)

 ラヴィアンがこちらの声を遮断していない限り、リュートとシャロルのやりとりはラヴィアンにも伝わっているはずだった。

(はい)

(そういうことですので、その隙に逃げてください)

 すぐに肯定の声が返ってきて、リュートはラヴィアンに指示に出す。

 もちろんリュートも助けに入るが、ラヴィアン自身も動いてくれたほうが奇襲の成功率は高くなる。

「聖なる乙女を御許にお贈りいたします」

 形ばかりの長い祝詞を唱え終えたアドラシアが聖剣を掲げ持ち、胸元で手を組んで眠るラヴィアンの喉元目指して刃を振り下ろす。

「引き換えに、どうか我が願いを叶えたまえ……!」

『今にゃ!』

 声高に願うアドラシアの声が辺りに響き渡った瞬間、今まで姿を隠していたシャロルがアドレシアとラヴィアンの間に飛び込んできて、それと同時にリュートも地を蹴った。

(ラヴィアンさん!)

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