嵐の前④
「あぁ」
「失礼いたします」
王太子が許可を出せば、丁寧に頭を下げた迫力美女――アドラシアが室内に入ってきて、リュートは一人ぴりりと空気を張り詰める。
アドラシアという女性に擬態した魔王は、自分の敵となる人物が魔王対抗のための秘宝を集めていることは認識しているだろうが、それが誰だかはわかっていないはずだ。
その証拠に、なんとか殺気を押し込めたリュートと目が合うと、にこりと笑顔を向けてくる。
「突然どうした?」
リュートが知る限り、アドラシアは精神安定のための看護人として国王の傍に控えていることが多い。
それは明らかにおかしいことだが、誰もその異常さに気づいていないのは、程度は微弱とはいえ魔王の洗脳下に置かれてしまっているからに違いない。
「お父上の……、陛下のことでご相談がありまして」
「なんだ」
言葉を選ぶように慎重に告げたアドラシアに、王太子は神妙な面持ちとなって眉を寄せる。
「その前にお人払いを」
リュートとファリスへチラリと視線を投げ、アドラシアは恭しく頭を下げて極秘情報だという旨を告げてくる。
「……」
数秒の沈黙が落ち、リュートとファリスは一瞬目を合わせると静かに席を外そうと扉に向かいかける。
「いや。このままでいい。この二人は信用に足る者たちだ」
だが、言外でその行動を制止した王太子の返事に、二人の足は同時に止まった。
本当に二人の話に同席していいのかと少しばかり戸惑いを見せるリュートとファリスだったが、王太子の堂々とした態度を前にして、ファリスは王太子の傍に。リュートは事務机を挟んで王太子の斜め前まで移動する。
「……そうですか」
王太子を中心に真剣に三人で話を聞く体勢を整えた状況に、アドラシアは小さく頷くと王太子を真っ直ぐ見つめた。
「でしたらこのままお話を続けさせていただきます」
その時、王太子、ファリス、リュートに走った緊張は、それぞれ種類の異なるものに違いない。
少なくともリュートは、アドラシアに対して最大限の警戒を持って対峙している。
「陛下の症状ですが、ここ最近、急速に状態が悪化しているように思われます」
「な……っ?」
凛とした態度ではっきりと告げたアドラシアの言葉に王太子は唖然となり、リュートはこめかみをぴくりと反応させる。
「本当に……、父上の身にいったいなにが……」
王太子は頭を抱えているが、まさかその原因が目の前にいる人物の手によるものだとは微塵も疑っていないに違いない。
「わたくしも、大神殿に足を運んでいろいろと調べてみたのですが……」
王太子の気持ちに寄り添うように謙虚な態度を見せているアドラシアだが、それが見せかけのものでしかないことをリュートはよくわかっている。
大神殿に足を運んだというのも虚言だろう。
では、なんのためにそんな嘘をつくのかといえば。
「陛下は、呪いを受けられているのではないでしょうか」
「呪い!?」
慎重に言葉を選んだアドラシアの問いかけに、王太子からは驚愕の声が上がる。
リュートはリュートで、いったいなにを言い出すのかと驚くとともに、その〝呪い〟をかけたのは誰なのだと、あまりの白々しさに嘲笑を向けたくなってしまう。
「はい」
神妙に頷き、なにを企んでいるのかアドラシアは続ける。
「大神殿に残された大昔の資料に、陛下とそっくりな症状をした者の記録が残されていました」
そんなものがあるはずがない。
もしあったとしても、それはアドラシアの手によって改ざんされたものだろうが、わざわざそこまで手の込んだことをしているとも思えない。神官数人を洗脳して嘘の証言をさせればそれで済んでしまう話だ。
「それで、その者はどうなったんだ!?」
父親の症状が回復するかもしれないとなれば気が急いてしまうのは当然で、前のめりになった王太子の質問をアドラシアは正面から受け止める。
「とある儀式を受けて正気に戻られたそうです」
「つまり、父上は治るということか!?」
「はい。その儀式を行うことができれば、ですが」
儀式、というなんとも不穏な単語にリュートは不審を募らせるが、対して王太子はやっと見えてきたかすかな希望の光を前に、冷静な判断力を失くしていく。
「それはどんな儀式なんだ?」
答えを急ぐ王太子の問いかけに、アドラシアの口元がわずかに歪んで見えたのはリュートの錯覚だろうか。
「聖なる乙女を神の元へ贈る儀式です」
やはり、なんとも嘘くさい回答に、表面上は無表情を貫きつつも、内心リュートの眉は不快そうに歪んだ。
「乙女を……、神に?」
「はい」
それは具体的にはどのような意味なのだと疑問を投げる王太子にアドラシアはゆっくりと頷き、口を開きかけた時。
「待ってください。それはつまり、生贄ということですか?」
すぐに儀式の内容を理解したファリスが二人の会話に割って入り、自分が出した答えを確認する。
「いいえ。勘違いされては困ります。神の妻となる選ばれし乙女です」
アドラシアは緩く首を横に振るが、ファリスのなにが勘違いだというのだろう。
「妻……」
けれど優秀なはずの王太子はなにかを考え込むかのような様子を見せ、それを見て取ったファリスが諭すように声をかける。
「殿下。陛下を心配なさるお気持ちはわかりますが、お気をたしかに。生贄の儀式はとうの昔に禁止されております」
歴史上、たしかに太古の昔はそのような儀式が存在していた記録は残されている。だが、もちろん、今の世の中はそんなことが許されるはずもない。
「アドラシア様も。ご自分がなにをおっしゃっているのか自覚されていますか」
「ですが、それしか陛下を正気に戻す方法はありません」
詰問にも近いファリスの厳しい声にアドラシアが動じることはなく、むしろ悲劇の主人公のようになにもできない自分を嘆いてみせる。
「わたくしも陛下には元の陛下に戻ってほしいと心から望んでおります」
心にもない言葉を口にするアドラシアのひたむきな姿に、諸悪の根源を知るリュートは、よくここまでの嘘をつけるものだと笑い飛ばしたくなってしまう。
「神殿とはわたくしが交渉いたしますので、秘密裏に儀式を行ってはいかがでしょうか」
「そんなことが許されるはずがないだろう!」
ファリスから驚愕の怒号が飛ぶが、アドラシアは本当になにを言っているのだろう。
そんな儀式が行えるはずがないことは大前提として、そもそもアドラシアには神殿とかけ合えるような権利も地位もない。
もっとも、そんなものはアドラシアの魔術を前にすればどうとでもなってしまうこともリュートはわかっているけれど。
「第一、その乙女をどう選べと」
元より生贄の儀式を執り行うつもりはないものの、今の時代に〝神の花嫁〟となる乙女が見つかるはずもないと告げるファリスへ、アドラシアはにこりと微笑んだ。
「それでしたら問題ございません。すでに相応しい乙女は見つけてございます」
「どういうことだ?」
眉を顰めるファリスの問いかけを聞きながら、リュートの胸には嫌な予感が広がっていく。
生贄の儀式と称して、アドラシアは本当はなにをしたいのか。真の目的はなんだというのだろう。
「殿下。どうかこの国の未来のためにもご英断を」
王太子へ決断を迫るアドラシアの双眸が妖しく光った。
「――!」
その瞬間、王太子の目はじわじわと見開いていき、限界を迎えたところでその瞳は焦点を失った。
「殿下!」
なにか感じるものがあったのか、間違った結論を選んではいけないと声を上げたファリスへ、アドラシアの理解を求める奇妙に優しい微笑みが向く。
「ファリス様も、どうか」
「――!」
直後、ファリスの瞳も王太子と同じように見開いてから光を失くし、自分の意志を持たぬ人形のような顔つきになった。
「殿下? ファリス?」
リュートの心臓はドクリ……ッ、と重い鼓動を打ち、まさか、という冷たい汗が背中を伝い落ちていった。
「リュート様」
アドラシアの甘い声が響き、妖しく光る瞳と目が合った。
「――っ」
身体の中心に痺れるような刺激が走り、思わず逆らいかけてしまう。
アドラシアがリュートへ向けてきたのは、洗脳の魔術だ。
実際に、抗うことは可能である。だが。
「……」
あえてその魔術を弾くことなく身体の内側に留め置いて、リュートはアドラシアの支配下に置かれたふりをすることにする。
「儀式を執り行うということでよろしいですか? 殿下」
すっかり自分の意志をなくした操り人形を前にして、アドラシアは形ばかりに王太子へと許可を乞う。
「……あぁ、もちろんだ」
「では、すぐにも取りかからせていただきますね」
呂律のおかしい王太子の返事ににこりと微笑んだアドラシアは、そのままその唇を狂気に歪ませる。
それをぼんやりと眺めながら、リュートは心の中で頼れる相棒へ声を上げる。
(シャロル! 聞こえるか!)
『あぁ、わかっておる』
呼びかければすぐに応えが返ってきて、リュートはわずかに安堵にする。
『予想外の展開だにゃ』
さすがにこの事態は想定外すぎてすぐに対処できないと悔しげな感情を滲ませるシャロルへ、リュートはなによりも気にかかっている思いをぶつける。
(ラヴィアンさんが……!)
アドラシアが口にした聖なる乙女が誰なのか、など、考えなくともすぐにわかった。
ラヴィアンがいつからアドラシアに目を付けられたのかはわからないものの、この危険性をいくつもある可能性の一つに入れておかなかったことが悔やまれてならなかった。
『そうじゃな』
(助けないと)
『……』
決意を滲ませるリュートに対し、シャロルからは無言が返ってきて、リュートは心の中で顔を顰めた。
(シャロル?)
『……今の状況では……』
(そんなことを言っている場合じゃない!)
苦し気な声を洩らすシャロルをリュートは一喝する。
今の状況が、想定していたどの未来よりも最悪なものだったとしても、このまま進む以外の決断を下すわけにはいかなかった。
ラヴィアンを巻き込んだのは、リュートだ。
(……最悪の場合は、この命に代えても)
『リュート』
シャロルの重苦しい呼びかけに目を閉じると、ぐっと奥歯を噛み締める。
(ラヴィアンさんだけは)
祖先から託された運命は果たさなければならない。
けれど、そのために一人の女性を犠牲にするわけにはいかないと、リュートは自身に誓いを立てるのだった。




