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ファースト・キスの魔法  作者: 姫 沙羅


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嵐の前③

 真面目な性格をしているラヴィアンは、時間に正確で今まで約束の時間を破ったことはない。

 とはいえ、予定通りに仕事が終わらないことも、予定外の仕事が入ってしまうことも稀にはあるだろう。

 だからといって。

「いくらなんでも遅すぎる……」

 仕事上がりに会うことはもはや日課になっていて、いつもの密会場所でラヴィアンを待っていたリュートは、沈みつつある太陽を意識しながら微かな焦燥に駆られていた。

「まさか、ラヴィアンさんの身になにかあったんじゃ……」

 単純に仕事が押しているだけならいいのだが、どうにも落ち着かない胸のざわめきに、リュートの口からは乾いた呟きが洩れた。

『そうじゃな。連絡もにゃしに約束を反故にするタイプではにゃかろうて』

 それを、リュートの傍で丸まっていたシャロルが前足で伸びをしながら肯定する。

 急な仕事変更であれば連絡ができないのは当然だが、それ以外の理由でラヴィアンが遅刻してくるようなことはないだろうというのは、シャロルも同じ見解のようだった。

「……城に戻る」

 ゆっくりと消えていく太陽を見つめてしばらく悩ましげな表情を浮かべていたリュートだが、一度考えをまとめてしまえば、すぐに行動に移して相棒へと声をかける。

「シャロル」

『呼べばすぐに駆け付けられる距離にはいる』

 さすがに見目は猫でしかないシャロルがリュートとともに城内に入るわけにはいかない。傍で隠れていると告げたシャロルにリュートは頷き、足早に城へ戻っていく。

 そうしてラヴィアンが財務室に向かったとの話を聞き、政務区を一通り確認したリュートは、ラヴィアンの痕跡がどこにもないことに少し焦りを募らせながら、なにか情報が得られないものかと王太子の執務室に立ち寄っていた。

「リュート? こんな時間にどうしたんだ?」

「殿下こそ、まだいらっしゃったのですか」

 帰宅したはずのリュートが顔を出したことに驚きの顔を向けた王太子へ、リュートは気遣わしげな目を向ける。

 まだ、と言いつつ、就業時刻からそこまで時間は回っていない。王太子が執務室に残って政務をしているという確信があったからこそ、少しだけ様子を窺おうと足を運んだのだ。

「あぁ……、見ての通り、この書類の山が減らなくてな」

「むしろ増えているように見えますが……?」

 手元の書類に向かって溜め息を零す王太子へ、リュートは突っ込んでいいものかと悩みつつ疑問符を向ける。

 王太子の公務に直接かかわっていないリュートには、王太子の具体的な仕事内容などはわからないものの、帰りの挨拶をした際に目にした書類量よりも厚さが少しだけ増しているような気がした。

 ここ最近、王太子の仕事量が日に日に増しているのは明らかだった。

 それは、王太子が父親の仕事を肩代わりしている――つまりは、国王の代行を務めていることを示していた。

「……陛下のご様子はどんな感じなのですか」

「……」

 聞いてもいいものかと慎重に顔色を窺えば、王太子はリュートからそっと視線を外して無言になる。

「殿下」

 王太子の側近とはいえ、リュートは国政に口を出せる立場にはない。けれど、強めの口調で答えを促したリュートへ、王太子は頭を抱えて重い溜め息を吐き出した。

「父上は本当にどうなさってしまったのか」

 対外的にはなにも問題なく動いているように見える国政だが、それが王太子をはじめとした周りの人間たちの努力から成り立っているものであることをリュートは知っている。

 魔王の支配力が強くなるにつれて自我を失っていく国王は、日を追うごとに操り人形と化していた。

「そこまでお悪いのですか」

 予感はしていたものの、やはりこの辺りが限界であることを察したリュートは、もう一刻の猶予もないと打倒魔王の覚悟を強くする。

「あぁ、そうだな……。献身的に仕えてくれているアドラシアには本当に頭が下がる思いだ」

「……」

 アドラシア、というのは、ある日突然国王の側近の誰かが連れてきた謎の客人――正体は魔王だ――のことだ。

 外見は迫力のある美人だが、リュートの目から見た時には、元々中性的な美しさを持つ男性が女性を装っているようにしか感じられなかった。

 よく考えればいろいろとおかしいことに気づきそうなものなのだが、本人にわからないように記憶操作を受けている王太子は、アドラシアこそが国王をおかしくしている諸悪の根源であることを疑いもしていなかった。

「リュート?」

 複雑な気持ちを抱いて押し黙ってしまったリュートへ、王太子は「どうかしたか?」と不審そうに眉を寄せる。

 本来であれば、優秀な王太子に共闘を求めるはずだった。それができない今、リュートはこっそりと唇を噛み締める。

「いえ……」

 本当に、一歩遅かった。魔王に先を越されてしまった。

 後悔したからと現状がなにか変わるわけでもなく、リュートは静かに首を横に振ってみせることしかできなくなる。

 国王をアドラシアの洗脳から解くためにはまずなにからはじめるべきだろうか。

 コンッ、コン……ッ。

 そこで響いたノック音に、王太子は扉の向こうにいる人物へと立ち入りの許可を出す。

「失礼いたします」

 丁寧に頭を下げながら顔を出した人物は。

「ファリス」

 なにやら数冊の分厚い資料を片手に現れた親友の姿にリュートの驚いた瞳が向けられたが、それはファリスにとっても同じことだった。

「リュート?」

「こんな時間まで仕事か?」

「それはこっちのセリフだ」

 帰ったはずではなかったのかと目を丸くするファリスにわかりきった質問を投げれば、それはそうだろうという疑問が返ってきて、リュートは内心苦笑する。

 現宰相の息子であり、いつか王太子が国王になった時には父親の跡を継ぐのであろうファリスと違い、リュートは王太子の日々の仕事をそこまで手伝ってはいない。つまり、帰宅を促されても自ら望んで王太子のサポートをしているファリスとは違い、リュートは王太子の傍に留まったからと大した戦力にはならないのだ。――もっとも、今のリュートはそれよりも優先すべきことがあるのだけれど。

 ファリスが驚くのも無理はなく、それを嫌味でもなくただ素直に受け止めたリュートは、ここに足を運んだ理由を口にする。

「ラヴィアンさんを見かけなかったか?」

 リュートがいるかもしれないからと、ラヴィアンが王太子の執務室へ顔を出すようなことはないだろうが、政務区を歩いていたのであれば、ファリスと擦れ違うようなことはあったかもしれない。

 一縷の望みを抱いて口にした質問へ、ファリスはますます目を丸くして瞳を瞬かせる。

「ラヴィアン?」

 ラヴィアンの所在を確認したいだけなのだが、その反応はなんなのだろう。

「リュート……、本当に正気か? 本気で彼女を追い駆けまわしているのか?」

 驚き半分、呆れ半分。信じ難いとばかりに確認され、リュートは苦笑いを零す。

「……まぁ」

「……マジか。リュートが」

 ふざけているようで真面目な問いかけをあっさり肯定したリュートへ、ファリスは衝撃を受けたように額へ手をやると空を仰いだ。

 今まで来るもの拒まず去る者追わずの精神で数人の女性たちと付き合ってきた自覚はあるのだが、いくらなんでもその反応はどうなのか。

「デートの約束をしていたんだけど、時間になっても来なくて」

「リュートを振るとはなかなかだな」

 実際には「デート」とは程遠い逢瀬なのだが、表向きの設定に基づいて答えを返したリュートへ、ファリスからはからかいの目が向けられる。

「悪い。今はファリスの冗談に付き合っている余裕はないんだ」

「おいおいおいおい、そこまでか?」

 ちょっと待てと焦った突っ込みを入れてくるファリスには、本当に使っている時間がない。

「ここに来る前に警備団のほうにも寄ったんだけど、誰も知らなくて、なにかあったのかと」

 団長の遣いで財務室に向かったところまではわかっているが、そのあとラヴィアンの姿を確認した者は、リュートが聞いて回った限りではいなかった。

 その後の報告が必要な仕事でもなかったため、ラヴィアンが戻って来ないことにはなんの疑問も抱くことなく、そのまま就業時間を迎えて帰宅したと思っていたのだと、団長はリュートへ心配そうな空気を醸し出していた。

「重症だな」

 なにも知らないファリスが、一見するとラヴィアンに盲目になっているリュートに呆れた目を向けてくるのは仕方ないことではある。

「連絡もなく約束を破る女性(ひと)じゃない」

 最初はまだ仕事をしているのかもしれないと思っていたが、ラヴィアンの足取りが消えているとなると、嫌な予感はどんどんと大きくなる。

「それはそうかもしれないが……」

「知らないならいいんだ。忙しいところを悪かった」

 この、妙な胸騒ぎは杞憂であってほしい。そう願いながら、リュートは早々と執務室を後にしようとする。

 こちらはこちらで忙しくしている王太子とファリスには申し訳ないが、今はラヴィアンの無事を確認することが最優先だ。

「殿下も。あまり根詰めません……」

 コン、コン。

 一言断りを入れ、リュートが扉に向かって踵を返しかけた時だった。

「誰だ?」

 突然響いたノック音に王太子が眉を寄せ、ファリスとリュートも顔を見合わせて疑問符を浮かべ合う。

「はい」

 少しばかり警戒しつつ、訪問者を迎えようと扉のほうへ足を向けたのはファリスだ。

 そして、その直後。

「わたくしです。アドラシアです。少々お時間をよろしいでしょうか」

「――!?」

 扉越しに届いた中性的な声に、リュートの目は見開いた。

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