嵐の前②
「もうっ。シャロルってば本当に寝かせてくれないんだからっ」
ほぼ徹夜明けの眠気をなんとか振り払いながら、ラヴィアンは数枚の書類が挟まれたファイルを片手に王宮の廊下を歩いていた。
あの後、ホテルに場所を変え、宣言通り外が明るくなるまで徹底的に聖なる魔術を体得させられたのだ。体力があるからなんとかなっているものの、寝不足に対する文句の一つや二つは言わせてほしい。
いつなにが起こるかわからない状況下では、体力温存は必要だ。ついでにいえば美容にもよろしくない。
「え、と……。財務室はたしか……」
滅多に来ることのない……、というよりも、記憶にある限り一度か二度しか来たことのないエリアに足を踏み入れたラヴィアンは、目的地を探してきょろきょろと辺りを見回した。
団長のお遣いを気安く引き受けてしまったが、場所をきちんと確認しておくべきだったかと後悔する。
「……まさか、迷っ、た……?」
決して方向音痴ではないはずだが、思った場所に辿り着かない自分の方向感覚を悲しみながら、ラヴィアンは廊下の先にあるであろう階段に向かって歩いて行く。
もしかしたら、もう一つ下の階だったかもしれない。
そもそも、ここが政務区であれば廊下に配置されているであろう警備兵たちの姿がないこともおかしかった。完全に場所を間違えているとしか思えない。
少し歩くと階段があるらしき気配を感じ、ラヴィアンの歩調は自然と早くなった。
ただ物を届けるだけの仕事に時間を費やしている場合ではない。無意識に焦りを感じ、周りが見えていなかっただけだろう。
「そんなところでなにをしている」
「え?」
突然聞こえた自分にかけられたと思われる声に、ラヴィアンはびくりと身体を震わせると足を止める。
「え、と……?」
いったいどこから現れたのかはわからないものの、そこには同じ女性のラヴィアンから見ても一瞬目を奪われてしまうほどの美しい女性が立っていた。
思わず「誰?」という疑問が口から出てしまいそうになるのを押し留め、ラヴィアンは丁寧に頭を下げて謝罪する。
「すみません。迷ってしまったみたいで。すぐに失礼しますね」
白銀の長い髪に蒼い瞳。瞳の色より濃い青色のドレスや耳から垂れ下がる真珠の耳飾り。胸元で輝く紫色の宝石。このエリアにいるということも含め、それらの装飾品から、女性が高貴な身分であることは間違いない。
故意ではないとはいえ、ここにいること自体が不敬になってしまったらと、ラヴィアンは早急にその場を去ろうと踵を返す。
だが。
「待て」
背後からかけられた厳しい声に、やはり見逃してはもらえないものかと、ラヴィアンはおそるおそる女性のほうへ振り返る。
どうか、お咎めはラヴィアンのみで、警備団にまで責任を問われるようなことにはならないでほしい。
「そなたは、聖なる血を汲む者か?」
「え?」
内心びくびくと身構えていると想像もしていなかった質問が返ってきて、ラヴィアンは言われていることの意味がわからずゆっくりと目を見開いた。
「まさか、この時代にまだ残っていたとはな」
く、と唇を歪めて発せられた声色は、先ほどまでの美声ではなく、どちらかというと男性的なものだった。
「なんて運のいい」
くつくつと喉を震わせて、外見は美人である人物が、ねっとりとした視線をラヴィアンへ向けてくる。
「あ、あの……?」
戸惑いがちに女性を窺えば、その赤い唇はおかしそうにニタリと引き上がった。
「一緒に来てもらおうか」
「――!」
笑顔で距離を詰められ、その手がラヴィアンへ伸びてくる。
「まさか……!?」
その瞬間、ラヴィアンの頭の中には一つの憶測が浮かんだ。
王族であれば傍にいるであろう侍女や護衛を連れることなく、王宮内を自由に歩いている絶世の美女。
「魔お……、ぅ」
直後、目の前に女性の手が翳されたかと思うとくらりと視界が回り、ラヴィアンはなんの抵抗もできぬままその場に崩れ落ちていた。




