嵐の前①
魔王を封印するための三種の魔道具は、今回リュートが過去に跳んで手に入れてきたたまご型の壺に、教会から盗み出した小さな手鏡。そして、王宮の宝物庫に保管されていた、一見すると首飾りに見える鎖の三つだった。
瀟洒な見た目とは正反対に、壺はそのまま、最終的に魔王を封じ込めるための器だ。
装飾の美しい手鏡は、魔王の力を反射させ、主に精神面を弱らせるためのもの。
最後に、たくさんの魔石が輝くチェーン型の首飾りは、魔力を注ぐとまさに鎖と化して魔王を捕らえ、物理的な動きを止める拘束具だった。
そのどれもが美術品としても価値が高そうな装飾を施されており、とても魔王を封印するために使われる道具には見えなかった。
手鏡で魔王の力を削ぎ、鎖で動きを奪い、壺へと永久に魔王の魂を封印する。
三つの秘宝を揃えてからというもの、これら三つの魔道具の力をスムーズに発動できるよう、リュートは少しの時間も惜しんで特訓を重ねていた。
そして、ラヴィアンはといえば、そんなリュートの元へ足繁く通い、特訓の合間を縫っては聖女の魔力の安定に努め、また、シャロルという師から聖なる力についての知識をスパルタ教育されていた。
おかげで、リュートとラヴィアンが恋人同士だという噂が信憑性を強めて広まっていってしまっていて、ラヴィアンの頭を悩ませていた。さらにいえば、リュートがラヴィアンとの関係を揶揄されても特に否定することもなく適当に受け流すものだから質が悪かった。
なにか嫌がらせをされても返り討ちにする自信しかないが、それでもリュートに想いを寄せる女性たちから逆恨みされることは避けたかった。
――『そろそろ動きを見せる頃だと思うのじゃがな』
小休憩ということで、大きな石の上に乗ったシャロルが神妙な面持ちでリュートをラヴィアンに視線を向けた。
ここ最近、リュートとの密会場所として使っているのは、王都の一角にある自然公園だった。雑木林の奥にある緑地帯はいわゆる〝穴場スポット〟で、滅多に人が来ることがない上に、今は人払いの魔術を展開させていることもあり、誰の目を気にすることなく魔術の練習に没頭することができていた。
――『いつどんなイレギュラーが起こるかわからにゃい。常に身を引き締めておけ』
「わかってる」
「えぇ」
師が弟子に語り聞かせるような声色で注意を促してくるシャロルに、リュートとラヴィアンは重々しい態度で頷いた。
先手必勝、というわけではないけれど、敵方になにか怪しい動きが見えた際に、すぐにこちらから隙を突けるような態勢を整えておくことが理想だと、ここ数日そんなことを話し合ってもいたのだ。
現状、まだそこまで準備が整っていないため、こちらから先に仕掛けるというのは難しい。そのため、もう少し大人しくしていてほしいと祈る日々を送っている。
だが、本当に、いつ〝その時〟が来るかわからないのだ。とにかく常に今できる最善を考えて、昨日より今日、数刻前より今、と自分自身を向上させていくしかなかった。
「そういえば、陛下は傀儡状態にあるとずっと聞いていたかと思うのですが」
緑の絨毯に腰を下ろしたラヴィアンは、水分補給をしながら現状を確認する。
つい諸悪の根源である魔王ばかりを気にしまうが、この国の最高権力者がすでに魔王の手に堕ちているなど、冷静になってみればかなり由々しき事態だ。
「はい、そうです」
「具体的にはどういった状態なんですか?」
シャロルに代わって答えたリュートへ、ラヴィアンは極々当たり前の疑問を口にする。
先日のダンスパーティーで挨拶をする姿を見た限りでは、裏事情を知るラヴィアンでさえ特に様子がおかしいとは思えなかった。ラヴィアンが想像する傀儡状態のある人間が取る言動とはずいぶんと違っている。
「単刀直入に言葉を選ばずに言うと、周りの者たちの目には、〝陛下は愛人を溺愛するあまりに腑抜けになった〟状態に見えるかと思います」
まだ極一部の側近たちの間のみに留め置かれている情報だという説明を受け、ラヴィアンは一瞬固まった。
「……あい、じん……?」
「はい」
ラヴィアンの驚きに気づいているのかいないのか、リュートはあっさり首を縦に振ってきて、ラヴィアンの口からは素っ頓狂な声が上がる。
「って、魔王って女性だったんですか!?」
平素から偏見や思い込みはよくないと思いながら、魔王なる者が男性だと疑っていなかったラヴィアンは、驚きの真実に衝撃を受けながらもすぐに現実を受け止めなければと自身へ言い聞かせる。
だが。
「いえ、たぶん元々は違うと思います」
人間であった頃はたしかに生物学上の性別は〝男〟で、肉体から離れた精神体となってからのその辺りの定義はどうなのだろうと苦笑するリュートに、ラヴィアンはどう応えていいのかわからず無言になる。
「陛下に近づきやすくするためにとか、油断させるためにとか、あとは周りから顰蹙を買いながらも、『陛下は愛人に骨抜きにされている』として必要以上に警戒されたり怪しまれたりしないように、女性の姿をとっているだけでしょう」
器となる人間の姿を魔術で自由自在に変化させることができるほど、魔王は強大な力を持っているのだと説明され、果たしてそんな相手と対等にやり合うことができるのかと不安になってしまう。
「殿下から聞いた話によると、城の奥に大切に囲われているらしいその女性は、数年前に側近の誰かから古い友人だと紹介されて引き合わせられたらしいです」
その女性を知る側近の話によると、とても美しく聡明な女性だというが、リュート自身は見たことがないらしい。とはいえ、魔王が絶世の美女に化けているという話は本当だろうと前置きし、リュートは国王にその女性を紹介した側近もすでに魔王の支配下に置かれているとみて間違いないと唇を噛み締める。
「そんなこと、全然知りませんでした」
王宮に勤めてはいても、ラヴィアンのような下っ端にまで情報が入ってこないのは当たり前かもしれないが、風の噂程度でさえ、ここ最近の国王の変化が話題に上ることはなかった。
「それは当然です。そんな醜聞、世間に広まったりしたら大変でしょう」
これについてはかなり厳しい箝口令が出ており、事情を知るのは本当に極一部の国王に近い者たちのみだという。
「一応は、それなりに公務はこなしていたようですし……」
当初、愛人にうつつを抜かしてはいても、国王の責務だけはきちんと果たしていたらしい。だが、ここ最近はその公務さえ疎かになってきており、さすがに周りの人間たちも頭を抱えているのだとリュートは説明する。
一見すると愛人に骨抜きにされて部屋に籠りきりになり、公務を投げ出している状況だが、実際には魔術で心神喪失状態にされ、魔王の操り人形にされている、というのが真実だ。
「そろそろいろいろな意味で限界は近いかと」
国王の側近たちも我慢の限界にきており、魔王は魔王でこそこそと大人しく裏で暗躍するのも飽きがくる頃だろうとリュートは推測する。
そしてそれは、そろそろ魔王が動き出すことを意味している。
「そうなんですね……」
仕方のないこととはいえ、今までなにも知ることなく安穏として過ごしてきたのかと、ラヴィアンは小さな吐息を零す。
国の一大事を民に知らせることなく、なにごともなかったかのような未来を作ること。それが国の頂点に立つ者たちに課せられた責務ということなのだろう。
――『そうじゃ。だから休んでいる暇などない。と、いうことで、今日は今までの復習と総仕上げじゃ』
「え……」
そこで猫の姿なりに姿勢を正したシャロルが声をかけてきて、ラヴィアンはその内容にぎくりと固まった。
シャロルは意外とスパルタだ。これ以上気合いを入れないでほしい。
だが。
――『今夜は簡単には眠れないと思え』
人間であればニヤリと悪そうな笑みを刻んでいるのではなかろうかという声色で宣言され、ラヴィアンは顔を引き攣らせたのだった。




