first kiss⑤
――『にゃるほどな。たしかにそれはありえにゃい話ではにゃいな』
「……」
まさか、魔王を世に解き放った犯人が自分だったとは、と自責の念に駆られて唇を噛み締めるリュートへ、シャロルは淡々とした様子で猫のように足で顔を掻いた。
――『とはいえ、そんにゃに気に病む必要はない』
「なにを……」
――『復活が多少早まっただけで結果は変わらにゃかっただろうからにゃ』
今度は両足を身体の前で揃え、シャロルはじっとリュートの顔を見つめる。
――『元々封印は弱まっていた。放っておいても時間の問題だっただろう』
どちらにせよ限界を迎えていたというシャロルの言葉が慰めなのか真実なのか、ラヴィアンにはわからない。ただ、なんとなくの直感で、シャロルが慰めのために嘘をつくような性格をしているとは思えなかった。
「だからって」
――『断言してやる。遅かれ早かれこうなっていた。たしかに決定的にゃ刺激を与えたのはお前かもしれにゃいが、お前のせいではにゃい』
「……」
厳しい声色で言い切られ、さすがのリュートも押し黙る。
とはいえ、その表情からするに、リュートが責任と罪の意識を感じていることはたしかだった。
――『その秘宝――封印の壺も元々の封印にはにゃんの影響力もにゃい。お主はにゃすべきことをしただけだ』
秘宝そのものと封印が解けたことにはなんの因果関係もないと告げるシャロルの話を聞きながら、ラヴィアンは別角度での思いを口にする。
「リュート様」
いつもは自信に満ちた光を見せる瞳が、少しばかり不安そうに揺らめいてラヴィアンのほうへ向く。
「わたしには難しいことはよくわかりませんが、それでも一つだけ断言できることがあります」
リュートを見つめ、ラヴィアンは仄かな微笑みを浮かべる。
「わたしは、〝今〟でよかったと思っています」
今より遅くも早くもなく。〝今〟だからこそ、最善の選択肢が取れるように思うのだ。
もし、リュートが動き出すのがもう少し早かったり遅かったりした時には、今ある未来は確実に違っていただろう。
「……たしかに、そうですね」
リュートはわずかに目を見張り、それから少しだけ思考の間を置いて納得の声を洩らす。
「これが少し早ければラヴィアンさんが追いかけてくることはなかったかもしれませんし、もっと先だったとしたら」
「?」
リュートの目がしっかりラヴィアンを捉え、不自然に止まった言葉にラヴィアンの顔には疑問符が浮かぶ。
リュートの言うとおり、ラヴィアンが警備団に入る前だったり、入団してはいても魔術士として前面に出ることを認められていない頃だったとしたら、怪盗のリュートと巡り会うことはなかった可能性が高い。
そして、もう少し先だったとしたら。
「ラヴィアンさんには恋人ができていたかもしれないですし」
「!?」
くす、と意味深な笑みを零して告げられたありえない未来の姿に、ラヴィアンの目は見開いた。
「それはないっ、です……!」
どんな未来の相違かと思えば、それだけは絶対にありえない。
それだけは、一年後でも二年後でも変わらない運命だ。
「そうですか?」
「そうですよっ。わたしなんかを見初めるような奇特な方なんていません!」
悪戯っぽく光る瞳に、ラヴィアンはきっぱりと主張する。
恋愛にも社交界にも興味はなく、男ばかりの世界に属していても――むしろ、男所帯だからかもしれないが――色恋の「い」さえ考えたことがない。
恋人を作ることなど考えたこともないラヴィアンはもちろんのこと、周りにいる男性たちもラヴィアンを異性として見ていないだろう。
「そんなことないですよ。ラヴィアンさんは充分に可愛らしい素敵な女性です」
「な……っ?」
にこりと笑顔を向けられて、さすがのラヴィアンも少しだけ羞恥を覚えて顔が赤くなる。
「でも、一番の魅力は中身ですけどね」
「~~!?」
恥ずかしげもなく繰り出される誉め言葉に、口がぱくぱくと泳いでしまう。
「それにしても、『それはない』って……。少しは期待してもいいんでしょうか」
「な、なにがです?」
リュートが意味深な笑みを刻み、ラヴィアンの胸には警戒心が湧き上がった。
「僕に出会わない限り、恋人ができることはない、と解釈しても?」
「は……」
そういう意味に捉えるのかと、一瞬呆気に取られて目が点になる。
いったいどれだけ前向きなのか。
「自信過剰な……っ」
「そうでもないですよ」
思わず声を上げたラヴィアンに、リュートは急に真面目な声色になると苦笑した。
「ラヴィアンさんに対してだけは、僕の自信もただの虚勢にしかなりません」
百戦錬磨だろうに、なにを言っているのだろうか。
「貴女みたいな人ははじめてです」
果たしてそれは、褒められているのか、けなされているのだろうか。
「ラヴィアンさんは僕のこと、そういう対象として見ていないでしょう」
曖昧な笑みで確認され、それはそうだと心の中で頷いた。
リュートがどうというよりも、これまでの人生で誰かを恋愛対象として見たことが一度もない。
「だから、とりあえず今のところは、僕を男として意識させることができたなら充分です」
「……ぇ」
強がっているかのようににこりと微笑まれ、さすがのラヴィアンも動揺する。
リュートを、男として。
たしかに今までは共犯者だという認識でいたため、性別など意識していなかった。
それでもちょっとした時に、リュートの中に異性を見たことはあったように思う。
――『追いかけてきて? 掴まえてよ』
唇に触れた、柔らかな感触を覚えている。
ふいに、ドキ、ドキ、ドキ、と心臓が鼓動を刻んだ。
「こんなところで責任放棄はしないでくださいね?」
「あ、当たり前です……!」
ラヴィアンの個人的な問題と、魔王――国の危機は切り離して考えなければならない。
ここまできて、あとはリュートとシャロルの二人で、と戦線離脱するつもりはなかった。
「そうしましたら、引き続きよろしくお願いしますね」
「はい」
通常運転に戻ったリュートににこりと笑われ、ラヴィアンも気持ちを切り替えて頷いた。
だが。
「ラヴィアンさん」
「――!?」
目元に影が射したかと思うと、ちゅ……っ、と唇に触れたぬくもりに、ラヴィアンの目は見開いた。
「な、ん……?」
「引き続きお付き合いくださるんですよね?」
「それはっ、もう……っ」
有無を言わさないリュートの笑顔を前にして、もう魔力の刺激は必要ないのではないかと非難の目を返す。
リュートを過去に跳ばすという最難易度の任務は成功したのだ。さすがにもういいだろう。
「シャロル」
けれど、ラヴィアンの訴えを無視したリュートは、信頼なる相棒へ「どう思う?」という窺いの目を向ける。
――『魔王と対峙するために魔術力を上げておくにこしたことはにゃいからな』
シャロルはただたんにリュートの味方をしているのか、それとも本音で言っているのかどちらだろう。
おそらくは、人間の恋愛模様になど関心がないどころか、下手をすれば理解もしていない聖獣にとって、リュートとラヴィアンの触れ合いは、魔術力向上の手段以外のなにものでもないのかもしれなかった。
「だそうです」
シャロルの援護射撃を受けて笑うリュートへ、ラヴィアンはぐ、と息を詰める。
「~~~~っ。わかりました! わかりましたっ。ちゃんと最後までお付き合いいたします……!」
元より、そのつもりではある。
そのつもりではあるのだが、リュートとのあれそれが続行することだけは想定していなかった。
このままずるずるとなし崩し的にそれっぽい行為を繰り返していたら……、と怖くなる。
「はい。末永くよろしくお願いいたします」
一見無邪気に見えるリュートの笑顔だが、背後に犬のそれではなく、黒い矢じりの尻尾が見えるような気がするのはラヴィアンの被害妄想だろうか。
思わず「そういう意味ではない」と突っ込みの声を上げそうになりながら、ラヴィアンは動揺で瞳を揺らめかせたのだった。




