first kiss①
無事に過去へ転移したリュートの目の前には、先日見た光景とほぼ変わらぬ姿の王家の墓があった。
ひっそりと隠された入口から中へ入り、何度も繰り返し思い出した道筋を、先日と同じ手順で進んでいく。
対処に手こずった玄室の扉の横に置かれた石像には、存在を感知されないよう細心の注意を払って宝物庫への侵入を果たした。
「……ふぅ」
なにごともなく宝物庫まで辿り着けたことに、リュートは壁に背中を預けて一息つく。
ここは、言うなれば折り返し地点。秘宝を見つけ、入手したら、あとは王家の墓から脱出するのみだ。
「秘宝は……」
壁から背を離し、ぐるりと室内を見回した。
煌びやかな貴重品が展示室のように飾られている宝物庫の風景も、先日見た十年後の姿と変わらない。
――と思ったのはほんの数秒間だけだった。
「なんだ……?」
部屋の最奥の壁の向こう。十年後の世界には絶対になかったはずの空間の存在を感じ、リュートの警戒心は強まった。
奥の空間へ繋がる扉などがあるわけでもないのにそれがわかったのは、壁に阻まれているにもかかわらず、奇妙な圧力が流れてきたからだった。
「秘宝もこの奥、か……?」
ひやりとした緊張の汗が背中を伝い落ちていくのを感じながら、リュートはなにか仕掛けがあるのかと、慎重に壁際を探っていく。
十年後にはあったはずの錠付きの箱も見当たらず、壁の奥に空間があるのなら、そこに隠されているとしか思えなかった。
ただ。
「……このプレッシャーはなんだ……?」
来るな。触れるな。引き返せ。そんなふうな高圧的な拒絶を感じ、リュートはこくりと喉を鳴らす。
心臓が嫌な鼓動を打ち、頭の奥に微かな警告音が響く。
己の直感を信じるならば、これ以上踏み込むべきではなかった。
だからといって、秘宝が隠されている可能性が高い奥の空間をたしかめずにはいられない。
「……これ、か?」
注意深く壁を探っていくと呪符を刻まれたような薄っすらとした文様を見つけ、リュートは魔力を込めた指先をそっと滑らせる。
「!」
すると、ほんの一瞬扉の存在を覗わせるような光の筋が浮かび、リュートの目は見開いた。
「やっぱり、秘宝はこの奥に……?」
開錠の魔術を使えば、おそらく扉は開くだろう。
だが、どうしても躊躇の気持ちが拭えないのは、たとえようのない嫌な気配がするからだ。
「……」
目を閉ざし、ゆっくりとした深呼吸を繰り返すと、リュートはプレッシャーを跳ね返すように身体の横で作った拳を握り締める。
口の中でぶつぶつと呪いを唱え、壁に向かって手を翳した。
ゴトン……ッ、と。壁の向こうでなにか物音がしたような気がするのは、おそらく錯覚などではない。
いったいなにが起こるのかと、緊張と警戒が高まる中、石板の扉が音もなく横に滑って奥の空間がぽっかりと姿を現した。
「蔓……? それとも木の根、か?」
その部屋は、蔓なのか木の根かわからない植物に半分以上を侵食されていて、隙間から蒼い光が洩れてくるだけの暗い空間だった。
「墓石……? いや、違うな。なんだこれは……?」
部屋の中央には棺を思わせる黒曜石にも似た黒々とした立方体の石があり、リュートは知らず息を呑む。
とにかくここまでとは雰囲気がかけ離れすぎていて不気味な光景だが、この部屋そのものを調査している場合ではないと、リュートは目的のものを探して目を凝らす。
「……見つけた」
影になっていてわからなかったが、黒い石の手前に先日見た宝箱のような錠付きの箱を見つけ、リュートの肩からはほんの少しだけ力が抜けた。
その場ですぐに錠を外さなかったのは、一刻も早くこの空間から離れた方がいいと感じたからだ。
リュートは箱を手に取ると、宝物庫まで足を急がせる。
不気味な空間から隣の部屋へ戻ると、無意識にほっとした吐息が零れ落ちた。
そうしてまさに先日錠の外れた箱を見た場所に箱を置くと、錠に向かって手を翳す。
カチリ、と音なき音が聞こえ、リュートは鍵を外すと上蓋部分を持ち上げた。
「あ、った……」
小さな箱の中。リュートの瞳には美しい装飾の施された卵型の小瓶が映り込み、安堵と感嘆の声が洩れた。
魔王を封印するために必要な三つの秘宝の最後の一つ。まさに魔王を閉じ込めるための魔具を前にして、やっとここまできたのだと歓喜が湧く。
ともすれば震えそうになる指先で小瓶を胸元へ仕舞い、部屋を出るべく扉の方へ顔を上げた。
だが、その時だった。
「――っ!?」
まだ開いたままだった奥の部屋から禍々しい気配を感じ、リュートは咄嗟に振り向いた。
だが、最後の秘宝を手にした安堵から気が緩んでいたせいで、一瞬反応が遅れた。
「しま……っ」
刃のように鋭い風が向かってきて、反射的に身を捻るも左腕が取り残され、肌を裂く痛みと共に鮮血が飛び散った。
「なんだ……!?」
油断していた自分に対して舌打ちしながら、辺りへ意識を巡らせる。
ズズ……、と小さな音が響き、閉まっていく扉に視線を走らせれば、一瞬、黒い石の蓋がずれているように見え、リュートの目は見開いた。
「いったいなにが……!?」
冷や汗が流れ、嫌な予感に襲われる。
いつの間にか奥の空間から感じた嫌な圧力も禍々しい気配も散り散りになって消えていき、どこかへ〝逃げて〟いくような感じがした。
「……ま、さか……」
その時頭の端に過ぎった最悪の想像に、リュートは身体の芯が凍っていくような感覚に襲われた。
魔王が復活したのは、この時より何年後のことだろう。
魔王を封印する小瓶の大きさを考えても、魔王に肉体という概念があるとは思えない。そもそも、肉体が存在するならば、時と共に腐って朽ち果ててしまうだろう。
弱体化した魔王の魂が力を取り戻すために、何年の時間が必要となるのだろうか。
――もしかしたら自分は、魔王を封印の眠りから解き放ってしまったのではないだろうか。
永い時を経て弱まっていた封印に刺激を与え、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。
「そんな、ことが……」
ぴたりと閉まった石板の扉はもはや繋ぎ目も見えず、奥に在るはずの空洞も感じられなかった。
今、リュートの目に映る光景は、まさに十年後の世界でリュートが見た姿そのものだった。
「……帰らない、と」
絶望にも似た愕然とした感情に襲われるが、ここで立ち止まっている場合ではない。
自身に向かってしっかりしろと言い聞かせ、リュートは唇を噛み締めると扉に向かって歩いて行く。
「ラヴィアンさんが危惧していたのはこれですか……」
その時、麻痺していた腕の痛みを思い出し、リュートは流れ落ちる鮮血に目を落とすと自嘲気味の笑みを零す。
気をつけてくださいと向けられた、ラヴィアンの真剣な瞳を思い出す。
「まさに過去は変えられない、でしょうか」
それとも、ラヴィアンから怪我のことを聞かされていたからこそ、反射的に身体が動いたとも考えられるかもしれない。
ただ、どちらにしても。
「せっかく警告してくれたのに、ご心配をおかけしてすみません」
ラヴィアンの不安そうに揺れる瞳が脳裏に浮かび、リュートはくすりと自嘲する。
――『待ってます……!』
戻らなければ。
自分のことを待っていてくれる人がいる。
戻って、果たさなければならない使命がある。
取らなければならない責任がある。
「幼いラヴィアンさんにお会いするの、楽しみです」




