怪盗の正体①
世間一般の貴族令嬢としては短い、肩より少し伸びた赤い髪。大きな紫色の瞳は、身の内にある心の強さを表すように紫結晶の美しさと輝きを放っている。魔術学校を女性としては初となる首席で卒業したローズ子爵家の長女・ラヴィアンは、九割以上が男性の警備団の中で、筆頭魔術士として順調に階級を上げていた。
「……逃したか」
団長室の奥の椅子に腰かけた、頬の十文字傷が特徴的な男性が、組んだ手の上に顎を乗せて苦々しく呟いた。
「わたしの力が及ばず、大変申し訳ありません」
テーブルを挟んで直立していたラヴィアンは、深々と頭を下げて謝罪する。
袋小路まで追い詰めた瞬間、わずかに気が緩んでしまったことは言い訳しようもない事実で、ラヴィアンは身体の横で作った拳を強く握り締める。
たとえ隙を作ることがなかったとしても、結局は逃げられてしまっていただろう実力差などは関係ない。とにかく、ほんの一瞬でも油断をしてしまった自分が許せなかった。
「いや、お前のせいではない」
一人で責任を感じているラヴィアンの顔を見つめ、団長は首を緩く横に振ると吐息をつく。
「むしろお前以外全員振り切られているのだからな。まったく、情けない」
城の中で実際に侵入者と対峙した団員は何人くらいいただろうか。ある者は逃走経路に立ち塞がり、ある者は追い駆けたが、最終的に彼に追いつくことができたのはラヴィアンだけだった。
団長は部下たちの不甲斐なさを嘆いているが、一概に訓練不足だと責めることもできなかった。
なぜなら。
「それは仕方のないことかと。相手はかなりの遣い手です」
他の団員たちとラヴィアンにある、明確な違い。
「やはりそうなのか」
団長は深々とした溜め息を吐き出して、厳しい表情を浮かばせる。
「ラヴィアンがそこまで言うってのは……、本物だな」
そこで話に入ってきたのは、団長の斜め後ろに立っていた、ラヴィアンよりも三歳年上の副団長だ。
「となると、根本的に警備体制を見直さなければならないな」
「術士が相手じゃなぁ……。魔術師団から人を借りないと」
気難しげに眉間に皺を寄せる団長の一方で、副団長は少しだけ呑気な声色で苦笑を零す。
この国の防衛組織は、近衛師団・魔術師団・騎士団・警備団から構成され、その上にある司令部が四つの団を統率している。
魔術士のほとんどは魔術師団に所属しているため、警備団の中にはラヴィアンを含め、魔術士は三人しか所属していない。
今回城に侵入した不審者が魔術の遣い手であることはあきらかだった。
魔術には、魔術で対抗しなければならない。つまりは、魔術師団へ援軍を頼まなければならないということだった。
「だが、神出鬼没相手にずっと人手を割いてもらうわけにもいかないからな」
そう……、彼がいつどこに現れるかなど、誰にもわからないのだ。
そのためだけに常に魔術士を数人配備しておくことは、現実問題、とても難しいと思われた。魔術が衰退してしまった今、術士はとても稀有で貴重な存在だ。
「じゃあどうしろって」
副団長の突っ込みに、その場には沈黙が落ちた。
しばしの間無言が流れ、ラヴィアンはきゅっと唇を引き締める。
「……頑張ります」
頼る相手がいないのなら、一人で立ち向かうしかない。
「いやいやいやいや!? さすがに一人じゃ無理だろ!」
無謀な覚悟を決めたラヴィアンに、すぐさま焦った声を上げたのは副団長だ。
今のところ、彼が姿を現すのは夜の時間帯ではあるものの、今後もそうとは限らない。いつどこに現れるかわからない事態に備え、不眠不休で待機するなどという勤務体制が取れるはずもないだろう。
「国の面子もあるからな。さすがにそこは出し渋ったりはしないだろう」
「まぁ、それはそうッスね」
苦渋の表情で悔しげに洩らした団長に、副団長のあっけらかんとした笑顔が返される。
この三ヵ月ほど、ラヴィアンが所属する警備団が追いかけているのは、神出鬼没の謎の怪盗。
彼の目的は不明――、と言いたいところだが、彼がはじめて姿を現した時には「謎の侵入者」と呼ばれていたはずが、いつの間にか「謎の怪盗」という呼称になったことで、〝なにか〟を盗むことを目的に動いていることが窺えた。
では、次に、彼はなにを手に入れようとしているのか――、という部分だが、これは極秘事項ということで、あきらかにされていない。
正直に言えば、この状況で彼から〝なにか〟を守り、彼を捕まえようなど、無謀だとしか言いようがない。目的がわかれば警備兵をそこに配置し、捕獲作戦を立てることも可能だが、いつどこに彼が出現し、どう動くのかまったく予測がつかないのだから。
ラヴィアンたちが唯一知っている情報は、彼の手によってすでに城から〝一つ目のなにか〟が持ち出されてしまったらしい、ということくらいだ。それが盗まれてしまったことで、彼が「怪盗」と呼ばれるにいたったのではないかとラヴィアンは推測している。
彼がなにを盗んだのかはわからない。ただ、上層部の慌てようから察するに、国宝級の価値があるものだろうとは思われるため、これ以上の被害を出さないためにも、いよいよ軍を総動員するくらいの決断を迫られる事態になるのではないだろうか。
人の口には戸が立てられない。いつの間にか怪盗の存在は、国中の噂話となっている。
やられっぱなしでは、国内外ともに面子が悪くなる。上層部がなにを考えているのかラヴィアンごときにわかるはずもないが、あまり悠長にしている時間はないように思われた。
――コン、コン……ッ。
そこで響いたノック音に、ラヴィアンは後方の扉のほうへ振り返り、団長と副団長もそちらへ顔を向ける。
「噂をすれば、か?」
「え?」
団長の呟きにラヴィアンがきょとん、とした視線を送る中、副団長がさくさくと扉に向かって歩いて行く。
「どうぞ」
団長が入室の許可を下ろせば、すぐに扉は開かれ、副団長が廊下に立つ人物たちを室内へと招き入れる。
「邪魔するぞ」
威風堂々とした青年を中心に、それぞれ左右で仕えるように一歩後方へ引いた青年たちを含め、現れた人物は全部で三人。
「殿下……!」
恭しく頭を下げる団長たちに倣って礼を執りながら、ラヴィアンの目は丸くなる。
仮にも警備団の一員として、この国の王太子の顔がわからないはずがない。蒼銀の髪に碧い瞳をした青年は王太子に間違いなく、なぜこんなところに王太子が顔を出すのだろうと緊張感が湧き上がる。
「殿下自ら足を運んでくださるなど……。呼んでいただければ参りましたのに」
「いや、ちょうどこっちに用事があったからな。ついでだ」
「わざわざご足労いただきありがとうございます」
席を立った団長が申し訳なさそうに出迎えれば、王太子は堂々とした笑みを見せ、団長は再度頭を下げながら王太子を応接セットのほうへ促した。
「ファリス様とリュート様も」
こうして直接顔を合わせるのははじめてだが、その名前となんとなくの人物像は、洩れ聞こえてくる世間話から知っている。
穏やかな微笑みを浮かべている金髪碧眼の青年は、宰相の息子であるファリス・デュマ。優男の見た目に反し、かなりの切れ者だと言われている。
そしてもう一人。腰に剣を携え、茶髪に漆黒の瞳をした青年はブライス伯爵家の次男・リュート。英雄と呼ばれた祖父を持ち、自らも魔剣を操る剣士だ。
ファリスとリュートは、どちらも王太子のもっとも傍に仕える側近で、全員同じ年頃だった。




