夜が明けて③
食事に、と誘われたからには、軍の詰所に隣接された食堂にでも向かっているのだろうか。
たしかにお腹は空いている。だが、今優先すべき問題はそこではない。
「なにを考えているんですか!」
一応周りに配慮して、ラヴィアンは小声でリュートの顔を見上げる。
時折擦れ違う人々の目がぎょっと自分たちを凝視してくる視線が痛くてたまらない。
王太子の側近でもあり、容姿端麗のリュートは超有名人だ。
肩を抱く手を離してほしいと目で訴えるも気づいていないふりで無視をされ、焦りが募る。
人の口に戸は立てられない。変な噂が広まったらどうしてくれるのか。
「ダメですか?」
きょとん、と純粋に疑問の目を向けられて困惑する。
「これで堂々と貴女の元に通えますし」
つまりそれは、これから恋人同士のふりをしていこうということだろうか。
「それは……っ、そうかもしれませんけど……っ」
たしかに、なにか用事があるたびにこそこそと隠れて会うのは非効率だ。万が一誰かに見られてしまった時のことを考えても、恋人同士の密会だと思われるならばまだしも、悪い方向での密談だと疑われても厄介だ。
いろいろなリスクを考慮した結果、恋人を偽装するのが最善ではあると思うけれど。
「……誤解されて困る方とか……」
仕事優先で生きてきたラヴィアンは社交パーティーなどに顔を出したことはあまりなく、貴族令嬢たちとの交流も薄い。そのため、恋愛方面には疎いのだが、リュートが多くの年頃の女性たちの関心を集めているであろうことくらいは容易に想像がつく。
過去には恋人の一人や二人はいたことがあるに違いないし、現在も特定の女性がいるかもしれない。
けれど。
「幸いにもいませんので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
にこりと笑われ、なんとなくその言葉は嘘ではないのだろうと思いつつ困惑する。
「気遣いとかの問題では……」
だとしても、今後のことを考えると面倒なことになったりはしないだろうか。
ラヴィアンに結婚願望はないのだが、リュートには〝家〟を存続させる使命があるだろう。リュートの将来に影を差すようなことはしたくない。
「ですので、僕に口説かれていてもらえますか?」
「くど……っ?」
ラヴィアンの心配をわかっているのかいないのか、にこにこととんでもない提案をしてくるリュートに、ラヴィアンの瞳は白黒と見開いた。
リュートに口説かれろ、とはいったいどういうことか。
「恋人同士のふりでは、貴女の方が困るでしょう?」
「? どうしてですか?」
状況的に恋人の偽装を提案されるのかと思っていたところで角度の違う話をされ、ラヴィアンはリュートから身体を離すことを忘れて不思議そうに首を傾ける。
「きちんとしたお相手ができた時に、僕とそういう関係だったと思われていたら大変でしょう」
「あー……」
リュートはリュートでラヴィアンと同じ心配をしてくれていたらしい。
世間はそこまで男女の恋愛に厳しくないが、それでも身分が高くなればなるほど相手へ品行方正を求める傾向が強くなることは否めない。
つまりリュートは、リュートがラヴィアンを口説くために一方的に近づいていただけという体にして、ラヴィアンの品位を守ってくれようとしているのだ。
「そんな相手、できるとは思えませんけどね」
とはいえ、今までの人生で一度も男性に惹かれたことのないラヴィアンとしては、結婚どころか恋人ができる日が来るとも思えず、自嘲気味の苦笑を零す。
そういう意味では、リュートとの仲を誤解されたところで個人的にはどうでもいいことではある。
「というか!」
それよりも、そんなことを心配してくれる配慮があるならと詰問したいことがあり、ラヴィアンは据わりかけた目をリュートへ向ける。
「はい」
相変わらず大型犬のように素直な返事をしてくるリュートが恨めしい。
「……なんでしたんですか」
「え?」
きょとん、と純朴な瞳が返ってくるが、質問の意味がわからないのは当然だ。
当然だが、どうしても聞いておきたいことがある。
「キ……」
「キ?」
ここは、城内の外廊下だ。一応近くに人はいないが、誰かに聞かれては困ると消え入るような声になり、ラヴィアンの顔は赤くなる。
ラヴィアンは一度ぎゅ、と唇を噛みしめて、それから羞恥で潤んだ瞳でリュートを睨み上げる。
「したじゃないですか! あの時!」
どうしても具体的な行為を口にすることは恥ずかしく、そこを伏せて小さな声を上げたラヴィアンに、リュートは「あ」となにか思い当たったように瞳を瞬かせる。
「キスですか?」
「~~~~!?」
どうしてこうもこともなげにあっさり確認してくることができるのか。
顔色一つ変えないリュートの反応からは経験値の高さが窺えて、段々と腹立たしくなってくる。
こちらは男性経験の一つもないというのに、ただのスキンシップの一つのように流さないでいただきたい。
「ちょっと。したくなってしまって」
ちょっと。したくなった。だけ。
悪びれもなく理由にもならない理由を告げられ、ラヴィアンは一瞬絶句する。
そしてすぐに我に返ると信じられないと批難の目を向ける。
「リュート様は、好きでもない相手に平気でそういうことができる人なんですか!」
ラヴィアンの詰問に、少しだけ考えるように斜め上方面に視線を向けたリュートは、数秒の沈黙のあと、口を開く。
「……言われてみればそうですね?」
「~~っ。遊び人……!」
つまりは、リュートにとって、キスの一つや二つは本当になんの意味もないことらしい。
真面目そうな印象を受けるというのに、そちら方面の感覚だけは欠陥しているのかと思えば、そのアンバランスさにこちらまでおかしくなってしまいそうだ。
「いえ、そうではなくて」
だが、ラヴィアンの悪口をさらりと否定したリュートは、にこりと恥ずかしげもなく笑った。
「可愛いなぁ、と思ったので」
「!?」
開いた口が塞がらない、とは、まさにこういう時に使う言葉だろう。
リュートはラヴィアンより年下だ。ラヴィアンが「弟のようだ」と思うならばまだしも、逆はないだろう。
「な……?」
ぱくぱくと言葉をなくしたラヴィアンに、リュートは少しばかり悩んだ様子で、じ、とした目を向けてくる。
「もしかしたら、貴女のことを好ましく思っているのかもしれません」
「~~~~~~!?」
それは、いったい、どういう意味か。
絶対に恋愛的な意味で言っているわけではないことはわかるが、そういう誤解を招くような言い方はやめてほしい。
本当に、なにを考えているのだろう。
「とりあえずはこれからも、共犯者としてよろしくお願いしますね」
にこりと邪気のない笑顔で見下ろされ、返す言葉が見つからない。
肩はリュートに抱かれたまま、もはやその手を解くことすら忘れてただ茫然と無意識に足だけが歩みを進めていく。
そんな中。
――にゃあ~!
どこからともなく猫の鳴き声が聞こえたかと思うと低木の茂みから小さな影が現れて、リュートはそちらに目を落とす。
そこにいたのはもちろん。
「あぁ、ごめんごめん。シャロルのことはもちろん忘れていないよ」
相棒に笑いかけるリュートは、ラヴィアンの目から見ると可愛い年下のオトコノコでしかないというのに。
――にゃぁぁ~~!
もしかしなくとも、自分はとんでもない人物の協力者になってしまったのかと、ラヴィアンは遠い目になってリュートを見つめたのだった。




