第8話『究極の朝のおかず。だし巻き卵 塩味、はじめました』
深夜――。
辺りを包む静寂を破るように、コツ、コツ、と一定のリズムで足音が響いた。
それは煮介が一人、屋台裏の物資を整理していた時だった。
「……?」
微かな違和感を覚えて、手を止める。
風でもない。
獣の気配……か?
だが、襲いかかってくるような殺気はない。
むしろ、慎重に、距離を測りながら近づいてくる……そんな“様子見”のような歩みだった。
月明かりの下、音の主が姿を現した。
――でかい。
姿は、巨大な鳥。体高は煮介の腰ほどもあり、体躯は膨れた羽毛に覆われている。
灰色を基調とした羽、どっしりとした脚、鋭い黄色い眼。
なにより特徴的なのは、その大きく平たいクチバシだった。
「……ハシビロコウ、か? に、似てるが……にしてもでかいな」
野生の威厳と滑稽さを併せ持ったような姿の鳥が、まっすぐに屋台へと歩いてきた。
そして──
くちばしの奥から、ぽとり、と“それ”を落とした。
「お、おい……それって……」
地面に転がったそれは、明らかに“卵”だった。
しかも──
「でけえ!!!」
煮介の両手ですら包み込めない、拳三つ分以上のサイズ。
まるで鶏卵を十個分重ねたような巨大な卵だ。
鳥は、じっと煮介を見ている。
怒ってる様子もなければ、威嚇もない。
かといって、媚びるわけでもなく、ただ静かに、試すような目でこちらを見てくる。
「……これは」
煮介は息を吐き、武器として手に持っていた木の棒をそっと下ろした。
「どうやら“オマエ”、この卵を……見せたかったらしいな?」
鳥は一歩、近づき、コクンと首を縦に振った。
──まさか、意思疎通……できてんのか?
煮介は数秒の沈黙のあと、真顔で呟いた。
「……産卵用家畜、決定だな」
翌朝。
「ひゃあっ!? な、なにこの鳥ぃーーっ!!?」
屋台の裏で巨大鳥に出くわしたフィリーネの悲鳴が空に響いた。
彼女の背後からは、さらにブリンも顔を出して──
「ふわぁ〜……きゃわいいですぅ〜……!」
「お前、怖くねえのか」
鳥はというと、のそのそと落ち着いた様子で屋台横のスペースに居座っていた。
羽をふくらませ、目を半開きにして、完全に“ここが自分の居場所ですが何か?”という顔で。
「こいつ、昨日オレの前に現れてさ。卵、持ってきたんだよ。
で、追い払わないでいたら、今朝には屋台の守り神みたいに居座ってた」
「それ、飼う気なの……?」
「しばらくな。あの卵……サイズも風味も、鶏とは別物だが、“似たにおい”がした。……面白い食材になるかもしれん」
フィリーネは渋々といった表情を浮かべつつも、鳥の眼光には妙な知性を感じたらしく、強く反対することはなかった。
ブリンはというと、もう既に鳥に名付けようとしている。
「ねぇねぇ、名前つけていいですか? ふわもこ……とか!」
「却下。もっと威厳のある名前にしとけ」
「じゃあ……“ダンチョー”!」
「強そうだな……それ採用」
午前、屋台の準備中。
煮介は屋台の鍋を見つめながら、ふと呟く。
「……だし巻き、作るとしたら……やっぱフライパンがなきゃな。いや、正確には……“四角い”やつが必要なんだが」
この世界の調理器具は、基本的に丸形の鍋や鉄板が主流。
焼く、煮る、炙る──の範疇に収まる調理しか行われてこなかった文化だ。
当然、四角い“卵焼き器”なんてものは存在しない。
しかし煮介は言った。
「無いなら──作ればいい」
その瞬間、煮介の脳内に熱が走った。
《スキル【創造ノ匠:第一段階】発現──!》
《素材知識:木材・鉄・魔導合金 条件一致──創造開始》
《創造進行中──“卵焼き専用調理器”──》
《造形演出モード:ON》
次の瞬間、煮介の手元に光が集まる。
まるで魔法少女の変身シーンのように、火花と魔術陣が踊り、鍛造工程をショートカットするような一連の煌きの中──
完成したのは、漆黒に艶めく、鉄製の四角いフライパンだった。
「……出来たな」
「な、なにそれ……!? 煮介、今の、今の演出なに!?」
「ふふふ……これが“料理人の変身シーン”ってやつだよ」
「い、意味わかんないわよ!もう、なんでもありねアンタ……」
「にすけ、カッコいいのです……」
そしてその手には、異世界初の“卵焼き専用”調理器。
そして次なる料理の幕が、静かに上がった。
〜だし巻き卵、朝に香る奇跡〜
屋台の奥、鉄鍋の焚火台にやや小ぶりの火が灯る。
煮介は右手に、あの創造スキルで具現したばかりの“黒鉄の四角フライパン”を握っていた。
表面は微かに魔力光が走っており、触るたびにじんわりと温かい。
内部には特殊な滑り加工が施され、均一に熱が広がる構造。
手にした瞬間に“焼ける予感”が走る。
「……よし。いっちょ、やってみるとするか」
まずは、昨日生け捕った、と言うか勝手に居着いたハシビロコウもどき、命名ダンチョーが咥えてきた卵を一つ、大きめのボウル型の器に割る。
どぷぷぷるんっ、と張りのある淡黄の黄身が現れ、白身は濃く、粘性が強い。
完全なる新種――だが、香りは確かに鶏卵に近く、ほんの少しだけ甘いような芳香を持つ。
「うん……この卵、火入れ次第でえらい化けるぞ」
ボウルに一番出汁も加える。
ここで煮介は“出汁”と“塩”の比率に神経を尖らせる。
今回は砂糖も醤油も使わない。
あえて、塩だけだ。
「……素材に自信がある時は、余計な足し算はいらねぇ」
出汁の分量は、卵の体積の約1.2倍。
出汁が勝ちすぎると水っぽく、少なすぎればコクが死ぬ。
そのギリギリを、煮介の職人の感覚が捉えていた。
そして、出汁と卵が完全に乳化するように、箸を立てずに横に回すように、ゆっくりと撹拌していく。
シュッ、シュッ、と繊細な音が耳に心地よい。
「空気は、入れすぎてもダメ。滑らかさを損なう」
その手元を、フィリーネとブリンがじっと見つめていた。
「……すごく、静かな動きね。けど、なんて言うか……綺麗」
「わぁ……卵さんが、とろとろの黄金色になってきましたのです……」
煮介は、油をなじませた四角いフライパンを中火にかける。
煙が立つ手前、うっすらと艶が浮かぶその瞬間――一杯目の卵液を注ぎ込んだ。
ジュワァァァ……ッ!!
出汁の香りとともに、熱で一気に立ち上る湯気。
それは、ただの湯気ではない。
魚介の旨味、昆布の余韻、そして卵の甘い芳香が混ざり、“朝の幸福”を鼻腔に叩きつけるような香り。
「っ……いい香りだぜ……!」
フィリーネが思わず唾を飲み込んだ。
「ゴクっ。ふわっと、して……なにこれ、落ち着く匂い……ちょっと、お腹空いてきたかも」
「なら、ちゃんと見ておけ。
今日はお前たちに“日本の朝の味”ってやつを教えてやる」
煮介は、焼き始めてからの5秒を境に、箸を入れる。
ふちが固まりかけた瞬間を見逃さず、そっと、手前から奥へ、折り畳むように巻き始める。
「焦げ目はいらねぇ……見た目も食感も、やわらかく」
一巻き、二巻き──そのたびに、卵はプルプルと震えながら美しい層を刻んでいく。
そして二杯目の卵液を注ぎ、また巻く。……これを三回、繰り返す。
「……っしゃ」
最後のひと巻きを終えた時、だし巻き卵は、ぷるっぷるの長方形に整っていた。
表面には焦げ目ひとつなく、ほんのりとした黄金色。
つまんだら弾むが、噛めばすぐほどけそうな柔らかさ。
火を止めて、少しだけ予熱を抜いた後、煮介はそれをまな板に移し、包丁で一口大に切る。
断面から、じわ……っと出汁のしずくがにじんだ。
「っっ……反則やん」
いや、関西弁は使わない。だが心の中では、そう叫びたくなるほどだった。
皿に盛り付け、軽く香草を添えて──完成。
《経験値を取得しました》
《料理スキル熟練度 +12》
《出汁系調理:Lv.1 → Lv.2に上昇》
《新称号を取得:だし巻きの目覚め》
「究極の朝のおかず、だし巻き卵 塩味。……召し上がれ」
「じゃ、ブリンからな」
「い、いいんですか……? いただきますっ!」
ブリンは少し緊張した手つきで箸を持ち、恐る恐る一切れを口に運んだ。
「──んん……っ!?!?!?!?!?!?!?!?」
ぴょんっ!
小さな身体がその場で跳ねた。
「な、なんですかこれ……っ! お出汁がっ……やさしくて……あたたかくて……!」
頬に涙を浮かべながら、夢中でもう一口を頬張る。
「こ、これ……はじめてのすごい味がするのですぅうう……っ」
「ふ、ふん……アタシは泣いたりしないからねっ。
ちょっと食べるだけなんだからっ!」
フィリーネも一切れを口に──
「(口の中でふわっ、とろ)……っ……うぅ、な、なによこれぇ……。ちょっと……反則的にあったかい……」
「泣いてるじゃねえか」
「な、泣いてないっつの! ただ……ただちょっと、卵がやさしすぎただけで!」
煮介はふたりの反応を見ながら、小さく笑った。
「……いいか? これが“和食”ってやつだ。
味付けだけじゃねえ。
人の心までほぐす、そういう料理なんだ」
煮介はそっと微笑んだ。
「……今日の朝飯は、成功だな」
その時、彼の脳内に、いつもの声が響いた。
《スキル使用により経験値を獲得》
《経験値+28》
《熟練度上昇──“出汁操作”スキル レベル2に進化》
《新スキル:《火加減見切りノ極意・壱》を獲得》
煮介はそっと目を閉じ、深く息を吸った。
今日という一日の始まりに、心から、こう思った。
「……やっぱ、うまい飯で始まる朝ってのは……最強だな」
──次回、《第9話・持ち込み素材で和食変換サービス屋台、始動!?》
「金がないなら素材を持ってこい、そしたら旨い飯を喰わせてやる。これは約束だ。」
続く!