第6話「黒きもやと、源泉の守り手」
朝――。
まだ夜の名残を引きずる霧の中、煮介たちは村の外れにある“谷道”へと足を踏み入れていた。
「あの先に、もやが……」
子供たちの案内を頼りに進んでいくと、ほどなくして、異様な空気があたりを包む。
木々の葉はぴくりとも動かず、空気が重い。
その中央に、確かにあった。
「……黒い、もや……いや、“瘴気”だわ」
フィリーネが険しい表情で魔法の杖を構える。
「魔族の仕業……?それとも、魔物の巣なのかしら?」
「わかんないけど……いやな匂い、する……」
ブリンが鼻をひくつかせながら、煮介の背中にぴたりとくっついた。
「安心しろ。……オレたちが来たのは、“料理する”ためだ。戦うためだけじゃねぇ」
煮介は背負っていた荷物を下ろし、魔導コンロを取り出す。
「え……まさか、ここで?」
「そう。ここで、“香り”をぶつける」
ポン、と火が点いた。
煮介が取り出したのは――数枚の干し椎茸と、昨日仕込んでおいた一番出汁の素。
そして、幻草 ハルカミズナ。
風のない場所なのに、出汁が沸き立つと同時に、かすかに空気が揺れた。
「……動いた……」
瘴気が、まるで生き物のようにびくりと揺れた。
「これが、“匂い”の力だ。食の力だ」
次の瞬間――
瘴気の中から、異形の“影”が姿を現した。
それは人の形を模してはいるが、顔も目もない。
黒いもやでできた“空っぽの魔物”だった。
「来るよ!」
フィリーネが杖を構え、
ブリンも腰に下げた刃を構える。
「料理は武器。出汁は魂だ」
煮介は魔導鍋のふたを取り、爆発的な香りを解き放った。
「行くぞ、“出汁の香り弾”!」
【新スキル:《香魂術・出汁香弾》発動】
【効果:一定範囲内の魔性存在に、料理の香りで浄化と混乱を与える】
霧が割れる。
瘴気が、一瞬ひるんだ。
「いまだ、フィリーネ!」
「っし!」
魔力のこもった氷の矢が一直線に放たれる。
次いで、ブリンの跳躍斬りがその“影”の核を抉った。
「もう一撃!」
煮介は追撃の“焼き岩魚の香草ソースがけ”を皿ごとぶん投げた(もちろん魔導式耐熱皿)。
激突と共に、闇の核が音もなく消え去る。
影が、溶けていく。
霧が晴れる。
澄んだ風が、谷を抜けた。
……静寂。
しばしのあと、フィリーネが振り返ってつぶやいた。
「……まさか、料理で勝てるなんてね」
煮介はふっと笑った。
「戦いの手段は剣だけじゃない。……オレにとっては、味と香りが剣さ」
【経験値+600】
【スキル熟練度上昇:《香魂術・出汁香弾》Lv2に進化】
【称号獲得:《香りの解放者》】
【新スキル獲得:《魂の調味》──料理で一時的に感情・記憶に干渉可能】
「味と香りが剣って、なんか……」
「ちょっとダサ……いえ、渋いですね!」
フィリーネとブリンがけらけら笑う。
――
煮介は背中の鍋を再び持ち上げ、谷の奥に足を踏み出した。
そこにあったのは、静かに湧き出る“水源”だった。
清らかな水。生きた水。
間違いなく、村の命の源だ。
「よし……戻るか。今度は“祝い膳”だ」
――村の広場に、再び火が灯る。
煮介がつくったのは、「祝いの雑煮」。
とれたての清水と、根菜、きのこ、野草を合わせ、手延べの餅(っぽい食感の新食材)を浮かべたシンプルながら奥深い一椀。
「……こんなの、知らない。なのに、懐かしい……!」
「うめぇ、うめぇよ!なんだこれ……!?」
「水が戻ってきたんだ。村に、命が戻ったんだ……!」
涙を流しながら食べる大人たちの姿に、煮介も少しだけ目元を拭った。
「……これが、“和食”の力なのね」
ふと、フィリーネが横から声をかけた。
「アンタの料理、ほんと……悔しいけど、すごいわ。
あたし、ちょっと感動しちゃったじゃない……」
「ほう、それは貴重な証言だな。録音しておくかな」
「ばっ……やめなさいよっ!」
頬を真っ赤にして背を向けたフィリーネの後ろで、ブリンが笑っていた。
――
〜湯気の向こう、未来の台所〜
あの日、水が戻ってきてから――
村には、ずっとなかった“匂い”が流れていた。
出汁の香り。
火と食材の音。
人が笑い、誰かが「うまい」と呟く声。
その全てを、13歳の少年・トモロは黙って見ていた。
最初はただ、遠巻きに。
次に物陰から。
やがて――真正面から。
「なあ、おっ……にすけさん。
オレ、料理って……剣よりスゲェんじゃねぇかって、思う」
焚き火の横、手製のまな板の前で包丁を研いでいた煮介は、ちらりと目を上げた。
「……ほう?」
「オレの親父、戦で死んだんだ。
村に兵士が来て、食い物取られて……オレら、ずっと、腹すかせてた。
だからさ、オレ……戦う力がないと生きてけねぇって、思ってた」
トモロの拳が小さく震える。
「でも、アンタの料理食って、なんか……なんか、違う気がして……!」
煮介は黙って、包丁を置いた。
「……トモロ。包丁ってのはな、剣より深く、人の心に入る刃なんだよ」
「……!」
「力でねじ伏せるんじゃなくて、心をほどいて、笑わせて、救う。
……オレは、そう信じてる」
言いながら、鍋に手を伸ばす。
煮干しと昆布の香りが立ちのぼる。
「お前の腹を満たした“うまい”は、お前の手でもつくれるようになる。
オレが、教えてやるよ」
トモロの目が、ぱぁっと見開かれた。
「ほんとに……?」
「ああ。ただし、厳しいぞ」
「のぞむところですッ!」
数日間、煮介たちは村に滞在した。
フィリーネは魔法の訓練がてら、水源を清め、
ブリンは村の子供たちと仲良くなり、絵本を読み聞かせたり、遊んだりしていた。
煮介はその間――
トモロに、包丁の持ち方から、火加減、出汁の取り方、そして素材を活かす“見極め”までを、惜しげもなく教え込んでいった。
「香りの立つ瞬間を見逃すな。そこが“引き際”だ」
「火は“恐れず、侮らず”だ。強火一辺倒じゃ、焦がすだけだ」
「『うまい』は舌の記憶だ。だから、ちゃんと、味見しろ」
煮介の背中を見つめるトモロの眼差しは、日に日に真剣さを増していく。
やがて村人たちに、こう言われるようになった。
「この出汁、トモロが?」
「煮介さんに教わったって!?うまい……!」
「トモロ、もう村の料理人だな!」
それを聞いたトモロは、照れながらも、胸を張った。
「オレ、にすけさんの一番弟子だからなっ!」
数日後、旅立ちの日。
村人総出で煮介たちを見送るなか、
トモロが手を握ってきた。
「にすけさん。……オレ、この村で、“うまい”で救えるようになる。
もっと修行して、いつか――あなたに追いつくから!」
煮介は静かに笑った。
「そのときゃ、“弟子”じゃなくて、“同業者”として迎えてやるよ」
「はいっ!!」
その手を離すとき、トモロの目には大粒の涙がにじんでいた。
だが、泣きはしなかった。
代わりに彼は――
「ありがとう、にすけ“先生ーーー”っ!」
と、全力で叫んだ。
【称号獲得:《先生》】
【効果:教えた者が成長すると、自身にも経験値が還元される】
【経験値+800】
【料理人レベルが12に上がった!】
フィリーネが隣でつぶやく。
「……なんか、先生ってアンタのガラじゃないわね」
「……そうだな。でも、悪くねぇな、“先生”って呼ばれるのは」
空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。
「さ、行くか。……次の食材と、次の“うまい”のためにな」
これより2年の後――
トモロは、村の料理屋《にすけ庵・トモロ亭》を構えていた。
村の味を守りつつ、少しずつ、世界の“うまい”を広げる若き料理人として歩んでいく。
そしてその名は、少しずつ――
「煮介の一番弟子」として、遠くの町にまで届きはじめることになるのであった――
──次回:「旅の道中、移動式屋台クラフト編」へ続く。