第4話「ボロボロの小さな来訪者。その名はブリン」
「……あれ?」
火の粉がぱちりと舞った、次の瞬間だった。
焚き火の向こう、木立の陰に“何か”がいた。
「……人?」
フィリーネが身構えるより先に、煮介はそっと腰を上げていた。
足音を立てずに、ゆっくりと。
まるで野良猫を驚かせないように接するように。
「……そこに誰かいるな? 腹減ってんなら、遠慮すんな」
沈黙。
だが次の瞬間、影がふらりと揺れた。
木々の間から現れたのは――
「ちっちゃ……!?」
身長は120センチほど。
あまりに細く、あばらが浮かんで見える痩せた体。
肌はうっすらと緑がかっており、耳は尖っていて、目が大きい。
けれど――
「こ、こんにちは……その、に、人間のおにいさん……?」
声は、まるで少女のように可愛らしく震えていた。
「フィリーネ。武器、しまえ」
「えっ……!? で、でも、こいつ……ゴブリンでしょ!? あんた、危機感ってものが……!」
「……こいつは、今、腹を空かせてる」
煮介の目には、涙をこらえて立っているその小さなゴブリンの“必死さ”が見えていた。
「名前は?」
「……ブ、ブリン……って、みんなには、呼ばれてました……」
「ブリン。食えるか?」
「た、食べたいです……食べたい……!」
声を震わせながらも、尻込みする様子はなかった。
煮介は黙って、最後の焼き鳥串をそっと差し出した。
ほんのわずかのためらいのあと――
「……いただきますっ……!」
一口。二口。三口。
口に運ぶたびに、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
「ぉいしぃ……ひっく……やさしい、あったかい……ううう……」
【供膳の恩寵が発動しました】
【ブリンの満足度:非常に高】
【関係性変化:好感度+10(警戒心を大きく緩和)】
【経験値+42】
【新スキルの兆候:《異種族交歓術》が微弱に発現】
フィリーネは呆れながらも、焚き火のそばに座って見守っていた。
「……こんな子が、一人でこんな夜に……信じらんない」
ブリンは最後の一口を飲み込むと、胸元をぎゅっと抱きしめた。
「……わたし……もう、だれも、信じられないと思ってたんです……でも……あなたのごはんは……ちがった……!」
「……オレの名は、煮介。こっちは、フィリーネ。旅の料理屋だ」
「あ、あの……! わたし、がんばります! なんでもします! お手伝いでも、なんでも!」
「まずは、寝ろ。話は明日な」
煮介が渡した毛布を、ブリンは宝物のように抱きしめ、そして眠った。
その夜、焚き火を囲んで――
人間、エルフ、そしてゴブリンの、ちいさな輪ができた。
そして煮介の脳裏には、また一つ、思いが浮かんでいた。
(この子に、ちゃんと“あったかいごはん”を、食べさせてやらねえとな――)
朝――。
薄明かりの中、焚き火の余熱に包まれて、小さな寝息が聞こえる。
毛布にくるまり、ちんまりと丸くなって眠るブリンの姿は、どこか子猫のようで――。
「……ほんとに、ゴブリンなの?」
フィリーネが小声でつぶやいた。
その金髪ツインテールをふわりと揺らしながら、朝露のついた葉を避けて座る。
「見た目だけで決めんなよ。食ったろ、オレの焼き鳥。……あいつの反応、どうだった?」
「う、うるさいわねっ。……あんな顔、見たことないわよ。泣きながら食べてたじゃない」
煮介は無言で焚き火に薪を足しながら、ふ、と目を細める。
「……飯ってのは、涙も流せる。オレはそれを知ってる」
やがて、ゆっくりと毛布が動いた。
「……あ、あの……」
ぴょこ、と顔を出すブリン。
昨日と違って、表情には少しだけ余裕がある。
「おはよう、ブリン。……身体、平気か?」
「うん……ううん、だいじょぶですっ。ほんとに、ありがとう……煮介、さんっ」
「“さん”はいらねえ。煮介でいいよ」
「は、はい……煮介」
ぱあっと笑顔が咲いた。
その笑顔は、昨日のボロボロとはまるで違う。
「ねぇ、ブリン。あんた、どうしてひとりでこんなところにいたの?」
フィリーネが少し身を乗り出す。
するとブリンは、少しだけ目を伏せた。
「……あたし、村にいたの。ゴブリンの村。山の奥に、小さな集落があって……でも、みんな、最近おかしくて。食べ物がなくなって、喧嘩が増えて、弱い子から追い出されて……」
「お前も、その“追い出された側”か」
「うん。でもあたし、嫌だったんだ。あたし、戦うの、好きじゃない。誰かを叩いたり、奪ったりなんて……したくない」
フィリーネがはっと息をのむ。
ツンとした表情が、少しだけ緩んだ。
「それで、さまよってたら……匂いにつられて、ここまで来ちゃったの」
「……オレの飯の匂いに釣られるとは、やるな」
そう言って笑う煮介に、ブリンがこくんと頷いた。
「うんっ。すごくあったかい匂いがして……もう、足が勝手に……!」
【関係性変化:好感度+15】
【経験値+38】
【スキル成長:《供膳の恩寵》ランクアップ】
【サブ効果が追加されました:《食事時、対象の精神状態を一時的に安定させる》】
(……まさかの“カウンセリングめし”スキル。さすがオレの和食)
煮介はそっと鍋の蓋を開ける。
「さて……今日の朝飯は、昨日の鳥の残りと……即席スープ雑炊だ」
「わぁ……!」
思わず声を上げるブリンの目が、きらきらと輝いている。
「いただきますっ!」
熱い湯気が立ちのぼる湯呑み椀を、小さな手で包む。
一口啜ると、ブリンの肩がふるふると震えた。
「う、うう……やさしい……あったかい……こんな味、はじめて……!」
目尻に涙を浮かべながら、ブリンは、丁寧に丁寧に、食べていった。
「こいつ、連れてくぞ」
唐突に、煮介が言った。
「え?」
「この子は、ひとりにするべきじゃねぇ。何か、すげぇもんを秘めてる気がする。……何より、オレの料理に反応する奴は、オレにとって“客”であり、仲間だ」
「な、なによ……勝手に……でも、あたしも……別に反対はしてないわよっ!」
「ほ、ほんとに……!? いいの!? あたし、役に立てるように、頑張る! なんでもするから!」
そしてその瞬間――
【称号獲得:「ごはんで繋ぐ者」】
【経験値+120】
【スキル進化の兆候:《食材覚醒》に対する適性を確認中……】
ふっと風が吹いた。
新たな旅の、気配が動き出した。
「じゃ、次はあの山を越えるぞ。あっちに小さな集落があるって話だ。……そこで屋台を出してみよう」
「やったぁ!」
「まったくもう……あたしのスケジュール、めちゃくちゃじゃない……」
「うるせぇ、行くぞ」
笑って、鍋を片づけ、荷を背負って。
三人の旅が、いま本格的に始まる――。
──次回、「三人旅、そして小さな村の異変」
また誰かが、救われる。煮介の料理で。
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次話、冒険の先に待つ新たな人間ドラマ。
さあ、和食の力で世界を満たす旅は、まだまだこれから!!