第11話「これが全世界に愛された日本食の究極B級グルメだ!」
屋台の鉄板が静かに余熱を帯びていくなか、煮介の脳裏には、懐かしくも熱い記憶が甦っていた。
――あの香り、あの湯気。あの一杯。
どこかの商店街、どこかの街角の小さな店。
丼から立ち昇る湯気の向こうに、いつもいた寡黙な店主の背中。
言葉少なに差し出される一杯。
それが、たまらなく、沁みた。
(この世界にはまだ、あの味が存在しねぇ。だが、だからこそ――オレが生み出す)
目の前には、“万能粉”と呼ばれる黄色味がかった白い粉。
香りはどこか穀物を思わせる淡い甘さがある。
触れてみれば、さらさらとした滑らかさと、ほんの少しの粘り気が指に残る。煮介の目が鋭くなる。
「こいつ……いける。こねれば、伸びる。茹でれば……食感が出るかもしれねぇ」
未知の素材。
だが、料理人の本能が告げていた。
これは、可能性の塊だと。
「よし、やるか」
粉に水を少しずつ注ぎながら、木製のこね鉢で丁寧に練り上げていく。
水分量は微調整。
少なすぎればボソボソ、多すぎればブチブチに切れる。
手に伝わる粘度と弾力に全神経を集中させ、絶妙の水加減でまとめていく。
力を込めて、押し、折り、また押し込む。
時間も忘れ、ひたすらに生地と対話する煮介。
その額にはじんわりと汗が滲む。
(この感触……悪くない。いや、むしろ、イケてる。少し寝かせれば……)
時間を置いて弾力を引き出したあと、細く切るために即席でこしらえた木製の薄刃包丁を取り出す。
「この厚さ……この幅……この滑り……いける。いけるぞ……!」
茹で上げの鍋には、澄んだ湧き水を使った。
薪の火でグラグラと沸き立つ湯に、慎重に切り出した“麺”を投入する。
すると――
「……きた」
湯の中でくるりと踊る細い帯。色艶、張り、揺れ、そのすべてが煮介の記憶の中の“麺”と重なっていく。
茹で時間を秒単位で見極め、冷水で締め、スープの準備に入る。
スープ――それがこの料理の“命”だった。
昆布系の香り素材と、魔節と名付けられた鰹に近い干物を組み合わせ、長時間じっくりと炊き出した黄金色の出汁。
それをベースに、深い旨味を重ねるために魚介の干し貝や、乾燥した小魚を追加。
さらには肉系素材の骨をローストして加え、まるで“魚介豚骨”のような奥行きある香りを生み出していく。
そして――
「……最後の決め手だ」
香味野菜を焦がさぬよう低温で炒め、溶け込ませる。
舌に残る余韻を、ただのしょっぱさで終わらせないために。
煮介は一口、レンゲですくって口に含んだ。
(…………完璧だ)
目を細めたその顔は、まさしく“料理人の悦び”を噛み締めるものだった。
そして、いよいよ“そのとき”がやってくる。
新しく生み出された器に、茹で上げた麺を丁寧に盛り付け、熱々のスープをそっと注ぐ。
香りが、屋台の隙間から、世界へと広がっていく。
焼いた肉、卵の黄身の漬け、刻んだ薬味。
鮮やかなトッピングが一つ、また一つと彩りを加えていく。
彩りだけではない。
旨味、食感、香ばしさ、すべてを計算した結果だった。
――そしてついに完成へと至る。
煮介は小さく呟いた。
「オレのラーメン、第一号だ……」
屋台の帆が風をはらみ、太陽が雲間から差し込む。
煮介が丼を差し出すと、フィリーネは眉をひそめたまま、それでも目線だけでじっと覗き込んだ。
「……ちょっと。なんでこんなにいい匂いするのよ」
声にはいつもの棘がある。
けれど、鼻先に触れた湯気が、金色の睫毛をかすかに揺らす。
隣で、ブリンが目をきらきらさせて跳ねるように言った。
「わぁっ!これ、にすけが新しく作ったんですの!? めちゃくちゃ美味しそうな匂いがしますっ」
フィリーネがぴしりと反応する。
「“ですの”って何よ、アンタ最近その語尾どこで覚えたのよっ」
「ふぇっ!? フィリーネのマネ……ですっ」
「やめなさい!!」
そんなやり取りも束の間、丼の中の香りが二人の注意をさらっていった。
魚介と香味野菜が織りなす、重層的なうま味のアロマ。
「……ちょっと、一口だけよ」
そう言って、フィリーネは木製の箸をとった。
麺状の何かをつまみ、ふぅふぅっと息を吹きかけ、慎重に口元へ運ぶ。
ズ――……
その瞬間。
「っ……!」
ツンとした顔が、かすかに揺れた。
「な……に、これ……。口に入れた瞬間、香りが鼻に……いや、それだけじゃない……!」
彼女の瞳に、まるで初めて空を見上げた時のような戸惑いが浮かぶ。
「もちもち……なのに、するするって喉を通る……この食感、なんなのよっ!」
フィリーネは立て続けに二口、三口とすすり始めた。
焦ったように、けれど止められないように。
気がつけば、トッピングの炙り肉も口に運んでいた。
「お肉……じゅわって、味が染みてるっ! え、卵!? なにこれ、とろけ……って……んんっ、ちょっと待って、一回落ち着かせなさいよこの味!!」
だが、落ち着く暇などなかった。
今度はブリンが、椅子の上に正座して、丼を大事そうに抱えながら一口。
「……ぁ……」
まるで、世界が止まったかのような、無音の時。
「……おいひい(おいしい)っ……!」
こぽ、と涙が一粒、頬を伝う。
「こんなに、心まであったかくなるごはん、ブリン、食べたこと、ない……ですっ……」
「はぁっ!? 泣いてるの!? な、なに感動してるのよバカブリン!」
「だってっ……ブリン、おなかもだけど、ここ(胸)もいっぱいになったですの……!」
「“ですの”やめなさいって言ってるでしょーーっ!」
がみがみ叱りながらも、フィリーネの目尻も、ほんの少しだけ、赤くなっていた。
煮介はその光景を黙って見守っていた。
かつて、一杯のラーメンに心を救われたあの日。
今度は、自分の手で――誰かを、満たすことができた。
その証が、目の前の少女たちの瞳にあった。
「これが全世界に愛された日本食の究極B級グルメだ」
「こ、これでB級なの?じゃ、A級はもっとすごいってこと……?」
「す、すごすぎなのです……」
そのとき――
《経験値を獲得しました!》
《スキル熟練度が上昇しました──》
《称号:「異世界麺神」を仮取得中……》
「(おい、待て“麺神”ってなんだよ……)」
そう、心の中でツッコまずにはいられなかった。
だが、その称号もあながち間違いではないかもしれない。
なにせ彼が生み出したのは、この世界に存在しなかった“魂の一杯”なのだから。
そしてこの一杯は、次なる出会いを引き寄せる。
「……アンタか。異国の料理で人の心を掴むという噂の屋台主は」
渋い声が響く。
そこに現れたのは――海風に晒された褐色の肌に、戦場の風格を纏う“女傭兵隊長”であった。
物語は、次なるステージへ。
次話、『海と命とラーメンと』へ続く!




