戻ってきた……?
【灰燼】ガブリエルの軍勢に囲まれた時、俺は【白剥の呪縛】(ホワイト・チェーン)を使って、【星屑の集い】の皆を強引に逃がした。
あの時、【状態異常無効】を持つ俺だけなら、一人で生き残ることもできた。
それでも俺は、あの地獄の中心に自ら足を踏み入れた。
仲間を守りたかった━━━その行為に嘘はない。
けれど、なぜ、あれほどに守りたかったのだ。
なぜ自分のすべてを差し出してまで、皆を生かそうと思った。
記憶は確かにある。
行動の順序も、使用した魔法の詳細も、頭では理解できている。
だが、そこに感情がない。
熱も、光も、あの日の空気でさえ、まるですべてが白くなってしまったようだった。
ただ、目を覚ましてから、胸の奥がずっと軋んでいる。
あいつらの俺を見る目が、どこか遠くなってしまったから。
いつも、何かに押しつぶされてしまいそうな視線。
俺たちはいつだって笑っていただろ?
どれほど、過酷な旅路でも、傷だらけでも、泥に塗れても、最後にはいつも冗談を飛ばして笑っていたはずだ。
それなのに、どうして……
どうして、今のあいつらは、あんな顔で俺を見るんだ。
なぜなぜなぜなぜなぜ……?
俺が何か悪いことをしたのか?
━━━なぁ、教えてくれよ……『ゆうしゃ』さま……
◇
「ん?」
目を覚ますと、俺は天井に向かって手を伸ばしていた。指先が虚空をなぞり彷徨っている。その手を追うように、涙の雫が頬を伝い、視界をぼやけさせていた。
━━━何か夢を見ていた気がする。
けれど、その内容は霧の中に包まれていて、思い出せない。
心に残ったのは喪失感だけだった。
目元を袖で拭うと、意識がはっきりしてくる。夢の内容は思い出せなかったが、俺が倒れる前の記憶は思い出された。
あの時、【飢餓の呪い】を使ったアレスティに気絶させられた。昔は【状態異常無効】があったから、俺には何の問題もなかったが、今の俺は”無敵”ではない、
サナリーの毒も、ミリーの魅了も俺には効いてしまうと考えた方が良いだろう。
「まぁ、死なないからどうでもいっか」
誰にも聞こえない独り言を呟いて、俺は再び視線を上げた。
すると、白いモヤが見える。
やはり、アレスティが言っていた死線とは違う気がする。
この白いモヤは、ただの寿命や終わりを告げるだけのものではない。
もっと根源的で、もっと静かな、何かの”境界”を告げているようだった。
「名前が、欲しいな」
この得体のしれない力を、俺の中に刻むために、名前を付けなければならない気がした。
純粋で、白く、何も知らなかった子供のような。それでいて、何もかもを見透かしてしまうような冷たさを宿した瞳。
【無垢ナル白瞳】(イノセント・ホワイト)━━━
呟いた瞬間、心の奥が静かに震えた。
「うん。中々いい名前じゃないか」
口にしてみて、しっくりきた。それが俺の新たな力の名称だ。
さっそく、【無垢ナル白瞳】(イノセント・ホワイト)を使って、傍にあったコップを見た。
コップの淵に、白いモヤが揺れている。それに指を添えるように軽くなぞる━━━
パリンッ!
乾いた破裂音と共に、コップがまるでガラス細工のように砕けた。
「あっ、いっけね」
こんなことをしたら、物を大事にしろって言われて、怒られるだけだ。後で謝らないと。
「ん?」
コップに手を伸ばした俺の右手に白いモヤが見える。
俺の掌から、腕、肩、そして、胸元へと、白い”線”が血管のように這っている。それは表面的なものではない。全身を縫うように、内側から、浮かび上がっていた。
「なんだこれ……?」
これは俺の【死線】……?
だとしたら、可笑しい。
俺は不死身だ。それこそ、何度も何度も殺されてきたが、こうしてギリギリで命を繋いでしまっている。
それなのに、なぜ今、これほど鮮明に自分の”死”が視えている?
それに【無垢ナル白瞳】(イノセント・ホワイト)で可視化されずとも、死の輪郭をあの牢の中で何度も何度もなぞられてきた。
やはり【無垢ナル白瞳】(イノセント・ホワイト)は物の寿命を見るだけの瞳ではない。
いや、それも一つの真実だろう。けれど、本質じゃない気がする。
知りたい━━━
この力の正体を。
無意識に、自分の手に浮かぶ白い線へと、指を伸ばしていた。
そして、ゆっくりと、その輪郭をなぞった━━━
◇
空は沈んだ灰色に覆われ、冷たい雨が地面を叩き続けている。夕暮れの気配すらわからないほどの曇天。けれど、それ以上に私たちの間には沈痛な沈黙が続いていた。
シチューの柔らかな香りがリビングを包んでいる。けれど、その温かさが喉を通る気がしなかった。
「すまない……私が、もっとしっかりしていれば……!」
アレスティの声は雨音に紛れて、かろうじて届くほど小さかった。前髪の隙間から覗くその瞳は、己を攻め続けている光を宿していた。
「いえ……アレスティ先輩は間違っていないです。元をたどれば、私が……私が先輩から目を離したせいですから……」
ミリーもまた、唇を噛み締めて俯いた。掌は無意識に膝の上でぎゅっと握られ、指先が白くなっていた。
二人の震えは、怒りでも哀しみでもなく、己への後悔だった。
だから、私は━━━
「……やめましょう、こんな話。無意味だわ……」
静かに口を開いた私の声に、二人がはっと顔を上げた。
「サナリー……?」
「アレスティもミリーも何も悪くないわ」
そう言い切ると、また空気が揺れた。
二人は受け入れられないのか私を鋭く射抜いた。
「ッ……私がッ」
「違いますッ……!私のせいでッ!」
痛々しいほど必死に、責任を抱えようとする声が、雨音のように交錯する。
私はゆっくりと目を閉じて、それから静かに微笑んだ。
「マイスが……生きてたのよ?」
荒ぶっていた呼吸が止まるのを感じる。
「こんな反省会してたら……本人に聞かれたら、絶対、笑われるわ……そう、思わない?」
「━━━」
その姿は変わってしまった。かつての面影はすべて失われてしまった。
だけど、それでも、マイスは生きている。
「あとひと月もすれば、元のマイスに戻るわよ」
少しずつでいい。急がなくていい。身体も心も、癒していけば、いずれは━━━
「ああ、そう考えると憂鬱だわ。またスカート捲り対策に、風呂の覗きの対策もしないといけないのね……」
昔のマイスは悪戯好きの変態だ。元に戻ればそれはそれで大変だと愚痴を漏らしたつもりだった。
けれど、口にした瞬間
「━━━」
部屋の空気が一変した。さっきまでの沈痛な雰囲気は嘘のように晴れ、今度は妙な視線が私に集中する。
「何よ……その眼は……」
「一緒にお風呂に入って何を言っているんですかねぇ……」
「それに、声に艶があるぞ?何か心待ちにしていないか?」
二人が、片眉を上げて呟いた。
何を言うかと思えば、そのことか。
「ミリー……何度も言ってるけど、マイスと一緒に風呂に入ったのは治療のためよ。ここの温泉が身体に良いのは知っているでしょう?後、アレスティ。私、喜んでいないわ。とても、うんざりしているの」
この中では幼馴染で私が一番付き合いが長い。迷惑をかけられた数、悪戯の数は群を抜いている。
「どーだか。そういえば、思い出したんですけどぉ、サナリー先輩って、先輩にエッチな悪戯されるの好きでしたよね~」
「……違うわよ」
「ちゃんとこっちを見て言ってくださいよぉ?」
とんだ言いがかりだ。スカート捲りだって、私がされなかったら他の学院の生徒に行う。風呂の覗きだってそうだ。
下手したら退学になるところ、私だから許してあげているのだ。
まるで、好き好んで、わざと見せていたと言われるのは心外である。
「ミリレーラ。お前も人のことを言えないだろ……?」
「へ……?私?」
アレスティがターゲットをミリーに切り替えた。そして、すっと目を細める。
「悪戯と称して、マイスに触れたり、疲れた~と言ってマイスにおんぶさせたり……」
「はい。アレは先輩に責任を取ってもらわないといけないからですよぉ」
ミリーはどこ吹く風といった顔だが━━━
「ほぅ……」
一見余裕そうに笑みを浮かべるミリーだが、アレスティの瞳がギラリと輝く。
「マイスがサナリーや私に構ってばっかりの時、陰で『先輩のバカ……』って拗ねてたのはどういうことだ?」
「~~~~ッ!ちょっと、なぜそれを知ってるんですか!」
ミリーは顔を真っ赤にして机を叩いたが、私も好き勝手言われた分、しっかり返してあげよう。
「野営の時は寝ぼけたフリをして、マイスの布団に潜り込んでたのを見たわよ。『いい匂いぃ』とか呟いていたわね」
「な、何で起きてるんですかッ!」
全員寝ているのを見計らって、計算したのだろうが、そのくらいのことは知っている。
「ふふ、あざとくて可愛い後輩ね」
「素直になれば良いものを……」
「ううう~……可愛いって言わないでくださいッ……!」
ミリーは顔面真っ赤でゆで上がったタコのようだった。どうやら、秘密のようらしい。バレバレだけど。
世間的には”世界一の美少女”と評されているミリレーラだが、私たちからすれば、悪戯好きな可愛い後輩である。
「ま、結局、アレスティが一番の変態なのは確定ね」
「異論はないでーす」
「なぜだッ!」
ミリーよりも勢いよく机を叩いて抗議をしてくるが、ジト目が一斉に突き刺さる。
「貴方、液体や触手系の魔物が苦手よね?」
「そ、そうだが。斬ってもすぐ再生するし、そもそも液体だと斬ることができなかったりするしな……」
確かに、その手の敵は物理攻撃が効きづらい側面があったり、触手が次から次に再生したりする。魔法が使えないただの剣士なら今のアレスティの言い分は通る。
けれど━━━
「【飢餓の呪い】で消し飛ばせばいいじゃない」
「い、いや……そ、それは剣士としてのプライドが……」
「でもでもぉ~、即死系の攻撃をしてくる敵には容赦なく使ってましたよねぇ?」
「い、命の危険があったからだッ!」
「じゃあ、命の危険がなければ、その手の魔物にはわざと敗北するんですねぇ?」
「……」
ミリーの言葉に完全に固まる。私たちは追い打ちのように事実を立証する。
「スライムとかスライムとか、あとスライムとかですかねぇ」
「後は、特定の誰かさんが見ているところよね~」
「そうそう。まるで、自分を意識して欲しくて、わざと捕まっているようにすら見えましたよ~。まるで、囚われの姫騎士ですよねぇ」
「~~ッ!仕方ないだろうが!ずっと一人で生きてきたから、好きな男にどうやってアプローチすればいいのか分からんのだ!というか……お前らだけには言われたくない……ッ!」
ついに逆ギレした。
そして、言い返す暇もなく自爆。
「え、と、はい……」
「まぁ、その……」
━━━静寂。
━━━そう。【星屑の集い】はマイスの集めた変人集団だ。
問題は、メンバーのほとんどが仲間以外と交流していない。
世間一般の”普通”が分からないから、行動パターンもどこかに通ってしまう。
そのくせ、独占欲だけは誰よりも強い曲者揃い。
マイスが私たち以外にモテた時は、即刻黙らせに言った。
【勇者】の称号を得た時は、それはもう面倒で、面倒過ぎて、面倒だった。
普段はだらしなくて抜けてるくせに、たまに見せる真剣な表情に心臓を撃ち抜かれる。
そんなことを何度もされてきたから、私たちは━━━
「……ふふっ……久しぶりに笑ったわね」
「ほんとに……こんなに笑ったのいつ以来でしょう……」
「少なくとも、一年は笑っていないな……」
マイスがいなかった一年間、私たちは、ただ生きるために彷徨う亡霊だった。
命令されるがままに戦場に出て、感情を置き去りにしてきた。
まるで、死ぬために生きていた。
でも、私たちに笑顔が戻った。
それは紛れもなくマイスのおかげだ。
「……先輩は絶対に元に戻ります。だから、どんなに辛いことがあっても我慢しましょう……ッ!」
「……まぁ、よくよく思い出してみればマイスには常に振り回されていたしな。今とそんなに変わらん……」
パーティに灯る柔らかな明かり。
今この場にマイスはいない。けれど、彼が帰ってきてくれた、その事実が私たちに未来を示してくれた。
━━━ドゴン!
「「「ッ」」」
空気を震わせる爆音が、突然、二階から鳴り響いた。
私たちは反射的に立ち上がり、顔を見合わせること間もなく、一斉に階段へ駆けだした。
そして、音の発生源である扉を開けた瞬間━━━
「はは、そうだよ……俺にはこれがあったじゃないかッ!何で忘れてたんだ、馬鹿っだなぁ!」
マイスは興奮した様子で、何かに取り憑かれたように、獰猛な笑みを浮かべていた。
すると、私たちに気付いたのか緩やかな笑みを浮かべた。
「ん?ああ、お前らか。おはよう……ってこんな時間におはようって可笑しいか」
あまりにも自然で、あまりにも彼らしくて一瞬こちらの心拍が緩んだ……のは一瞬だった。
次の瞬間に目に飛び込んできたものが、私たちの思考を凍り付かせた。
━━━マイスの右腕が血に染まり、炭のように焼け爛れ、黒煙が立ち上っていた。
◇
「何をしてるのッ!?」
怒鳴り声が炸裂した次の瞬間、サナリーが駆け寄ってきて、俺の前で膝をついた。迷うことなく手をかざし、回復魔法を発動させる。淡い光が俺の右腕を包み、裂けた肉と骨がじわじわと再生していくのがわかった。
その間、アレスティとミリーは一歩距離を取って、俺を凝視していた。
まるで、触れたら壊れてしまいそうなものを見るように。
「……一体、何を……?」
アレスティの疑問に、肩をすくめた。
「実験だよ。実験」
「実験……?」
怪訝そうな表情を浮かべる彼女たちに、俺はゆっくりと頭を下げた。
「ごめんな。魔法も、剣もくだらないなんて言って……」
「え?それは……」
ミリーが言葉を詰まらせた瞬間、俺は軽く笑って続けた。
「やっぱさ、俺がやってきたことって、無駄じゃなかったんだ。昔みたいに、魔法は使えない。だけどさ、全部、全部、必要なことだったんだ……」
「先輩……!」
「マイス……!」
ミリーとアレスティが涙を浮かべながら、嬉しそうに俺を見ていた。
ようやく、彼女たちを笑わせてやれた。
けれど━━━
「ふざけないでッ……!」
サナリーの声が部屋中に響き渡った。そして、俺を強くにらみつけた。
「そんな怪我をするような危険な実験って何よ!?その腕は……!一体、何をしたら、そんな傷になるのよッ……!」
怒りと不安が入り混じったサナリーの声が震えていた。
「部屋を汚くしたのは悪いと思ってる」
「そういうことじゃッ……!」
俺は苦笑しながら頭を掻いた。
「まぁ、心配すんなって━━━お前らのおかげで、俺は……かつての俺を完全に超えたよ」
「は……?」
困惑した表情で眉をひそめたサナリーに対して、ミリーとアレスティの瞳は希望の光で満ちていた。
「何?何ですかそれ!早く教えてくださいよぉ、先輩!」
「まさかとは思うが、剣の奥義。そのさらに上をッ……!?」
「はは、落ち着けって」
そう言って俺は立ち上がった。
「とりあえず、明日、どっかの森で魔獣を討伐しに行こうぜ。色々試してみたいことがあるんだ」
この胸の高鳴り。失っていた感覚が戻ってくる。新しい何かに挑む、この熱量が。
「アレスティ先輩!これって……!」
「……ああ!マイスが……!」
瞳を潤ませながら、アレスティが堪えきれず声を震わせる。隣では、ミリーが声にならない嗚咽を漏らしていた。
「だから、何で泣くんだよぉ……」
「だってぇッ……」
困惑まじりに笑う俺に、彼女たちは言葉を返せなかった。けれど、不思議と不快ではない。むしろどこか心地よかった。
多分、これが正解だったんだ。皆が待ち望んでいたものは、これなんだ。
サナリーが回復魔法をかけ終わって、手を離した。そして、心配そうに俺を見上げた。
「……本当に、大丈夫なの、よね……?」
「ああ。俺を、信じてくれ」
「……そう」
サナリーも一先ず納得してくれたようだ。
「それより、下からすっげぇいい匂いがするな!シチューか?」
「はい!サナリー先輩が作ってくれたんですよ!」
「やったぜ!早く行こうぜ!」
笑いながら、俺は勢いよく階段を駆け降りる。ミリーとアレスティの声が後ろから追いかけてくる。
久しぶりに、全身の歯車が嚙み合ったような気がする。
何もかもが動き出した。
過去じゃない。今、この瞬間に。
「本当に、大丈夫なのよね……?」
サナリーが、ぽつりと呟いた言葉が俺の耳に届くことはなかった。
━━━いや、本当に楽しみだ。
お前らに絶望的な力を見せてやる瞬間がさ。
『重要なお願い』
面白い!先が気になる!筆者頑張れ!と思った方はブックマークの追加と広告の下にある☆☆☆☆☆を★★★★★にして評価していただけると嬉しいです!
感想なんか書いていただけたらさらに嬉しいです!
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