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漫才師は笑わない ~後編~

漫才師は笑わない ~後編~


楽屋に父っちゃん坊やの二人が乱入して来た。

父田は真っ白なズボンを履いて、坊屋は真っ赤なズボンを履いている。漫才をするときの衣装だ。半月間の劇場出入り禁止処分が解けたのだ。

「カミホトケのお二人、久しぶりやな」

「おお、やっと帰って来たか」「待ってたよ」

 俺たちは笑顔で迎えてあげるが、こいつらを散々な目に遭わせたのは俺たちのせいだ。だけど、怒ってないところを見ると、俺たちが白コンパス事件を仕掛けたとはバレてないのだろう。

「お前らに訊きたいことがあんねん。先日の話や」

 父田がバッグを置きながら言って来る。

 ヤバい。やっぱりバレてるのか?

「ちょうどこの楽屋や。俺らが漫才を終えて、戻って来たら、床がビショビショで、二人とも滑って転んだんや」

 ああ、そっちの話か。

「そこへオーナーがやって来て、何しとんねんと怒られたというわけや。よう見たら、天井のスプリンクラーが動いて、水を噴き出したみたいなんや。ところがや、俺たちはついさっきまで漫才をやってたんや。スプリンクラーなんか動かせへん。完全な冤罪やんけ。お前ら、なんか心当たりはないか?」

 どうやら、屋上キャンプ事件の方もバレてないようだな。

「確かに俺たちもあの日はこの楽屋を使ってたけど、何も異常はなかったよ、なあ仏田」

「何もないよ。あの日はすぐに帰ったからね」

 坊屋も大きなバッグをテーブルに置いた。

「お前ら、タバコは吸うんか?」

「俺も仏田も吸わないよ」

「マネージャーさんはどうや?」

「類さんも禁煙中だから吸わないよ。といっても俺たちに気を使って吸わないんじゃなくて、金がないからタバコは控えてるんだ」

「だったらなんで、スプリンクラーが稼働したんや?」

 父田と坊屋の二人は天井のスプリンクラーを見上げたまま、考え込んでいる。しかし、俺たちが屋上でキャンプの真似事をやった後、部屋に持って来た木炭が再び燃え出したなんて、どう考えても思い付かないはずだ。

「まあ、結局な」これ以上考えても分からないので、父田が無理に結論を出す。「俺たちとカミホトケがこの部屋を出て行った後、何者かが忍び込んで、スプリンクラーの下でタバコを吸いよって、作動したということやろ」

「そうだな。他に考えられないな」俺も同意しておく。

 こいつらの想像力はこの程度だ。これ以上、この話題に触れてほしくないので、話を逸らすことにする。

「お前ら二人、日本酒は好きか?」

「日本酒も外国酒も好きやで。特に坊屋は古今東西の酒に目が無いで」

「そこにダンボールがあるだろ」部屋の隅を指差す。「第一回大日本大日本酒大コンテストで銀賞を受賞した尼井ロマンが入ってるから、持って行ってもいいよ」

「マジかよ!」坊屋が珍しく大きな声を出す。「酒については遠慮せえへんで」

「そういうたら、お前ら審査員やっとったな」父田も目を輝かせる。

「その関係でもらったんだけど、俺たちも類さんも下戸だし、何本でもあげるよ」

「悪いなあ。大きいバッグを持って来てよかったわ」

坊屋がバッグから小道具のアルマジロの頭を取り出して棚に置いた。

「あっ、その頭は……」仏田がアルマジロを指差したので、あわてて足を蹴って黙らせる。

 あの時、スプリンクラーから噴き出した水によって、紙でできていたアルマジロの頭に

穴が開いたのだが、俺たちはそのことを知らないことになっている。アルマジロの頭はすっかり修復されている。といっても、上から新しい紙を貼り付けただけのようだが。

「けっこう入ったな」父田もバッグに一升瓶を詰め込んでいる。

 二人とも大きなバッグがパンパンになった。

「いや、おおきに」「今日から晩酌が楽しみになったわ」

 二人に感謝された。これで劇場出入り禁止処分の罪滅ぼしができたことにしよう。邪魔だった酒もたくさん減って、一石二鳥だ。残りは酒好きの貧乏な芸人仲間にあげよう。そんな奴らはいくらでもいる。ダンボールに“この酒はご自由にお持ち帰りください。カミホトケより”と貼っておけば、またたく間になくなるはずだ。

 スタッフが父っちゃん坊やを呼びに来た。劇場の出番である。

「なんや、もうそんな時間か。ほな、がんばってくるわ――坊屋、行こか」

「おう、今日も張り切ってやるでぇ」

 楽屋を出ようとする二人を仏田が引き留めた。

「おーい、忘れ物だよ」棚に置いてあるアルマジロの頭を指差す。

「今日はアルマジロのネタと違うねん」坊屋が言う。

「今日はタクシーのネタやねん」父田がハンドルを切るしぐさをする。

「じゃあ、がんばって笑わせて来いよ」俺はエールを送ってやった。

 ずうずうしいけど、悪い奴らではない。

 つまり、俺たちと同類ということだ。


~タクシー~


「まいど、父っちゃん坊やです。僕が父田です」

「僕が坊屋です」

「普段は大阪で漫才やってます」

「ときどきこうして、関東へ小遣い稼ぎに来てます」

「関東で稼いで、関西で使います」

「いやらしいな」

「よろしくお願いします」「よろしくお願いします」

「あんな、俺タクシーに憧れてんねん」

「ほな、ここでやってみるか――はい、お待ちどうさん、どちらまで?」

「渋谷までって、なんでやねん。お客さんやってどうすんねん」

「はい、お待ちどうさん、どちらまで?」

「今日もがんばって稼いでや。安全第一でなって、なんでやねん。タクシー会社の社長やってどうすんねん」

「はい、お待ちどうさん、どちらまで?」

「いつものブレンドとカツサンドでエエかって、運転手のたまり場の喫茶店のマスターやってどうすんねん。タクシーの運転手の方やんか」

「なんや、そっちかいな。ほな、最初からやろか」

「僕が言うで――はい、お待ちどうさん、どちらまで?」

「運転手はん、このお仕事は長いんどすか?」

「お客さんは舞妓さんですか?」

「いいえ、舞妓のマネしてるただのオッサンです」

「はい、お待ちどうさん、どちらまで?」

「会いたかった~、会いたかった~」

「お客さん、AKBのメンバーですか?」

「いいえ、AKBが好きなただのオッサンです」

「はい、お待ちどうさん、どちらまで?」

「ボンジュール、マドモアゼル、エスカルゴ」

「お客さん、フランス人ですか?」

「いいえ、フランス人に憧れてるただのオッサンです」

「はい、お待ちどうさん、どちらまで?」

「アディオス、アミーゴ、パエリア」

「お客さん、スペイン人ですか?」

「いいえ、スペイン人に憧れてるただのオッサンです」

「はい、お待ちどうさん、どちらまで?」

「ジャンボ! キリマンジャロ、サンコンさん」

「お客さん、アフリカ人ですか?」

「いいえ、アフリカに憧れてるただのオッサンです」

「はい、お待ちどうさん、どちらまで?」

「前の白い車を追ってくれ」

「白い車はたくさん走ってますけど」

「四角い車を追ってくれ」

「車はだいたい四角ですけど」

「タイヤが四つの車を追ってくれ」

「車はだいたいタイヤは四つですけど。お客さんは刑事さんですか?」

「いいえ、刑事に憧れてるただのオッサンです」

「はい、お待ちどうさん、どちらまで?」

「前の車を追ってくれ」

「お客さんは刑事さんですか?」

「いいえ、前の車と競争してる、ただのワイルドスピード好きのオッサンです」

「ほな、ぶっ飛ばしますよ」

「はい、スピード違反で逮捕な」

「なんでです?」

「これを見ろ」

「警察手帳! ということはお巡りさんですか」

「そや。今月はスピード違反の取り締まりのノルマが達成できそうにないんで、協力を頼むわ」

「ムチャクチャですやん」

「みんなやっとることや」

「見逃してくださいよ。今日の売上金、全部あげますから」

「分かった。それで手を打とう。ナンボある?」

「五千円です」

「アカン。逮捕や。五万円以上なら見逃すシステムや」

「そんなアホな」

「お客さん、マジックタクシーにようこそ」

「なんですかそれは?」

「目的地に到着するまでヒマでしょ。そやから、私がマジックをお見せして、楽しんでもらうというサービスをやってるんです」

「いらんわ」

「タダですよ」

「頼むわ」

「このハンカチを丸めて、おまじないを言うてから広げると――ほらこの通り」

「わっ、ハトに変わった。これはすごいなあ」

「このハンカチも、これも、こっちも……」

「ちょっと運転手さん、タクシーの中がハトだらけになりましたで」

「続きまして、この箱を開けると……」

「風船が出てきたな」

「この風船はドンドン膨らんで……」

「ちょっと運転手さん、タクシーの中が風船でパンパンになりましたで。うぅ、息ができひん。助けてくれ」

「お客さん、大丈夫ですよ」

「なんでや?」

「もうすぐ破裂します」

「わっー!」

「続きまして、この箱を開けると……」

「また風船が出てきたな。さっきやったやろ。破裂した音でまだ耳がキーンとなってんねん」

「さっきと違う風船です」

「だんだん膨らんで来とるで」

「大丈夫ですよ」

「なんでや?」

「もうすぐ破裂します」

「わっ! タクシーの中がビショビショやんけ!」

「水が入った風船でした」

「どないしてくれるねん」

「大丈夫です。只今、乾燥注意報が発令されてます」

「自然に乾くまで待てと言うんか」

「お客さん、カラオケは好きですか?」

「大好きやで。毎週歌いに行ってるわ」

「カラオケサービスもやってるんですわ」

「それはありがたいな。さっそく頼むわ」

「では、歌います」

「運転手さんが歌うんかいな」

「聞いてください、アイラヴ関西人」

「僕も大概の歌を知ってるけど、そんな歌は知らんなあ」

「私のオリジナル曲です」

「オリジナルを持ってるんですか」

「シンガーソングライターなんです」

「さっそく聞かせてください」

「では、歌を作ります」

「今から作るんかいな」

「即興で作りながら歌うんです」

「アイラヴ関西人というタイトルはできてたんか?」

「それも今、思い付きました」

「えらい、器用やな」

「では歌唱いたします。♪はぁ~、はぁ~、関西はヨ~、大阪はナ~」

「民謡ですやん」

「民謡のシンガーソングライターなんです」

「初めて聞いたわ」

「はい、お待ちどうさん、何しましょ?」

「何しましょはおかしいやろ。タクシーの中やで。店で注文聞いてるんやないねん」

「はい、お待ちどうさん、何しましょ?」

「きつねうどんください」

「おかしいやろ。なんでタクシーに乗って来て、うどん頼むんねん――はい、お待ちどうさん」

「おかしいやろ。なんでうどんが出て来るねん。しかも、これ、天ぷらうどんやろ。僕が頼んだのはきつねうどんやぞ」

「いいえ、天ぷらうどんでした」

「きつねうどんや」

「天ぷらうどんでした」

「きつねうどんや」

「ほな、ドライブレコーダーで確認しましょ――ああ、きつねうどんでした」

「そうやろ」

「すんまへん。お詫びにこの天ぷらうどんを差し上げます」

「ええの? 遠慮なくもらっとくわ。天ぷらが三つも乗ってますけど、何の天ぷらですか?」

「それはサツマイモで、隣もサツマイモで、その隣もサツマイモです」

「全部、サツマイモですやん」

「だってお客さん、芋ですやん」

「誰が芋やねん」

「お客さん、お住まいはどこですか?」

「滋賀県です」

「ほら、芋ですやん」

「芋は三重県やろ」

「三重県は東海地方でしょ」

「三重県は関西地方やろ」

「東海地方やけど、見栄張って関西地方やと言うとるんですわ。三重だけにね」

「タクシーの中で食べるうどんは最高やね」

「てやんでぇ! 気に入った! お客さんのことが気に入ったぞ! てやんでぇ! お近づきの印にこれを食べてくれ!」

「なんで東京弁になんねん」

「つべこべ言わずに、東京名物の東京ばな奈を喰え!」

「ほな、いただきます」

「どうだい?」

「まだ喰ってない」

「どうだい?」

「まだ喰ってない」

「早く喰わんか。ぶっ殺すぞ、この野郎!」

「まあ、うまいな」

「次はこれを食べてや。大阪名物の551の豚まんや」

「なんで大阪に戻ってんねん」

「どうや?」

「まだ喰ってない」

「どうや?」

「まだ喰ってない」

「早く喰わんかい。しばいたるぞ、このボケ!」

「いつも食べてるしな、うまいわ」

「次はこれを食べるでごわす。鹿児島名物のさつま揚げでごわす」

「なんで九州に行ってんねん」

「どうでごわすか?」

「まだ喰ってない」

「どうでごわすか?」

「まだ喰ってない」

「早く喰うでごわす。ぶん殴るでごわすぞ!」

「本場のさつま揚げはおいしいな」

「はい、着きました。お宅の自宅です」

「なんで僕の自宅を知ってるんですか?」

「それは内緒です」

「気持ち悪いやんか。料金はなんぼや?」

「タダです」

「東京へ行って、大阪へ行って、鹿児島へ行ったんやぞ」

「このタクシー、さっきから走ってませんから」

「なんでや?」

「私、新人なもんで、車のキーを挿し込む場所が分からないんです」

「どうやってここまで走って来たんや」

「車を押して来ました」

「一人で大変やったやろ」

「たくさんの人に押してもらいました。この街は平和でいいです」

「その人たちにキーを挿す場所を訊いたらよかったやん」

「ほう、なるほど」

「今頃気づいたんかいな」

「このへんに挿したら動きますか?」

「そこは僕の鼻の穴やろ」

「ここに挿したらいいですか?」

「そこはアンタの鼻の穴やろ。キーを挿す所はここや」

「なるほど――動きませんな」

「ひねらなアカンやろ」

「こうですか」

「アンタの鼻をひねって、どないすんねん。キーをひねんねん」

「おお、動いた。これで何とか帰れますから、お客さんはさっさと降りてください」

「もうこんなタクシーは乗らへんわ。はよ、ドアを開けて」

「どこを押したら開くのか分かりませんねん」

「そのへんのボタンを押してみ」

「こうですか」

「そこは僕の乳首や。もうエエわ」

「ありがとうございました」「ありがとうございました」


その後、父っちゃん坊やはこのタクシーネタで最高漫才コンクール、略してサイコンに出場したが、審査委員長である関西の大物女性芸能人に、うるさいだけで、全然おもろないと酷評されて、最下位の成績となった。

その際、父田が頭に来たのか、ウケを狙ったのか分からないが、女性大物芸能人にアンタほどうるさくないわと言い返して、大問題となり、今年二回目の半月間劇場出入り禁止処分を受けた。

大阪城を一夜にして更地にできる力を持つ大物女性芸能人に逆らってはいけない。


 類さんが元気なく楽屋に入って来た。

 また何かをやらかしたらしい。

 俺は練習していたけん玉をやめて、仏田の方を見た。仏田もエキスパンダーを止めて、俺の方を見た。目を合わせた二人は苦笑いするしかなかった。

「類さん、今度は何ですか?」俺は説明を受ける前に訊いた。「また詐欺に遭いましたか?」

 どうせ、涙を流す感動話ではないだろう。

「すまん」予想通り、謝ってくるが「宇宙飛行士になれなかった」

 また話が見えない。

「NASAが宇宙飛行士を募集してたんで、君たちの履歴書を送ったんだけど、ダメだったんだ」

「なんで俺たちを宇宙飛行士にするのですか。俺たちは高い所がダメなんですよ」

 しっかり文句を言っておく。

「お笑い芸人で宇宙飛行士になった人はいないでしょ」

「そりゃそうでしょ。逆に宇宙飛行士からお笑い芸人になった人もいないでしょ」

「野口聡一さんならできそうだよ」仏田がアホなことを言ってくる。「見かけは芸人だよ」

「失礼だろ。見かけで判断するなよ。あの人は東大の大学院を出て、超音速旅客機のエンジン開発をされてたんだぞ」

「すごいな。やっぱりそういう特技がないと、宇宙飛行士なんてなれないね」

「お前の特技は何だよ」

「大食いだよ」

「お前は何だよ」

「早食いだよ」

「両方とも宇宙空間では何の役にも立たないな」

「というわけで、類さん。二人とも書類選考で落ちて当然でしょ」

「君たちの一番いい顔の写真を貼り付けたんだけどな」

「キャバクラじゃないんですから、見た目で採用されませんよ。それよりも、スターウォーズのエキストラの時みたいな、NASA詐欺じゃないんですか」

「いや、どうかな」自信がないらしい。

「まさか」仏田が大切なことを訊く。「エントリー代を払ってませんよね」

「まさか」俺も追い打ちをかける。「73000円払ってませんよね」

「なんで金額を知ってるんだ?」類さんが驚く。

「73はNASAの語呂合わせじゃないですか」俺は呆れる。

「なるほど、そう来たか。だけどな」類さんは諦め切れないらしい。「二人で73000円だったんだ。良心的じゃないか」

「良心的な詐欺師なんていませんよ。あまり大きな金額だと支払うのに躊躇する人がいるから、そこそこの金額で抑えてるんですよ」

「二人は不採用だったって、履歴書も送り返してくれたんだよ」

 バッグから茶封筒を取り出して見せる。

「まさかゲロシンに振り込んだんじゃないでしょうね」

「今回はアメリカの銀行だよ。73000円を向こうのお金に換算して500ドル振り込んだんだ」

「ちょっとその茶封筒を見せてください――消印が下呂ですよ!」

 仏田も覗き込んで来る。

「下呂市に詐欺グループの秘密のアジトがあるんじゃないですか?」

「なんで下呂市に?」

「温泉が好きなんでしょう」

「だったら箱根でもいいじゃないか。下呂市に何があるんだ?」

「アパートの家賃が安いんじゃないか」

「そうかもしれないな」

 類さんはNASA詐欺に遭ったことが判明して、目からさらに力がなくなる。

「類さん、俺たちを有名にしたい気持ちはありがたいですけど、お人好しが過ぎますよ」

 だが類さんは何かを思い出したらしく、目に力が戻った。

「そうだ! NASAの宇宙飛行士に落ちた人のために、日本のJAXAを紹介してくれると言ってたんだ」

「連絡したんですか?」

「いや、まだこれからだよ」

「絶対やめてください」

「エントリー代は30000円ポッキリと言われたんだ」

「ポッキリという表現からしておかしいでしょ」

「確かにボッタクリみたいだね」

「ボッタクリなんですよ」

「ああ、それとね」

「まだ何かあるんですか」

「二人とも、男前ジャパンコンテストも書類選考で落ちたよ」

「何に応募してるんですか。あれは日本一のイケメンを決めるコンテストですよ」

「俺たちの顔を見れば分かるでしょ。履歴書を送る封筒代と切手代の無駄ですよ」

 二人で交互に文句を言う。自分たちの顔がどんなものか自覚できている。

「何かの間違いが起きて、一次審査くらい合格しないかなと思ってね」

「俺たちが合格するんだったら、応募者全員がもれなく合格しますよ」

「全国に男前ジャパンが一万人くらい誕生しますよ」

 さらに文句を言ったが、類さんには暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐にかすがいだった。


秋になって、カミホトケは純愛女子高等学校の学園祭に招かれた。

もちろん俺たちが男前ジャパンコンテストに応募できるほどカッコイイから招かれたわけではない。まあまあ人気が出てきたからである。今年はすでに何校かの学園祭に呼んでもらっているが、女子高は初めてである。気合が入って当然である。付いて来なくてもいいのに、類さんも気合十分で来ている。気合が漲っている類さんを初めて見た。

なんといっても憧れの女子高である。女の花園である。しかもお嬢様学校である。何かの間違いが起きるのなら、ここで起きてほしい。

“純愛女子高等学校”

校門に書かれている名前を確認する。いかにもお嬢様が通う学園名である。

「ここだね、間違いない――さあ、行こう!」

類さんが先頭を切ってズンズン歩き出した。こんなにテンションが高い類さんは見たことがない。こんな大股で歩く類さんも見たことがない。

「さすが女子高。花壇が多いね」仏田が感心する。

 確かにあちこちでいろいろな種類の花が咲いている。

 だが、校内には誰も歩いていない。確か今は学園祭の真っ最中だから、授業中ということはないはずだ。

「類さん」前を歩く類さんを呼ぶ。「生徒がどこにもいませんね」

「みんな、体育館に集まってるんだ」類さんが振り返って言った。「そこへ君たちがいきなり登場するというサプライズなんだ。先生には言っておいたよ」

「ちょっと待ってくださいよ。俺たちが出て行って、エエーッ、ガッカリとなったらどうするんですか?」仏田が文句を言う。

「それよりも、あの二人は誰? となるかもしれませんよ。ハードルを上げ過ぎですよ」俺も文句を言う。最近、類さんへの文句が多い。

「そこまで考えてなかったなあ」類さんは平気な顔をして、歩いて行く。

 俺たち二人はあまりのショックで歩くスピードが落ちる。

「俺たちはそこまで女子高生に人気ないよな」

「他にも芸人を呼んでいてくれればなあ」

「残念ながら、俺たちだけらしい」

「笑い上戸の生徒が集まってないかな」

「そもそもお嬢様は漫才を見るのか?」

「家では禁止されてるかもしれないな」

「NHKのニュースしか見てないかもしれないな」

「せめてエンタの神様は見てほしいよな」

「俺たちは出てないけど」

 やがて大きな体育館が見えて来た。

「ああ、あそこだ」類さんが嬉しそうに指を差す。「体育館の裏から入ると、小さな控室があるらしい。いったんそこで待機してから、タイミングを見計らって、みんなの前に出るという流れだよ」

「丸っこくて、かわいいい体育館だな」仏田が感心する。「さすが女子高は違うね――神山、そんな深刻な顔をするなよ。あいつらは誰って言われても、後から笑わせてやったらいいんだよ」仏田はもう気持ちを切り替えている。立派なのか鈍いのか。

「類さんもお前も悩みがなくていいよなあ」

 類さんがまた振り返った。

「体育館の控室で学園祭の実行委員長が待ってるらしいよ」

「実行委員長か。かわいかったらいいな」

「ああ、女子高だからな、それだけが救いだ」

「かわいくて頭が良いかもしれないね」

「世の中、そんなにうまくいかないよ」

 俺はヤケクソになってつぶやいたが、

「かわいくて、頭が良くて、運動神経がバツグンで、家柄が良くて、大金持ちかもしれないなあ。天が気まぐれで五物を与えたかもしれないじゃないか」仏田の夢は果てしない。

 体育館は静まり返っていた。すぐ脇を歩いても、物音一つしない。窓は高い位置にあり、中は覗けない。いったい中はどうなっているのだろう。

「教育が行き届いてるから、私語を慎んで、膝の上に手を置いて、背筋を伸ばしながら、静かに待っておられるんだよ。さすがお嬢様学校は違うよね。さあ、急ごうよ」

 仏田もテンションが上がって来たらしく、類さんに追い付いて、並んで歩き出した。

 俺はそんな二人を後ろから冷やかな目で見つめる。

 サプライズで出て行っても、ウケなかったら、どうするんだよ。

箸が転んでも笑う女子高生が笑わなかったら、どうするんだよ。

俺たちは箸以下の存在になってしまうではないか。

だとしても、割り箸じゃなくて、漆塗りの高いやつにしてほしい。

そして、類さんが体育館裏の控室を三回ノックした。

「はい、どうぞ」という声が聞こえて来た。

 えっ、なんで?

 俺たち三人は顔を見合わせた。

「とりあえず、入ろうか」類さんがドアを開けた。「失礼します」

「カミホトケのお二人ですね、お待ちしてました。学園祭実行委員長の畑川健太郎です」

 男子生徒が立っていた。


「カミホトケの仏田です」「神山です」「マネージャーの入間類です」

「あのう」仏田が目の前に立っている生徒を遠慮なく見つめる。「学園祭の出し物で男装されてるんですか?」

「男装? いいえ、僕は男性ですけど」

「ここは女子高ですよね」

「ああ、そういうことですか。純愛女子高等学校は男子校になったんです」

「えぇ!?」仏田と俺は驚いて、類さんを見た。

 類さんも驚いていた。「それはいつの話ですか?」

「一週間前です」

「一週間前!」「一週間前?」「一週間前!?」

「世間に内緒で、こっそり男子校になったのですか?」仏田がアホことを訊く。

「ちゃんと報道されてますよ。ご存じなかったのですか」

「女子高から男女共学になって、それから男子校になるんじゃなくて、女子高からいきなり男子校ですか。一足飛びというやつですか」

「はい、そうです。少子化の影響で学校の統廃合が進んで、この辺りはたまたま男子が多くて、こういうことになりました」

「純愛女子高の生徒さんはどこに行ったのですか?」がっかりした類さんが訊く。

「空聖女子高と統合されました」

 なんと、女子高生が二倍じゃないか!

 ああ、そっちに行きたかったなと思ったが、口には出さない。じゃあ帰ってくださいと言われたら困る。

 遠くから工事の音が聞こえて来た。

「学園祭の最中ですけど、男子校に変わったための工事が行われてます。あれはトイレの増設工事です。女子高のトイレには個室しかありませんから、男子用にさっと済ませられる小便器を作ってほしいという要望があったからです」

「男なら連れションしたいですからね」

 仏田がバカな意見を述べる。

「女性が個室以外で用を足しているところは見たことがないですからね」

 さらに仏田がまるで女子トイレを覗いたことがあるようなアホな意見を述べる。

「女性ばかりだった場所が男性ばかりになったのですから、何かと面倒ですよね」

 類さんは常識のある意見を述べる。

「学食のメニューも、一から作り直してます。今まではパスタとかドリアとかスイートポテトとか、女子用のメニューでした。男子としては肉なんかをガッツリ食べたいですからね」

「お嬢様はカツ丼なんか食べないのだろうな」仏田が食べ物の話に割り込んで来る。「お嬢様が警察に捕まって、取り調べのときに、刑事からカツ丼でも喰うかと言われても、断るのだろうな。それじゃ、いつまでたっても自供しないよな。あっ、そうか。サラダを食べさせたらいいんだ。パンケーキもいいかもなあ」

「学内にいる女性は学食のオバちゃんだけです」

 畑川君は仏田の発言を無視して教えてくれた。

「なかなかいい体格をされてますけど」類さんが畑川君に訊く。「何かクラブ活動をされてるのですか?」

「僕は空手をやってます。といっても空手部がなかったので、新しく作りました」

「ほう、それはすごい。お嬢様学校に空手部はありませんでしたか」

「編み物部とか押し花部とかお菓子作り部とか、そういうのばかりです」

「なるほど、お嬢様だ」

「茶道部もあって、茶室もあるのですが、入部する男子がいなくて、どう使おうかと悩んでます。静かな所ですから、食後の昼寝にはちょうどいいのですが。あと、ディズニー部もありましたね。週に一回は観光バスでディズニーランドに行ってたみたいです」

「すごい。それもお嬢様ならではですね」

「年に一回は飛行機をチャーターして、フロリダ州とカリフォルニア州のディズニーランドに行っていたみたいです」

「ああ、そうですか」類さんは驚いて声が小さくなる。

「向こうが本場ですからね――そろそろ時間が来ましたので、カミホトケのお二人、よろしくお願いします」

 俺と仏田は男子生徒千人が待つ舞台に向かう。

「男子は女子ほど笑ってくれないだろうなあ」仏田がここに来て、心配げにつぶやく。

「男子高生とは十歳くらいしか変わらないけど、俺たちからすると、宇宙人みたいだからな」

 俺も少し不安を覚える。

「頼んだぞ」類さんは俺たちのケツを叩いて、励ましてくれた。


さて、出陣じゃ。


   ~宇宙人~


「どーもー、カミホトケです。私が仏田バチで――」

「私が神山ジュージです」

「男子高生のみなさん、よろしくお願いします」「お願いします」

「やっと見つけたぞ。あれが地球と呼ばれる惑星か。さっそく地球人を捕獲するとしよう――おいロボット、あの青い場所に着陸しよう。宇宙船を操縦してくれ」

「かしこまりました」

「――なんだここは。水の上じゃないか。何かたくさん泳いでるな。あれが地球人じゃないのか。おい、ロボット、調べてくれ」

「スキャンしました。イワシです。魚類です」

「大きいのが泳いでるぞ。あれが地球人だろ」

「スキャンしました。マンボウです。魚類です」

「では、あれだろ」

「スキャンしました。ウミガメです。爬虫類です」

「上に乗ってるのが地球人だろ」

「スキャンしました。アクアマンです。ヒーローです」

「こっちにもウミガメに乗ってるのがいるぞ」

「スキャンしました。海のトリトン。古いアニメのキャラです」

「あっちはどうだ」

「スキャンしました。浦島太郎。古い童話のキャラです」

「われわれと同じ形の物体が浮いてるぞ」

「スキャンしました。土左衛門。地球人の水死体です」

「やっと地球人に会えたのに死んでるのか。どこかへ葬ってあげよう――わっ、何か来た!土左衛門を咥えて行った」

「スキャンしました。ホオジロザメです。ジョーズのモデルです」

「地球人は水の中にいないな。茶色い場所に着陸しよう。そこだと捕獲できるだろう」

「――ここが陸地か。あそこに地球人らしき生き物がいるそ。ロボット、調べてくれ」

「スキャンしました。ばあさんです。地球人です」

「やっと生きてる地球人に会えたか。あれを捕獲して、人体の調査をしよう。今から連れて来るから、ロボット、お前は宇宙船で待っててくれ」

「はい、かしこまりました」

「地球には観光に来たとか言って、油断させて捕まえてやろう」

「大丈夫でしょうか?」

「小さくて弱そうだから、簡単に捕獲できるだろう」


「どうも、ばあさん。われわれは宇宙人だ」

「われわれって、アンタ一人しかおらんだろ」

「いや、これは決め台詞なもので。枕詞と言うか、キャッチフレーズと言うか」

「地球人もアンタから見ると、宇宙人だろうよ」

「またそんな屁理屈をおっしゃって」

「宇宙人とやら、オラに何か用か?」

「今からばあさんを捕獲……ではなく、まあ、何と言いましょうか。あの、あのねえ、そのねえ」

「おい、宇宙人。アンタ話し方がおかしいな」

「アウトレットで買った自動翻訳機ですから、あまり性能がよくありません」

「安かったのか?」

「普段はクーポン使うとお得になるのですが、今は優勝セールをやってまして」

「何の優勝なんだ?」

「惑星間の戦争です。スターウォーズと呼ばれてます」

「戦争ならオラも体験したぞ。大変な目に遭ったわ。あれは悲惨だ。二度と戦争はやったらイカンぞ。平和が一番だ。分かったか、宇宙人」

「はい、承知したしました。ばあさんはここで何をされてましたか?」

「見りゃ分かるだろ、作物の収穫だ。おい、宇宙人、ちょうどいい。オラを手伝え。そこの芋を引っこ抜いてくれ」

「これはどうやって?」

「宇宙人はこんなことも何も知らんのか。こうやって引っこ抜いて、土を落とすんさ」

「こうですか」

「なかなか筋がいいじゃないか、宇宙人」

「よっこいしょ」

「もっとテキパキとやらんか、宇宙人」

「はい、すいません」

「次はこのニンジンも抜いてくれ。その後はカボチャだ」

「人使いが荒いですね」

「アンタは人間じゃないだろ。ほら、もっと腰を入れんかい、宇宙人」

「これでは捕獲どころじゃないな」

「アンタはオラをどうにかしようと思ってるのか?」

「いや、そんなことはありません」

「宇宙人はババ専か?」

「滅相もございません」

「ブス専か?」

「とんでもございません」

「デブ専か?」

「もってのほかでございます」

「ならば、何しに来たんだ?」

「地球には観光でやって来ました」

「ここは田舎だから、見る所はないぞ」

「いや、山も川もありますから」

「宇宙人の星には山も川もないのか?」

「あるのですが、汚いと言うか、何と言うか、まあそのう」

「ブツブツ言ってないで、働け、宇宙人。それじゃ日が暮れるぞ」

「確かに、太陽が沈みそうです」

「宇宙人は科学が進化しているから、機械にばっかり頼って、体を動かさないのだろう」

「進化とともに、ひ弱になってきました」

「タイマン張ったら、オラの方が強いだろ」

「そう思います――ああ、腰が痛いよぉ」

「泣き言を言うな。それでも宇宙人の端くれか」

「はるばる地球までやって来て、どういう状況なんだよ」

「働かざる者、食うべからずということわざが地球にはあるぞ。宇宙人の星にはないのか」

「そんな過酷なことわざはありません。働かざる者、ボチボチがんばろうということわざがあります」

「宇宙人の根性なしが! さっさとカボチャのヘタを切って、収穫せんか」

「はい、すいません」

「最近の農業は後継者がいなくて困っとるんじゃ。宇宙人、オラの後を継がんか。宇宙人が作った米なら評判を呼んで売れるだろ。銀河ニシキとか、宇宙こまちとか」

「なかなかいいアイデアだと思います」

「おい、宇宙人。手が止まってるだろ。オラを見てみろ。口が動いている間も、手は休めないで動いとるだろ。これが農業だ」

「はい、勉強になります」

「はあ、宇宙人に期待したオラがバカだったわ」

「ばあさんのご期待に沿えなくて、すいません」

「次はあの木に登って、実を取って来てくれ」

「承知いたしました――痛い! なんか刺さりました」

「栗を素手で掴むバカがいるか。ほら、軍手を投げるから使え」

「次はそっちの木に登って、収穫しろ」

「これは何の実ですか。甘い香りがしますけど」

「宇宙人のくせにバナナも知らんのか」

「初めて見ました」

「横の実も収穫しろ」

「これは何ですか?」

「ミカンだ。食べるときは、一日三個までにしろよ」

「なぜですか?」

「食べ過ぎると、手が黄色くなるんだよ」

「宇宙人もそうなりますか?」

「食べさせたことないから分からんけど、体中が銀色なのに手だけ黄色いと変だろ」

「変種の宇宙人と思われます」

「次は隣の実を取れ。それは桃だ。その隣の実も取れ。それはスモモだ」

「スモモも桃ですか?」

「スモモも桃も桃のうちだ」

「スモモも桃も桃……?」

「アンタは宇宙人のくせに滑舌が悪いな」

「宇宙人は滑舌がいいものなんですか?」

「つべこべ言わず、次はあっちの木に登れ」

「まだあるのですか」

「おい、宇宙人。ガタガタ言わずに働かんか。オラは朝から晩まで働いとるぞ」

「なんかこの木は高いですね」

「地上から宇宙までの高さに比べたら、屁みたいなもんだろ」

「この実を取ってから、どうするのですか?」

「そのまま下に落とせ」

「ああ、こうですか。この実は何ですか?」

「宇宙人の星は高度な文明が栄えているのだろ。なのに何も知らないんだな」

「どうも、すいません」

「ヤシの実だよ」

「――ああ、やっと終わった。体のあちこちが痛いです」

「これを塗っておけ。アンメルツだ。よく効くぞ」

「何か、伸びますけど」

「ノズルが伸びて、背中の真ん中まで届くんだ。便利だろ。宇宙人には背中がないのか」

「さすがに、背中はあります」

「収穫した農作物と果物はあの荷台に乗せてくれ」

「何ですか、あれは?」

「宇宙人の分際で軽トラも知らんのか」

「軽トラは空が飛べるのですか?」

「アンタはバカか。飛べるわけねえだろ。地面をガタガタ走るんだよ」

「発展途上星ですね」

「軽トラが飛んだら、オラも飛べるわ」

「ばあさんは飛べるのですか?」

「バカか、宇宙人。冗談に決まってるだろ。オラの背中に翼が生えて、パタパタ飛んでたら、日本野鳥の会に通報されるわ。つべこべ言わずに荷台に乗せろ、宇宙人」

「――はい、全部乗せました」

「がんばったな、宇宙人。アンタは何人で地球に来とるんじゃ?」

「私とロボットの二人です」

「ロボット? まあいい。これ持って行け」

「これは何ですか?」

「手伝ってくれたから、お駄賃だ。芋とニンジンとカボチャだ。新鮮だからうまいぞ。こうやってビニール袋に入れてやったから、持って行け」

「ありがとうございます」

「カボチャにはビタミンAが豊富に含まれておるから、風邪の予防にいいぞ。宇宙人に効くのか知らんがな。煮て喰うのが一番うまいわな。宇宙人だからといって、喰って死ぬことはねえだろ」

「ありがたく頂戴いたします」

「この日本酒もやろう。さっき近所のオヤジからもらったんだ。だけど、飲酒運転はダメだぞ。宇宙人は運転するのか?」

「宇宙船は自動運転です」

「自動でも手動でも酒飲んで運転したらダメだろ」

「ワープするだけですから」

「コープなら毎週オラの家の前に来るぞ。便利でいいな、あれは」

「ばあさんはワープを知ってるのですか?」

「昔は生協と言っとったけどな」

「セイキョウ?」

「これも持って行け。おにぎりだ。ちょうど二個ある。ロボットとやらと一緒に喰えばいい」

「これはばあさんの食べ物じゃないのですか?」

「心配するな。まだ一個残っておる」

「では、いただきます」

「宇宙人は結婚してるのか?」

「いいえ、独身です」

「国際ロマンス詐欺には気を付けろよ」

「よく分かりませんが、気を付けます」

「今日はありがとよ、助かったわ――じゃあ、宇宙人、達者でな。ロボットとやらにも、よろしく伝えてくれよ」


「――おい、ロボット、今帰ったぞ」

「お帰りなさいまし、ご主人様」

「ばあさんから農作物と日本酒とおにぎりをもらってきた」

「なぜ私の分もあるのですか。食べられませんよ」

「ばあさんはロボットがどういうものか知らなかったのだろう」

「なぜ下半身がビショビショなんですか?」

「レンコンの収穫もさせられた」

「泥の中で育つ作物ですね」

「ロボットは分からないだろうが、全身にアンメルツを塗っていて、とても臭い」

「ばあさんをいつ捕獲するのですか?」

「おい、ロボット。このお土産の山を見ろ。ばあさんが自分で食べる分もくれたんだぞ。こんな素晴らしい地球人を捕獲できないだろ」

「われわれのミッションはどうなるのですか?」

「黙れ、ロボット!」

「何をするのですか……」

「貴様なんか、電源を切ったら、ただの金属のかたまりじゃないか」

「わぁ、目の前が暗くなってきた」

「アウトレットで買って来た寿司ロボットは使えないな」

「シャリを握るロボットに宇宙船の操縦をさせないでくだ……」

「さて、ワープするかな。だけど、ばあさんが言っていたセイキョウって何だろうな」

「ありがとうございました」「ありがとうございました」


 仏田はこのネタをやるために、ロボットの頭を被り、おばあさんの頭を被り、またロボットの頭を被って、一人二役でがんばった。男子学生にはそこそこウケた。実行委員長の畑川君は面白かったですと言って、喜んでくれた。仏田は男女共学へ戻れるようにがんばってねと畑川君を励ましていた。どうがんばればいいのか知らないけど。

ギャラは安いけど、学園祭はいいものだ。俺たちにもあんな若い頃があったんだよなあ。

そして驚くことに、あの七三分けの黒いサングラス男が見ていた。

 漫才の途中で気づいたのだが、生徒に混じって、出口付近でちゃっかり座っていたのだ。今日も漫才が終わったとたん、帰って行ったようだ。学園祭は一般の人も入れるので、生徒の身内だとか言って座ったのかもしれない。ファンに違いないのだが、ここまで来ると不気味に感じる。だが、何も被害は受けてないし、不都合なこともないため、このまま成り行きに任せるしかなかった。

 仏田はこのサングラス男のことを漫才界の黒幕と名付けた。

 俺は絶対違うと思った。


「二人には今まで私が考えた数々の作戦を実行してもらいました」

 類さんが俺たちの前で演説を始めた。

 劇場の午後の出番が終わって、後は仕事が入ってないため、家に帰るだけなのだが、類さんに引き留められた。

「クイズやけん玉や鉄道や恐竜やキャンプなどです」

 確かにいろいろとやらされたけど、だんだん飽きて来たんだよなあ。けん玉のやり過ぎで手首は痛いし、イントロテープの聴き過ぎで耳は痛いし、恐竜の名前はいまだに覚えられない。しかも、これらに関連した仕事はまったく入って来ない。こんなことをやる意味はあるのかと思うようになっていた。だけど、類さんには何やら新しい作戦があるらしい。嫌だけど、聞くだけ聞いてみよう。無理なら断ればいい。脳みそは破裂しそうだ。

「ここで振り返ってみると、一番効果があったのは、劇団員の協力で行った仏田君襲撃事件です。あの事件でカミホトケは一躍有名となって、出待ちの女性を始めとして、ファンが増えました。もちろん仕事も増えました。だからもう一度仕掛けます」

「えっ、また北白さんに頼むのですか!?」

 俺が訊く前に、仏田が興奮して叫んだ。

 背が高くて、笑顔が素敵な舞台女優さんだ。当然、俺もまた一緒に仕事がしたい。ニセ襲撃事件を仕事と呼んでいいのか分からないけど、会いたいのは確かだ。

「いや、北白さんには頼みません。今度はもっと派手にやるつもりです。すでに打ち合わせは済んでます。さっそく行きましょう」

 類さんは突然立ち上がると、楽屋を出て、ズンズン歩き出した。

 俺たちはあわてて追いかける。

 今回の作戦も嫌な予感しかしない。

仏田を見るとうれしそうだ。北白さんがいなくても、北白さんに匹敵するような女優さんにまた会えると思っているのだろうが、世の中、そんなに甘くはない。

 そして、確かに世の中は甘くなかった。

 目の前に反社そのものの男が座っていたからだ。

「痛みつけるのは、この二人のお兄ちゃんでいいのかい」

反社丸出しの男が低い声で言った。


類さんに連れて来られたのは三階建てのビルだった。建築会社の看板がかかっている。

俺たちに建築のアルバイトをさせようというのか。

建築の仕事は高い場所に上ることが多い。俺たちは揃って高所恐怖症だ。バンジージャンプを飛んだときは一日中具合が悪くなって、メシが喉を通らなくなった。困ったことに、類さんはNGにしている仕事も平気で受ける。俺たちを売れっ子にしようとする気持ちが空回りしているのだ。

類さんはなぜか、ビルの入口にある防犯カメラに向かって頭を下げると、呼び鈴を押した。

すぐに重そうなドアが開いて、恐ろしい顔面の男が出てきた。

男は俺たち三人の顔を順番に見ると、背後にも目を向けてから、ドスの利いた声でどうぞと言った。

ここは建築会社ではない。建築会社を隠れ蓑にしている反社の組織だ。だから類さんは礼儀として、防犯カメラに一礼したんだ。

なんて場所に連れて来たんだよ。

もしや、反社の皆様の前で漫才をしろということか。

あの方たちは面白くても、大口開けて、ゲラゲラ笑わないと思うぞ。

俺たちは長い廊下を行く。絵画や置物がたくさん飾られている。

仏田が小さな声で言って来た。

「この会社随分儲かってるよ。高そうな調度品ばかりだよ」

まだ反社の事務所だとは気づいてないらしい。だけど、ここで教えるわけにはいかない。前を歩く恐ろしい顔面の男に聞こえたらヤバい。

やがて俺たちはエレベーターで三階に上がった。

そこで待っていたのは会社の社長、おそらく反社の親分さんだった。

デカい机に座っていたそのお方に類さんが挨拶をした。

「先日はありがとうございました。芸能事務所インスペースの入間類です。そして、こちらが所属芸人カミホトケの仏田で、隣が神山です」

俺たちは直立不動になってから、膝に額が付くくらい深々とお辞儀をした。

壁際には三人の屈強な男が立っている。ボディガードに違いない。

「痛みつけるのは、この二人のお兄ちゃんでいいのかい」

反社の親分が低い声で言った。

 えっ!? 痛みつける? 聞いてないぞ。

 そうか、襲撃事件をもう一度仕掛けるというのは、このことか。

 前回は劇団員が迫真の演技をしてくれたが、今回はどうなるんだ。

 俺は三人のボディガードをチラッと見た。

まさか、マジでこの反社の皆様に襲われるのか。そもそも、この人たちに襲う演技はできるのか。劇団員と違って、素人だろう。まさか元演劇部のボディガードじゃないだろう。ケガしたら漫才できないぞ。死んだら、それどころじゃないぞ。死んで花実は咲かないぞ。類さんは何を考えてるんだ。これじゃ高所で建築作業をする方がよほどマシじゃないか。

仏田を見ると、さすがにこのカラクリに気づいたようで、顔が真っ青になっている。

「では、入間君と仏田君と神山君とルラカ君、立ち話もなんだから、座ってくれるかな」

 親分様は応接セットを示した。

 ルラカ君って誰だよ。ボディガードの一人か。

後ろを向くと、東南アジア系の若い男が立っていた。

「わっ!」

 三人とも驚いた。

 いつの間にか足音も立てず、すぐ後ろに忍び寄っていたからだ。ネコ科の人間か?

 ルラカ君は俺たちを見て、ニッと笑った。若いのに歯が一本しかなかった。

 高そうな応接セットに向かう。親分様も付いて来る。

仏田が小さな声で訊いてきた。

「東南アジアにも忍者がいるのか?」

 アホな質問はスルーした。

 おそらく、ルラカ君は俺たちを襲う側の人間だ。足音も立てず、獲物に近づくことができるプロフェッショナルかもしれない。

 親分様が応接セットの端の席、いわゆるお誕生日席にドカッと腰かけたのを見て、俺たちも座った。あまりのクッションの良さに、三人とも体が後ろに反り返った。ルラカ君は座ったことがあるらしく、平気な顔で一本の歯を見せている。

最近見かけるようになった七三分けの黒いサングラスの男は、この反社の関係者じゃないかと思ったのだが、考えてみると、反社に七三分けはいないだろうし、あの男はスリムで、ボディガードの半分くらいの体重しかないし、反社が学園祭まで漫才を見に来たりしないだろう。

だから、あの男は反社ではないと結論付けた。

仏田が言うように、マジで漫才界の黒幕なのかもしれない。

親分様が俺たち四人を見渡した。

三人のボディガードもさりげなく、応接セットの近くまで来ている。俺たち四人は反社の四人に囲まれた形だ。いや、ルラカ君は向こう側だから、三人が五人に囲まれているのか。 

いずれにせよ、ここまで来たら簡単に帰れないだろう。逃げても捕まるに違いない。

どうするんだよ、類さん。

「本来、カタギからの仕事は受けないんだけどな」親分様が類さんを見つめる。「カミホトケを売り出そうとする心意気を買ってやったというわけだ」

「はい、ありがとうございます」類さんはガラスのテーブルにぶつからんばかりに頭を下げた。

「売り出すために、我々反社を利用するとは見上げた根性だ」

「そんな、利用するなんて、滅相もございません。私どもはご協力を願いたいだけでございます」

 類さんは、時代劇で殿様の前にひれ伏す家臣のように、頭を下げたまま口上を述べる。

 苦しゅうない、面を上げいと言われないので、頭は下げたままである。

「この手の依頼なら百万が相場だ。だがな、カミホトケのお二人さん」

 俺と仏田は背筋を伸ばす。

「君たちのマネージャーの入間君は値切ってきたのだよ」

 反社の相場を値切った!?

 類さん、なんてことをするんだよ。

 指摘された類さんは驚いて、面を上げた。

「私もこの業界が長いが、値切られたのは初めてだよ。最終的に百万円が八十万円になった。気づいてると思うが、今回の仕事をするのはルラカ君だ。だからルラカ君と私たちで四十万円ずつ山分けをする。ルラカ君の国では四十万円で総入れ歯が作れるらしい」

 親分様がルラカ君の口元を指差すと、ニタっと笑って、一本だけ残っている歯を見せた。

「ちなみにルラカ君は日本語がさっぱり分からない」

 親分様の表情を見て、ここは笑ってもいいと思い、一本歯を見せたのだろう。

「そして、残りの四十万円は私たちがいただく。といっても、一食分の食事代に過ぎないがね」

 一食四十万円だって!?

 たぶん高級ワインをポンポンと開けて、おつまみをチョビッと食べて四十万円なんだろうな。

ところが仏田はまたアホなことを言った。

「みなさんはたくさん食べるのですね」

 親分様と三人のボディガードが回転寿司を四十万円分食べるとでも思ったのだろう。食事の質ではなく、量を思い浮べるところが貧乏人たる所以だ。俺も貧乏人の端くれだけど。

 ありがたいことに親分様は仏田の発言を無視してくれた。

「では、決行は明日の午後でいいね」親分様が類さんを見る。

「はい、結構でございます」

まさかシャレを言ったんじゃないだろうけど、明日とはいきなり過ぎる。明日の昼はスーパーの催事場で司会の仕事が入っている。その後にやるのだろうか。

親分様が詳しい場所を指定してきた。

「ここからは遠いが、私たちのシマでやるわけにはいかない。真っ先に疑われるからな。仕事を終えて、歩いて駅に向かう二人をルラカ君が襲うという計画だ。といっても半殺しにしたり、大ケガをさせたりはしない。加減がよく分からないから、ここでリハーサルをやるかね」

 リハーサルだって!? 今日と明日の二回襲われるということじゃないか。できれば、痛い思いは一回だけで勘弁してほしい。仏田も黙ったままだ。

 やがて、俺たちは部屋の隅に連れて行かれた。

 親分様に指示されて、仏田がルラカ君と向き合っている。

 仏田の体はデカいが、スポーツ経験はない。

 一方、ルラカ君は小柄で痩せている。

 格闘技の経験なんかないけど、仏田が勝ってしまったらヤバい。そのためにリハーサルをやるのだろう。三人のボディガードが周りを囲んでいる。あの人たちと戦うよりもマシだけど。

「よしっ、始め!」親分様が合図をした。

 瞬間、仏田が後ろにはじけ飛んで、背中から壁に激突した。凄まじい衝撃音がして、天井からパラパラといくつもの破片が落ちて来る。

 何が起きたか分からない。撮影してないから、スロー再生なんかできない。

 仏田は壁に背中を付けたまま、ズルズルと崩れ落ちる。

「ルラカ君、やり過ぎだよ」親分様が薄ら笑いを浮かべながら注意をする。「やり過ぎ。分かるか、言ってる意味が。もっとソフトにやってくれ。ソフトだ」

 ルラカ君はソフトと言われて理解できたようで、仏田に駆け寄って、体を起こしてあげている。

「ああ見えて、ルラカ君はシラットの使い手なんだよ」

 シラット?

 俺たち三人がポカンとしていたら、説明してくれた。

「東南アジアの伝統的な武術だよ。たくさん流派があるらしいが、ルラカ君は蹴りを得意としている――そうだな?」仏田を見る。

「ハア、ハア、ハア、そうです……」

 胸を押さえているところを見ると、前蹴りを喰らったらしい。

 デカい仏田をぶっ飛ばすくらいだから、ルラカ君は相当の技の持ち主だ。歯は一本しかないけど。もしかしたら、戦いの場で歯が取れてしまったのかもしれない。

恐るべし、シラット。

 ボディガードの一人が身振り手振りでルラカ君と話している。本番ではちゃんと手加減するように念を押してくれているようだ。ルラカ君は理解できたようで、ウンウンと頷いている。なんといっても、総入れ歯がかかっているので、仕事の段取りはしっかり覚えておかないといけない。

 ルラカ君は仏田に歩み寄ると、頭を下げて、ハグをした。

たぶん普段はいい奴だ。無理にでも、そう思うことにした。


 翌日、俺たちはスーパーの司会の仕事を無事に終えた。

 驚くことに、スーパーの客の中にあの七三分けの黒サングラスの男が立っていた。ここまでやって来るとは、いったい何者なのか。優秀な俺たちを大手の芸能事務所が引き抜こうとしているのか。いや、それはない。優秀なんておこがましい。そんな大物ではない。今はそんなことを考えている場合ではない。この後、デカい仕事が待っている。シラットの使い手ルラカ君と組んで、ニセ襲撃事件を起こすのだ。八十万円の経費がかかっているのだ。またしてもカミホトケが襲われたと芸能ニュースで報道されて、有名になるという血も凍るような作戦だ。

 時間と場所は綿密に設定された。

 犯行後、ルラカ君はすぐ空港に向かい、帰国の途につく。そのためのチケットはあらかじめ買ってある。万一、警察が急いで空港に向かったとしても、ルラカ君はすでに空の上を飛んでいる予定だ。何の証拠も残さない。完全犯罪の成立である。

 あとは、その場に居合わせた通行人がどれだけネットで拡散してくれるかだ。スーパーの近くだから、買い物に来たやじ馬根性丸出しの中年オバちゃんが多いだろう。そんなことも考慮して、襲撃場所と時間は選んである。

 そして、予想通り、人通りは多かった。

 俺たちは二人並んで、広い歩道をゆっくり歩く。類さんはスマホを持って、どこかに隠れて見ているはずだ。ネットへの投稿が少ない場合は、類さん自らが撮影した動画を投稿することになっている。自作自演だ。莫大な経費がかかっているが、とてもセコイ作戦だ。

 目の前にゆらりとルラカ君が現れた。黒いキャップをかぶり、黒いマスクをしている。服装も地味な茶色の上下だ。これから目撃する人も、これだと外国人かどうかも分からないだろう。

 俺たちは知らんふりをして歩く。さっきのスーパーのイベント会場にいたオバチャンたちが、お二人さん、がんばってねと声をかけてくれる。もちろんニセ襲撃事件をがんばれという意味ではない。今後の俺たちの活躍を期待してくれているのである。ありがたいことだ。

 俺はここで空しさを感じた。今日はクリスマスイブだったからだ。混んでるはずだ。みんな楽しそうに歩いているのに、俺はここで何をやってるんだろう。

 やがて、ルラカ君と向き合った。

 しかし、キャップを深くかぶっているため、どこを見ているのか分からない。周りを見るが、通行人は誰も俺たちの方を見ていない。

ルラカ君が突然大声をあげた。

 彼の国の言葉だろうが、意味は分からない。分からなくても構わない。人々の注目を集めるために、わざと大きな声で叫んだからだ。これも作戦のうちだ。

たくさんの人が何事かと立ち止まった。

 気の早い人はスマホを向けている。これから何が起きるのか分からないというのに、SNSNに投稿する準備をしているのだろう。そこまでして、いいねが欲しいのか。

 ルラカ君が距離を詰めて来て、いきなり俺の腹に前蹴りを食らわせた。

 俺は大きく後方にぶっ飛んだ。

 だが、ダメージは少ない。体にクッションを仕込んでいるからだ。多少体が膨らんでいても、真冬だから怪しまれない。腹を蹴られるのも予定通りだったから、その瞬間、腹筋に力を入れた。それでも少しは痛い。

 続いて仏田が強そうなフリをして、ルラカ君の前で仁王立ちになるが、腰のあたりを蹴られて、倒れ込む。これも予定通りだ。強く蹴られたように見えるが、かなり手加減をしてもらっている。遠くから見るとバレないだろう。

 そして、ルラカ君は予定通り、俺と仏田のズボンのポケットから財布を奪い取った。財布を入れるポケットの場所まで決めてあったので、探す必要はなかった。

「おい、俺のシャネルの財布を返せー!」俺は倒れたまま、ルラカ君に大きな声で叫ぶ。

「俺の二十万円が入った財布も返せー!」仏田も倒れたまま、大きな声で叫ぶ。

「仏田」俺は小さな声で話す。「このセリフは白々しくないか」

「類さんから渡された台本通りに叫んだよ」

 少しずつ売れてきた俺たちが金を持っていることを、通行人にアピールする狙いがあるらしい。だけど、今の叫び声を聞いて、あの二人は最近稼いでるなと思われるのかどうかは微妙だ。ちなみに、シャネルの財布はダンボールで作ったニセ物で、中身は空だ。仏田の財布には千円札が一枚しか入っていない。

類さんの台本は変だ。それを演じる俺たちも変だ。かかっている経費に比べて、内容がショボすぎる。

 ここまで来ると、周りは人だかりができて、無数のスマホが向けられている。俺たち二人がやられたフリして倒れ込んでいるのに、誰一人として助けに来ない。世間はこんなものだが、すぐ助けに来てもらっても困る。ニセの襲撃だとバレたらマズい。二つの財布を奪ったルラカ君はすぐに立ち去り、俺たちはその後を追って、そのまま逃げるという作戦だったからだ。

しかし、たくさんのスマホを向けられたルラカ君は何を勘違いしたのか、英雄気取りで、マスクまで外して、周りの人たちに愛嬌を振りまいている。

 おまえ、それでも犯罪者かよ! さっさと空港へ向かえよ。

 小さく叫んでも聞こえないだろう。たとえ聞こえても日本語は通じない。

 おい、ルラカ君、リハーサル通り、早く逃げろ。ニセシャネル財布と千円しか入ってない財布を持って立ち去るんだ。ルラカ君が動かないと、俺たち二人も倒れ込んだまま、動けないんだ。今追いかけると、間違ってルラカ君を捕まえてしまうではないか。早くしないと、救急車かパトカーも来てしまう。そうなると俺たちの狂言がバレてしまう。

 ルラカ君がやっと小走りで駆け出した。その姿を何台ものスマホの画面が追う。犯行の様子は映されてない。写真だけ見れば、何かいいことをして、みんなに笑顔を向けているように見える。もし世界中に拡散されたら、母国の英雄になるかもしれない。

 なんで強盗犯が英雄なんだよ。母国がどこかも知らないし。

「神山、ヤバいよ」仏田が先方を指差す。「あいつらだ」

 そこには、真っ赤なズボンを履いた父っちゃん坊やの父田と、真っ白なズボンを履いた坊屋が立っていた。

またお前らが邪魔するのかよ! 白コンパス作戦でも邪魔したじゃないか!

「おい、こら! 奪った財布を返してやらんかい!」父田がルラカ君に怒鳴った。

 あいつらは劇場出入り禁止中だ。だから、プライベートでこのあたりをウロウロしていたのだろう。なぜか舞台衣装のままで。まさか、あれでコンビの宣伝をしているつもりか?  

有名になるためにニセ襲撃事件を仕掛けている俺が言えることではないが。

 父田がルラカ君に近づいて行く。

 マズい。ルラカ君は小さいけど、シラットの達人なんだ。

 逃亡を邪魔されて頭に来たのか、ルラカ君も近づいて行く。

 だが、父田は殺気を感じたようで、あたりをキョロキョロ見ている。何か武器になる物を探しているようだ。しかしドラマのように、鉄パイプや棒キレはうまい具合に落ちていない。自分の服もまさぐり出した。あちこちのポケットに手を突っ込んでるが、何も出てこない。 

そりゃそうだろう。ナイフでも所持していれば、捕まってしまう。

やがてショルダーバッグの中も探りだした。まさか、アルマジロの頭は出てこないだろうが、何かネタで使う小道具でも入っているのかもしれない。

 すぐ前にルラカ君が立ち塞がった。

 相方の坊屋はとっくに逃げていた。あいつらしい。

 父田の手が止まった。

 ルラカ君が父田の足に向けて、軽く蹴りを放った。

 父田は何かを叫ぶと、手にした物を振り回した。それは偶然にも、ルラカ君の顔を直撃した。弱そうな父田を見て、油断していたのだろう。

ルラカ君は反撃することなく、口元を押さえながら、走って行った。飛行機の時間が近づいていたからだ。チケットは親分様から受け取っている。乗り過ごしたら、自腹で国に帰らなければならない。

 たくさんの人々がスマホを手に駆け寄って来た。いやいや大丈夫ですよと言いかけたが、みんなは俺たちを素通りして、父田の方に向かって行く。

 悪者役のルラカ君を一撃でやっつけた父田は一躍ヒーローになっていた。スマホをかざしたやじ馬に囲まれた父田は満面の笑みを浮かべている。やじ馬の中になぜか、相方の坊屋も混じっていた。さっさと逃げたが、さっさと戻って来たのだ。あいつらしい。

 俺と仏田はのそのそと立ち上がった。もう痛いフリをする必要はない。ルラカ君の姿も見えない。

 類さんが近づいて来た。

「ダメだったね。作戦は失敗だった。また父っちゃん坊やに持って行かれたね。さっさと帰ろうか」

「簡単に帰りましょうと言いますけど、八十万円の経費がかかってるんですよ。いいんですか」俺は文句を言う。

「またグッズを売ればいいだけのことです」類さんは平然としている。

「そうそう。まだたくさんあるからね」仏田ものんきに言った。 

 道端にフライドチキンが落ちていた。チキンには一本の歯が刺さっていた。


 俺たちのニセ襲撃事件第二弾は失敗した。ルラカ君はぶん殴られた。結局得をしたのは仲介料を手にした反社の親分様と、俺たちを助けたことになった父っちゃん坊やだった。

 ルラカ君は小柄だったが、不気味に見えた。だから父田は何か武器になるものを探した。バッグの中を探ると、さっき買ったばかりのフライドチキンが入っていた。劇場出入り禁止中だったが、せめて相方とクリスマスを祝おうと買ったものだ。近くにチキンがおいしい店があると聞いて、この街にやって来たのだ。チキンは高かったが、この日のために、二人で三か月前からチキン貯金をしていたのだ。

ルラカ君が蹴飛ばして来たので、手に持ったチキンを振り回した。たまたま口に当たって、たった一本残っていた歯をもぎ取り、父田は英雄になった。

歯が付いたままのチキンを食べるわけにはいかず、もう一本のチキンを坊屋と二人で分け合って食べた。そして、来年は売れて、一人一本ずつのチキンを食べようと、誓いを新たにした。チキンの骨は地面に埋めた。来年のクリスマスにチキンの木が生えて来て、タダでチキンが食べられますように。二人は本気でそう祈った。

 マスコミに向けた父っちゃん坊や父田のインタビュー。

“たまたまその場所を通りかかったら、僕たちの同期のカミホトケが暴漢にやられてました。そのまま見過ごすこともできたのですが、苦楽を共にしてきた同期。いわば戦友です。僕は勇気を持って立ち向かいました。犯人はまだ捕まってないようですが、おそらく何らかの格闘技の経験者でしょう。ものすごく強そうで、普通の人なら逃げ出すほどの恐怖を感じましたよ。周りの人たちはスマホを向けるだけで助けようとしません。僕が行かなければ誰が行くのかと、自分を鼓舞して、暴漢に挑みました。最初に受けたローキックはとても痛くて、大腿骨が粉砕されたかと思いました。だけど、起死回生と言いましょうか、僕が放ったパンチが顔面にクリーンヒットして、暴漢は尻尾を巻いて逃げて行きました。僕の完全勝利です。なんとしても同期のカミホトケを守ろうという思いが天に通じたのではないでしょうか。仏田君も神山君も無事でよかったですよ。また一緒に漫才ができますよ。警察からの感謝状ですか? はい、申し出がありましたが、丁重にお断りしましたよ。だって、当たり前のことをしただけですからね――以上、父っちゃん坊や、父っちゃん坊や、父っちゃん坊やでした。これからも父っちゃん坊やをよろしくお願いいたします。では、みなさん、メリークリスマス!“

最後にコンビ名を連呼した父っちゃん坊やは一躍有名人となり、カミホトケを命がけで助けたと勘違いされたため、さらに株が上がった。


ルラカ君は空港で止められていた。

殴られて顔が腫れてしまっていたので、パスポートの写真とは違うと、イチャモンを付けられたからだ。出発の時刻が近づいてきたため、車にぶつかったとか何とか、必死で説明をして、やっとの思いで機上の人となった。たった一本残っていた歯がなくなったが、どうせ総入れ歯を作るときに抜く予定だったため、逆にラッキーであった。


 親分様の元には闇派遣の仕事の依頼が殺到していた。ルラカ君が、二人の日本人を軽く蹴飛ばすだけで四十万円もらったと母国で吹聴していたからだ。その口には真新しい総入れ歯が燦然と輝いていたという。


そしてついに最高漫才コンクール、略してサイコンの日がやって来た。


ノックの音が三回した。

マネージャーの類さんが俺たちを呼びに来た。

さて、出陣じゃ。


   ~不登校~


「どーもー、カミホトケです。私が仏田バチで――」

「私が神山ジュージです」

「よろしくお願いします」「よろしくお願いします」

「さあ、早く起きなさい。学校へ行く時間でしょ」

「学校なんか行きたくないよぉ」

「何を言ってるの。行かないとダメでしょ。ほら、早く」

「代わりに行って来てよ」

「行けるわけないでしょ。私はもう卒業したのだから」

「だって眠たいし、体もダルいし、気力もないし」

「そう言うと思って、こんな人を用意したから――どうぞ、入ってください」


「おはようございます、整体師です。では始めます」

「わっ、痛い! 何をするんだよ!」

「確実に目が覚める足つぼマッサージです」 

「痛いよ、手を離せよ!」

「目が覚めましたか?」

「覚めるわけないよ」

「では、さらに力を込めて」

「覚めた、覚めた。絶対覚めた」

「はい、起きて学校へ行ってください」

「ウソだよーん」

「では、もっと強く全力で」

「めちゃめちゃ痛い! やめろ、整体師! あれ? 痛みに慣れて来た。大丈夫だよーん」


「こんなこともあるかと思って、こんな人を呼んでおいたから――どうぞ、入ってください」


「おはようございます、ボディビルダーです。では始めます」

「何するんだよ! 体を持ち上げるなよ」

「横になって寝ているので、縦にすると起きるんじゃないかという理屈です」

「起きないわ! 縦になっても眠いわ」

「これならどうでしょう」

「うう、気持ち悪いだろ!」

「縦から逆さまにすれば、起きるんじゃないかという理論です」

「ああ、頭に血が上る。死んじゃうだろ。元に戻せ――わっ、回すな!」

「グルグル回転させると起きるんじゃないかという定理です」

「人間風車じゃないぞ! 止めてくれ!」

「目が覚めましたか?」

「ハア、ハア、まだだよーん」


「こうなることも予想して、こんな人をお招きしておいたから――どうぞ、入ってください」


「おはようございます、ハードロッカーです。では始めます」

「うるさーい! エレキギターを止めろ! なんだよ、これは!」

「僕のオリジナル曲“上を向いて吠えよう”です」

「曲名を訊いてないわ! 吠えるな! 近所迷惑だろ!」

「朝からロックの演奏をすると、近所の家には回覧板で知らせてあるそうです」

「抜かりないな!」

「つづいてのナンバーは……」

「もっとうるさい! ギターをかき鳴らすな。もういらんわ!」

「僕のパフォーマンスは気に入りませんか?」

「うるさいだけなのに、パフォーマンスとカッコよく言い換えるな」

「目は覚めましたか?」

「覚めてたまるか!」


「整体師さん、ボディビルダーさん、ハードロッカーさん。ありがとうございました。これは五万円ずつの謝礼です」

「いくら払ってんだよ! うちは貧乏の部類に入るんだぞ」

「まだ学校に行く気が起きないの――あっ、お義母さん。タカシさんが学校に行かないんです」


「タカシ! 早く起きなさい。生徒さんが待ってるでしょ」

「イヤだ。教育なんか嫌いだ」

「教師から教育を取ったら、何が残るのよ」

「盗撮とか万引きとか痴漢とか」

「まあ、そういう教師はいるわね。でもタカシは違うでしょ。早く起きなさい」

「首に縄を付けて引っ張られても、学校には行かない」

「首に縄を付けて引っ張ったら、死んじゃうでしょ」

「地球が滅びても学校には行かない」

「地球が滅びたら、学校も滅んでるでしょ」

「人類最後の一人になっても行かない」

「行っても、誰もいないでしょ」

「母さんはお前をそんな息子に育てた覚えはないわよ」

「こんな俺に育てたのはお父さんだ」

「お父さんはタカシの学校の校長先生でしょ――お父さんからも言ってくださいよ」


「こらっ、タカシ。生徒たちの大学受験も近いんだから、休んだらダメだろ」

「校長はいいよなあ。教えなくてもいいから」

「昔は教えてたんだ。お前も出世して校長になればいいじゃないか」

「出世なんか興味ないよ」

「デカい校長室のデカい机に座って、みんなに威張れるぞ。校長室にはタヌキの剥製もあるぞ」

「先生と生徒の親に挟まれて文句を言われるのは嫌だ」

「そんなことは教頭に任せればいい」

「校長先生になったら、キャバクラに行けなくなる」

「わしは身分を隠して行っておるぞ」

「隠し事は嫌いだ」

「キャバクラの年パスも持っておるぞ」

「そこまでのめり込みたくない」

「おお、ヒナタちゃん、おはよう。お父さんが学校に行きたくないと言っておる」


「お父さん、学校に行かないとダメでしょ」

「授業なんて、どうでもいい」

「お父さんはウチのクラスの担任なんだから、しっかりしてよ」

「生徒が父さんをいじめるんだ」

「ミサキちゃんにはいじめないように言っておくから」

「あの子は嫌いだ」

「先生が生徒を好き嫌いで差別したらダメでしょ」

「太ってるから嫌いだ」

「生徒を体型で差別したらダメでしょ。ウチの方が太ってるのに」

「背が低いから嫌いだ」

「ウチの方がチビでしょ」

「ブサイクだから嫌いだ」

「ウチの方がブサイクでしょ」

「アホだから嫌いだ」

「ウチの方がアホでしょ」

「女性はわがままだから嫌いだ」

「ウチは女子高だから、全員女性だよ。今日からプールの授業でしょ。女子高生のスクール水着が見れるでしょ」

「そんなことを家族の前で言うなよ。見たいけど」

「ウチのも見せてあげるよ」

「お前は俺の娘だろ」

「なんでお父さんはわがままなの――ポチからも何か言ってよ」


「学校に行けよ。ワンワン」

「犬のくせに生意気だな」

「うるさい。ポチなんて昭和の犬の名前を付けやがって。ワンワン」

「ポチでいいだろ」

「もっとかわいいチョコとかショコラとかマロンとかモカとか、あっただろ。ワンワン」

「黙れ、ブサイクな犬の分際で。お前は鏡を見たことがないのか」

「見たことあるぞ。あまりのヒドサに失禁して、失神したぞ。ワンワン」

「どう見てもポチだろ」

「改名してくれよ。ワンワン」

「裁判所の手続きが大変なんだ」

「俺は犬だぞ。簡単だろ。それよりも学校へ行けよ。ワンワン。ピカチュウからも言ってやれ」


「よくも秘加宙なんてキラキラネームを付けたわね。ニャーニャー」

「昭和のネコに付けられていた“タマ”よりもマシだろ」

「どっちもどっちだわ。ニャーニャー」

「ネコなら俺が眠たい気持ちが分かるだろう」

「よく分かるわ。ニャーニャー」

「そうだろ! やっと味方を見つけたよ」

「でも眠いのを我慢して、学校に行ってよ。ニャーニャー」

「秘加宙は眠いのを我慢できるのか」

「一日の大半を寝て過ごすネコには説得できないわ。ニャーニャー。ホー太郎からも何か言ってよ」


「ホー太郎なんて、ダサい名前付けやがって。ホーホー」

「いかにもフクロウみたいでいいだろ」

「アタシはメスなのよ。ホーホー」

「オスメスをどこで見分けるか分からなかったから、顔で判断したんだ」

「失礼しちゃうわね。ホーホー」

「フクロウは夜行性だから、朝は眠いだろ。俺と一緒だな」

「眠いのを我慢して、お前を起こしに来てるんじゃないか。ホーホー」

「そこまで俺のことを考えてくれていたのか。泣けてくるじゃないか。なーんて、感動するわけないだろ」

「ダメだ。こいつは人の心を持ってない。ホーホー」

「ホー太郎も持ってないだろ」

「アタシはフクロウなの。お前は森の獣以下だ。ホーホー。あっ、インタホンで誰かが呼んでる」


「もしもーし、おはようございまーす、先生」

「なんだ俺のクラスのヒナタちゃんじゃないか」

「先生が不登校だって聞いたから、呼びに来たよ」

「スクール水着で呼びに来るなよ」

「朝から悩殺したら来るかなと思って」

「最近の女子高生は何を考えているんだ」

「お父さーん。早く学校に行こうよー」

「なんでお前までインタホンで話すんだ。俺の娘だろ。しかもスクール水着に着替えているし」

「私もいるわよ」

「なんで、母さんまでスクール水着で」

「わしもおるぞ。校長のもっこり水着はどうだい」

「父さん、それでも教育者ですか」

「お前に言われたくないわ」

「うちの生徒に代わってください」

「先生、ここで授業を始めてもいいよー」

「なんでインタホン越しに授業を始めるんだよ」

「先生が学校に来ないなら、生徒が家に来るしかないでしょ。クラス全員が玄関先に集まってるよ。四十人のスクール水着だよ」

「なんでそうなるんだよ。分かった。学校に行こう!」

「ほらね。うちのお父さん、女子高生のスクール水着に弱いでしょ」

「先生、早く出て来てください」

「待ってくれ。今、競泳水着に着替えてるから」

「なんで着替えるんですか?」

「君たちに負けたくないんだ」

「先生は自分に負けて、不登校になったんじゃないんですか」

「自分に負けても、女子高生に負けたくないんだ」

「もしもーし」「先生、まだですかー」「待ってますよー」

「お前たちは、整体師とボディビルダーとハードロッカー。早く帰れよ」

「ありがとうございました」「ありがとうございました」


ツッコミ担当の俺は不登校の先生だけを演じたが、ボケ担当の仏田はいろいろと声色を変えて、娘からフクロウまで一人で何役も演じてくれた。相方の汗だくの熱演もあってか、審査委員長である関西の大物女性芸能人には、まあまあ面白かったと評価された。しかし、成績は入賞ギリギリの七位だった。

仏田は入賞できたので素直に喜んでいたが、俺はまあまあ面白いって何だよと思った。しかし文句を言って、父っちゃん坊やのように劇場の出入り禁止処分を受けたら困るので、引き攣った顔でありがとうございますとお礼の言葉を述べておいた。何と言っても関西の大物である。自宅の庭にもう一本の通天閣を建立できるくらいの財力を有しておられる。ご機嫌を損ねてはいけない。


新人漫才師のコンクール、Sコンで七位入賞。

 若手漫才師コンクール、Wコンでも七位入賞。

そして、最高漫才コンクール、サイコンでも七位入賞だった。

中途半端な成績が続いたが、世間では七七七で縁起がいいと評判になった。

そして、俺たちカミホトケは少しずつブレークしていった。


 類さんが楽屋の隅でケータイを持ったまま、ペコペコとお辞儀をしている。

コメツキバッタか壊れたロボットのようだ。また誰かに怒られてるのかと思ったが、そうじゃないようだ。類さんは満面の笑みを浮かべているからだ。何かいいことがあったのだろう。つまり、感謝のお辞儀だろう。そして、それは俺たちの仕事のことだろう。今までにない大きな仕事が舞い込んで来たに違いない。

 俺は仏田を見た。仏田も同じことを思っていたらしい。にやけている。

「紅白の司会の仕事かなあ」アホなことを言う。

地方のスーパーの催し物の司会しかしたことがない二人に来るわけない。

「紅白の歌う方かなあ」

 CDも出してないのに来るわけない。

「紅白の審査員かなあ」

 致命的に知名度がない俺たちに来るわけない。

「冠番組が持てるのかなあ」

 テレビの仕事自体がほとんどないのにあるわけない。

「帯番組が持てるのかなあ」

 だから、ないって。

「感謝祭の赤坂ミニマラソンかなあ」

 それなら可能性はある。よく知らないタレントも走っている。だけど仏田は走るに適してない。走るのは俺の方だ。しんどいのは嫌だ。

 類さんが電話を切った。

「二人とも、今から役所に行くぞ!」

「役所の仕事って、何ですか?」

「戸籍謄本と写真を撮りに行くんだよ」

 また類さんが変な作戦を思い付いたのか。

「まさか、偽装結婚じゃないでしょうね」

 俺は不満を漏らしたが、仏田は

「どうせなら、金髪の女性と結婚したいなあ」のんきである。

「違うよ。パスポートを取りに行くんだよ」

「パスポート!?」「パスポート!?」

 俺たちは驚いて、ハモッた。

「やったー!」仏田は喜んだ。「玉ねぎを食べに淡路島へ行きたかったんですよ」

 確かに最近注目の島だけど、俺は当然無視する。

「仕事先は兵庫県じゃなくて、ブラジルだよ」類さんが笑った。

「ブラジル!?」「ブラジル!?」

 俺たちは驚いて、またハモッた。

「日本の裏側にあるブラジルですよね。俺、サンバ見たかったんですよ」

 仕事で行けるのなら、淡路島よりブラジルの方がいいわな。タダだもんなあ。

「どんな仕事なんですか?」俺は肝心なことを訊いた。

「それは現地に着くまでに分かるはずだよ」類さんは笑いながら、はぐらかした。

 途中で分かるって、どういう意味だ?


 そして、俺たち三人はパスポートを取得した。

 つまり、類さんもブラジルへ付いて行くということだ。先方が交通費を全部出してくれるというのだから、行かないという選択肢はない。さすがに家族の分までは負担してくれないようで、三人だけの渡航だ。肝心の先方が誰なのか、類さんはまだ明かしてくれない。

 その飛行機の垂直尾翼には日の丸が描かれていて、胴体には赤いラインが入り、“日本国 JAPAN”と書かれていた。

「日本航空でもないし、ANAでもないし、どこの航空会社だ。もぐりの飛行機か?」

 もぐりの飛行機なんかないけど、仏田が不審がるのも無理はなかった。中に入ってみると、俺たち三人以外に誰も乗ってなかったからだ。

「なんだ、この飛行機は?」

 やがて、紺色の制服を着た男性がやって来た。CAらしい。

「おい、神山。CAさんはキレイな女性じゃないのか?」

「イケメンの男もいるんじゃないのか」

 俺たちは飛行機に乗ったことがないから分からない。地方の営業も電車を乗り継ぎながら行く。経費節減になるし、なんといってもスケジュールがスカスカなので時間がある。のんびり出かけて、少しだけ稼いで、のんびり帰って来るというパターンだ。

 男性CAは挨拶だけして、戻って行った。

「今のCAさん、自衛隊員みたいだったな」

仏田が言うと同時に、俺はとんでもないことに気付いた。

 ドアに金色の鳥をモチーフにしたマークが付いていた。航空自衛隊のマークだ。

「仏田、今のCAさんはマジで航空自衛官だ」

「どういうこと?」

「これは政府専用機なんだよ」

「なんで?」仏田はマヌケな声を出したが、俺の頭の中もなんで? で溢れていた。

だが、すぐに思い当たった。顔を動かさずに、目だけを動かして、あたりを見回す。仏田も気づいたようで、同じように見渡している。

「見つけたか?」

「いや、ない」

 俺たちは小型カメラを探していた。

 どう考えても、この状況はドッキリカメラだからだ。

 だけど、ここでドッキリだろうなんて言い出したら、番組がダメになる。二度とドッキリ番組に呼んでもらえない。たとえ、ターゲットでも呼んでほしい。テレビに出たいのだ。

 俺たちはまんまと騙されて、ドッキリに引っかかることにした。

マヌケな漫才師のフリをしよう。

 さっそく、ネタバラシをされたときのコメントを考える。

“わざわざパスポートを取得させるとは、手が込んでますよね。全然疑いもしませんでしたよ。いずれ海外ロケの仕事が入った時に使えるからいいですけど、取得にかかった費用は自己負担ですよね。あーあ、参ったなあ”

これでどうだ。マヌケな漫才師に映るはずだ。

類さんは俺たちから少し離れた所に座って、窓から外を眺めている。おそらく類さんは事情を知っている。つまり、仕掛け人だろう。だから話しかけることはよそう。

 ここで一つの疑問が沸いた。ドッキリカメラだとして、なんでターゲットが俺たちなのか。俺たちはプチブレイクしそうになっている芸人に過ぎない。それにしては、仕掛けが大き過ぎるではないか。

「この政府専用機は本物だよな」仏田が小さな声で訊いてくる。

「本物だろうよ。セットで作ったら莫大な経費がかかるじゃないか」

「ドリフのセットよりデカいもんな」

「そもそも政府専用機というのは二機あるんだよ。だから、こっちはオーバーホール中か何かで空いてたんだろ」

「それを借りて来たということ?」

「そうだろうなあ。倉庫からここまで動かして、止めたのだろうな」

「じゃあ、飛ばないんだ」

「そりゃ、飛ばないだろ。飛ばすにはパイロットが必要だし、飛び上がって、上空を一周して戻って来るだけでも燃料代がかかるだろ。バブル期じゃないんだから、そんな金はないよ」

「なんで俺たちがターゲットなんだ?」

「俺もそれを考えてたんだ。俺たちクラスの小物を騙すのだったら、すれ違いざまに大声で叫ぶとか、バケツで水道水をかけるとか、手間も金もあまりかからないドッキリだろ。落とし穴とか、クリームバズーカも経費がかかって無理だよ。だけど、飛行機を一機用意したんだぞ。飛ばないにしても大掛かりだ。たぶん、ターゲットは俺たちだけじゃないんだよ」

「そうか。まず俺たちが騙されて、後で大物芸能人が騙されるということか」

「俺たちを含めて、三組くらいいるんじゃないのか。きっと俺たちは一組目なんだよ。お互いバレないように、時間差で乗ってくるんだよ」

「ここまで大掛かりなら、レギュラーのドッキリじゃなくて、特番だよな」

「年末年始の二時間か三時間の特番かもな」

「それはすごい。俺たちもゴールデンの特番に出られるまで出世したんだな」

「忘れずに録画しておこうな」

「オカンにも電話をしておかなくっちゃな」

「絶対喜ぶよ。毎年米を送ったことが、やっと報われたってな」

「コシヒカリのバッタモンのホシヒカリだけどね」

「よく農林水産省に怒られないよな」

「農協にはバレてるらしいけど、見て見ぬフリをしてくれてるらしい」

「やるなあ、農協。カッコ付けてJAと横文字で名乗ってるだけのことはある」

「でも、遅いよな。いつになったら、テッテレーと出て来て、ネタバラシしてくれるんだ」

「座り心地がいいから、しばらくこのままでいいけどね」

「仏田、頼むから寝るなよ」

「分かってるよ。ターゲットが爆睡して、お蔵入りなんてシャレにもならないからね」

 突然、飛行機のエンジンがかかった。

「なんでだ!?」俺は仏田と顔を見合わせた。「エンジンをかけるだけでも、燃料を消費するんじゃないのか。年末年始の特番だからいいのか。機体が揺れてるから、本当にかかってるんだ。エンジン音だけ流してるんじゃない」

「確かに本物のエンジンが回ってるよ」

 俺たちは小さな声で騒ぎ出す。

“シートベルトを着用してください”とアナウンスが流れた。

「なんだ、凝ってるな。だけど、すぐに止まって、テッテレーとドッキリの看板を持って出てくるよ」

「あと二組ほど出てくるんだから、早くしてほしいね」

 そう言いながらも、ちゃんとシーベルトをはめ込む。

 このシーンもテレビに映ってるだろう。手を抜かずに、騙されてやろう。

 突然、飛行機が動き出した。

「ウソだろ。動いたぞ!」仏田が素っ頓狂な声を上げる。

 飛行機は動くものだろと突っ込んでる余裕なんて、俺にもない。

「少しだけ動かして、止めるのだろう」無理に自分を落ち着かせる。

 やがて、飛行機は離陸した。

「マジで飛んだぞ!」「ガチで飛んだぞ!」

政府専用機が飛び上がった。

類さんは俺たちの方を振り向いて、ニヤッと笑った。

 あれはどういう意味の笑いだ?

 窓の外を見る。確かに飛んでいる。上空を一周どころじゃない。ちゃんと真っすぐ飛んでいる。おそらくブラジルに向かっている。西回りなのか、東回りなのか分からないけど、北回りなら北極の上を通るし、南周りなら南極の上を通らなきゃならないから、違うだろう。ペンギンもシロクマも驚いて空を見上げるだろう。

 俺も仏田も頭が混乱している。

ドッキリじゃなくて、本当にブラジルへ行く仕事があるなら、なぜ政府専用機に乗せられるんだ? 格安の航空会社でいいじゃないか。なんなら、数日かけて船で行っても、スケジュールに支障は出ない。本場のサンバが見られるのなら、それくらいは我慢する。本場のシュラスコが食べられるのなら、三等船室で雑魚寝でもいいぞ。


 やがて俺たちに席に向かって、先ほどの男性CAさんが歩いて来た。ドッキリじゃないということは、役者が演じているのではなく、本物の航空自衛官なのだろう。

そして、その後ろから歩いて来る男性を見て、びっくりした。

あの七三分けの黒サングラスの男じゃないか。

 男がおもむろにサングラスを外した。

「岸波総理!」「岸波首相!」

 俺と仏田は同時に叫んだ。どっちも同じ意味だ。

 類さんも席にやって来た。

「見ての通り、岸波内閣総理大臣だよ」

 なんと、漫才界の黒幕だと思い込んでいた人は本物の総理大臣だった。まさか、ドッキリ番組に協力しているわけではないだろう。何か大きな仕事が待っているはずだ。

「カミホトケのお二人さん、マネージャーの入間類さん、わざわざご足労いただきまして、ありがとうございます。総理の岸波です」

 自己紹介されなくても、知ってます。俺たちの劇場に何度も足を運んでくれていた方です。学園祭にもスーパーのイベントにも来てくれてました。

「俺たち……じゃなくて、僕たちはなぜブラジルに呼ばれたのですか?」

「向こうでゆっくり話しましょう」

 岸波総理に連れて行かれたのは貴賓室だった。

 俺たちが貴賓だって! ああ、もっといい服を着て来ればよかった。

 貴賓室で総理とツーショットで写真を撮って、親に送ってあげたいと思ったが、はしたないのでやめておいた。いつも能天気な仏田もさすがに大人しい。

「皆さんも知っての通り」総理が話し始めた。「一か月前、ブラジルを震度七の地震が襲いました。それ以来、復興復旧は急ピッチで進められてますが、いまだ避難所でたくさんの人たちが生活をしておられます。日本政府はブラジルに支援をすることにしました。そのための話し合いをしに私が行くのですが、せっかくなら避難されてる皆さんを慰問してあげようと思い立ったのです。そこでカミホトケのお二人に白羽の矢を立てました。以前、たまたま通りかかった家電量販店の催事場でお二人を見かけたのです」

 そういえば、新しい家電品の宣伝をする仕事をしたことがあった。たくさんの人が詰めかけていたが、あの中に総理がいたのか。

「その後、劇場やスーパーの仕事も拝見させていただいて、お二人に決めました」

「それは申し訳ないです」俺は思わず謝ってしまった。

人は何も悪いことをしてなくても、謝ってしまうことがある。

 俺たちの芸は拝見させていただく程のものじゃないんだけど、仏田もデカい体を小さくして、恐縮している。言葉も出ないようで、さっきから黙ったままだ。

「そこで、事務所にオファーの電話を入れたところ、入間さんが快く引き受けてくださったという次第です」

「ですが」俺は不安を口にする。「飛行機が飛び立ってから言うのもなんですが、ブラジルは確かポルトガル語ですよね。僕たちはしゃべれませんよ」

 総理より先に仏田が、ここぞとばかりに口を挟んで来る。

「ポルトガル語なら知ってるよ。こんにちははオラで、ありがとうはオブリガードだよ」

「二つの言葉だけで、どうやって漫才をやるんだよ」俺はいらつく。「オラ、オブリガードって、オラ、悟空みたいじゃないか」

「お二人とも大丈夫ですよ。今から行く所は日系人がたくさん住んでいる地域で、日本語はゆっくりしゃべれば、ちゃんと通じますよ」

「それなら安心でございます。もともと僕たちは大声でわめきたてるような早口漫才ではございませんので、いつものように僕たちの漫才をやらさせていただきます」無理に丁寧な言葉でしゃべろうとして、口がもつれそうになる。

 仏田も安心したようだ。

「日本語でいいんだったら、最初がオラで、最後をオブリガードで締めようよ」

「ああ、いつもよりゆっくりしゃべろうな」

「時間制限もないから、余裕だよね」

「問題はウケるかどうかだよな。悲しみがまだ十分に癒えてない方たちに、はたして笑ってもらえるのか」

ウケなかったら、わざわざブラジルまで何をしに来たのかということになる。わざわざ恥をかきに、日本の裏側の国に来たことになる。言葉が通じるとして、客層も分からないし、どういうことで笑ってくれるのかも分からない。そもそもブラジル人の友達はいないし、話したこともない。大丈夫なのか?

ああ、カミホトケ最大のピンチだ。サンバの見学どころじゃない。シュラスコ食べ放題どころじゃない。カミホトケが神仏に祈るしかない。シャレにもならない。

類さんを見るが、ニコニコしているだけだ。だけど、演者は俺たちなんだから、俺たち二人でがんばるしかない。

 ウケなくても、日本とブラジルの国際問題には発展しないだろう。これからもブラジルのコーヒー豆を日本へ輸出してくれるだろう。日本からも自動車部品を輸出してあげるからね。

「私がブラジルの大統領と話し合いをしている間に、避難所を訪ねて行ってくださいますか。送迎車は用意してもらいます」

「はい、承知いたしました」「日の丸を背負ってがんばります」

 

大きな避難所の裏にある小さな室。

ノックの音が三回した。

マネージャーの類さんが俺たちを呼びに来た。

さて、出陣じゃ。


   ~電話de詐欺~


「オラ! カミホトケです。私が仏田バチで――」

「オラ! 私が神山ジュージです」

「ブラジルのみなさん、よろしくお願いします」「お願いします」

「もしもし、ばあちゃん、俺だよ、俺」

「はあ、誰だい?」

「風邪ひいて喉がおかしいんだよ。ちょっと声が違ってるけど、分かるよね、俺だよ」

「えっ、誰だい?」

「ばあちゃん、孫の俺のことを忘れたらダメだろ、俺だってば」

「ああ、アイコちゃんかい?」

「ア、アイコ? ああ、ああ、そうだよ。あたしはアイコでーす」

「アイコ、今日は平日だろ。なんでこんな時間に電話をかけてくるんだい?」

「今日は有給取って、会社を休んだのよ」

「有給? アイコはまだ小学生でしょ」

「えっ? ああ、そうだったわ。今、休み時間で小学校の廊下から電話してるのよ」

「小学校は改装中で、来月リニューアルオープンじゃなかったのかい」

「えっ? そうそう。校庭に建てられた臨時のプレハブ教室から電話してるのよ。でも、ばあちゃん、リニューアルオープンなんて言葉をよく知ってるね」

「アイコが教えてくれたんじゃないの」

「えっ? ああ、そうだったわ。小学生から英語を習うことになったのよ」

「英語を習うのは小学3年生からでしょ。アイコはまだ2年生じゃないの」

「えっ? ああ、でも希望者は2年生から習うのよ」

「そういえば、お楽しみ会でお芝居をやるんでしょ。お姫様の役だったわね」

「えっ? ああ、そうそう。白雪姫よ」

「なんで日本の時代劇に白雪姫が出てくるのよ」

「日本? ああ、そうだったわ。江戸城のお姫様だったわ」

「セリフがあったわね」

「えっ? ああ、セリフね。わらわは姫じゃ。もっと近こう寄れ」

「英語劇じゃなかったの?」 

「英語? そうだったわ。アイアム ヒメジャー。スタンドバイミー」

「合ってるわね」

「合ってるの!?」

「ばあちゃんは英語が分からないから、合ってるんじゃないの。アイコは優秀だからね」

「どうも、ありがとう。チョベリグー」

「ずいぶん古いわね。もう一つ、桃太郎のお芝居もやるんでしょ」

「イヌとサルとキジを連れて、鬼退治に行くんだよ」

「アイコは桃太郎じゃないでしょ」

「そうだった。イヌだったかなあ、ワンワン」

「桃の役でしょ」

「あっ、そうだった。桃のかぶり物をして、川から流れて来るんだ」

「桃をかぶって、でんぐり返しをするんでしょ」

「そうそう。毎日練習してるから、体中が痛いよ」

「運動会はうまくやれたかい」

「えっ? ああ、必死で走って、二位以下を大きく引き離したよ」

「アイコは走るのが苦手だから、綱引きに出たんでしょ。綱を持って走ったらダメでしょ」

「ああ、そうだったね」

「玉入れはどうだったんだい」

「えっ? たくさん入れたよ」

「アイコは玉入れのカゴを支える役だったんでしょ。真下から玉は入れられないでしょ」

「ああ、そうだったわ」

「校内マラソン大会は出るのかい」

「もちろん、出るよ」

「途中で近道を通るようなズルをしたらダメだよ」

「そんなことをするわけないよ」

「去年はスマホのタクシーアプリでタクシーを呼んだでしょ」

「えっ? ああ、あの頃は不良の友達と付き合ってて」

「遠足は楽しかったかい。確か、はわいに行ったんだね」

「ハワイ? あっ、そうだった。ダイヤモンドヘッドもワイキキビーチも素敵だったよ」

「何を言ってるの。遠足で行ったのは、鳥取県のはわい温泉でしょ」

「はわい温泉? ああ、そうだった。神経痛が治ったよ」

「趣味の馬は続けてるのかい」

「馬? ああ、そうだったね。天皇賞は外しちゃったけどね」

「何を言ってるの。趣味の乗馬の話をしてるんだよ」

「乗馬!? ああ、そうだ。この前、学校で乗ったよ」

「学校に馬がいるのかい?」

「ああ、いないね。近所の牧場からロバを借りて来たんだよ」

「どうせなら、ポニーを借りてくればいいのに」

「ポニーは貸出中で、ロバとダチョウとカピバラしか残ってなくて」

「最近の給食はどうなんだい。アイコが好きなパンベスト3は出るのかい」

「パンのベスト3? ああ、メロンパンとクリームパンとチョコレートパンだね」

「何を言ってるの。違うでしょ」

「えーと、アンパンだっけなあ」

「ヴァイツェンミッシュブロートとシュヴァルツヴァルトブロートとファイネバックヴァーレンでしょ」

「はあ?」

「はあ、じゃないでしょ。アイコの好きなドイツパンじゃないの」

「ドイツパン? ああ、そうだったね」

「校長先生の影響でドイツパンが出るんでしょ。ドイツ人の何て名前だっけ?」

「ドイツ人の名前? ミュラー? シュミット? シュナイダー?」

「あっ、そうそう。ドイツ人と結婚された花子先生だったわね」

「花子? ああ、そうだったね」

「アイコ、習い事は行ってるかい。バレー教室よ」

「えっ? ああ、もちろんだよ。ヒラヒラが付いた衣装を着て、白鳥の湖を踊ったよ」

「なんでバレーボールをやるのに、ヒラヒラの服を着るのよ。邪魔でしょ。ダンス教室はどうなんだい?」

「ダンス? ああ、最近はブレイクダンスが流行ってて、頭でクルクル回ってるよ」

「頭でクルクル? 夏祭りでやる盆踊りの練習をしてるんじゃないのかい」

「盆踊り? ああ、そうだった。月が出た出た~」

「動物の飼育係はやってるのかい?」

「ああ、やってるよ。ウサギはかわいいよ」

「ウサギなんか飼ってたの?」

「あっ、ウサギじゃなくて、ハムスターとか金魚とか」

「アイコは爬虫類の担当でしょ」

「そうだったね。トカゲはかわいいよ」

「あら、担当は二匹の蛇でしょ。確か名前が付いてたわね」

「蛇の名前? ああ、スネークくんとスネークちゃんだよ」

「蛇之助と蛇太郎でしょ」

「えっ、そんな変な名前? ああ、そうだったね。すごくかわいいよ」

「蛇之助と蛇太郎に飼ってたウサギを食べられて、恨んでたんじゃなかった?」

「二匹とも丸々と太らせて、カラスに喰わせてやるんだ」

「俳句の宿題はできたのかい。確か、お題は“お友達”だったわね」

「“お友達”がお題の俳句? ああ、もちろんできたよ」

「ばあちゃんに聞かせてくれるかい」

「えっ? ああ、じゃあ、詠むよ。友達を 呼べば 春風のように振り向いた」

「あら、いいわね」

「えっ、いいの?」

「ばあちゃんは好きよ。算数はどうなんだい。フェルマーの最終定理は証明できたのかい?」

「フェルマー? ああ、昨日学校から帰って来て、やっておいたよ」

「世界中の頭のいい人たちが寄ってたかって360年もかかったのに、アイコは簡単に証明できたのだね」

「360年!?」

「サクラちゃんとは仲直りをしたのかい?」

「えっ、サクラちゃん? ああ、もちろんだよ。すっかり仲良しだよ」

「十五分間も殴り合いをしたのに、もう仲良しなのかい?」

「十五分間も殴り合い!?」

「アイコは前歯が三本飛んじゃったでしょ」 

「前歯が三本!?」

「サクラちゃんは肋骨が四本折れて」

「肋骨が四本!?」 

「また一緒に遊んでるのかい?」

「もちろんだよ」

「何の遊びをしてるんだい?」

「えっ? まあ、あのう、あやとりとか」

「あやとり?」

「お手玉とか」

「お手玉?」

「花いちもんめとか」

「花いちもんめ? 昭和の遊びばかりじゃないの」

「まあ、あの、最近は昭和レトロブームなもので」

「将来の夢は変わらないのかい」

「夢? ああ、パティシエか犬のトリマーになりたいんだ」

「舞妓さんか神主さんじゃなかったのかい」

「あっ、そうそう。舞妓さんどすえ。かしこみ~、かしこみ~」

「担任だった野呂先生はどうしてるんだい」

「ああ、元気だよ」

「元気だって、なんで分かるの?」

「えっ? ああ、昨日も友達と一緒に家まで遊びに行ったし」

「野呂先生は生徒を盗撮して捕まって刑務所に入ってるでしょ。小学生が友達と連れだって、刑務所へ受刑者の面会に行っていいのかい?」

「えっ、刑務所? 学割で入れたんだよ」

「あんたは本当にアイコかい? 合言葉を言ってごらん」

「えっ、合言葉? 明日でいいかな」

「今じゃないとダメでしょ」 

「合言葉は、えっーと、えっーと、山!」

「合ってるわね」

「えっ、合ってるの!?」

「合ってるでしょ。アイコが山と言ったら、ばあちゃんが川と言うんだよ」

「ああ、そうそう。山と川に決めたよね」

「もう一つの合言葉を言ってごらん」

「えっ、もう一つ? えっーと、えっーと、分からないよ」

「合ってるわね」

「えっ、合ってるの!?」

「合ってるでしょ。もう一つの合言葉なんて無いもの」

「ああ、そうだったね。一個しか作ってないね」

「ところでアイコは何の用事で、ばあちゃんに電話をかけてきたんだい?」

「あっ、そうそう。払い過ぎた医療費があって、ATMから還付金が受け取れるんだけど」

「ATMまで行けばいいのかい?」

「そうだよ。銀行に着いた頃、また電話するから、急いで行ってほしいんだ」

「なんで小学生のアイコがそんな仕事をやってるんだい?」

「あっ、そうだね。今のは冗談で、チョベリバだね。実はね、最近お金がニセ札にすり替わってるらしくて、ばあちゃんの家にある金を確かめたいんだけど、今から行ってもいいかな」

「ああ、それならいいわよ。アイコが来るんだろ」

「いや、あの、友達の大人の人が行くんだけど」

「アイコは大人の友達がいるのかい」

「いや、あの、大学生だよ。駄菓子屋で知り合って」

「今どきの大学生は駄菓子屋に行くのかい」

「昭和レトロブームだからね」

「それじゃ、いろいろと用事があるから、一時間後に来てくれるかい」

「分かった。その大学生に言っておくから、お金を用意しておいてね。バイバイ、ばあちゃん」

「バイバイ、アイコちゃん――もしもし、警察ですか。たった今、詐欺師から電話がありまして、騙されたフリをしたところ、一時間後に家までお金を取りに来ると言ってます。警察が張り込む? はい、よろしくお願いします。犯人の特徴ですか? 声からすると若い男で、話した感じはアホでした」

「ブラジルのみなさーん」

「詐欺にはお気を付けくださいませー」

「オブリガード!」「オブリガード!」


 ブラジルの皆さんには喜んでもらった。一ヶ月ぶりに笑ったという人もいた。不愛想な俺でも、一か月間笑わなかったことはない。どれだけ辛い毎日を送っておられたのか。

 漫才の後でけん玉をやった。類さんに言われて、何か月も前から練習をしていたのでうまくできた。拍手喝采だった。けん玉に関する仕事は全然来ない。紅白でけん玉を披露する仕事なんか夢のまた夢だ。だけど、ブラジルに来て役に立つとは思わなかった。けん玉をやっていてよかった。

 その後は、たくさん覚えた恐竜の名前で早口言葉をやり、イントロテープで覚えた日本の歌を何曲か歌って、いずれも大いにウケた。そして、調子に乗った仏田はエキスパンダーを百回やってみせた。これはすべったと思ったが、大きな拍手をいただいた。わざわざ日本から来た名も無き芸人がかわいそうだと思ったのかもしれない。義理や同情で拍手をしてくれたに違いない。気を使わせてしまって、逆に申し訳ない気持ちになった。

 だけど、漫才をやっていてよかったと思った。遠くブラジルまでやって来てよかったと思った。俺も仏田も泣きそうだった。だけど、元気付けに来ている俺たちが泣いてはいけない。

避難所の小さな室に戻って、俺と仏田と類さんは三人で少しだけ泣いた。


カミホトケが政府専用機に乗ってブラジルにまで慰問に行ったことは大きく報道された。芸能ニュースだけでなく、政治ニュースでも取り上げられて、一躍有名になった。それに伴って、仕事もドンドン入って来た。

賞レースはいずれも七位だったけど、類さんの売り出し作戦が初めて成功したと言えよう。正確に言うと、類さんが仕掛けたのではなく、岸波首相から仕事の依頼があったに過ぎないのだが、今まで撒いて来た種がやっと発芽したと、類さんは大喜びしていた。これで当分の間はアイドルグッズを売って、資金を捻り出す必要はなくなった。

そして、俺たちが売れたおかげで、劇場は改装されて、きれいになった。

突然オーナーが楽屋にやって来た。

「キミたち、屋上にある家庭菜園のトマトが一個なくなったのだが、知らないかね」

 半年前のトマトのことをいまだに根に持って、文句を言ってくる。仏田がかっぱらったトマトだ。「一個なくなって、二個は地面に落ちてたんだよ」

「知りませんよ」俺は冷たく言い放った。「カラスが盗んだんじゃないですか」

 仏田も突き放す。「アリが運んで行ったんじゃないですか」

「アリはトマトを喰うかね」

「甘いと喰うでしょ」

「キミはなぜ屋上のトマトが甘いと知ってるんだね?」

「オーナーは酸っぱいトマトを栽培されてるんですか?」

「いや、俺の作ったトマトはどこよりも甘いぞ」

「アリは甘い物に目がないですからね。アリも認めたトマトということですよ」

「おい神山、俺は喜んでいいのか」

「もちろんですよ」俺は真面目な顔をして教えてあげる。「アリのお墨付きじゃないですか。オーナーのトマトを成城石井に持って行ったら、高く買い取ってくれるんじゃないですか」

「ほう、そうか。さっそく持って行ってみるか」

「写真を撮っておいた方がいいですよ」

「なんでだ?」

「トマトの隣に、私が作りましたと書いて、オーナーの写真を載せておくのですよ」

「おお、POPに貼ってある生産者の写真だな。それはいい考えだ」

「生産者のような作業服に着替えた方がいいですよ」仏田もオーナーをからかう。

「そんなの持ってないぞ」

「ワークマンに売ってますよ」

「さっそく買いに行くか」

「軍手も忘れないでください」

「そうだな。軍手をした方がいかにも生産者に見えるな」

「麦わら帽子もいるでしょ」

「軍手と麦わら帽子か。鬼に金棒だな。首にタオルを巻いておけば、さらにグーだな。その前にメンズエステへ行ってくるわ。お肌もキレイに整えてもらった方が写真写りがいいだろ――それじゃあ、カミホトケの二人、これからもがんばれよ」

「オブリガード!」「オブリガード!」

 俺たちに、もはや怖いものはない。

 岸波首相とも友達になったし、ブラジルにもたくさん知り合いができた。

 だけど、俺たちの漫才人生は始まったばかりだ。まだ序章に過ぎないんだ。


ノックの音が三回した。

類さんが呼びに来た。

今日は俺たちの初めての単独ライブだ。チケットは完売した。俺たちが席を確保して招待した人もいるが、ほとんどはちゃんと売れた。ありがたいことだ。

招待したのは俺たちの貧乏家族。もちろん双方のバカオヤジも来る。ライブ中は禁酒禁煙だと言ったら、二人して駄々をこねやがった。だけど、招待だから入場は無料だと言ったら、即決で来ることになった。金がかからないのなら、どこへでも行く。いつまでも貧乏から脱却できないオヤジ達。帰りに競馬場へ寄るらしい。いつまでも仲が良くていいけど。

他に招待状を送ったのは、芸人養成所の講師の井加堂分さん。仏田襲撃事件で協力してくれた劇団員の北白さん、山東さんと仲西さん。尼井酒造の関係者の方たち。そして、お忍びで来てくれる岸波首相。さらに嫌がらせで、父っちゃん坊やの二人にも送っておいた。奴らはまだ劇場の出禁中だが、演者として禁止されているだけで、客として入場するのはいいだろう。はたして父っちゃん坊やの二人は、同期の俺たちが出世した姿を見に来てくれるだろうか。それとも、チケットを誰かに格安で売り付けてるだろうか。きっと後者だろう。

劇場のオーナーはさっきから舞台の袖に立って、収穫したばかりのトマトを齧りながら、こちらを見ている。類さんも隣に立って、収穫したばかりのヤングコーンをもらって食べている。

カミホトケの一世一代の晴れ舞台が始まろうとしている。

「神山、何を笑ってるんだよ」

俺はいつの間にか笑っていた。

この俺様が無意識に笑ってしまうなんて。

「そうやって漫才師はいつも笑ってないとダメだぞ」

 仏田が俺に説教しやがった。生意気な相方だ。


さて、出陣じゃ。


「どーもー、カミホトケです。私が仏田バチで――」

「私が神山ジュージです」

「よろしくお願いします」「よろしくお願いします」


 

                          (了)


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