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漫才師は笑わない ~中編~

漫才師は笑わない ~中編~


類さんが大きな荷物を持って楽屋に入って来た。

飯盒や鍋をガラガラと取り出して、机の上に並べはじめる。

 俺は嫌な予感がした。

「類さん、まさかこれはキャンプ用品ですよね」

「そうだよ。食材も買って来たからね」

「今から三人でキャンプですか。それは楽しみだなあ」

仏田は相変わらず能天気だ。

これを俺たちにやらせとうとしているに決まってるだろ。

「類さん、俺たちをキャンプ芸人にしようとしてるのですか?」

「ご名答。神山君は相変わらず冴えてるねえ」

 ほめられても、うれしくない。

 世間はキャンプブームである。ソロキャンプや女子キャンパーといった言葉もよく聞かれるようになった。

 それに便乗したのがキャンプ芸人である。お笑いそっちのけで、キャンプについて語り、キャンプの裏技を披露し、キャンプ飯を振る舞う。キャンプについて熱く語っている芸人が、お笑いについて熱く語っているという光景は見たことがない。笑いを取りに行かないクイズ芸人と同じ部類だ。といっても、笑いを取りに行ってたら、キャンプ飯は焦げるし、クイズは不正解だろう。

 早々とキャンプ芸人として認められた芸人たちはキャンプ特集のテレビ番組に呼ばれたり、本を出したり、山を買ったり、数々のメリットを享受して来た。しかし……。

「いまさらキャンプ芸人なんて飽和状態ですよ。新人の俺たちが入り込む余地なんてないですよ」

現にキャンプ芸人はたくさんいる。じゃない方の芸人に多い。

「まあ、そう言わないでよ」類さんは楽しそうに食材を並べている。

 仏田はそれを一つ一つ吟味している。

「類さん、カレーライスを作るつもりですね」

「さすが仏田君だねえ。カレーのルーを見てないのに分かってしまうとはね」

「へえ、当たりましたか!」仏田はほめられて、うれしそうだ。

「さて、今から屋上に上がってキャンプをしよう。天気があまりよくないから急いでね」

父っちゃん坊やの二人が楽屋へ戻って来るまでに、俺たちはさっさと退散した。

 “監禁”の漫才で犯罪者呼ばわりされたあいつらは怒っているに違いない。

 アンケートには散々なことが書かれていることだろう。

 これも俺たちのネタだから、大目に見てもらいたい。

 俺たちはキャンプ用品を持って、劇場が入ってるビルの屋上へ向かった。仏田はうれしそうだ。類さんの奢りで一食分浮いたようなものだからだ。しかもあいつの好物のカレーだ。

 そこは普通のコンクリートの屋上だった。草は生えてないし、枯れ木も落ちてない。自然が感じられない。類さんが用意したキャンプ用品にテントはない。

ビルの屋上でカレーを作って食べるだけで、キャンプと呼べるのか?

 バーベキューコンロに木炭を並べて、着火剤を塗り、ライターで火をつけた。ここで肉と大きく切った野菜を焼く。別に細かく刻む野菜がある。それは鍋で煮込んでいく。煮込んだらカレーのルーを入れる。これらを全部、ご飯に乗せると完成らしい。

「ニンジンとか玉ねぎは刻んであるのが売ってますよね」

俺は野菜を刻みながら、類さんに文句を言う。

「手間をかけて、手作りするのがいいのですよ」

「レトルトだったら、湯せんするだけでいけますよ」

「そんなのを買ったら、キャンプじゃなくなるでしょ」

 ビルの屋上でやってるということ自体が、すでにキャンプじゃないと思うんだけど。

 仏田は鼻唄を歌いながら、カレーのルーの味見をしている。相変わらず、細かいことは何も気にしていない。タダ飯が喰えればいいのだ。

「最近のレトルトは種類もたくさんあって、おいしいんだけどなあ。ああ、めんどくさい。キャンプなんか嫌いだ」

「神山君、それはテレビの前で言わないでね」

「分かってます。正直者は損をします。身に覚えがあります。俺たちは立派なキャンプ芸人です」

 俺は鍋にカレーのルーを入れて、かき混ぜる。

 だったら、カレーのルーも手作りすればいいじゃないかと思う。百種類くらいのスパイスを混ぜると、絶品のカレーが出来上がるぞ。

 類さんは俺の気持ちも理解せず、飯盒のご飯を確かめている。

「わあ、飯が硬いなあ。水が少なかったなあ。まあ、カレーライスだから硬めでいいか。ありゃ、ちょっと焦げてるなあ。ご飯のおこげはおしいいからいいか。ねえ、神山君」

「はあ、どうでもいいです」

 やがて、屋上においしそうな香りが漂って来た。

「ほら、おいしそうなトマトを見つけたよ」仏田が両手にトマトを三つ持って来た。「福神漬けがないから、同じ赤色ということで、トマトを切って添えればいいでしょう」

 確かにトマトは真っ赤に熟して、おいしそうだ。しかし、コンクリートの屋上にトマトが自生してるわけない。

「どこにあったんだよ」

「あの一画にあったよ」仏田がトマトを持ったまま、両手を向ける。

「あそこはビルのオーナーが家庭菜園やってる場所だろ」

「じゃあ、俺はトマト泥棒か?」

「自然に生えてるのか、人が育ててるのかくらい、見たら分かるだろ」

「そういえば、ナスとかキュウリも生えてたな。あれはどう見ても家庭菜園だ」

 類さんは困った顔をしている。

 だけど、もぎ取ってしまったのだから、今さらどうしようもない。接着剤で付けてもバレるだろう。

「一個だけもらっておこうよ」これで俺も共犯だ。「残りの二個はその辺に転がして、風の影響で勝手に落ちたことにしておけばいいよ。屋上は風がきついからバレないよ」

「カラスもときどき飛んでるからな」

 仏田は鳥類に犯罪を押し付ける。

「しょうがないね」

オーナーに謝ると言う選択肢もあったはずだが、類さんはさっさと諦めた。

「さあ、カレーを食べようや。外で食べるカレーは絶品だよ」

 仏田が紙の皿にカレーを盛って、二人に配ってくれた。トマト泥棒の罪滅ぼしのつもりだろう。盗んだトマトは三等分して、添えられていた。

「類さんはキャンプ歴が長いんですか?」

 俺はカレーを受け取ると、コンクリートに座り込みながら訊く。

「今日が初めてだよ。経験者だったら、ご飯を硬く炊いたり、焦がしたりしないでしょ」

 類さんは胸を張って主張した。訊いた俺がバカだった。

 俺たち三人は屋上で車座になって、カレーライスを食べた。味はまあまあだったが、付け合わせのトマトは絶品だった。

「やっぱり、もぎたてのトマトはうまいね」

 トマト泥棒の仏田が感動していた。

 カレーのルーがたくさん余った。普段料理なんかやらない三人が作ったのだから、分量なんて計ってないし、分かるわけない。結局俺と仏田の晩御飯にすることにした。仏田は当然喜んだ。これで二食分が浮いたからだ。

 食後は三人で寝袋に入って、昼寝をした。

「こうやって三人で川の字になって寝るのが夢だったんだよね」

 類さんは満足そうだが、なぜこれが夢なのか、俺には分からない。

「空は広くていいねえ」

「不気味な黒雲に覆われてますよ」

「さわやかな黒雲なんてないからねえ」

 知らない人が見たら、寝袋に入れられた三体の遺体が屋上に並べられているように見えるだろう。

 誰にも通報されませんように。

オーナーが上がって来ませんように。

 仏田のイビキが聞こえて来た頃、突然雨が降り出した。しかも強烈な雨だ。

「わあ、すごい雨だ。二人ともビルの中に戻るよ!」類さんが叫んだ。「突然の雨というのはなぜ小雨じゃなくて、土砂降りの雨なんだろうね――ああ、寝袋から出れない」

 俺は仏田を蹴飛ばして起こすと、寝袋から出ようとした。だが三人ともファスナーを一番上まで上げていて、なかなか下げられない。

「類さん、この寝袋は内側にファスナーは付いてないんですか?」俺は焦って訊く。

「そんな上等な寝袋は買えませんでした」

 ゲリラ豪雨が三人を容赦なく襲う。

 デカい雨粒が顔面を叩く。寝袋から外に出ているのは顔面だけだ。

 三人は寝袋から脱出しようと、必死にもがく。瀕死のイモムシみたいだ。

 やがて脱出に成功すると、寝袋を引き摺り、転がるようにして、軒下まで避難した。

 置いてあったカレーの鍋にも雨が入り込み、スープカレーになっていた。

「流行ってるからいいんじゃない」仏田はのんきだ。

 確かに世間ではスープカレーが流行ってるらしいが、貧乏な俺たちは食べたことがない。 今夜が初スープカレーの日であった。雨水だけど、温めれば大丈夫だろう。

こうしてたった1回だけカレーライスを作って、寝袋で昼寝をしただけなのに、キャンプ芸人として俺たちを売り出そうとする類さんはバカなのか、ずうずうしいのか、単細胞なのか。

「でも、俺たちが売れないと、お子さんのミルクも買えなくなるんだよ」

「何とか母乳で育ててほしいよな」

「そういう意味じゃないよ」

 ビショビショになっている仏田の頭をはたいた。

しずくが俺に飛んで来た。


 俺たちはキャンプ用具を抱えながら、ドボドボの体でトボトボと楽屋まで戻って来た。楽しいキャンプに出掛けたつもりが、突然の雨に降られて帰って来た残念な家族のようだ。

 そうか。類さんは俺たち二人を家族と見なして、三人で川の字で寝るのを夢見てたのか。

 今のところ、所属タレントは俺たちしかいないから、そういった考えも起きるのだろうが、将来事務所が大所帯になったら、こんな気持ちは味わえなくなるだろう。

こうして三人でいられる今は幸せなのかもしれないな。

父っちゃん坊やはすでに出番を終えて帰ったようで、あいつらの荷物はない。

 仏田が金属製のバケツをテーブルの上に置いた。中には雨で消えてしまった木炭の燃えカスが入っている。消えた炭は燃えるゴミとして出せる。後でビルのゴミ捨て場に持って行く予定だった。

だが、その予定が狂った。

 消えていたはずの木炭が再び燃え出したのだ。

「ヤバい、水だ、水!」

仏田がオロオロすると同時に天井から水が勢いよく降り注いだ。

スプリンクラーが作動したのだ。

「ああ、よかった。うまく消えた」

俺たちが安心したのも束の間。水が止まらない。

「おいおい、スプリンクラーて、どうやって止めるんだ?」

 仏田に訊かれるが、俺も知らない。

 いきなり電気が消えた。水で漏電したのか?

「あれっ、これじゃないね」

 類さんが壁のスイッチを押していた。

「それは蛍光灯のスイッチですよ」

「てっきりスプリンクラーのスイッチかと思ったよ」

「そんなところに付いてないでしょ」

「じゃあ、どこにあるんだろうねえ」

 天井から噴き出した水は止まらない。せっかくゲリラ豪雨から逃げて来たというのに、またびしょ濡れになってしまう。

「仏田、何をやってるんだ」

 仏田はスマホを見ている。

「スプリンクラーの止め方を検索してるんだけど。えーと、スプリンクラー設備の制御弁を閉止する」

「どこにあるんだよ」

「屋上か?」

「また上がるのかよ。ゲリラ豪雨中だぞ」

 パニックと化した類さんはエアコンのスイッチを押したり、ゴミ箱を持ち上げたり、ヤカンでお湯を沸かそうとしたり、また電気を点けたりとバタバタしている。

 そのうち、スプリンクラーは止まった。

あたり一面は水浸しになっていた。

「類さん、仏田。騒ぎになる前に証拠隠滅を図ろう」

掃除用具入れからモップを取り出して、二人に渡し、俺は雑巾を掴むと、あたりを拭きはじめた。

棚を見ると、父っちゃん坊やが忘れて行った小道具のアルマジロの頭がビショビショになっていた。

なぜ頭部だけなのか。アルマジロといえば、丸っこい体がメインだろう。アルマジロの頭を被って、どういうネタをやるのだろう。

 なんだか、フニャフニャになってるな。

 頭を触ってみると、ズボッと穴が開いた。どうやら紙を張り合わせて作ったらしい。

 放っておこう。黙ってりゃ、分からないだろ。

 三人はオーナーが来ないうちに掃除を終えた。

「こんなもんだろ。まだ濡れてるところがあるけど、自然に乾くでしょ」

「そうだね。二人ともご苦労さん。証拠隠滅は図れたから、さっさと退散しましょう」

 俺たち三人はキャンプ用品を抱えながら、逃げるように楽屋を後にした。


「おい父田、商売道具のアルマジロの頭を楽屋に忘れるとはどういうことや」

「坊屋かて、気付かんかったやろ」

「電車に乗る前に気づいてよかったわ」

「まさか盗まれてへんやろな」

「誰があんなもん、盗むねん」

「二人の手作りやから、大事にせなアカンで」

 父っちゃん坊やが楽屋に戻って来た。

「わっ!」「わっ!」

 滑って転んだ。

「なんや、床がビショビショやんけ」

「ああ、痛い。腰を打ったわ」

「アルマジロの頭はどうや?」父田が棚を見上げる。

「アカン、ずぶ濡れや」坊屋も同じく見上げる。

「乾かしたら、何とかなりそうか?」

「紙でできてるしなあ。微妙なところやなあ」

「あれ、穴が開いてるんと違うか」

「わあ、最悪やん」

「作り直すのは時間がかかるな」

「アルマジロの頭だけなんか、ドン・キホーテにも売ってへんからな」

「どないしょうか」

 二人は床に転がったまま、話し続ける。

「おい、お前ら!」ドアから男が入って来た。

「わっ、オーナーさんじゃないですか」

「じゃないですかじゃねえよ。なんでそんな所で抱き合ってんだよ、赤ズボンと白ズボンの紅白コンビが」

「違います。俺たちはここで転んで……」

「スプリンクラーの作動アラームが鳴ったから、見に来たんだよ。いったい何をやったんだ」

「いや、俺たちじゃないですって。いったん帰って、アルマジロを取りに来たらこんなことになっていて」

「何で楽屋にアルマジロを連れて来るんだ」

「頭だけです」

「アルマジロをバラバラにして殺戮したのか? 動物愛護協会が黙っちゃいねえぞ」 

「ですから、オーナー、これです」

「ああ、ネタに使う小道具か――ところで、火元はどこだ?」

オーナーはキョロキョロする。

 父っちゃん坊やの二人も転がったまま、あたりを見渡す。

「どこも燃えてませんね」

「お前らの性欲に火がついてスプリンクラーが反応したんだろ」

「さすが、元芸人。うまいこと言いますね」

「どアホ!」ヨイショしたつもりが怒鳴られる父田。「いつまでイチャついてるんだよ」

「そんな趣味はないですよ。抱き合ってたわけじゃなくて、二人一緒に滑って転んだだけです」

「アルマジロの頭もダメになって、俺たちも被害者なんですよ」

オーナーが鬼のような顔で睨んでくる。

「アルマジロは喰ったら、うまいのか?」

「いや、固そうですよ」

「グツグツ煮たらいいだろ」

「じゃあ、今度なんとか調達して来ますよ」

 坊屋がオーナーを適当にあしらう。

「お前ら、罰として、掃除をしておけ」

 何の罰か分からなかったが、劇場オーナーの命令は絶対だ。

二人は掃除道具入れに向かった。

 やがて、楽屋に陽が射して来た。オーナーが窓に近づく。

「雨は止んだようだな。ゲリラ豪雨はやっかいだが、すぐに止むからいいな。さて、屋上のトマトを見に行くか。ちょうど熟してる頃だろう――おい、お前ら。トマトは好きか?」

「俺はトマトをたべるために生まれて来ました!」

「俺はオーナーの次にトマトを尊敬してます!」

「そりゃ、よかったな。掃除を怠るなよ」

 オーナーは屋上へ向かった。


 Sコン。若手の登竜門とも言うべき新人漫才師のコンクールのことである。

しかし、大会の模様がテレビで放送されることはない。歴史も浅く、まだそこまでメジャーな大会ではないからだ。優勝賞金は大して出ないし、副賞もなく、トロフィーももらえないし、芸人仲間から尊敬されることもない。だが、上位七組に入ると、次の段階の若手漫才師コンクール、通称Wコンに出場できるというシード権が獲得できる。

カミホトケはSコンに出場が決まっている。芸人養成所の井加講師から推薦をもらったからだ。審査員はベテラン芸人の五人と素人の五十人である。公平を期すために井加講師は含まれてない。推薦人と審査員が同じというのは、おかしいからだ。

「井加さんの顔に泥を塗らないようにがんばろうや」

 俺は仏田に発破をかける。

「ああ、がんばろうな」

 仏田は珍しく小さな声で答える。

 雨水の入ったスープカレーを食べ過ぎて、お腹を壊したのである。熱を加えたから大丈夫だと思ったようだが、食べ過ぎてはいけない。

 本番で大きな声が出るように、今はエネルギーを蓄えているらしく、いつもと違って声はか細い。体も一回り小さくなったように見える。体が小さくなった分、頭のデカさが目立つ。けっこう笑える。芸人にとってはアドバンテージと言えよう。

「死にそうな方が今日の演目に合ってていいよ」

 俺は軽口を叩いて、仏田をリラックスさせてやった。


ノックの音が三回した。

類さんが俺たちを呼びに来た。

さて、出陣じゃ。


   ~幽霊~


「どーもー、カミホトケです。私が仏田バチで――」

「私が神山ジュージです」

「よろしくお願いします」「よろしくお願いします」

「まさか、ここがあの世か? 小さい花畑があるから天国っぽいな。血の池地獄は見当たらないから地獄ではないし、まあまあの霊界か。ああ、死んでしまうとは思ってなかったもんな。まさか家の前にバナナの皮が落ちてて、滑って転んで、頭を打って死んでしまうとはなあ。なんで、バナナの皮が落ちてるかなあ。チョコバナナとかバナナクレープの食べ歩きをしてたとしても、皮は付いてないし、バナナ本体を食べ歩きしてる人なんか見たことないからな。バナナの皮を武器にしてる殺し屋なんかいないだろうし、そもそも俺は殺し屋に狙われるような大物じゃない。せめてミカンの皮だったら、滑らないのになあ。あーあ、誰かいないかなあ。おーい、おーい」

「誰か俺を呼んだか。おお、お前は鈴木山じゃないか!」

「そう言うお前は佐藤川じゃないか! ここはあの世なのか? 到着したばかりで分からないんだ」

「ああ、ここはあの世だ。俺は一週間前に死んだから知ってるんだ」

「顔色が青白いけど、体の具合でも悪いのか?」

「死人だから血が通ってないんだよ」

「じゃあ、俺も死にそうな顔色をしてるのか」

「いや、もう死んでるから」

「それにしても、お前はダサいファッションだな」

「白装束だからな。お前もそうだぞ」

「わっ、ホントだ」

「俺は犬を助けようとして死んだんだ」

「ドラマみたいにカッコいい死に方だな。俺はバナナの皮で滑って転んで死んだんだ」

「昭和のコントみたいな情けない死に方だな」

「お前は俺をバカにしてるのか。ブッ殺ずぞ!」

「いや、もう死んでるから」

「そうだったな。俺は新人の死人だから、悪かった。ここで人に会うのは初めてなんだ」

「俺もそうだ。昨日はサンマの霊に会ったけどな」

「魚の霊がいるのか?」

「そりゃ、すべての生き物には霊が宿ってるさ。サンマの霊はたくさんいて、空中を大群で泳いでたよ。今年のサンマは豊漁だったから、まとめて死んだのだろう。その前はキャベツの霊に会った。たくさんいたよ」

「キャベツの霊って、どんな形をしてるんだ?」

「そのまんま、キャベツだよ」

「今年はキャベツも豊作だったから、まとめて死んだのだろうな。お前の足元にいる犬は何だ?」

「俺が助けようとして一緒に死んだ佐藤川ジョンの助だ」

「ジョンの助なんて、変わった名前だな」

「お父さんがアメリカの犬で、お母さんが日本の犬のミックス犬なんだ」

「しかも、犬なのに苗字が付いてるのか」

「ペットは家族だから苗字が付いてて当然だろ。お前には母親がいたよな。母親には苗字が付いてるだろ。それと同じだよ」

「犬と一緒に死んだって、どういう状況だったんだ?」

「うちの庭で佐藤川ジョンの助と一緒に金魚の水槽を洗ってたんだ。そこへ車が突っ込んで来たんだ。俺はとっさにこいつを守ろうとして、車の前に立ちふさがったんだけど、一緒に跳ね飛ばされたというわけだ。ちなみに、突っ込んで来た車は大破して、運転手は即死、水槽も木っ端みじんだった」

「お前が家族だというペットの金魚も死んだのか?」

「そうだ。金魚の佐藤川チョボ、佐藤川ヒョイ、佐藤川マルル、佐藤川バタバタ、佐藤川ツンツン、佐藤川モニョモニョ、佐藤川トッカラポン、佐藤川スビチャラウンホイホイ、佐藤川弦三郎衛門もみんな即死だった」

「最後の金魚は威厳のある名前だな」

「金魚を飼っていた水槽の主の出目金だ」

「少子化の世の中だというのに大家族だな」

「いや、別々に金魚すくいで取ってきたから、みんなに血のつながりはない」

「他人同士なのに仲良く暮らしてたんだな。この世で、金魚たちとは出会えたのか?」

「それらしい姿を見つけて追いかけたんだけど、あやうく崖から落ちそうになって、九死に一生を得たんだ」

「いや、もう死んでるだろ」

「もう少しのところで家族に会えないのは、みつばちハッチになった気分だよ。俺の庭に突っ込んで来た奴は見つけしだいブン殴って、生き埋めにして、生き地獄を見せて、生き恥をさらしてやる。きっと生きた心地がしないだろ」

「もう死んでるだろ」

「ああ、そうだった」

「俺もバナナの皮を捨てた奴を見つけて、やっつけてやるんだ」

「ああ、がんばれよ」

「死ぬ気でがんばるよ」

「もう死んでるから」

「そいつを見つけるのが生き甲斐なんだ」

「もう死んでるから」

「俺の生き様を見せてやるぜ」

「もう死んでるから」

「ところで佐藤川はどこに住んで、何を食べてるんだ?」

「肉体がないから、疲れないし、眠くならないし、腹も減らないから、こうしてウロウロしてるだけだよ。食欲も睡眠欲も性欲もないよ」

「三大欲望がないというのは、わびしいよな」

「食欲があったら、サンマ食べ放題だったんだけど、たぶん霊が霊を喰ってもマズいだろうな」

「睡眠欲がないなら、真冬の暖かい布団も体験できないのか」

「あれはよかったな。布団の中が天国みたいだったもんな。生きてた頃が懐かしいよ」

「性欲がないなら、キャバクラもないということか。霊界の人は何を楽しみに生きてるんだ」

「いや、もう死んでるから」

「――あれっ、誰かが俺を呼んでる。ああ、体が引っ張られる~」

「鈴木山、どうしたんだ? さては、あの世から呼ばれたな」


「――着いたかい」

「ここはどこだ?」

「霊媒師にお前を呼んでもらったんだよ」

「わっ、オカン。これはどういうこと? えっ、俺の体がオバちゃんになってる。オバちゃん霊媒師に憑依したということ?」

「お前、あの世でちゃんとご飯は食べてるのかい?」

「あの世じゃ喰わなくてもいいんだよ」

「それじゃ体に悪いでしょ」

「いや、体はないから」

「ちゃんと仕事はしてるのかい?」

「働かなくてもいいから」

「若者が仕事もしないで、遊んでてどうするの。タダシ君なんか就職も決まって、結婚もしたよ。相手はほら、お前も知ってるミサキちゃんだよ」

「えっ、ミサキちゃんと結婚した!? あの野郎、憑りついて、ぶち殺してやる」

「物騒なこと言わないでよ」

「毎晩枕元に立って、睡眠不足にしてやる。金縛りに遭わせてやる。幻覚を見せて、幻聴を聞かせて、家中にオーブを飛ばして、ラップ音を響かせて、椅子とか机を動かして、ポルターガイストでお祭り騒ぎをして、座敷童を団体で呼んで、夜中にドンチャン騒ぎしてやる」

「男なんだから、あきらめな」

「死んでもあきらめないぞ」

「お前はもう死んでるよ。それよりも、謝りたいことがあって、お前を呼んだのよ。お前はバナナの皮で滑って転んで死んだだろ。あの皮を捨てたのは母さんなんだよ」

「なんでだよ!?」

「買い物の帰りにお腹が空いて、バナナを齧りながら家の前まで来たら、電話が鳴ってるのが聞こえて、あわてて皮だけを捨てて、家に入ったんだよ。その後すぐにお前が通りかかったというわけなんだよ」

「はあ、いまさら真相が分かってもなあ」

「母さんを許してくれるかい?」

「許すも何も、俺はもう死んじゃったからね」

「ああ、よかった。これで母さんも安心して産めるわ」

「産めるって、何だよ?」

「お前の妹ができたんだよ」

「聞いてないよ!」

「お前が死んだ日に妊娠が判明したんだよ。悲しいのか、おめでたいのか、よく分からない命日だったね」

「オカンは何歳だったっけ?」

「四十二歳だよーん。マジ卍」

「若者のフリをしても年齢は変わらないよ。マジ卍なんて、誰も使ってないし」

「この年齢でも産めるから心配しないで。いざとなったら、腹をかっさばいて、帝王切開してやるから。それに、お前は死んだけど、妹が誕生するから、母さんは淋しくないから」

「淋しがれよ」

「じゃあ、ベビー用品を買いに西松屋へ行ってくるから。電動機付き自転車は楽チンでいいね」

「貧乏なのに、何でそんな高級自転車を持ってるんだよ」

「お前の生命保険で買ったんだよ。お前の保険金のお陰で母さんと父さんは、潤いのある生活を送れてるんだよ」

「息子の死で潤うなよ」

「昨日なんか、父さんとフランス料理を食べに行ったんだよ。エスカルゴはおいしかったなあ。赤ワインも美味だったわね」

「そんなもの、俺は食べたことないよ」

「明日は世界三大珍味の盛り合わせを食べに行くんだよ」

「それも食べたことないよ」

「マツタケの丸焼きも食べに行くんだよ」

「マツタケも食べたことないよ」

「生前、たくさん食べさせてあげたでしょ」

「あれは永谷園のマツタケのお吸いものだろ。食べたんじゃなくて、すすったんだよ」

「ああ、イタ飯も行きたいな」

「今はイタ飯なんて言葉は使わないよ」

「ああ、貧乏な頃が懐かしいわ」

「オカンは贅沢過ぎるんだよ」

「生まれて来る妹のための前祝いだよ。それと、お前の使ってた部屋だけど、今度改装して妹の部屋にするから」

「ちょっと待ってよ。俺の思い出がたくさん詰まった部屋を壊さないでよ」

「これもかわいい妹のためだから。最新のエアコンを入れて、掘り炬燵を作って、ホットカーペットを敷くんだよ」

「掘り炬燵の上からホットカーペットを敷くと、ドッキリの落とし穴みたいになるだろ」

「そりゃ、傑作だね。テッテレー!」

「俺のときは、夏はウチワで、冬は頭から毛布をかぶって生活してたんだぞ」

「保険金で家の改装費までまかなえるなんて、お前は孝行息子だったわね」

「過去形で話すなよ。それに、俺は少ない給料の中から毎月保険金を払ってたんだぞ」

「お前のお葬式はチャチャッと今流行りの家族葬で済ませたからね」

「聞いてないぞ。俺のお葬式を永谷園のさけ茶づけみたいに、簡単に済ませやがって」

「お前の遺影にする写真がなくてねえ」

「スマホの中にたくさん自撮りの写真が入ってるよ」

「暗証番号が分からなかったから、開けられなかったんだよ」

「遺影なしで俺のお葬式をやったの?」

「アルバムを探したら、お前が小学生のとき、鼻の穴に指を突っ込んだ変顔の写真があったから、それを使ったよ」

「遺影に変顔を使うなよ」

「家族全員で大笑いだよ。お葬式なのに、鼻の穴に指突っ込んでるんだよ。ハハハ」

「祟ってやるからな」

「お前のために、一番高い伽羅のお線香を買ってあげたんだよ。そっちに素敵な香りが届いてないかい」

「死んで間もないから、分からないんだよ」

「せっかく三万円もしたのにねえ」

「それって、俺の保険金で買ったんだよね」

「当たり前でしょ。家のどこに、三万円のお線香を買う余裕があるのよ」

「伽羅の香りが飛んで来たら、感謝しておくよ。あんまり興味ないけど」

「伽羅だけに、そんなキャラじゃないって? お前は死んでも面白いねえ」

「ふざけるなよ」

「それじゃあ、またいつか霊媒師に頼んで、お前を呼んであげるよ」

「だったら、せめてイケメンの霊媒師にしてくれよ」

「贅沢言わないの。それじゃ、ヨロピク」

「今どき、ヨロピクなんて言わないよ」

「じゃあ、バイビー」

「バイビーも言わないよ」

「さらばじゃー」

「ちょっと待ってよ、オカン! さらばじゃーなんて、時代劇に出てくるジジイじゃないか。おい、オバちゃん霊媒師。俺のオカンを連れ戻してくれ。一生のお願いだから」

「お宅の一生はもう終わってるから、あの世で続きをがんばってね」

「そんな殺生な。まあ、いいか。今さら生き返れないからな。おーい、オカン。せいぜい元気な赤ちゃんを産んでくれよ。俺の大事な妹だからな」

「お前に似てないことを期待するよー」

「くそっ! これだと死んでも死に切れないぜ」


「よぉ、鈴木山。戻って来たか」

「ああ、佐藤川か。バナナの皮を捨てた犯人は俺のオカンだったわ」

「子殺しとは物騒な世の中になったな」

「いや、オカンがたまたま捨てただけで、俺が殺されたわけじゃないから」

「お母さんはお前が死んで、悲しんでただろ」

「むしろ喜んでたわ。お葬式は安上がりだったし、もうすぐ俺の妹が生まれるし、毎日漬物と永谷園がおかずだったのに、エスカルゴまで喰ってたわ。それに、俺の片想いの女性は友人と結婚したし、あちらはヒドいもんだったよ」

「世知辛い世の中になったな」

「俺の保険金が入って、潤ってるんだもんなあ」

「そんなに気を落とすなよ」

「また生命保険に入ろうかな」

「死者は入れないよ」

「あの世はよかったなあ」

「この世は肉体がないだけに、いいこともあるよ」

「たとえば、何だ?」

「頭が痒くならないし、屁も出ない」

「それだけ?」

「それだけ」

「思いっ切り屁をこく快感も味わえないのか」

「肉体的快感はないけど、がんばって生き抜こうや」

「もう死んでるから」

「君たちはどう生きるか」

「もう生きてないし」

「後ろ向きなことばかり言うなんて、人間失格だぞ」

「もはや人間じゃないし」

「人という字のように、支え合って行こうや。」

「人じゃなくて、霊だし」

「霊だと肉体がないから、支え合わなくてもいいぞ」

「確かに、ユラユラと浮いてるもんなあ」

「みなさん、命を大切にね」

「それは身をもって分かったよ」

「身もフタもない話だけどね」

「ありがとうございました」「ありがとうございました」


 この幽霊ネタで俺たちカミホトケはSコンでギリギリの七位入賞を果たした。中途半端な順位だったが、若手漫才師コンクール、通称Wコンに出場できるシード権を獲得できた。

 逆にギリギリ八位でシード権を逃したのは、父っちゃん坊やだった。

 表彰状とともに、副賞として特大の紅白饅頭を二人分もらった。仏田はまた一食分浮いたと喜んでいた。今日の晩御飯は饅頭二個だそうだ。

表彰状は腹の足しにならないと言って、仏田が楽屋に放置していた。それを父っちゃん坊やの二人が見つけて、“カミホトケ”を“父っちゃん坊や”に書き換え、Wコンの事務局に提出し、シード権を獲得しようとして、すぐにバレてしまい、半月間の劇場出入り禁止処分

を受けた。

 仏田はライバルが減ったと喜んでいるが、俺はあんな連中は最初からライバルとは思っていない。実力で俺たちの所までのし上がってくればいい。ギリギリの七位入賞だったけど。


「お前ら、最近屋上に上がってないか!?」

 楽屋で反省会をしていると、ビルのオーナーが怒鳴り込んで来た。

「えっ、いや、あの、上がってませんけど、何かありました?」

俺はなんとか誤魔化し、仏田には余計なことを言うなとアイコンタクトを送った。あいつは口が軽くて、ペラペラしゃべってしまう。ここは俺に任せろ。

「屋上の家庭菜園が荒らされて、トマトが一個なくなって、二個地面に落ちてたんだ」

「モグラの仕業じゃないですか」俺はまた誤魔化す。

「なんでビルの屋上にモグラがいるんだよ」オーナーは疑う。

「飛んで来たんじゃないですか?」

「モグラは飛べたか?」

「ハトに掴まって飛んでるモグラを見たことがありますよ――なあ」仏田に助けを求める。

「トンビの背中にも乗って飛んでました」仏田も誤魔化す。「トンビがくるりと輪を描いても落ちませんでした」

「まんが日本昔ばなしでも、子供が龍に乗って飛んでましたから、モグラも飛びますよ」

「なるほどな。だが、モグラはトマトを食べるのか?」

「トマトにはリコピンが含まれていて、高い美容効果がありますから、モグラも好んで食べますよ」

「最近のモグラはすごいな。美容にも敏感なのか」

オーナーは信じた。

だけど、トマトの数を覚えていたオーナーの方がすごいだろ。

「生物というのは進化とともに、美しくありたいと、美容にも敏感になっていくのです」

「ほう、そういうものか」

 真面目な顔をして、デカい声で堂々とウソをつけば、人は信じる。

「俺は美容に興味ないのだが、人として進化の途中にあるということか」

 そういうことだよ、オーナーさん。


 劇場を終えて、外に出た。

 今日はいつも以上に出待ちの女性がたくさんいる。人気芸人“トップタウン”が出ていたからである。急遽出演が決まったにもかかわらず、劇場の中には立ち見も出て、外にもたくさんの出待ちの人が押し寄せている。出演の情報はすぐにSNSで拡散されるような時代だからである。

 もちろん俺たちの唯一の出待ち女性である北白さんも待機してくれていた。北白さんの長身とデカい声は出待ちをしている女性たちの間でもすっかりおなじみで、最近は俺たちにデカい声をかけてくれても、周りの人たちは驚かなくなった。

「カミホトケさん、こんにちはー! 今日も楽しかったですよー!」

 いつものように、デカい声で褒めてくれる。他に褒めてくれるファンなんかいないので、北白さんは変わった趣味の人だと思われてるだろう。そのあたりはちょっと申し訳ない気がする。

 類さんは最近俺たちのためにタクシーを呼んでくれている。今まで通り、最寄りの駅まで歩いて行くからと断っているのだが、出待ちの女性が増えて来たので、見栄を張るために呼んでいるのである。出待ちの女性といっても、北白さん以外は他の芸人を目当てに集まっている人たちで、そんな人に見栄を張る必要はないと思うのだが、近頃、コレクションしていたアイドルグッズの高騰が続いているので、気前がよくなってきているのである。

今日は人が溢れているので、見栄を張るには持って来いの吉日である。

つまり、作戦を決行するためにも良き日ということである。

「あれがカミホトケが出て来るのを待っている大型のタクシーだな」

仏田が停車している黒いタクシーを見つけて、ワザと周りに聞こえるように大声で確認すると、俺たちは歩き出した。みんなが注目してくれるのが分かる。たとえ近距離でもタクシーを使うほど売れて来た芸人だと、周りの人々にアピールできただろう。

 そのとき、全身黒尽くめの男が走って来たかと思うと、突然仏田に襲いかかった。

「カミホトケの仏田、覚悟しやがれー!」あたりに大声が響いた。

 大柄な仏田だったが、男に体当たりされて、道路に転がった。

「ざまみろ、カミホトケの仏田!」

男はまた大きな声で叫びながら、走り去って行った。

あっと言う間の出来事だった。

「おい、仏田、大丈夫か!?」前を歩いていた俺はあわてて駆け寄った。

 仏田は腹を押さえている。指の間からナイフの柄のようなものが突き出ている。そこからジワジワと血が流れ出した。

 犯人は立ち去ったようだが、周辺にたむろしていた人たちはあわてて逃げ出す。

「仏田さん!」北白さんが今までで一番大きな声を出しながら、走って来た。「神山さん、ちょっと私に見せてください!」

 俺は彼女のために場所を開けた。

周りは騒然としている。まだ何が起きたのかよく分かってないからだ。しかし、仏田が起き上がって来ないところを見て、何かの事件が起きたのではないかと騒ぎ出した。お腹から血が出ていると、周りに言い触らしているやじ馬もいる。

「私はナースです! 今から容態を見ますので!」北白さんが叫んだ。

 ナースと聞いて、みんなは安心した表情を浮かべた。しかし……。

「仏田さん、大丈夫ですか!? カミホトケの仏田さーん!」耳元で呼びかけるが、反応はない。「お腹を刺されたみたいです!」俺の方を向いて教えてくれる。

 周りから、救急車という言葉がいくつも聞かれた。出待ちをしていた人たちが通報をしてくれているようだ。警察も呼べという声も聞こえる。

 そこへ、運送会社の青い制服を着た男性が小走りでやって来た。

「俺が病院へ連れて行こうか?」すぐそばに停めてあるトラックを指差す。「救急車を待つより、早いだろ」

 ちょうど荷物の積み下ろしをしていたようで、後部ドアが開いている。

「お願いします!」北白さんが言った。「神山さん、仏田さんを一緒に運んください!」

 俺と運送会社の男性と北白さんの三人で仏田をゆっくり運んで、トラックの荷台にそっと寝かせた。そこにはうまい具合にマットが敷いてあった。

「カミホトケの仏田さん、気を確かに!」北白さんの声がトラック内で反響する。

「仏田、しっかりしろ! 仏田、お前がいなくなると俺はどうなるんだよ! せっかく最近売れて来たというのに、俺一人だと何もできないじゃないか。仏田、頼むよ、目を開けてくれよ! あの笑顔を見せてくれよ!」俺も負けじと叫ぶ。

「今から病院に連れて行ってやるから、がんばるんだぞ!」運送会社の男性も声をかけてくれる。

「仏田、すぐに治療してやるからな!」俺が治すんじゃないけど。

途中で何人もの人たちが、手伝いますかと言って来たが、運送会社の男性が返って動きづらいですからと言って断ったため、三人で運び、そのまま俺と北白さんもトラックに乗り込んだ。

現場は騒然としたままで、何人もの人がスマホをこちらに向けたり、どこかへ電話をしていた。

このようにして、今は事件や事故の情報がすぐに広がって行く。

 トラックが大通りに出たところで、救急車のサイレンが聞こえて来た。すぐにパトカーも到着するだろうが、残っている人たちが状況を説明してくれるだろう。

 仏田が劇場を出たところで何者かに刺されたという事件は、たちまちネットニュースとなって、全国に拡散された。その日は人気芸人“トップタウン”が出演することもあって、何人もの芸能記者がその場にいたらしい。そのうちの一人が記事を発信し、写真も添付していた。そこには腹を押さえて道路に横たわる仏田の姿があった。


 「ネットニュース」

インスペース所属のお笑い芸人カミホトケの仏田バチさん(26)が本日の出番を終えて、劇場を出たところで、暴漢に襲われて、ナイフのようなもので腹部を刺されるという痛ましい事件が起きました。居合わせたトラックによって、すぐに運ばれましたが、容態ははっきりしていません。ただ、お腹のあたりにはまだナイフが刺さったままで、出血の跡が見られることから、かなりの重傷と思われます。また、トラックに運び入れるとき、相方の神山さんが励ます悲痛な声が聞こえてました。しかし、仏田さんから反応が返って来ることはなく、意識がないまま運ばれたと思われます。犯人は犯行の際、ざまみろカミホトケの仏田と叫んでいたとの証言があり、恨みによる犯行と思われます。目撃者によると上下とも黒っぽい服装で、劇場の裏手に向かって、走って逃げて行ったということです。警察が引き続き捜査を行っています。仏田さんの無事を祈るばかりです。


 インスペースの事務所では、五人の男と一人の女がテーブルを囲んでいた。

先ほど、ペットボトル入りのお茶で乾杯したばかりだ。随分とセコいが、事務所は貧乏だから仕方がない。

「記事には事務所の名前もバッチリ出てるねえ」類さんがうれしそうにスマホを見ている。

「北白さんがコンビ名と仏田の名前を連呼してくれたから目立ちましたよ」俺は感謝を示す。「さすが舞台女優さんは声が響きますね」

「普段から大きな声を出してますからね」北白さんがうれしそうに微笑む。

「山東さんも仲西さんもよく声が出てましたよ」俺は二人の男を見る。

 犯人役の山東さんと運送会社のドライバー役の仲西さんだ。それぞれ全身黒尽くめの服と青い制服を着ていたが、今はスーツに着替えている。この三人は同じ劇団員だ。

「お前のセリフが棒読みで笑いそうになったよ」仏田が神山を見る。

「しょうがないだろ。急に決まったんだから。劇団の人たちと違って、うまくしゃべれないよ」

「普段、お客さんの前でしゃべってるじゃないですか」北白さんに言われるが、

「事前に何度も練習している漫才とは違うんですよ。セリフを覚えるだけで精一杯でした」

「だけど、あのセリフは白々しかったよなあ。俺の名前を何回呼ぶんだって、運ばれながら、ツッコミを入れそうになったよ」

「いいアピールになったでしょ」類さんが笑った。

この事件は類さんが仕掛けた。

コンビ名と名前をしつこく呼ぶような白々しい台本も類さんが書いた。俺たちの名前を覚えてもらうためのとんでもない作戦だった。

アイドルグッズの高騰を見込んで、劇団員を雇って、一芝居打ってもらったのだ。

「そもそも類さんが急に決行するから、アタフタしたんですよ」俺は文句を言う。

「急に“トップタウン”の劇場出演が決まって、今日は出待ちの人が増えるから、絶好の機会で、いい宣伝になるんじゃないかと思ったんだよ。まさか、芸能記者まで来てるとは思わなかったよ。だけど、こうしてすぐにネットニュースになったのはラッキーだったね。しかも芸能と社会のダブルでトップニュースになってるよ――仲西さんは仏田君の運搬とトラックの運転までしてもらって、ご苦労さんでした」

「三人で仏田さんをトラックまで運ぶとき、親切な人たちが手伝いますと言いながら近付いて来たのであわてましたよ。仏田さんを近くで見られると、絶対バレると思いましたからね」

「あの血糊は何だか真っ赤でしたよね」腹に血糊を仕込んでいた仏田が言う。

「ごめんなさい」北白さんが謝る。「劇団に普段から血糊は置いてあるんだけど、私が配合を間違えちゃって、いつもより鮮明になったんですよ。室内ではどす黒く見えてたんですが、太陽の元ではやたらと鮮明で、我々は舞台人ですから、外で芝居をやることはないですからね」

「だから、私が返って動きづらいですからと言って、みんなを追い払いました」

「仲西さんが機転を利かせてくれたのですか。それはありがたい」類さんは頭を下げる。「血糊がバレたら、計画はダメになるところでした」

「その後、トラックを発進したのはいいけど、後を付けられないかと冷や冷やしたよ」仲西さんが笑う。

「誰かが付けて来たらどうするつもりだったんですか?」俺は訊いてみる。

「振り切るしかないね」

「仲西さんは普段から運送のアルバイトをやってるから、運転は上手なんですよ」北白さんが教えてくれた。

「振り切るといっても、トラックでぶっ飛ばすという意味じゃなくて、あの辺りは私がいつも配達をしているエリアですから、いろいろと裏道を知ってるんですよ。だから追いかけて来たら、入り組んだ道を走り回って、撒いてやろうと思ってました」

「ああ、だから仲西さんが選ばれたのですね」仏田は腹に刺さっていたナイフをもてあそびながら、感心している。そのナイフも劇団が用意してくれた小道具で、刃を押すと柄の中に収納されて、いかにも刺さっているように見える。

「しかし、類さん」俺は少し機嫌が悪い。「俺たちを何としても売り出そうという気持ちはありがたいですよ。だけどこの作戦はやり過ぎじゃないですか?」 

「いやいや」仏田が割り込んで来る。「笑って受け入れればいいんだよ。楽しいパフォーマンスだったじゃないか。劇団の人たちとも仲良くなれたし」

 仏田はこっそり北白さんに目をやる。

 北白さんは相変わらず宝塚歌劇団の男役のようにシュッとしている。

「お前はホントに笑わないよなあ」仏田がいつもセリフを言い出す。「真面目すぎるんだよ」

「派手にやる作戦もあるんだよ」類さんが言う。「いつもは地味に恐竜の名前とか電車の種類とかを覚えてもらってるから、ドーンと派手にやったというわけだよ」

「そういうわけだよ。分かってあげなよ、神山」

「けっこうたくさんの人がいただろ」俺は類さんを放っておいて仏田の方を見る。「俺の迫真の演技でみんなを騙したかと思うと、申し訳ない気分になるんだよ」

「セリフの棒読みのどこが迫真なんだよ」

「お前はセリフがなかったからいいよ。ただ寝転んで、運ばれてただけだからな」

「俺だって、ちゃんと血が流れるように加減しながら血糊袋を絞ってたんだよ。力が弱いと出て来ないし、力を入れ過ぎるとブシューと噴き出すし」

「お前の腹から盛大に血が噴き出すシーンが見たかったよ」

「椿三十郎のラストシーンじゃないんだよ」

「だけど、類さん。警察が何か言って来ますよ」俺はそこも心配だ。

「そのときはそのときで、何とか誤魔化すよ。誤魔化し切れなかったら、正直にパフォーマンスでしたと頭を下げておくよ。事務所にかかって来る電話は全部私が出るから、何とかするよ。二人は後のことなんか心配しないで、芸に専念してくれればいい」

 その後、誤魔化し切れずに呼び出しを受けた類さんは警察署に出向き、自分で言っていた通り、警察官の皆さんに深々と頭を下げて、謝罪の言葉を繰り返し述べた。しかし、相当頭に来ていた警察はそれでは物足らず、類さんに原稿用紙三枚分の反省文を書かせ、二度とアホな売名行為はしませんと誓約書まで書かせた。

 ありがたいことに警察は、今回の事件がパフォーマンスだったということを黙ってくれることになった。これ幸いと類さんはマスコミ各社にファックスを送った。

“暴漢に襲われたカミホトケの仏田は軽傷で済みました。すぐ現場に復帰しますので、これからもインスペース所属芸人カミホトケを応援してください。ご心配とご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした”

 この直筆のファックスが、小学生の書くようなあまりにも汚い字だったため、ネット上で拡散され、大いに注目された。うれしい誤算であった。

 しかし類さんは何ら反省することなく、事務所とカミホトケの宣伝になったと大喜びだった。実際、カミホトケを目当てにした出待ちの女性が集まるようになった。

 残念なことに、北白さんは現れなくなった。しょせん、お金で雇われた出待ち女性に過ぎなかったからだ。数週間に渡って出待ちの女性を演じてくれていた北白さんは、けっこうなギャラを手にした。今もどこかの小劇場で大きな声を張り上げて、観客を魅了していることだろう。

 ドライバー役だった仲西さんとは一度だけ会った。たまたま劇場内に荷物の配達があったらしく、廊下を全力で走っていたのだ。

「廊下を走ったらダメですよ!」

「あっ、すいません。あれっ、カミホトケの神山さんじゃないですか。今から出番ですか。あれからテレビで何回か見かけましたよ。いよいよ売れっ子になってきましたね。これもすべて私たちが仕掛けたパフォーマンスのお陰ですからね。今度、我々の芝居も見に来てくださいよ」


ノックの音が三回した。

類さんが俺たちを呼びに来た。

さて、出陣じゃ。


   ~漂流~


「どーもー、カミホトケです。私が仏田バチで――」

「私が神山ジュージです」

「よろしくお願いします」「よろしくお願いします」

「プレジャーボートに忍び込んだけど、金目の物がなかったから、腹いせにクーラーボックスを盗んでやったぜ。そのまま帰ろうと思ったけど、ちょうどゴムボートが積んであったから拝借して、ちょっとしたクルージングに出たというわけだ。クーラーボックスの中身は後でじっくり拝見するとして、もうちょっと岸から離れようかな。エッサ、ホイサ」

「おい、貧乏なコソ泥!」

「わっ、誰だ。どこから声がするんだ!?」

「私はプレジャーボートのオーナーだ。声はクーラーボックスからだ。GPSとスピーカーが取り付けてあるだのだよ。今、お前は沖に向かって漕ぎ出したばかりだな」

「生意気な金持ちだな。だが、カメラは付けてないようだな。ふーん、位置だけが特定できるというわけか。プレジャーボートの近くに人はいないから、遠くから監視してるのだろう」

「よく分かったな、貧乏人」

「お宅が追いかけて来る頃には、とっくに沖へ逃げてるぜ。クーラーボックスを持ってな。さて、金持ちのクーラーボックスには何が入ってるのかな。ノドグロかな。クエかな。ハーゲンダッツアイスの全種類詰め合わせかな。エッサ、ホイサ」

「よく聞け、貧乏人。お前が握ってるオールは三十回漕ぐと折れる仕掛けになっているのだよ」

「たかがゴムボートのオールにそんな繊細な仕掛けが施せるかよ――あれっ、二本とも折れて、海に沈んで行った」

「残念だな、貧乏人。お前も海のもくずと消えればいい」

「残念なのはそっちだ、金持ち。足でバシャバシャと漕げば、ゴムボートくらい動くぜ」

「残念だな、貧乏人。そこは潮の流れが激しくて、たちまち太平洋のド真ん中まで持って行かれるのだよ。そして、太平洋一人ぼっちになるのだよ」

「何だと、金持ち。こうなったら――」

「待て、貧乏人。腹いせにクーラーボックスを蹴飛ばそうと思っただろ。それはフタが開いた瞬間に爆発するからな」

「ウソつけ、金持ち。たかがクーラーボックスにそんな繊細な仕掛けが施せる――」

「さっき聞いたようなセリフだな――ふん、どうやら思いとどまったか。では、快適な航海を楽しみたまえ、貧乏人」

「待て、金持ち。遠くに何かが見える。どうやら助かったぜ。あれは豪華客船かな。おーい、漂流してるので助けてくれー」

「ここは豪華客船の航路になっていない」

「じゃあ、漁船かな。おーい、助けてくれー」

「このあたりで魚は獲れない」

「じゃあ、水上バイクかな。おーい」

「水上バイクの乗り入れは禁止されている」

「あっ、近づいて来た」

「正体は何だ?」

「こっちと同じゴムボートだった」

「ざまみろ、貧乏人×2人。これで太平洋二人ぼっちだな。じゃあな」


「やあ、こんにちは。水持ってない? おっ、クーラーボックス。その中は飲み水ですか?」

「これはフタが開いたら爆発……。あっ、いや。もらいものだから、開けてみないと、中は分からないんだ」

「俺が開けますよ。渡してください」

「いや、待ってくれ。タダじゃ嫌だから、そのオール一本と交換しようじゃないか」

「いいよ。二本あるからね。はい、どうぞ」

「ありがとう。じゃあ、クーラーボックスを渡すね。はい、どうぞ。では、さようなら。エッサ、ホイサ」

「急いでどこに行くんだい――あれっ、クーラーボックスを開けたら、白い煙が出てきた」

「だから、それは爆発するんだよ。じゃあね。エッサ、ホイサ」

「煙が出るばかりで爆発なんかしないよ。風に乗って、煙は全部キミの方に流れて行くし」

「なんでボートが進まないんだよ。エッサ、ホイサ」

「オール一本で漕いでるから、グルグルと円を描いてるんだよ」

「ミズスマシかよ!」

「じゃあ、これ返すね」

「こらっ、クーラーボックスを投げるな。どこ行くんだよ。お前もオール一本だから、二匹目のミズスマシになるだけだぞ」

「このゴムボートはエンジンが付いてるんだ。飲み水は陸に上がってコンビニで買うよ。じゃあね、貧乏人」

「クソッ、行きやがった。エンジン付きのゴムボートって、金持ちなのか貧乏なのか分からないな。それにしても何だこの白い煙は。まさか、このクーラーボックスは玉手箱か!?」


「竜宮城にようこそ」

「誰だ、あんたは?」

「竜宮城の城主マンボウ鯖之助である」

「変な名前だな」

「マンボウと鯖のハーフである」

「マンボウと鯖は恋をするのか?」

「今や自由恋愛の時代である」

「竜宮城だったら、乙姫様がいて、鯛やヒラメの舞い踊りが見られるはずだけど」

「若い乙姫様の代わりに中年魚のワシがおる。鯛やヒラメの代わりはあれだ」

「うう、不気味な深海魚がクネクネ踊ってる――ご馳走は出て来ないの?」

「客人が釣って来た魚をこちらでさばくという仕組である」

「ひなびた旅館みたいで面倒だな」

「おぬしは手ブラだから、メシ抜きである」

「夢の竜宮城じゃないのかよ」

「文部省唱歌の浦島太郎の歌と違って、現実はこんなものである」

「さっさと陸に帰りたいので亀を呼んでくれ」

「なぜ亀を呼ぶのだ?」

「浦島太郎は助けた亀に乗って竜宮城に行って、帰って来たんだよ」

「おぬしは亀を助けたのかね?」

「いや、助けてないけど」

「助けてもいないのに、亀をタクシー代わりに使おうと言うのか。都合が良すぎるではないか。このまま海のもくずと消えなさい」

「今日、海のもくずと呼ばれるのは二回目じゃないか」

「こちらの知ったことではない」

「一寸の虫にも五分の魂と言うじゃないか」

「おぬしは自分が虫けらのような存在だと自覚しておるのか」

「はいはい、もう虫でもウンコでもいいです。早く陸に戻してください」

「ならば、亀ならあそこにおるぞ」

「あれは二十センチのリクガメだよ。小さくて乗れないよ。もっと大きい亀はいないの?」

「大きい亀でも背中に乗ったら、動物虐待になるぞ」

「どうすればいいんだよ」

「お前を陸に連れて行ってくれる奴を呼んでやろう。おーい、ホオジロザメ」

「呼ばなくていいよ」

「おーい、デカいタコ」

「呼ばなくていい」

「おーい、クラゲの大群」

「呼ばなくていいよ」

「おーい、人魚」

「呼ばなくて……ああ、呼んでくれ! 人魚さんと一緒に帰りたい。人魚さんの尻尾に掴まって帰りたい」

「あっ、そうじゃった。今日、人魚は有給取って休んでおる」

「だったら、明日まで待つよ」

「明日からインド洋に二週間出張である。二週間待てるかね」

「それは嫌だ。こんな竜宮城からは今日明日にでも帰りたい。まだ、グロい深海魚が踊ってるし。ちゃんとした乗り物はないの?」

「おぬしは贅沢だのう。ではこれならどうだ。おーい、しんかい6500」

「しんかい6500は有人潜水調査船だろ。なんで竜宮城にあるんだよ」

「生きてるシーラカンスと交換したのだよ」

「すごいな、生きてるシーラカンス。でも、俺はしんかいの運転はできないぞ」

「打って付けの者がおる。おーい、ネモ船長」

「生きてるネモ船長の方がすごいな。ノーチラス号はどうしたのですか?」

「車検に出しております」

「では、俺を陸へ連れて行ってください」

「お安い御用で。我がノーチラス号に比べたら、しんかい6500なんて屁みたいなものですからな」


「おい、貧乏なコソ泥!」

「わっ、あんたは生意気な金持ち!」

「クーラーボックスを取り戻しに来たぞ」

「これは玉手箱だったぞ。白い煙が出て、竜宮城に行って、ネモ船長が運転するしんかい6500で帰って来たんだぞ」

「なにを寝惚けてるんだ。その中身はドライアイスだ」

「金持ちのドライアイスには変な成分が含まれてるのか。よく分からないけど、返すよ」

「ゴムボートはくれてやるから、潮の流れに負けないようにがんばって漕ぐんだぞ。すぐに太平洋のド真ん中に運ばれてしまうぞ」

「ちょっと待てよ。助けてくれないのかよ」

「コソ泥を助ける義理はない。あばよ、貧乏人!」

「オールが一本しかないんだ。プレジャーボートに乗せろよ。便所掃除をしてやるから。漁師メシも作ってやるから。あーあ、行ってしまいやがった。金持ちはわがままで困るな――あっ、こっちに何かが来る。今度こそ、豪華客船か?」

「おーい、ミズスマシ。久しぶりだな」

「また、お前かよ」

「あれからどうした?」

「どうしたも、こうしたもないよ。竜宮城に行って、変な深海魚の舞い踊りを見て来たよ」「城主のマンボウ鯖之助にも会ったか?」

「なんで知ってるんだよ?」

「俺のオヤジなんだ」

「お前は誰だよ!?」

「息子のマンボウ鮭太郎だ」

「シャケ太郎?」

「鮭太郎だ。シャケだと安っぽく聞こえるだろ。鮭弁当は高そうだが、シャケ弁当は安そうだろ――困っているようだから、エンジン付きのゴムボートで陸まで引っ張ってあげるよ」

「ありがとう、シャケ太郎」

「鮭太郎だ――よし、出発だ。あれっ、ガス欠だ」

「どうするんだよ」

「仕方がない。オールで漕ごう」

「おい、シャケ太郎。お互い一本のオールで漕いでるから、あたりをクルクル回ってるだけだぞ。本当にミズスマシが二匹になってしまったぞ」

「考えたんだけど、二人で一つのゴムボートに乗って、二本のオールで漕げばいいじゃないか」

「シャケ太郎は天才か!?」

「魚には頭がよくなるDHAが含まれてるからね。それと、シャケじゃなくて鮭ね――ああ、これ食べる?」

「おっ、ガリガリ君じゃないか!」

「太平洋で食べるガリガリ君は格別だね」

「今が真冬じゃなければもっとよかったのにな」

「メチャメチャ体が冷えるね」

「竜宮城では生ものばかり食べてたから、やたらと冷えるよ」

「海の中では煮たり焼いたりはできないからね」

「ああ、干物が恋しい」

「雲行きも怪しくなってきたな」

「プレジャーボートも係留中なわけだ――これ、いらないか?」

「何だ、それは?」

「竜宮城からかっぱらって来たアワビだ」

「くれるのか?」

「1000円ポッキリだ」

「海の上で盗品をさばくなよ」

「ウニを500円でどうだ。格安だぞ」

「お前は海産物の行商人か。どうせなら体が温まる物を盗んで来いよ」

「これで温まろうや」

「うーん、全然温かくならない。これは何だ?」

「チョウチンアンコウだ」

「チョウチンの部分に熱はないだろ」

「こっちはどうだ」

「これも温かくないな。何だかビリビリ痛いな」

「電気クラゲだ」

「おい、ミズスマシ。俺を殺す気か!」

「じゃあ、これを頭から被れよ」

「おお、温かいな。何だこれは?」

「アルミホイルだ」

「俺を鮭のホイル焼きにしようとしてるだろ!」

「じゃあ、これはどうだ」

「何を振りかけてるんだ?」

「塩とコショウだ」

「鮭のちゃんちゃん焼きにしようとしてるだろ!」

「そう怒るなよ、シャケ太郎」

「鮭だ!」

「ありがとうございました」「ありがとうございました」


 最近、劇場の客席で一人の男性を見かけるようになった。中年らしきその男性は髪を七三に分けて、いつも黒いサングラスをしていた。室内で黒いサングラスである。俺たちの漫才が始まっても、外そうとしない。サングラス越しでも見えるだろうけど、俺たちはサングラスを外してご覧くださいと言えるほどのイケメンコンビではない。他の芸人たちもこの男性に気づいていたのだが、俺たちの出番が終わると、さっさを帰って行くらしい。ヘビーユーザーじゃないのかと言われたが、まさか俺たちはそんな人気者ではない。しかし、熱心に劇場に通って来てくださっているのだから、ありがたい存在である。仏田は、その男性がそのうちタニマチになって、豪華海外旅行にでも誘ってくださるのではと、夢のような期待をしている。


今年も仏田の実家から新米が届いた。ありがたいことだ。コシヒカリのバッタモンのホシヒカリである。仏田の母親と祖父母が丹精込めて作ったバッタモンである。バッタモンだけど、貴重な食料だ。俺と仏田が住んでいるアパートの一室は食糧事情が悪い。単に稼げてないだけだ。だから、食べ物の恩は忘れない。いつか売れたら、仏田の実家に最新の農機具を贈ってあげるという思いは変わらない。

だけど、売れるといっても程度がある。みすぼらしい自炊じゃなくて、外食できるようになったのか、自転車じゃなくて、自家用車で移動できるようになったのか、賃貸のボロアパートじゃなくて、持ち家になったのか。程度によって、贈ってあげる農機具のレベルが変わってくる。高い農機具は1000万円以上もする。高級外車が買える。場合によっては、農機具じゃなくて、農具になるかもしれない。最新の鎌と鍬を一輪車に乗せて贈ることになるなるかもしれない。

「農具の詰め合わせねえ。それでもいいんじゃない」

 仏田は持ち帰った楽屋弁当を食べながら、俺の提案を受け入れてくれる。

「おふくろもじいちゃん、ばあちゃんも喜ぶと思うよ」

「だけど、デカい農機具は諦めてないよ」

 俺も持ち帰った楽屋弁当を食べながら、夢を語る。

「CMが二三本決まったら、買えるでしょ」

「確かに買えるね。だけど、CMに出たこともないのに、いきなり二三本決まるかなあ」

「何だよ、仏田。お前らしくもない。俺たちはまだこれからだよ。類さんも自分の財産を切り売りしながら、俺たちに賭けてくれてるし、期待に答えられるように、がんばろうや」

「そうだね。でも楽屋弁当はうまいよねえ」

 俺たちは今、持ち帰った楽屋弁当をおかずにして、新米ホシヒカリを食べている。もちろん楽屋弁当にご飯は入っている。本物のコシヒカリだ。つまり、本物とバッタモンの食べ比べをしているのである。その感想はどうかというと、分からない。二人してグルメでも何でもないので、味の違いがよく分からないのである。コシヒカリの方が甘味のある気もするが、仏田に言わせると、ホシヒカリの方に甘味があるという。

 どっちにしろ、お腹がいっぱいになればいいのである。

どうせ明日の朝にウ○コとなって出て来るんだから、どっちもどっちだよな。

 お百姓さんの苦労も知らずに笑い飛ばす俺たちは悪魔だ。


 仕事が少しずつ増えて来たのは事実だ。ほとんどスタジオではなく、ロケが多い。

仏田は丸い。丸いと安心感があるからだろう。ロケ先で出会った子供たちとはすぐに仲良くなる。ということは、子供を連れているお母さんともすぐ仲良くなる。

 だから、俺たちのロケは評判がいい。

だけど、できればスタジオがいい。

若手芸人がロケ先から買って来たお土産を食べながら、VTRを見て、あーだこーだ言うのだ。楽チンではないか。特にクソ寒い冬とか、クソ暑い夏とか、土砂降りの日にはもってこいの仕事だ。あーだこーだ言うのはベテランタレントだから、そんな身分になれるのは、もっともっと先だろうけど。

そして、仏田はスタジオ収録でも人気が出てきた。

アルカイックスマイルを習得したのである。

アルカイックスマイルとは仏像に見られる微笑みの仕方で、顔の感情表面はできる限り抑えて、口元にのみ微笑みを浮かべた表情のことである。

つまり、口元だけでフフッと笑うのである。もちろん口の中を見せてはいけない。歯と歯茎が丸出しの仏像はない。たぶん。

アルカイックスマイルは生命感と幸福感を演出するためのものらしいが、仏田がやると、本当に幸せそうに見えるのである。一年中春のような性格だから、それが表に滲み出てるのだろう。

一方、俺は愛想が悪い。お笑い芸人だというのに困ったものだ。だからバラエティ番組に出るよりも劇場で漫才をする方がいい。そもそもフリートークも苦手だ。

 だけど、テレビに出るにあたって、トーク番組と漫才とではどちらが多いかと言うと、圧倒的にトーク番組である。トーク番組はあるが漫才番組はない。漫才をやる機会というのは、年に数回の特別番組くらいしかない。

 だから漫才に特化してしまうと、テレビの仕事は年に数回となってしまうのだが、漫才を極めたい俺はそれでもいいと思っている。

このあたり、仏田とは少し方向性が違う。といっても、方向性の違いからコンビ解散といった状況ではない。まだそこまでコンビとして働いてないからだ。だけど将来、テレビのバラエティを取るか、劇場を取るかで、揉めるときが来るかもしれない。そもときはそのときだ。今は目先の仕事を懸命にこなし、のし上がって行く。そういう時期だ。不完全燃焼のままで解散はしたくない。これが今の二人の気持ちだ。

 仏田はいつの間にか寝ていた。テレビを横目に見て、俺と話をしながら、寝てしまうとは、ずうずうしいのかデリカシーがないのか。

 酔っぱらって寝たのなら分かるが、俺たちは揃って下戸だ。満腹になって寝てしまったのだから、まるで子供だ。動物そのものだ。

二人して酒は一滴も飲めない。そういう体質だ。ラッキーなことに酒代はかからない。だけど飲み会に行かないから、芸人仲間からは付き合いが悪いコンビだと言われている。酒を飲んでないのに、割り勘にされると絶対に損だ。他の芸人に酒を奢っているようなものだ。この店は安いななどと言われると、絞め殺したくなる。お前たちの分も払ってやってるから安いんだよ。

 だから類さんには酒を飲む仕事をNGにしてもらっている。

 だけど仕事を選んでいる場合じゃないと、いつか利き酒の仕事でも入れてくるかもしれない。俺たちはアルコールと高い場所を苦手にしている。

 仏田は爆睡していて目を覚まさない。

俺はこいつの万年床から掛け布団を持って来て、そっと上から掛けてやるようなことはせず、上からドサッと投げつけてやった。予想通り、それでも起きない。

 今日は午前中にロケを一本こなし、午後からも違うロケに参加し、途中で劇場に戻って、漫才を一本やって、また同じロケに合流するという過密スケジュールだった。こいつも疲れているのだろう。

 俺は新米ホシヒカリが入っていた茶碗を洗って伏せると、楽屋弁当のゴミを持って、薄い壁一枚で隔てられた自分の部屋に戻った。

仏田の部屋を出るとき、もう一度奴を見た。寝顔は平和そうだった。

こいつはデブなのにイビキをかかないという特技を持っている。地方の営業に行って、同じ部屋に泊まるときも、お互いが爆睡できる。

「仏田、いつか売れようぜ」

カビが生えそうな万年床が、天蓋付きのベッドに変わるくらい稼ごうな。

 

 類さんが楽屋に入って来た。

「お二人さん、脳みそにこれ以上の知識が入る隙間はないでしょ」

「無理です」俺は正直に答える。「恐竜の名前とか電車の名前を覚えるので精一杯です」

「だと思ったよ。だから頭ではなく、今回は体を使ってもらおうと思ってね」

「体は十分使ってますよ。ゲリラ豪雨の中でキャンプをしたばかりじゃないですか。それに、激辛芸人目指して、最近は弁当に七味唐辛子を振りかけて食べてるんですよ。舌と胃袋を使いまくりですよ。ウォークマンでイントロとアウトロも聞いて、耳も使いまくりですよ。おまけにけん玉のやり過ぎで腱鞘炎になりそうだし」

 仏田は楽屋弁当を物色していて、援護してくれない。

「まあ、そう言わないでよ。キミたちが売れるための秘策なんだから」

「今度は何ですか。嫌な予感しかしないんですけど」

「どこかに出かけるのではなくて、家の中でやれるから、交通費もかからなくて楽だよ――はい、これ」

「何ですか、これは?」

「エキスパンダーだよ。引っ張って、腕や胸を鍛えるんだよ。これで筋肉芸人目指すんだよ。神山君は知らないの? 仏田君は知ってるよね」

 仏田は首を左右に振る。

「こんなもので筋トレやってますか? 見たことがないですよ。普通はバーベルとかじゃないのですか」

 俺は正直な感想を言う。

「バーベルは据え置きでしょ。これだと小さくして、持ち運びもできるし、いつでもどこでもできるでしょ。駅のホームとか」

「駅のホームでエキスパンダーやってますか。せいぜいゴルフのエアスイングでしょ」

「駅のホームなら、エアボーリングを見たことがあるよ」仏田がどうでもいいこと言う。

「社内ボーリング大会が近づくと、そういうサラリーマンが増えるんだよ」

「なんだか、悔しがってたよ」

「エアでストライクが取れなかったんだろ」

「社内運動会が近づくと、エアパン喰い競争が増えるかもね」

 仏田のお話は放置する。

「類さん、筋肉芸人はキャンプ芸人と同じで飽和状態ですって。たくさんいますよ。俺たちが入る隙間はありませんよ」

「筋肉芸人もいずれ年を取って、体も萎んでくるでしょ」

「筋肉芸人は元々中肉で、最初から体のベースが整ってるんですよ。それに比べて、俺はヒョロヒョロで仏田はデブです。筋トレをやって、中肉になって、それから筋肉を付けるんですよ。二段階の努力が必要なんですよ。筋肉芸人が老人になる頃、俺たちも初老になってますよ」

 仏田はエキスパンダーを手に取って、やり始める。

ギーコ、ギーコ、ギーコ。

「それに、仏田が間違って痩せてしまったら、どうするんですか。大仏さんのキャラ崩壊ですよ。痩せた仏さんなんて、ほぼミイラですよ」

「ハアハアハア、神山、そう言うなよ。類さんが俺たちの知名度を上げるために考えてくれた作戦なんだ。ハアハアハア。金がないのにエキスパンダーを二つも買ってくれたんだ。ハアハアハア。やるだけやってみようよ。ハアハアハア」

「仏田、お前、エキスパンダーを三回引っ張っただけで息切れしてるじゃないか」

「ハアハアハア。いつも言うように、お前には笑顔がない。もっと笑って仕事をしようよ。ハアハアハア。ハハハハハ」

「息切れしながら笑うなよ」

 結局、けん玉をやりながら、クイズと鉄道と恐竜とイントロとアウトロを覚えて、激辛料理を食べながら、筋トレをすることとなった。

 いったい俺たちはどこへ向かおうとしているのか。


そして俺たちカミホトケは若手漫才師コンクール、Wコンに出場することになった。新人漫才師のコンクール、Sコンで七位入賞を果たし、シード権を獲得していたからだ。

筋肉痛に耐えながら舞台に立つ。仏田は俺に笑えと言うが、筋トレのせいで、笑うと肋骨の下の方か横隔膜か分からないが、そのあたりに痛みが走り、余計に俺から笑いが消える。痛みに耐えてまで、笑いたくないからだ。

だが、これも売れるために類さんが考えた作戦だから、やるしかない。


ノックの音が三回した。

類さんが俺たちを呼びに来た。

さて、出陣じゃ。


   ~交番~


「どーもー、カミホトケです。私が仏田バチで――」

「私が神山ジュージです」

「よろしくお願いします」「よろしくお願いします」

「ああ、そこのキミ。今、あわてて目をそらしたね」

「交番の前に立ってるお巡りさんと目が合うと、悪いことをやってなくても、目をそらすでしょ」

「そんなことはない。キミは何かやらかしたな。ちょっと待ちなさい。本官の目に狂いはない。キミをどこかで見たことがあるぞ。えーと」

「指名手配犯のポスターと見比べないでください」

「あっ、この強盗犯はキミだろ。顔の輪郭が同じだ」

「その人は六十五歳でしょ。僕は二十五歳ですよ」

「四十歳もサバを読んで、本官を騙すつもりか?」

「だから別人ですって」

「いや、キミは怪しい。白状しなさい。何人殺したんだ?」

「なんで殺人犯にするんですか。人なんか殺してませんよ」

「何匹殺したんだ?」

「動物も殺してませんよ。僕は動物好きで犬も猫も大好きなんですよ」

「ワニはどうだ?」

「怖そうなので、あまり好きじゃありません」

「オオアリクイはどうだ?」

「頭が小さくて、尻尾がデカいので、前と後ろが逆みたいで怖いです。夜道でばったり遭ったらイヤです」

「ほら見ろ。動物が嫌いだから虐待したんだろ」

「違いますって」

「何頭殺したんだ?」

「大型動物も殺してませんよ」

「何枚割ったんだ?」

「ガラスなんて割ってませんよ」

「夜の校舎の窓ガラスを壊して回っただろ」

「知りませんよ」

「何台盗んだんだ?」

「バイクなんか盗んでませんよ」

「十五の夜に盗んだバイクで走り出しただろ」

「それは尾崎の歌でしょ」

「友人の結婚式で乾杯しただろ」

「それは長渕でしょ」

「二人は似てるじゃないか」

「ハードロッカーと演歌歌手の組み合わせよりかは、似てますけど」

「長渕はもう紅白に出ないのか?」

「知りませんよ」

「今度会ったら出るように言っておいてくれ」

「面識なんかないですよ」

「ところで、何巻盗んだんだ?」

「コミックも盗んでませんよ」

「何カゴ盗んだんだ?」

「駄菓子をちっちゃいカゴごと盗んでませんよ」

「何トレイ盗んだんだ?」

「パンをトレイごと盗んでませんよ」

「何枚とったんだ?」

「盗撮なんかしてませんよ」

「そっちじゃない。何枚とったんだ?」

「ざるそばも盗んでませんよ」

「何杯盗んだんだ?」

「無銭で立ち飲みしてませんよ」

「そっちじゃない。何杯盗んだんだ?」

「イカもカニも盗んでませんよ」

「何尾盗んだんだ?」

「エビも盗んでませんよ」

「何玉盗んだんだ?」

「キャベツも卵も盗んでませんよ」

「何脚盗んだんだ?」

「イスも盗んでませんよ」

「何棹盗んだんだ?」

「タンスも盗んでませんよ」

「何束盗んだんだ?」

「ホウレン草も小松菜も盗んでませんよ」

「何房盗んだんだ?」

「ブドウも盗んでませんよ」

「何カップ盗んだんだ?」

「プリンも盗んでませんよ」

「何腹盗んだんだ?」

「タラコも盗んでませんよ」

「そっちじゃない。何腹盗んだんだ?」

「明太子も盗んでませんよ」

「何カートン盗んだんだ?」

「タバコも盗んでませんよ」

「何俵盗んだんだ?」

「米泥棒じゃないですよ」

「何体盗んだんだ?」

「仏像も盗んでませんよ」

「何張り盗んだんだ?」

「ちょうちんもテントも盗んでませんよ」

「何貫盗んだんだ?」

「寿司も盗んでませんよ」

「何曲盗んだんだ?」

「盗作してませんよ」

「何輪盗んだんだ?」

「花泥棒じゃないですよ。僕の顔を見てください」

「確かに、花とは縁遠いな。何反盗んだんだ?」

「反物も盗んでませんよ。和服とも縁遠いですよ」

「何色盗んだんだ?」

「口紅も盗んでませんよ。そっちの趣味はありません」

「何メートル盗んだんだ?」

「銅線も盗んでませんよ。高く売れることは知ってますけど」

「そういう知識があるとは、ますます怪しいな。何斤盗んだんだ?」

「食パンも盗んでませんよ」

「何セット盗んだんだ?」

「ハンバーガーセットも盗んでませんよ」

「何門盗んだんだ?」

「大砲なんて、なんのために盗むのですか」

「何カラット盗んだんだ?」

「ダイヤも盗んでませんよ。男なのにキャッツアイはおかしいでしょ」

「何ボルト盗んだんだ?」

「電気盗んでどうするんですか」

「何フラン盗んだんだ?」

「フランス人じゃないですよ。僕の顔を見てください」

「確かに、彫りの浅い日本人顔だな。何坪盗んだんだ?」

「土地なんか盗んでませんよ」

「何ヘクタール盗んだんだ?」

「田畑も盗んでませんよ」

「何句盗んだんだ?」

「俳句なんか盗んでませんよ」

「何首盗んだんだ?」

「短歌も盗んでませんよ。僕が歌を詠むように見えますか?」

「確かに、風流とは程遠い顔だな。何バーレル盗んだんだ?」

「原油なんて、どうやって盗むのですか」

「何体盗んだんだ?」

「遺体を盗んで何をするんですか」

「何人さらったんだ?」

「誘拐もしてませんよ」

「何人押し倒したんだ?」

「強姦もしてませんよ」

「何両盗んだんだ?」

「列車強盗なんて、どうやってやるのですか」

「何戸盗んだんだ?」

「家をどうやって盗むのですか。スケールがデカいでしょ」

「何部盗んだんだ?」

「新聞なんか盗んでませんよ」

「何本盗んだんだ?」

「ヤクルトも盗んでませんよ」

「何粒盗んだんだ?」

「ゴマなんか盗んでませんよ。スケールが小さいでしょ」

「何滴盗んだんだ?」

「女の涙も盗んでませんよ」

「クラリスの心を盗んだな」

「それはルパン三世ですよ」

「何丁盗んだんだ?」

「豆腐なんか盗んでませんよ」

「そっちじゃない。何丁盗んだんだ?」

「拳銃なんか盗んでませんよ」

「実は本官の拳銃がなくなったのだよ」

「僕じゃないですって」

「早く紛失届を出さないとマズいのだよ」

「もう夕方ですよ。遅くなると余計にマズイでしょ」

「いや、紛失したのは三日前なんだ」

「なんで三日間も放置してるんですか」

「交番の日誌を書いてるうちに三日経ってしまって」

「書き過ぎでしょ」

「なぜ、豆腐と拳銃が同じ数え方なんだ?」

「知りませんよ。それよりも拳銃をなくしたのでしょう」

「キミが拳銃を盗んだことにしてくれないか」

「できるわけないでしょ」

「本官がここに倒れるから、キミがぶん殴って、拳銃を強奪したことにしてくれないか」

「できませんて」

「謝礼として、女性警官を三人紹介しよう」

「無理ですよ」

「では、五人に増やそうじゃないか」

「人数の問題じゃないです。こんなことで人生を棒に振りたくないです」

「アラフォーの女性警官が五人余っておるのだがな」

「僕に押し付けるつもりだったのですか――あっ、交番の奥で呼んでますよ」

「ああ、同僚が呼んでるな。キミはここで待っていてくれるかね――なんだ、どうした。なに、そうか、分かった」

「まったく、何というお巡りさんなんだよ」

「――いや、お待たせ」

「同僚の方の用事は何だったのですか?」

「拳銃が見つかったのだよ」

「どこにあったのですか?」

「交番の中の便所に落ちていた」

「便所に落ちてる拳銃に、なんで三日間も気づかないのですか?」

「三日前に便所が詰まってしまって、トイレの詰まりを直すラバーカップ、通称スッポンを使ったのだよ。そのとき拳銃が落ちて、スッポンの中にスッポリと入ってしまったというわけだ。見つからないはずだよ、ハハハ。ありがとう、スッポン!」

「まあ、見つかってよかったですね」

「便所の詰まりも解消されてよかったよ」

「拳銃も便所も大事ですからね」

「この通り、拳銃は無事だったよ。ほら、見てくれ」

「ちょっと臭いですよ。洗ったのですか?」

「キミはバカかね。洗ったら錆びるだろ。チリ紙で拭いただけだ」

「見つかってうれしいのは分かりますが、頬ずりしなくてもいいと思いますが」

「実は明日から交通安全週間なのだが、初日に本官が一日警察署長を務めることになっておるのだ」

「なんで警察官が一日警察署長をやるんですか」

「キミはバカかね。本官が定年まで勤務したとして、署長になれるかね。無理に決まっているではないか。一日でも憧れの署長になれるのだから、拳銃が見つかってよかったのだよ」

「警察署長が拳銃を紛失したらマズいですからね」

「その通りだ。バカなキミでも、拳銃に頬ずりしたくなる気持ちは分かるだろう。では、拳銃の発見を祝して、キミにこれをプレゼントしよう」

「なんですか、これは」

「警視庁のマスコットキャラクター、ピーポくんのぬいぐるみだ。決して口止め料の代わりではないぞ。転売しないで、かわいがってくれたまえ」

「はあ、ありがとうございます」

「ところで、なぜキミは立ち去らないのかね」

「いや、お巡りさんが帰してくれないからですよ」

「これは任意の取り調べだから、さっさと帰ってもよかったのだよ」

「それを先に言ってくださいよ」

「二度と悪いことをするなよ」

「だから、何もしてませんて」

「二度とここに戻って来るなよ」

「それは刑務所を出るときに言われるセリフじゃないですか」

「また遊びに来いよ」

「交番の前を通りかかっただけじゃないですか」

「また通りかかってくれよ」

「今度は遠回りします」

「本官のことが嫌いなのか?」

「いやあ、まあ」

「本官と女子高生とどっちが好きなんだ?」

「そりゃ、女子高生です」

「これが目に入らないのか?」

「ちょっと、拳銃を向けないでください。明日は一日署長なんでしょ」

「おお、そうだった。それを言われると何も言えないな」

「一日署長、がんばってください!」

「前回の一日署長は橋本環奈だったから、本官も負けないようにがんばるカンナ」

「ありがとうございました」「ありがとうございました」


 そして俺たちはこの交番ネタで若手漫才師コンクール、Wコンで七位入賞を果たした。また七位という中途半端な成績だった。

だけどまだ先は長い。次は最高漫才コンクール、サイコンが待っている。

 

 出番を終えた俺たちは楽屋でエキスパンダーをギーコ、ギーコとやっている。

三回しかできなかった仏田は十回できるようになった。十回できていた俺は二十回できるようになった。筋トレは結果が見えて面白いと思うようになった。

 類さんが楽屋に入って来た。また大きめのバッグを持っている。

「まさか新しい筋トレグッズですか?」仏田が不安げに訊く。

 もしそうなら俺も反対するつもりだった。エキスパンダーだけで体が悲鳴を上げているからだ。これ以上筋トレメニューを増やすと、舞台に立つだけでも精一杯となる。漫才どころじゃなくなる。

 仏田のニセ襲撃事件で注目されて以来、バラエティの出演も増えて来た。類さんの作戦が当たったのである。数えきれないくらいの作戦を実行しているのだから、こうして当たることもある。たまには当たらないと、俺たちもやってられない。

あれが仕掛けられた襲撃だとはバレておらず、刺されたと思われている仏田には、いまだに同情が集まり、出待ちの女性の数も少しずつ増えて来ている。

昨日は漫才とは何の関係もないバンジージャンプをやらされた。もちろん仏田は体重オーバーのため、応援に回り、俺が飛んだ。かねてから、二人して高い所が苦手なため、バンジージャンプやジェットコースターの仕事は断ってくれるよう、類さんにはお願いしていたのだが、仕事を選んでる場合じゃないと諭されて、引き受けた。

筋肉痛のままやった人生初のバンジージャンプは怖かった。筋肉痛じゃなくても怖かっただろう。生まれて初めて、足がブルブル震えた。足が震えるとはこういうことなのかと思った。だが、飛ぶときは、すぐに飛んだ。タレントがなかなか飛ばずに時間だけが経過して、白けていくシーンを、テレビで何度も見たことがあるからだ。

 高い所がダメなのに、よく思い切って飛んだなと、あちこちで褒められた。カミホトケの知名度はまたアップしただろう。しかし、できればバンジージャンプ以外の方法で有名になりたい。

残念なことに、俺たちが日々研鑽をしているけん玉や鉄道や恐竜関連の仕事はまったく入ってこないし、激辛にもキャンプにも呼ばれない。でも、続けて行くしかない。

トンネルの出口ははるか先で、まだ光は見えてこない。


「二人にはこれをお願いしたいのだよ」

 類さんはバッグから白い布を取り出した。広げてみると、かなり大きい。大人が一人すっぽり隠れるくらいだ。

「このシーツで何をやるのですか?」

 筋トレグッズではなくて、ホッとした反面、いつものことながら、嫌な予感もしていた。

「これを頭から被って、街中を走り回り、お化けが出るという都市伝説を作るのだよ」

「本気ですか!?」「マジですか!?」二人して、同じ意味の文言を叫ぶ。

「もちろんだよ。これは普通の白いシーツではない。ところどころ縫い付けてあるし、針金も仕込んである。これを被って歩くと、白いコンパスが歩いているように見えるのだよ」

「世界の不思議映像で見たことがありますよ。親子でも歩いてましたよ」

「おお、仏田君は知っているのか。世界的にも有名な化け物で、いまだに正体も分からないのだよ。それがなんと、我が街にも現れたという設定なんだ」

「俺たちがそれをやるとして、知名度アップに繋がるのですか」俺は疑問を口にする。

「白い化け物コンパスが夜な夜な街を歩いていて、やっとのことで捕まえてみたら、カミホトケだったというオチだよ」

「それって、ひんしゅく買いませんか?」

「そうかなあ。二人の名前は知れ渡るでしょう」

 類さんは仏田と同じで能天気だ。俺だけがいつもピリピリしている。

「名付けて、白コンパス作戦だ」

 そのまんまじゃないかと突っ込む気力もない。

 ところが仏田は、

「面白そうじゃないですか。さっそく今夜からやりましょうよ!」

 随分と乗り気である。

 そもそも、コンビニ強盗を捕まえる作戦も、高齢者が運転をミスして店に突っ込んだのを助ける作戦も、最近では不発になっている。コンビニ強盗が一人捕まったことで、警戒してやらないのか、最近は強盗事件もなく、アクセルとブレーキの踏み間違いも、全国ニュースではよく見るが、近所でしばしば起きることではない。

 そろそろ飽きてきた頃に、類さんは新たな作戦を提示してきたのである。

 仏田が賛成しているのだから、俺も白コンパス作戦に参加するしかない。二対一の多数決だ。本音を言うと、漫才だけをやりたいのだが、人気がないと劇場にもテレビにも呼んでもらえない。人気が出るには、知名度を上げなければならない。だから、やるという選択肢しかないのである。

 仏田はさっそく白いシーツを頭から被って、歩く練習をしている。

「そうそう、手を足のももにしっかり付けて、大股で歩いてみて。ああ、いいね、いいね。不気味なコンパスが歩いてるように見えるよ」

 類さんが仏田の白コンパスお化けを褒める。あまり人に褒められたことがない仏田は喜んで、楽屋中を歩き回っている。これを夜遅くに見ると、確かに気味が悪く、都市伝説になりそうだ。

バンジージャンプをやらなかったのだから、これは仏田にやらせよう。

「じゃあ、待ち合わせの時間と場所を決めようか」

 見学するだけの俺は気が楽だった。


 その日の夜から白コンパス作戦は始まった。

 コンビニが開いていて、夜遅くでも人通りがある地域を、仏田は白いシーツを被って、全力で走った。そして、白コンパスの都市伝説はまたたく間に広がった。

ネット社会はありがたい。勝手にウワサを拡散してくれる。

 仏田は三日間に渡って走り回ってくれた。

そして、ついにコンビニの防犯カメラに映ることに成功した。一般的に犯罪者はカメラに映らないようにするのだが、白コンパスは映ることで有名になろうと企んでいた。その目論見はうまくいった。

コンビニがその映像を地元の新聞社に提供したのだ。

化け物を捉えたという意味もあったが、コンビニの宣伝も兼ねていたようだ。実際、その日からコンビニ周辺には、人がどんどん集まり、深夜の売り上げを増やしていった。

 しかし、やじ馬の中には写真を撮ろうと追いかけて来る変わり者もいる。

 仏田は足が遅かった。まだ捕まるには早すぎる。もう少しやじ馬を増やしてから、正体をバラそうと類さんは提案して来た。そうなると、仏田に代わって、俺がシーツを被って、走るしかない。俺は人より少しばかり足が速い。シーツを被っているとはいえ、簡単に捕まらない自信がある。今回の作戦は見物を決め込んでいたが、結局参加することになった。

しかし、俺と仏田とでは体型が違う。中身が入れ替わったことがバレないだろうかと危惧していたが、逆に白コンパスが急にスリムになった、妖怪変化に違いないと話題になった。


 そして、機は熟した。

いよいよ白コンパスの正体がカミホトケだとバラす時がきた。飽きられる前にやることにしたのだ。現代人は飽きっぽい。だからコンビニの新商品がドンドン出てくる。

では、どうやってバラすのか。

類さんの作戦通り、捕まってバレるのは避けたい。世間を騒がせたとして、ひんしゅくを買うだろう。なんといっても、新聞社まで動いているのだから。

そこで考えたのは、白コンパスの正体がカミホトケではなく、白コンパスを捕まえたのがカミホトケだったことにする。これだと ひんしゅくを買うことはなく、逆に化け物を捕まえたヒーローになれる。

三人で作戦を練り直した。

まず、コンビニ前にあるマンションの上層階の通路から、俺が白いシーツを投げる。

群衆に混じっている類さんが指を差し、あれは白コンパスだと叫ぶ。

落ちて来たシーツを、マンション前の植え込みに隠れていた仏田が回収する。

シーツの中を見るが、何もいない。これは本物の化け物だと、みんなは大騒ぎする。

シーツを手にした仏田がやじ馬の写真に収まり、リアルゴーストバスターとして、有名人となる。その雄姿はきっと新聞にも掲載されて、ネットで世界中に拡散される。

最初に類さんが立てた作戦と違って、完璧である。これでカミホトケの知名度は爆上がりだろう。妖怪を捕まえたことを受けて、ゴキブリ退治のCMに大抜擢されるかもしれない。


そして俺は今、マンションの五階の通路から見下ろしている。

今夜も白コンパスを一目見ようと、やじ馬がコンビニ前に押し寄せている。

「神山君」類さんから電話が入った。類さんはやじ馬の中に紛れ込んでいる。「群衆の人数は八十八人か八十九人だ。ちょろちょろ動くから、正確な人数が分からないんだよ」

「一人くらいいいじゃないですか」俺は文句を言う。

類さんは律儀なのか、抜けてるのか。そもそもやじ馬の正確な人数が必要なのか。

そういえば類さんは理科系の大学を出ていた。だから数字にはシビアなのだ。

「神山君、今から一分後にシーツを落としてくれ。時計を合わせよう」

「了解です」俺はすぐ仏田に電話をかけた。

「今から一分後にシーツを落す。一分三十秒後くらいに着地するから拾い上げてくれ。時計を合わせよう」

「おお、了解だ」

 計画はうまく行くと思われた。しかし、上空に風が出てきた。

「類さん、けっこう強い風が吹いてます。今落とすと風に流されて、どこに飛んで行くか分かりません」

「じゃあ、風が止むまで待機しよう。もし止まなかったら、明日に延期しよう」

「了解です」

 風待ちの件を仏田にも伝えた。

 八十八人か八十九人のやじ馬は白コンパスの登場を今か今かと待っているようだ。あの中にいる類さんもヤキモキしているだろう。スマホをかざしている人もたくさんいる。あちこちでスマホが光っている。生配信している様子だ。

ということは、絶好のチャンスなんだけど、強風は止んでくれない。

 十五分ほど待って、ようやく風が止んだ。

「類さん、風が止みました。今ならいけますよ」

「よしっ、頼むぞ。あー、あー、あー」

 類さんは、あれは白コンパスだと叫ぶための発生練習を始めた。ところが……。

「仏田!」応答がない。「おい仏田。聞こえるか、仏田。何をやってるんだ。今からシーツを落とすぞ」

 仏田から返事がないが、仕方がない。

このチャンスを逃したら、明日になるかもしれない。また風が吹くかもしれないから、すぐに決行しよう。デカいシーツがふわふわ落ちて来たら、さすがに仏田も気づくだろう。

 俺は白いシーツを頭上に掲げた。この中には針金が仕込まれていて、人が入ってなくても、人のような形になる。だから、コンパスの形を保ったまま落ちて行く予定だ。

「よしっ、行くぞ!」

 俺は手を離した。

 ところが、また突然風が吹いて来た。

「ヤバい、流される!」

 そのとき、群衆がいっせいに動いた。 

 左の方から白コンパスが走って来たからだ。

「ウソだろ。あれは誰だよ」

 俺はあわてて類さんに電話をする。

「私も分からないんだよ。みんなが逃げ出したから――わっ!」

 どうやら類さんは群衆に飲み込まれたようだ。

 やじ馬の集団は白コンパスから逃げるように右へ走り出す。いつもは追いかけている白コンパスが、逆に追って来るのだから、大騒ぎしている。たちまちコンビニの前には誰もいなくなった。

 ところが、今度は右からも白コンパスが走って来るではないか。

「なんで二体もいるんだよ!」

 前後から白コンパスに挟まれる群衆。

 その頭上に、ちょうど神山が落とした白いシーツが風に運ばれて出現した。

 左、右、上の三方向から白コンパスに襲われた群衆はパニックになった。

「類さん、聞こえますか? 類さん!」

 ダメだ。応答がない。一緒になって逃げてるのだろう。

 群衆は三体の白コンパスから逃げようと、右に行ったり、左に行ったり、ジャンプしてみたりと、大慌てである。そのうち、転ぶ人も出てきた。これではケガ人も出てしまう。そうなると、リアルゴーストバスターどころではない。

 だが、九十人弱の群衆の中にも勇敢な人がいた。

 追いかけて来る一体の白コンパスに向かって走り出したのだ。

その男は大柄で、後になって分かったのだが、大学のアメフト部の選手だった。

 白コンパスは鬼の形相で迫って来る大男にひるんで、立ち止まった。

「この化け物がーっ!」

 男が白コンパスにタックルした。

 白コンパスはふっ飛ばされて、地面に叩きつけられた。

「この野郎!」男が駆け寄り、白いシーツを外した。

 中身の人間は真っ赤なズボンを履いていた。


「あいつ、父っちゃん坊やの父田じゃないか!」

 マンションの五階からでも、赤いズボンは確認できた。

 顔はよく見えないが、あんな派手な赤ズボンを履いている奴は父田しかいない。

 ということは、もう一体は坊屋だろう。

 しかし、坊屋の白コンパスは見当たらない。

 タックルを仕掛けた男は父田のことを知っていたらしい。

「こいつ、お笑い芸人だぞー!」

 正体が分かったところで、群衆のパニックは収まった。

 まだ倒れ込んでいる父田のところにやって来て、次々に罵声を浴びせる。

「人騒がせな野郎だぜ」「ここまでして有名になりたいのか」「ケガした人もいるんだぞ」

 今までさんざん白コンパスの写真や動画をSNSに載せて、再生回数を稼いでいた連中も、恩を忘れて罵り出す。

父っちゃん坊やの二人は、Sコンの表彰状を改ざんし、Wコンのシード権を獲得しようとしたがバレてしまい、半月間の劇場出入り禁止処分を受けてしまった。ヒマになったので、何とか目立ってやろうと、白コンパスの都市伝説に便乗して、走り回ってみたのだが、まんまと失敗したのである。

 やがて群衆はいなくなった。

 現場に残されたのは、タックルされたときに腰を強打して動けなくなった父田と三枚の白いシーツだった。

一枚は父田がかぶっていたもの。

 一枚は神山がマンションから放り投げたもの。

 そして、一枚は坊屋が脱ぎ捨てたものだった。

 坊屋は父田が取り囲まれたのを見ると、すぐにシーツを脱ぎ、相方の無事など確認することなく、群衆に紛れ込んで逃げてしまったのである。あいつらしい行動だ。

 俺はマンションから出て、類さんと合流した。

 仏田は騒ぎに気づくこともなく、植込みの中で爆睡していた。

 世間を騒がせた白コンパスの正体は、父っちゃん坊やの父田だったと、ネットニュースで報道され、地元の新聞にも載り、悪い意味で、父っちゃん坊やの知名度は上がった。

 残念なことに、その記事にカミホトケの名前はなかった。

 こうして類さんの都市伝説作戦は失敗した。

 だが、類さんは何とも思ってなかった。

「エジソンが言ってるでしょ。どんな失敗も新たな一歩となるってね」

「そうだよ、神山。そんなにがっかりするなよ」

 仏田も相変わらずだった。自分が爆睡していたことはすっかり忘れている。しかし、起きていたとしても、結果は同じだったから仕方がない。悪いのは父っちゃん坊やの二人だ。ちゃっかり新聞にも載りやがった。汚い字で書かれた詫び状をマスコミにファックスしやがった。当然、ネットでも拡散された。

文句を言ってやりたかったが、奴らの劇場出入り禁止処分はまだ解けず、会う機会がなかった。

コン、コン、コン。

 ふて腐れた俺はけん玉の練習を始めた。我ながら、とてもうまくなっていた。


ノックの音が三回した。

類さんが俺たちを呼びに来た。

さて、出陣じゃ。


   ~外国人~


「どーもー、カミホトケです。私が仏田バチで――」

「私が神山ジュージです」

「よろしくお願いします」「よろしくお願いします」

「観光シーズンになって、たくさんの外国人観光客が訪れています。ここで外国人にインタビューをしてみたいと思います――こんにちは、観光で来られたのですか?」

「はい、そうです。昨日着いたばかりです」

「なぜ、我が国に来られたのですか?」

「風光明美な場所がたくさんあると聞きましたから」

「どこを見たいですか?」

「有名な滝と温泉があるそうですね」

「滝も温泉も枯れました。今は荒野です。あんな場所に行く人はいませんよ」

「きれいな湖があるらしいですね」

「干からびて、今はゴミ捨て場になってます。みんなが生ゴミを捨てるので、とても臭いです」

「その湖にはモッシーという未確認生物が住んでいると聞きましたが」

「観光客を呼び込むためのでっち上げです。それがバレてしまって、モッシー饅頭を作っていた会社がつぶれました」

「山の上にパワースポットのお寺があるそうですね」

「それもでっち上げです。頂上まで行って帰るのに疲れて、パワーダウンします」

「立派なお城があるそうですね」

「地震で崩壊して、今は石垣に使われていた石が三個転がっているだけです。あんな城跡を見に行く人の気が知れませんよ」

「金の発掘場があるそうですね」

「金なんて全部掘り尽して、今は埋め立てられてます。その跡にはタワマンが建っていて、私はそこに住んでます」

「タワマンに住んでるのですか。それはすごい。何階ですか?」

「地下三階です」

「タワマンの地下に住めるのですか?」

「ボイラー室の片隅が空いてたんですよ。家賃はものすごく安いです」

「でしょうね」

「何階に住んでるか言わなければ、みんなに羨ましがられます」

「大きな宮殿があるそうですね」

「荒れ果てて、勝手口だけ残ってます。行くだけ時間の無駄です」

「貴族が住んでいた住宅地があるそうですね」

「今はゴーストタウンです。野良犬が住み着いていて、毎年噛まれる人がいます」

「王様が住んでいた豪邸があるそうですね」

「今は誰も住んでません。心霊スポットになってます。行けば変な霊に憑りつかれます」

「他にも歴史的建造物がたくさんあるそうですね」

「ほとんど悪人どもの巣窟になってますから、命が惜しければ、行かない方がいいです」

「砂浜がきれいと聞きましたが」

「不気味な生き物が打ち上げられてから、誰も近寄りません」

「そこには白い灯台があるそうですね」

「台風で折れました」

「休火山があるそうですね」

「二つありましたが噴火して、木っ端みじんになりました」

「夕日がきれいな山間があるそうですね」

「噴火した山がそこです。今は普通の夕日です」

「朝日がきれいな丘があるそうですね」

「地盤沈下して更地になりました」

「海にせり出した崖があるそうですね」

「崩れ落ちました。百人乗っても大丈夫か試してみたら、百人を乗せたまま、崖ごと落ちて海のもくずと消えました。最近ここで獲れる魚がなぜか丸々と太ってるんですよ。我が国の魚を食べてみませんか?」

「けっこうです。エッフェル塔に似た塔があるそうですね」

「白アリに喰われて倒れました」

「木製だったのですか?」

「木にペンキを塗って誤魔化してました。人の目は誤魔化せても、白アリの目は誤魔化せませんでした」

「金属製よりも木製の塔を建てる方が難しいと思いますが」

「完成するまで、誰も気づきませんでした」

「ピサの斜塔に似た建物があるそうですね」

「去年、勝手に倒れました。起き上がらせるのに百億かかるので、バカらしくて、放置してます」

「ゴールデン・ゲート・ブリッジに似た橋があるそうですね」

「去年、台風で落ちました。また架けるのに三百億かかるので、アホらしくて、放置してます。みんな船で渡ってます」

「その船に乗ってみたいですね」

「手漕ぎのボートです。川の流れが激しいので、渡り切るのに二時間かかります。毎年流されてしまう人がいて、我が国の風物詩になってます」

「食べ物もおいしいと聞いてました」

「何か食べましたか?」

「名物のカモメ料理です」

「我が国民はあんな料理は食べません」

「名物と聞きましたが」

「名物がないので適当にでっち上げました。海にたくさん飛んでいて、すぐに捕まえられるからです」

「またでっち上げですか。確かにあまりおいしくなかったです」

「カモメなんか食べる人の顔を見てみたいものです。他にどんな料理を食べましたか」

「三大料理があると聞いてましたから、残りのコウモリ料理とフクロウ料理です」

「三大なんとかと名付けると、評判になるんじゃないかと……」

「でっち上げたのですか」

「そうです。コウモリは洞窟にたくさんぶら下がっていて、網ですぐ獲れるのです。フクロウは数が少ないので、希少価値はあります。もっとも私は三つとも食べる気はしませんが」

「確かに三つとも変な味でした。この国の人たちは何を食べてるのですか?」

「マクドとケンタとスタバには、よく行きます。メチャメチャおいしいです。我が国の三大美味です。あなたの国にもありますか」

「はい、あります。だけど、カモメもコウモリもフクロウも食べることはないです。」

「食べない方がいいです」

「名物スイーツがあるそうですね」

「古くなった羽毛布団を適当にちぎって、砂糖をまぶして、棒に刺して食べます」

「おいしいのですか?」

「いいえ」

「究極のスイーツもあるそうですね」

「こしあんが入ったお饅頭なのですが、食中毒を起こして、今ではこしあんルーレットと呼ばれてます」

「他に名産品はないのですか?」

「チーズを名産にしようと作っているうちに青カビが生えて、みんな捨てたそうです」

「それはブルーチーズと言って、ちゃんと食べられる高級品なんですよ」

「あちゃー、やっちまった」

「他にはありませんか?」

「ウィスキーを作ったのに忘れていて、十年くらい経って気づいて、腐っているだろうと捨ててしまったそうです」

「十年物のウィスキーは熟成されていて高級品ですよ」

「あちゃー、またやっちまった」

「それだけですか?」

「うなぎのタレを100年以上継ぎ足していたのですが、これも腐っているだろうと捨ててしまったそうです」

「定期的に加熱殺菌されてるから大丈夫ですよ。秘伝のタレとして重宝されてます」

「あちゃー、三回もやっちまった」

「民族舞踊があるそうですね」

「腰の動きがエロいので禁止になりました。こんな感じです。ああ、それそれ、ほいほい、クネクネ」

「確かにエロいですね。猫の工芸品があるそうですね」

「陶器なのですが、誰が見てもヌエなので、製造中止になりました」

「天使の歌声を持つ少年がいるそうですね」

「すっかり声変わりして、今ではガチョウの声を持つ少年と呼ばれてます」

「絵のうまい天才少年がいるそうですね」

「それは昔の話です。去年、老衰で死にました。残された絵をよく見るとヘタだったので、遺族が燃やして、焼き芋を作りました。その焼き芋がなんとなくおいしいと評判です」

「暗算のできる少女がいるそうですね」

「それも昔の話です。暗算は面倒なので、電卓で計算しているそうです」

「何か国語も話せる少年がいるそうですね」

「それも昔の話です。面倒なのでポケトークを使って会話しているそうです」

「足の早い青年がいるそうですね」

「タクシーに乗った方が早いと気づいて、今はどこへでも車で移動してます」

「聞けば聞くほど、残念な国ですね」

「何も見どころがない我が国へ観光に来たあなたはどちらの国の方ですか?」

「日本です」

「日本というと、小さな島なのに国と言い張っているところですね」

「確かに領土は小さいですが、れっきとした国です。国連にも加盟してます」

「我が国はまだです。オーディションに落ちたそうです」

「国連加盟はオーディションで決まるのですか?」

「我が国の大統領がそう言ってました。大統領もオーディションで決まりました」

「どんなオーディションですか?」

「作文と水着審査です」

「大統領はうら若き女性ですか?」

「腹の出たおっさんです」

「誰が審査するのですか?」

「我々国民が投票します。我が国は民主主義ですからね」

「立候補者は毎回十人くらいで、全員腹の出たおっさんです」

「腹の出たおっさんを見て、審査するのですか?」

「見て見ぬフリをします。誰も十人の腹の出たおっさんは見たくありません」

「なぜ、今の大統領が選ばれたのですか?」

「作文がうまかったからです」

「どんなことが書かれていたのですか?」

「観光客を増やして、豊かな国にしよう」

「では、まだ道半ばということですね。大統領になられて、何年くらいですか?」

「四十年です」

「ずいぶん経ちましたね」

「大統領が高齢ということもあって、シニア世代にはやさしい国なのです。老眼鏡とループタイが特別にシニア割引で買えます」

「両方ともシニアがするものですからね」

「ステテコもドテラも白髪染めも特別にシニア割引で買えます」

「若い人は買いませんよね」

「高齢者にやさしい国ですから、感じのいい老人ばかりです。おいくつですかと聞いてみると、いくつに見えますかと、小首をかしげながら聞き返して来るようなめんどくさいバアサンはいません」

「日本にはたくさんいます。わざと下の年齢を言ってあげます。どう見ても七十歳くらいのバアサンに、五十歳くらいですかと言ってあげるのです」

「言われたら、うれしいでしょうね」

「とても喜びます。これが福祉です」

「深い話ですね」

「日本もいい国なのです。華厳の滝はあるし、温泉はあちこちにあるし、屈斜路湖にはクッシーがいるし、スカイツリーはそびえてるし、寿司もソバもおいしいし、夕日がきれいに見える渡良瀬橋があります。森高が歌ってます」

「森高って、誰ですか?」

「歌手です。私がおばさんになってもという歌を仮定形で歌っているうち、現実におばさんになったのですが、今もキレイな人です。この国ではどんな歌が人気ですか?」

「歌は歌わないです。せいぜい鼻唄くらいです。鼻唄のCDが出てます。お土産にどうですか?」

「いりません。そういえば、ものすごい発明をした人がいるそうですね」

「スイッチを押すと地球が真っ二つに割れる機械なのです」

「スイッチ一つで割れるのですか?」

「五人の研究者が発明したのですが、一人が酔っぱらってスイッチを押したところ……」

「押したところ?」

「地球ではなく、機械が真っ二つに割れました」

「地球が割れなくて、よかったですね」

「それが原因で五人の研究者はケンカになりました。地球ではなく、仲間が割れたのです」

「貧相なオチですね」

「何をキョロキョロされてるんですか?」

「もし地球がなくなるとしたら、最後の晩餐は何にしようかなと思いまして」

「あの店で我が国の三大珍味を売ってますよ。トンビとイタチとハシビロコウの佃煮です」

「いりません」

「何も買わないのなら、何を日本のお土産にするのですか?」

「あなたとの出会いが一番のおみやげです」

「それはとても光栄です。またお越しください」

「いえ、二度と来ません」

「私から日本に行きます」

「来ないでください」

「来るなと言われても行きます」

「パスポートを発行しないよう、政府に働きかけます」

「あなたはそんなに偉い人ですか?」

「周りを見てください」

「屈強な人たちは誰ですか?」

「SPです」

「その周りの人たちは?」

「同行記者です」

「あなたはいったい?」

「日本国の首相です。この国を経済支援するために来ました」

「ありがとうございます。お礼にカメムシのお吸い物を差し上げます」

「いりません」

「お・す・い・も・の」

「いりません」

「では、分厚いステーキに……」

「いただきます」

「カメムシを添えて」

「添えないでください」

「ありがとうございました」「ありがとうございました」


 この日も客席に、七三分けの黒いサングラスの男性がいた。

 俺たちの出番が終わると、劇場から出て行ったらしい。やはり目当ては俺たちなのかもしれない。だったら、楽屋へ差し入れに来てくれるとか、事務所に連絡でもしてくれればいいのだが、いつも漫才を見るだけで帰って行く。今日もサングラスを最初から最後まで外さなかった。やはり、仏田が言うような豪華海外旅行への招待は夢なのだろうか。近場の温泉旅行でもいいのでお願いしたいものだ。


 類さんが楽屋に入って来たが元気がない。

先日の白コンパス作戦が失敗に終わったためかと思ったのだが、どうやら違うらしい。あの作戦は思いがけず、父っちゃん坊やの二人が乱入してきたので失敗したのであって、みんなはよくやってくれたと言っていたからだ。仏田も爆睡するまではがんばってくれたと、少しだけ褒めていた。

 それに、高騰していたアイドルグッズを二つ売却して、大金を手に入れたと言っていた。うち一つを売ったお金で、仏田襲撃事件に協力してくれた劇団員のギャラを払ったらしい。 

そうなると、もう一つを売ったお金の行方が原因なのだろうか。

 仏田は恐竜図鑑を眺めながら、エキスパンダーをギーコギーコやっている。見かけによらず器用な奴だが、最近は俺よりもできるようになってきた。もともと力があるのだから、いつか追い抜かされると思っていたのだが。まあ、追い抜かされても悔しくないけど。

 仏田は類さんの顔色の悪さに気づいていない。この辺はあいつの鈍いところだ。いくらエキスパンダーで鍛錬しても、人の気持ちが分かるようにはならない。

「類さん、いつものパワーが感じられませんね」

俺はけん玉の練習を止めて、話しかける。

「えっ、ああそうかい。まあ、なんというか、そのう」

 類さんはモゴモゴ言いながら、小さなバッグを机に置いた。

小さなバッグということは、俺たちを売り出すための、無理なグッズは持って来てないということだ。その点だけは安心できた。

今まで、キャンプ芸人とか筋肉芸人をやらされている。これ以上、増やしてほしくない。家電芸人や掃除芸人やバイク芸人なんかもやりたくない。すでにたくさんいる。

そんなことをやらなくても、少しずつだが、俺たちの仕事は増えて来ている。今年は学園祭にもたくさん出ることになっている。どちらかというと、若者向けのネタをやっているので、老人ホームよりも学校に呼ばれる方がうれしい。かといって、幼稚園に呼ばれて園児の前でネタをやるのは大変だ。あいつらはガキにくせにけっこうシビアで、面白くないとか、ネタが古いとか、子供には分からないとか、言いたいことを言ってくるからだ。だけど、相手は子供だ。言い返すことはできないし、指摘されたことが、けっこう当たっていたりする。

「詐欺に遭った」類さんが泣きそうな声で言って、椅子に力なく、座り込んだ。

 さすがに鈍い仏田も恐竜図鑑から目を上げて、エキスパンダーの手を止め、

「まさか国際ロマンス詐欺ですか?」真剣な顔を向けた。

 だが、類さんがロマンス詐欺に引っかかるわけない。愛妻家だし、お子さんも小さい。既婚者でもまんまと騙される人もいるが、類さんに限っては、お金に関係した詐欺だろう。といっても、あなたの資産を増やしますといった投資詐欺や、ネットショッピングで儲けませんかといった副業詐欺ではない。そもそも元手になる金がないからだ。

 では、何の詐欺だろう?

「宝くじが当たりましたとか、遺産を差し上げますという詐欺ですか?」

「いや、スターウォーズ詐欺に遭った」

「スターウォーズ!?」「スターウォーズ!?」

 俺と仏田は思わず、ハモった。

「あの映画のスターウォーズですか?」俺は念を押した。

「そうだよ。本物のスターウォーズだと思ったんだよ」

「本物のスターウォーズ? 話が見えて来ないです」

 類さんは座り直して、姿勢を正した。ちゃんと説明してくれるようだ。

俺も姿勢を正した。おそらく俺たち二人に関係していることだろう。

「ジョージルーカスからメールが来たんだ」

「ジョージルーカス!?」「ジョージルーカス!?」

 驚いて、またハモった。

「あのジョージルーカスですか?」俺はまた念を押した。

「そう。あのスターウォーズを作ったジョージルーカスさ」

「いきなりジョージルーカスからメールが来て、信じたのですか?」

「そうなんだよ。ジョージルーカスと書いてあったら、騙されたかもしれないけど、本名のジョージ・ウォルトン・ルーカス・ジュニアと書いてあったんだ」

「だから信じたのですか」

「そうなるね」

「もちろん英語のメールですよね」

「日本語だったんだ。名前はカタカナ表記だった」

「ジョージルーカスはカタカナを使えるのですか?」

「自動翻訳されて送られて来たと思ったんだよ」

「巨匠ジョージルーカスさんは何と?」

「スターウォーズの新作でエキストラを募集しているのでどうかと」

「そこで、俺たちを推薦してくれたというわけですか」

「君たち二人がスターウォーズに出たら、すごい宣伝になるでしょ。日本のお笑い芸人でスターウォーズに出た人はいないんだよ」

「そりゃ、そうでしょ。お笑い芸人にオファーが来るわけないでしょ」

「だけど今回はオファーじゃなくて、エキストラをオーディションで選ぶと書いてあったんだ」

「日本語で?」

「日本語で」

「どんな役ですか?」

「スターウォーズで、居酒屋みたいな所にいろいろな宇宙人が集まって、ワイワイガヤガヤやってるシーンがあるでしょ」

「あー、あるある」仏田がうれしそうに言う。スターウォーズが大好きだからだ。

「その宇宙人役なんだ。宇宙人なら英語がしゃべれなくてもできるでしょ」

「適当にしゃべってたらいいですからね。何だったら、日本語でもいい。バレないでしょ」

「そんなんだよ。だから私は飛びついたというわけなんだ。うまくいけば私も出られるかなと思って」

「類さんも出たいですか?」

「もちろんだよ。スターウォーズに出られるのなら、ロケ地までの交通費は自分で払うし、ギャラもいらないよ」

「まあ、俺もそうですけどね」仏田も同意する。みんなそうだろう。

「そのロケ地なんだけど、日本だとメールに書いてあるんだ」

「交通費が安上がりだと」

「京都の太秦映画村だから、近いんだよ」

「太秦映画村でスターウォーズの撮影をすると聞いて、信じたのですか?」

「江戸時代の村を再現できるんだから、どこかの星の居酒屋も作れると思ったんだ」

「はあ」俺は全身の力が抜けそうになる。「俳優でも何でもない無名の日本人が三人、スターウォーズに出演ですか」

「子供が大きくなったとき、お父さんはスターウォーズに出てるんだと言って自慢できるでしょ」

「本当なら自慢できますけど」

「本当だと思ったんだ。もしかしたら、私のフィギュアが発売されて、スターウォーズコレクションの仲間入りをするじゃないかと思ったんだ」

「エキストラのフィギュアは作らないでしょ」

「ダースベイダーのフィギュアの隣に私のフィギュアなんて、感動するでしょ。デアゴスティーニで一体ずつ揃えるなんて、夢があるでしょ」

「そこまで信じる人も珍しいですけど、なんで詐欺だと分かったのですか?」

「お金を振り込んだのに、何も言って来ないんだよ」

「お金を振り込んだ!?」「お金を振り込んだ!?」

 またまたハモる俺たち二人。

「そう。メールも戻って来ちゃったし」

「何のお金ですか?」

「エントリー代だよ。わざわざ日本でオーディションをやるのだから、いろいろと経費がかかる。有料での参加になりますと書いてあったんだ」

「それも信じたと?」

「そういうことだね」

「いくら振り込んだのですか?」

「一人分が596300円」

「えーっ!」「えーっ!」

「まさか、それを三人分?」

「そのまさか、なんだ」

「ざっと178万円だ」仏田がスマホの電卓で計算した。「なんでこんな大金を払ったのですか?」

「オーディションに受かったら、倍返ししてくれると書いてあったんだ。つまり、178万円の儲けだね」

「実際は騙し取られたと」

 これじゃ元気もなくなるし、顔色も悪くなるな。

「高騰していたアイドルグッズの高い方を売った金額と同じくらいなんだ」

「なんでこんな中途半端な金額なんですかね」

「596300円。“ごくろうさん”の語呂合わせらしい」

「なんでジョージルーカスが日本語の語呂合わせを知ってるのですか?」

「ジョージルーカスは黒澤明監督と仲が良かったでしょ。だから二人が対談したときに教えたんじゃないかと思ったんだ」

「黒澤監督がジョージルーカスに語呂合わせを教えますか。その前に、ここで語呂合わせが必要ですか」

「後で考えてみると、おかしいことばかりだけど、舞い上がっていると気づかないものだよ。

詐欺というのはこんなものだよ。人は常に沈着冷静であることが大事だね」

「悟りを開いたお坊さんじゃないんですから、そりゃ無理でしょう」

「今から滝に打たれても遅いしね」

「だけど、アメリカの銀行口座に振り込んだのなら、取り戻すのは難しいでしょうね」

「いや、日本の銀行口座なんだ」

「えっ、どこですか?」

「ゲロシン」

「ゲロシン?」

「岐阜県の下呂信用金庫」

「何でそんな地方銀行に?」

「分からないんだよね」

「そもそも岐阜なんて漢字は岐阜県民しか書けませんよ。そんなマイナーな県の、マイナーな市の、マイナーな信金になんで振り込むのですか。銀行じゃなくて信金ですよ。まあ、下呂温泉は有名でしょうけど」

 俺は呆れて、気を失いそうになる。

「それでも何とか金を取り戻せないかと、メールに書いてあった電話番号にかけてみたんだ」

「電話番号が書いてあったのですか!?」

「それで、メールに誠実さを感じたんだよ。かけてみると男性が出たんだけど、日本語が通じないんだ」

「出鱈目な電話番号でしょ。アメリカの田舎かどこかの」

「リバースさんという男性だったんだ」

「リバースはゲロ。つまり下呂じゃないですか」

「なるほどなあ。これも語呂合わせということか。一杯喰わされたなあ」

 類さんは今頃気づく。そして、なぜか感心している。

「リバースがゲロというのは、和製英語みたいですね」

 仏田はどうでもいいことを検索している。

「ゲロシンに連絡したらどうですか?」

「電話してみたんだけど、その口座は凍結されてたんだ。引き出した後に凍結されたのか、引き出しができないように凍結されたのか分からないけど、私の他にも騙された奇特な人がいるんだねえ」

 さらに感心してどうするのか。

「警察に被害届を出してもダメだろうから、すっぱりと諦めるよ」

 とにかく、類さんは俺たちを売り出そうと自腹を切ってくれたのだから、これ以上は追及できなかった。だけど、軍資金が減ったのは痛かった。

「二人に話したら、ゲロを吐いたときのようにすっきりしたよ。まだアイドルグッズは大量にあるから心配しないでね」

「そうだよ、神山。前向きに行こうや。ほら、笑って笑って。笑いを売りにしてる漫才師は笑わないとダメだよ」

 類さんと仏田の能天気コンビは今日も健在だった。

 俺は呆れ返って、マジでゲロを吐きそうになった。


 翌日、類さんは俺たちがNGにしている仕事を持って来た。

 第一回大日本大日本酒大コンテストの大審査員の仕事だ。

 大という漢字がたくさん付いているのは、主催者が料理界の重鎮大雪山権太郎衛門だからだ。

「今回初めて開催される大会のため、大雪山先生も張り切っておられるそうだ」

 類さんはうれしそうに説明してくれる。

「先生の他にも日本酒の重鎮や和食の重鎮など、そうそうたるメンバーが参加されるらしい。重鎮のオンパレードだよ」

 なぜ俺たちが大審査員に選ばれたのかというと、

「事務所のサイトに載せている仏田君のプロフィールを少しだけ変えておいたら、向こうからオファーがあったのだよ。こちらから何も営業活動をしないのに、仕事が舞い込んで来たのだから、ツイてるよねえ」

 仏田は急いでスマホをチェックする。

また類さんが何かやらかしてくれたらしい。

「わっ! 俺が奈良時代から続く酒蔵の第八十八代目の当主になってる。ちょっと待ってくださいよ」仏田は太い指でスマホを操作する。「類さん、日本で一番古い酒蔵は平安時代ですよ」

「えっ、どういうこと?」類さんが画面を覗き込む。

「奈良時代は平安時代よりも古いですよ」俺もスマホを検索する。「日本で一番古い酒蔵よりも古いっておかしいでしょ」

「黙ってたら、分からないでしょ」

「いや、分かるでしょ。いや、分からないか。分からないからオファーが来たのだろうし。だけど、なんで日本酒の重鎮とか、和食の重鎮がまんまと騙されるんだよ」

「ということは、俺が造ってる酒蔵の日本酒をコンテストに出すということですか。そんなの誤魔化せませんよ」

「大丈夫だよ。プロフィールをよく読んでみて」

「奈良時代から続いていた酒蔵は去年倒産した――何ですか、これは」

「仏田君の代につぶれてしまったという設定だよ」

「俺は奈良時代から続いていた酒蔵を倒産させたボンクラ当主ということですか?」

「だけど舌は肥えてると思われて、呼ばれたのだろうね」

「最悪ですよ。酒が飲めない人が酒の審査をしますか。しかも大審査員って何ですか。責任重大みたいじゃないですか」

「このコンテストで選ばれるかどうかで、今後のお酒の売り上げにも影響してくるのでしょうね。M1で優勝するようなものですよ」

「そんな重責は担いたくありませんよ」

「そうですよ。仏田には重すぎますよ」

「神山君も審査員だよ」

「俺もですか! 俺も酒が飲めませんよ。二人とも下戸だって、類さんは知ってるじゃないですか。飲めない酒の審査をするなんて、観てもいない映画を評価するようなものでしょう。聴いてもいない歌を評価するようなものでしょう」

「でも、もう承諾しちゃったからねえ。大雪山先生に加えて、農林水産省もバックアップしているから、断れなかったのだよ。これでカミホトケはグーンと有名になるよ」

「はあ」「はあ」俺たちはタメ息しか出ない。

「今から日本酒を飲む練習する?」仏田が提案して来るが、

「もう遅いよ」俺はきっぱり断る。

 あと三日しかないという。それまでに酒が飲めるようになって、舌が肥えるとは思えない。逆に無理に飲んで体調を崩して、当日行けなくなると最悪だ。仕事のキャンセルだけは避けたい。信用にかかわるからだ。

「だけど、甘酒くらいは飲めるようになっておかないとね」

「ひな祭りはまだだけどな」

「ウィスキーボンボン買ってくる?」

「あれは洋酒だろ」

「奈良漬はどうかな。奈良時代だけにね」

「洗って食べるしかないだろ」

「奈良漬のしゃぶしゃぶか」

 

 そして、何の準備もしないまま、第一回大日本大日本酒大コンテストの日がやって来た。

 俺たちはあまりのマスコミの多さに卒倒しそうになった。日本酒は世界的にも注目されているようで、外国からもたくさんのメディアが取材に来ているようだ。確かにこれなら類さんが言うように、カミホトケの名前は全国に知れ渡るだろう。知れ渡った後、すぐ忘れ去られるだろうけど。

 一流ホテルの催事会場には酒蔵の関係者を始めとして、たくさんの人々で溢れていた。大審査員は五人いた。正確には四人と一組だ。その一組がド素人で下戸の俺たちだ。

そして今、俺たちは壇上へ上がって、審査員席に座っている。どう見ても場違いで浮いているのだが、仏田は何食わぬ顔をしながら、司会を務めている女性フリーアナウンサー足藤愛子に見取れている。確かにアラフォーにしてはかわいいけど、今はそれどころじゃない。

「ではコンテストの前に、大審査員の皆様から一言ずつお願いいたします――では、大審査員長の大雪山権太郎衛門様からお願いいたします」

 和服姿の大柄な老人が目の前のマイクに向けて、大声を放った。

「わしが大雪山権太郎衛門である!」

「えっ、あっ、はい。ありがとうございました」

 あまりに短い挨拶だったため、司会の足藤は動揺している。

 俺たちは五番目の席に仲良く並んで座っている。

何か一言、言わなければならないようだ。

「仏田、頼むな」俺は小さな声で言う。

「神山、頼むよ。お前、こういうの得意だろ」仏田は断って来る。

「お前は奈良時代から続く酒蔵の当主として呼ばれてるんだろ」

「それは類さんがでっち上げたプロフィールだろ。実際下戸だぞ」

「俺だって下戸だよ。日本酒よりもオレンジジュースの方が好物だ」

「俺はブドウジュースが好きだ。バナナジュースも隅に置けない」

「ジュースの好みと、挨拶をするかどうかは関係ないだろ」

「じゃあ、大雪山先生のマネをして、デカい声で名前だけ叫ぶ?」

「それは大御所だから許されるんだ。俺たち売れ損ないの芸人がやると、ひんしゅく買うだろ。真面目にやろうや」

次々に大審査員の紹介が行われる。

「では続きまして、日本酒の重鎮でいらっしゃいます北双院田吾作様、一言お願いいたします」

「続きまして、和食界の重鎮でいらっしゃいます豊臣秀吉太郎様、一言お願いいたします」

「続きまして、洋食界の重鎮でいらっしゃいます珍味牛之助様、一言お願いいたします」

 結局、挨拶は仏田がやることになった。じゃんけんで決めたのだ。

「もうすぐ回ってくるぞ。落ち着いていけよ」

俺はささやき女将のように、耳元でアドバイスする。

「最後に、奈良時代から続く酒蔵の第八十八代目当主仏田バチ様、一言お願いいたします」

 本名ではなく、芸名で呼ばれる。

 どうせ酒蔵の当主というのもウソだからいいけど。

 俺は仏田の足を蹴飛ばして、気合を入れてやる。

「あー、あー、マイク入ってますか。いや、どうもどうも。お集まりいただいた皆様、お待たせいたしました。芸能界で最も日本酒に精通している二人、私は仏田バチ、こちらが神山ジュージでございます」

 ダメだ。軽すぎる。四人の重鎮の視線が突き刺さる。

「私の血には先祖の熱き思いが宿っております」

 何を言い出すんだ。

「日本酒の発展のために、日本の食文化の未来のためにがんばります」

 言ってることがデカい。

「実は酒が飲めないのですが」

 正直に言うな。

「いや、そうでなくて、何かおつまみがないと飲めないのですが、今日はおつまみ無しで、がんばる所存でございます」

 居酒屋に来てるんじゃない。

「先祖代々続いて来た酒蔵の当主として、厳正なる審査を執り行いたいと思います。よろしくお願いいたします候」

 候はいらんだろ。

「チーン」

 チーンもいらんだろ。

 最後に仏田は胸の前で手を合わせて、得意のアルカイックスマイルをやって見せた。最近評判がよく、必ず笑いが起きるのだが、シーンとしていた。最後にチーンと言ったからだ。見渡してみると、会場には高齢者が多く、もうすぐマジでお迎えが来る人ばかりだったからだ。縁起でもないと思われたのだろう。

「大審査員の皆様、ありがとうございました!」

司会の足藤さんが明るく言ってくれたお陰で、たちまち会場内に活気が戻った。

「それではさっそく、エントリーナンバー一番の酒蔵のお酒から審査をお願いいたします」

 五人の大審査員の各机へ、グラスに入った酒が配られる。

 俺たちの席はしっかり二人分、配られた。

「神山、予選を通過した酒蔵はいくつあったんだっけ?」

「ちょうど十だ」

「これを十杯飲むってことか?」

 仏田は愕然として、グラスを掲げる。並々と日本酒が注がれている。

 一杯も飲めるわけないのに、十杯は無理に決まっている。しかも目一杯入っている。

「急性アル中を起こした人のために、救急車は待機してるのか?」

「してるわけないだろ」

「看護師さんもいないということか」

 会場の隅に類さんが立っているのが見えた。険しい顔をしている。

類さんもまさか十杯飲まされるとは思ってなかったのだろう。

「神山、ヤバいよ。酒のニオイで気持ち悪くなりそう」

「俺はすでに気持ち悪い」

 ふと見ると、司会の足藤さんがこっちを見ている。

「どうやら仏田さんはグラスを掲げて、お酒の色を確認されているようです」

「えっ、俺が!?」当人が驚く。

 こんなの飲めるわけないだろと、呆れてグラスを持ち上げていただけなのに。

なんという誤解をしてくれるのか。みんなに注目されたではないか。

 だいたい日本酒の色なんて、透明じゃないのか。濁ってる酒もあるだろうけど。

 だけど仏田は調子に乗って、真剣な顔でグラスを傾けたり、回したりした後、香りをかいで、ウーンと頷いて見せている。

あまりのわざとらしさに、隣で見ている俺は噴き出しそうになる。

いや、笑ってる場合じゃない。この酒をどうするのか。思い切って飲んだとして、おそらく二人とも卒倒する。ここでリバースとなると最悪だ。

 他の大審査員はすでに酒を口にして、何やらメモを取っている。

 こちらを不安げに見上げているのは、この酒を造った酒蔵の関係者だろう。

 この審査であの人たちの今後の売上が決まるのだから、責任重大である。

昨日、試しに二人で奈良漬を二切れずつ、洗わずに食べてみた。飲み込むのに精一杯だった。奈良漬でそうなるのだから、酒を十杯も飲み干すなんてできるわけない。

どうすればいいんだ?

 俺たちの隣に洋食界の重鎮珍味牛之助さんがいた。最近は洋食でも日本酒を出すらしく、外国人を中心に根強い人気があるらしい。

 珍味さんのしぐさを横目で見ていて、気付いた。

「仏田、机の下を見てみろ」視線を下にやる。

「なんだ、このバケツは?」足で蹴る。「俺たちのリバース用か?」

「違うよ。みんな酒を全部飲まないんだ。ちょっと飲んで、残りはこのバケツに捨てるんだよ」

「なるほど、そういうことか」

 さすが相方。すぐに俺の作戦を理解してくれた。配られた酒を飲んだフリして、全部バケツに捨てればいいのだ。飲んでないことがバレないように、グラスをうまく手で隠したり、飲んだフリをした後は満足そうな表情を浮かべて、真剣な顔でメモを取ればいい。これを今から十回繰り返すのだ。

 俺たちは、バケツの中に全部捨て作戦で、この難局を見事に乗り越えた。自分でも見事と言えるほど、見事だった。作戦がまったくバレなかったからだ。類さんもおそらく見事と言ってくれるだろう。

後でバケツの中を見た関係者は、やたら残量が多いと不審に思うかもしれないが、知ったことではない。もしクレームを言われたら、俺たちはわずか一口だけで、日本酒の良し悪しが分かるとでも言っておけばいい。なんといっても、奈良時代から続く酒蔵の当主である。ニセ者だけど。


 そして、最終審査の時間がやって来た。

「では、五人の大審査員の皆様、優勝と思われるお酒の名前が書かれた札をお上げください――“咲け美”“咲け美”“咲け美”“咲け美”“尼井ロマン”。“咲け美”が四票、“尼井ロマン”が一票。よって、優勝は文九酒造が作られた“咲け美”です。おめでとうございます!」

 四人の大審査員は“咲け美”に投票し、俺たちだけ“尼井ロマン”に投票した。名前からして、何となく甘そうだったからだ。甘いもの好きの仏田がそう決めた。まさか俺たちだけが違う酒に投票していたなんて。本物の審査員が投票した“咲け美”が一番おいしかったのだろう。

結局、金賞が“咲け美”、銀賞は“尼井ロマン”、銅賞は該当なしという結果に終わった。

ともあれ、俺たちはインチキがバレることなく、大役を果たした。後はさっさと逃げ帰るだけだ。類さんの方を見ると、ホッとした表情をしている。俺たちがNGとしている酒の仕事を受けて、少しは責任を感じていたのだろう。

「仏田、早く帰ろうや」

「そうだな。このニオイでもう限界だ。早くここを出よう」

 俺たちが挨拶もそこそこに会場を出ようとすると、数人の男性に引き留められた。

 ヤバい、不正がバレたのか。

酒は全部バケツに捨てて、一滴も飲んでないもんなあ。

「カミホトケのお二人様、ありがとうございました」男たちが頭を下げてくる。

えっ、なんで感謝されるんだ?

「私たちは“尼井ロマン”を作っております、尼井酒造の者です」

 確かにお揃いの紺のハッピに尼井酒造と書かれている。

「カミホトケさんが私たちの尼井ロマンに投票していただいたお陰で、銀賞をいただくことができました」

 そうか、一票しか入ってないけど、銀賞だったんだ。

つまり、第一回大日本大日本酒大コンテストで銀賞を取った尼井ロマンとして、売り出しができる。銀賞受賞という表示を見た人は、まさか一票しか入ってなくて、投票したのは下戸のお笑い芸人の二人だったなんて、知る由もない。黙っていたら分からないのだ。きっといい宣伝になるに違いない。二番目だったから、三ツ星より一個少ない二つ星レストランみたいなものだ。十分価値があるだろう。尼井酒造の関係者が頭を下げてくるのも無理はない。

「いやあ、まろやかで飲みやすかったですよ。やさしい味でしたよ」

仏田が調子に乗って、しゃべり出す。

 俺はあわてて、足を蹴飛ばす。

 飲んでもいないのに、まろやかって何だよ。まろやかじゃなかったらどうするんだよ。やさしい味というのは、食レポで褒める所がなかったときに使うフレーズなんだよ。ベラベラしゃべって、ド素人だとバレたらどうするんだ。

「古くから続く酒蔵の当主様に認めてもらって、大変光栄に思います」

「いやいや、それほどでもないですよ」倒産したという設定だけど。

「私どもはまだ創業八十年の若輩者ですから」

「いやいや、百年、二百年なんてすぐ経ちますよ」誇らしげに言う。

「これからも精進していきたいと思います」

「無理しないでがんばってください。健康が第一ですよ。風邪をひいたら、味覚が変になりますからね」上から目線で言う。

 仏田のアホな受け答えに限界を感じ、俺は急いで割り込む。

「では、我々はこのへんで失礼いたします。劇場の時間が迫っておりますので」

「ああ、漫才師の方でしたね。ということは、二刀流でよろしいのでしょうか」

「まあ、そうなりますかねえ――痛ェ!」

 また足を蹴飛ばして、引き摺るように仏田を会場から連れ出した。

 その後、尼井酒造の尼井ロマンは売れに売れた。

 日本酒の味なんかよく分からない連中が、銀賞受賞と聞いて、どんなものかと買って行くらしい。また通販でもよく売れているらしい。尼井酒造から類さんの事務所宛に尼井ロマンが三十本も届けられた。俺たちと同じく下戸の類さんは、酒の詰まったダンボール箱を前に、どうしたものかとたたずんだ。


~後編~につづく。

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