第7話(最終話)
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店じまいを終えて、着替えて出てきたみらいと、新宿御苑方面に向かって歩く。みらいは着物姿から一転、白いシャツと紺色の9分丈のパンツにスリッポンという、さっぱりした格好だった。
「いつもあの店で働いてるわけじゃなくてね。女将に可愛がってもらっていて、女将に用事があるときのピンチヒッター」
おかまバーのママのことを話すと、「あの人、私が言う前に、男だって気づいたんだよ。すごいよね」と笑った。みらい曰く、今のみらいを男だと見抜く人はなかなかいないらしい。もともと色白でほっそりしていたが、確かに弟である俺の目から見ても、中性的な女性といった雰囲気だった。
「二丁目の店とか、出入りしないの」
「上京したての頃はちょっと行ったけど、あまり接点ないかな~。もう女で通してるから。私、昼間は普通に大手町でOLやってるんだよね」
目を丸くする俺に、「エクセル作業めちゃくちゃ速いよ」と笑った。みらいは昔から頭が良くて手がかからない、母さんの自慢の息子だったから、きっと会社でもそうだろう。
お腹が空いたというみらいのリクエストにこたえて、24時間営業の立ち食い蕎麦屋に入る。みらいはちくわ天蕎麦を、俺はコロッケ蕎麦を選んだ。この一晩をともにした500円玉が、チケット販売機に吸い込まれていき、引換券となって出てきた。
並んで蕎麦をすする合間に聞いたところによると、iPhoneの持ち主は、とある高級クラブで働く女の子で、みらいのことを慕っていたらしい。香苗さんというのが、その筋の先輩にあたる人で、みらいはもともと香苗さんと仲がいいそうだ。
「動画って結局なんなんだよ」
「簡単に言うと、とあるエラい人の、しょうもないSM動画ってとこ」
撮ってはいけない動画を撮ったことがバレて、その場では水をかけられてiPhoneを壊された。それを持って逃げた彼女が、そのまま俺の店に修理に出したのだろうとみらいは言った。
「隠し撮りして、金儲けに使おうと思ってたってこと?」
「正確に言うと、ちょっと違う。彼女はそのエラい人と付き合ってたんだけど、手ひどい形で裏切られちゃってね。だから金儲けというよりは、復讐かな。ただ気持ちはわかるけど、あの世界では許されないだろうね」
物騒なことをさらさらと話すみらいの横顔に、こうして隣にいても、遠いところにいる存在なのだと感じさせられた。
でも香苗さんから連絡あって、無事にその子を保護できたらしいから、とりあえずは一件落着、とみらいは言う。
「iPhoneを狙った男は誰なんだよ」
「エラい人の部下が雇った、半グレ以上ヤクザ未満ってとこかな。まあ、詳しくは知らなくてもいいんじゃない?」
殴られたのになんだか割に合わないが、確かに知らないほうがいいこともある。深入りするのはやめておいた。
そろそろ蕎麦を食べ終わりそうだった。真相はわかったが、それよりも大事なことを話せていない気がした。みらいがどんぶりの上に割り箸を綺麗に合わせて置いた。
「未来っていう本名、使ってるんだな」
「え?」
よく聞こえなかったのか、みらいが聞き返した。
「なんか、女になるんだったら、可愛い名前つけるもんかなと思って」
エリカとかユリとか咲良とか、と言うと、みらいは「何、その雑なイメージ」と笑った。
「だって私が違和感あったのは性別だけだもん。私、自分の名前、好きだよ」
「うん」
俺も未来という名前が好きだ。その言葉が聞けて、俺は嬉しかった。
店を出て駅まで歩く途中、下水の排水溝を見つけたみらいは、iPhoneを投げ捨てた。
「せっかく水没修理したのに」
「こうなる運命だったんだよ」
土曜朝6時の新宿通りは、たまにランナーが走る程度で、驚くほど静かだ。観光客や土曜出勤のサラリーマンが現れる前の新宿は、1日でわずかに許された日光浴の時間を楽しんでいるようだった。
「私はこっちから帰るから」
駅の手前まで来て、みらいは駅と逆方向を指差した。俺とはここでお別れということらしい。わかってはいたが、短い再会だった。
「今度帰省したら、母さんに伝えるよ。兄ちゃんが、めちゃくちゃ綺麗な姉ちゃんになってたって」
もうひとつ、名前のことも伝えようと思った。きっと母さんは喜ぶだろう。
みらいが微笑んで、俺をやさしく抱きしめた。スズランみたいな、白い花の匂いがした。
「お母さんによろしくね。会えてうれしかった。ありがとう」
「俺も」
急にさみしくなって、俺は動けなくなる。もういい大人のはずなのに。
「またどこかで会えるよ。東京にいるんだから」
俺はうなずいた。今日みたいなことが起きるから、みんな東京にやって来るんだと、俺は理解した。
手を振って別れた。数歩行ったあと、俺は立ち止まって振り返る。みらいは颯爽と歩いていた。東京の女の子は振り返らない。
みらいの背中を見送って、俺も家路を歩き出した。
こちらは、2015年に投稿した「東京の女の子」という小説を改稿し、note創作大賞 ミステリー小説部門に応募したものの転載となります。
文字数を2000字以上増やして合計2万字に、時制をコロナ後の現在に変更、冒頭の構成も変えるなど、全体的に手を入れて大幅アップデートしました。
ありがたいことにミステリー小説部門の中間選考を突破することができました。受賞には至りませんでしたが、多くの方の目に触れる機会を得られて幸せでした。
こういったハードボイルド物は、けっして得意分野ではないですが、読むのも書くのも好きなので、またチャレンジしたいなと思っています。次の舞台は秋葉原の端、岩本町あたりがいいなと思ったりしています。
お読みいただきありがとうございました。