奴隷の少年の初陣
奴隷の少年、潤が班長を務める歩兵隊第七班は、同じ集落から潤を含めて三人、他の集落から七人が運命共同体となった。
戦争孤児で奴隷の潤、その兄貴分である遼、同じく二人と共に農耕を行っていた初老の剛が同郷の三人だった。
剛は、過去に何度か歩兵として戦を経験した生存者でもあった。
「潤殿が班長を買って出てくれて助かった。まだ若いのに立派だ……。俺は初めて戦に出るが、正直今でも足が震えている。俺の倅と歳も変わらない少年とお見受けするが、潤殿は戦に出るのは初めてではないのか?」
他所の集落から来た齢四十そこそこの男が竹筒の水を一口飲み話しかけた。
「なーに、俺も初めてだ」
「なんと……若さ故か、それとも本物の傑物か。どちらにしても、この命、潤殿に預ける。俺は、嶽だ。よろしく頼む」
「そんな大層なもんじゃねーさ。しかしまあ、よろしく頼むぜ、嶽さん」
「ああ。それはそうと、潤殿はなぜ馬を連れておられるのだ? 見るに俺たちと同じ農民歩兵のようだが」
潤の傍で佇む黒絢を見て、嶽はこれまで疑問に思っていたことを訊ねた。
嶽だけでなく、事情を知る遼以外の者も同じく不思議がっていたことだ。
「それは俺が説明するぜ!」
「お、おう……。それで君は?」
「俺は遼! 潤班長の兄貴分だ!」
嶽は突然割って入ってきた遼に作り笑いで応える。
「潤坊はただの歩兵じゃないんだせ? この軍の将、直朝様から認められて騎兵になったんだ。そんでコイツは潤坊の愛馬の黒絢だ。すげーだろ?」
なぜお前が偉ぶるのだと、この場の全員が作り笑いで応えた。
「いやぁ、潤坊がガキの頃から面倒見てやってるが、まさか悪さ坊主だった潤坊が騎兵になるなんてなぁ。未だに信じられないぜ」
空気の読めないお前の神経が信じられない、といった顔で皆が顔を見合わせた。
だが、歩兵隊第7班に謎の団結が芽生えたことは、遼の性格の賜物でもある。
歩兵が戦地で生き残るためには、個ではなく群れであることが何より重要になる。
そういう意味では、第7班はどの班より早く、絆に似た何かを得ることに成功していた。
間も無く、再び歩き始めた直朝の軍、350人は、いよいよ国境近くのサーガ軍陣営に辿り着いた。
時を同じくして、他のサーガ軍も陣入りとなった。
サーガ国は西にガサキ、東にフクォーカという敵国に挟まれているため、軍を東西に二分せざるを得ない。
ここに集まったのはサーガ国の西軍、その数およそ2,500。
対するガサキ国は、国土のほとんどが海に囲まれ、国境を接するのはサーガのみである。
ガサキはサーガ国のみに全勢力をもって臨むことができる。
加えて、そもそもの国の人口でもガサキ国が優勢である。
サーガの人口約40,000に対してガサキは約60,000――民の数は国力に直結すると言っても過言ではない。
「お、おい……。なんだあれッ……!」
西方を指差し、歩兵の一人が腰を抜かした。
ドッドッドッ、と大地が揺れる。
土煙りを巻き上げながら、ガサキ国およそ八千の軍が陣入りを果たしたのだ。
人の形が僅かに見える程度に離れている距離、しかし、サーガ軍の旗の三倍以上あるガサキ軍の旗の威圧感が、一度は士気を上げた歩兵たちの胸の中に、再び死という恐怖が舞い込んでくる。
「数が……多すぎるッ……! これまでの戦の比ではないッ……!」
「くそっ、ガサキのやつら……ついに本気でタラの地を取りに来やがったか!」
武人たちにも焦りが見える。
鎧を纏い剣を持つ武人の焦りは、布切れに農具だけの農民歩兵たちに恐怖を植え付けた。
「なあ潤坊、俺たち死ぬんじゃねえか?」
「遼兄、そうかもしれねぇな……。だがその分、勝ってカシマに戻れば……王様からすげえ武勲報酬が貰えるぜ。なんせ国を守った英雄になるんだからな!」
「……おお! 勝って帰れりゃ俺たち大金持ちだな! カシマの地もすげえ栄えて、商人が美味え食いもんバンバン売りに来るぞ、潤坊!」
「そうだ! だから遼兄、絶対生き残るぞ!」
恐怖に膝をつく歩兵がいる中、潤は自ら気持ちを鼓舞していた。
強大な敵を前に慄かない精神力は、潤が持つ秀でた才だった。
「歩兵隊第7班! ぜってー生きて帰ってくるぞ! そしたらすんげえ武勲がカシマに入る! カシマで待つ家族や仲間に美味い飯食わせてやろうぜ!」
潤の言葉に、嶽は腹の底から熱い何かが沸々と燃え上がるのを感じ一筋の涙が零れる。
「不思議な少年だ……潤殿が言えば、本当にそうなるような気がしてくる……」
心を打たれた嶽は、うおぉぉっ! と大きく雄叫びを上げた。
その叫びに共鳴するように、カシマの地から集められた300人の農民歩兵も自らに喝を入れるよう声を張り上げた。
「ははは……そりゃあ俺たち武人の役目だろうが」
気が付けば、ここに集まった武人たち約500人も、農民歩兵の約2,000人も、潤が発した一声をきっかけに雄叫びを上げ、サーガ軍の士気は最高潮に達したのだ。
この昂る勢いを利用しない手はない。
ガサキ軍はつい先ほど陣入りしたばかり、敵の歩兵たちの士気は上がりきっていない――各軍の将は一気に歩兵たちを動かした。
潤たちの将、直朝もここぞとばかりに叫ぶ。
「歩兵隊第1班から第15班、突進だ! その後ろから第16班以降も続け! 各班10人で共に行動せよ! 討たれた者をが出ても振り返るな! ひたすら前を向いて走り続けろ!」
将の号令で2,000の歩兵が一気に駆け出す。
その先頭を、行くのは一騎の騎兵――愛馬、黒絢に跨る奴隷の少年、潤だった。
「行くぞ黒絢! 敵の歩兵を突破して、サーガの武人たちが通るための道を作るッ!」
騎馬を許された唯一の農民兵の少し後ろを全力で走る歩兵隊第七班が、ガサキの歩兵およそ6,000に正面から衝突した。
「うりゃあァッ!」
十分に士気が上がっていないガサキの歩兵たちは、目前の騎兵に動揺が隠せない。
敵の歩兵の数はおよそ三倍。
しかし、勢いという点ではサーガの歩兵が優っている。
潤は騎馬の上から鍬を振り回し、次々と歩兵を蹴散らし、その後ろから歩兵隊第7班が弱った歩兵を殴り付ける。
ガサキの農民歩兵がどさどさと倒れていく。
醜く、悍ましい――が、これが戦なのである。