奴隷の少年と豪族の娘
小国が乱立する戦乱の世は、権力や武力が人を支配していた。
隣国同士で国土を奪い合い、多くの血が流れて幾百年、人々の争いは終わらない。
弱小国、サーガ。
肥沃な土地に恵まれたこの国は、南北に海、東西には敵国と接する位置にしており、常に隣国からの侵略に対する攻防を強いられていた。
現在、サーガ国は、得体の知れない海洋民族を率いる西のガサキ国、巨万の兵を要する東のフクォーカ国、二つの国からの侵攻を受けていた。
「おいクソガキ! なに仕事サボってんだ!」
秋の日の夕暮れ時、刈り取った稲を運ぶ農民たちの列に向かって、サーガ国の豪族でカシマの地を統治する男が怒鳴り声を上げる。
豪華な装束に身を包む醜く肥えたその男は、一人の少年の頭を木の棒で叩きつけた。
少年は、男とは対照的で、痩せた身体にひどく汚れた衣を身に付けている。
「……ッ」
頭を打たれた少年は、運んでいた稲を捨て、肥えた男を殴りかかろうと踏み込んだ――が、少年の後方を歩く中年の男性が腕を掴みそれを制した。
「申し訳ございませんカシマの守様……! ほれ潤、謝りなさい……!」
「……なんだその目は? あぁ?」
中年の農民は少年の頭を押さえ込み、男に謝罪するよう促すが、少年は今にも飛びかかりそうな目つきで睨んでいた。
カシマの守もまた、喰い殺す目で少年を睨んでいる。
カシマの守とは、カシマの地を統治する者という意味で、サーガ国の王から役職を授けられた有力な豪族を意味する。
「うるせぇ! なんでいつも俺だけ酷い仕打ち受けなきゃならねーんだ! みんなと同じようにちゃんと仕事してるだろーが!」
頭を押さえ付けていた中年の農民を払い除け、少年はカシマの守の懐に飛び込んだ――が、ポカっという小気味良い音のゲンコツが少年の頭を捉えた。
それはカシマの守のゲンコツではなく、彼の後方から現れた華やかな少女のゲンコツだった。
「やめなさい、潤。いつまで経っても悪さ坊主なんだから……。父上も、潤を虐めるのはやめて下さい」
「痛えよ邑! 俺は悪くねぇ!」
邑と呼ばれた少女は、見たところ少年より一つ二つ年上のようである。
そして、カシマの守の娘であった。
「邑様、だろクソガキめ! お前は奴隷、邑はカシマの守である儂の娘じゃ! 身の程をわきまえろ! 孤児であったお前を誰が十余年も食わせてやってると思ってる」
「もぅ……、父上は戻ってください。潤には私が話をしておきます」
娘の呆れ顔に、カシマの守は渋々と屋敷へ戻って行った。
いつの間にか、奴隷の少年――潤を押さえていた中年の農民や稲を運んでいた他の農民もこの場から離れて行ったようである。
豪族の娘――邑は、やれやれといった顔で農道の傍に腰を下ろした。
潤は、彼女の隣にゴロンと仰向けに寝転んだ。
「まったく……、どうしていつもいつも騒ぎを起こすのよ」
「へへっ。見たかよあのオヤジの顔。いい気味だぜ」
「潤……、そろそろあなた本当に追い出されるわよ?」
「あの臭え馬小屋なんて追い出されるまでもなくこっちから出て行ってやるよ」
「馬鹿ねぇ……。出て行って、どうやって生きていくつもり? 潤ももう十五歳なんだから、村の民たちと一緒に農耕に励んで、そのうち嫁をもらって、ちゃんと生きていくことを考えなさい」
「戦争孤児で拾われた俺は、今が十五なのか十六かわかりゃしねーよ」
「私が言っているのは年齢の問題じゃなくて、悪さ坊主は卒業してちゃんと大人になりなさいってこと」
「そう言えば邑、お前は十七になるんだっけ? 俺の心配より自分の心配したほうがいいんじゃねーか? カシマの守の娘と言ってもよ、人の頭引っ叩くような女、誰も嫁にとってくれないぜ?」
「やれやれ、子どもの頃から悪さ坊主の遊び相手してあげてたせいでね。あなたとの遊びは私の成長に悪影響しかなかったわ」
「トカゲ捕まえて丸焼きにして食ったりしたなー」
「それ、まだマシな方よ。あなたと一緒に民家の屋根に登って熟れた柿だけ全部取ってきたり、騎馬の練習だとか言って収穫前の野菜畑に馬で乗り入れてたりしてたわよ……。あなたのおかげで私まで悪ガキ扱いだったんだから」
「あー、あれは楽しかったなー」
「楽しかったわね……って、そうじゃなくて!」
子どもの頃の思い出話にユウの頬は秋の夕焼けに照らされて赤く染まった。
戦争孤児だった潤は、カシマの守の屋敷の馬小屋で奴隷として育てられ、年齢もさほど変わらない邑が幼い頃の遊び相手だったのだ。
小国同士の争いが絶えない時代、潤のような戦争孤児の多くは豪族など有力な権力者の奴隷として育てられることは珍しくない。
「私の貰い手がなければ、あなたが娶ってくれるかしら」
「おおいいぜ! 豪族の娘の結婚相手が奴隷だなんて、こんな面白いことはないな!」
「ふふふ、あなたらしいわね。豪族とか奴隷とか、どうして同じ人間に身分の差があるのでしょうね」
「国には王様がいるんだから、身分に差があることは当たり前なんじゃねーのか? サーガの国の他にもいっぱい国があって、それぞれに王様がいて、それぞれに豪族やら農民やら奴隷やらがいて、そいつらがそいつらの仕事をこなして、そうやって人の世界は上手く回ってるんだろうな」
「……潤、あなた熱でもあるの?」
「なんだよ急に」
「馬鹿のくせに正論言ってるからよ」
「馬鹿とはなんだ!」
「冗談よ」
豪族の娘、邑と奴隷の少年、潤は、笑いながら歩き始めた。
邑は屋敷に、潤は馬小屋に。
そして、日は暮れ、唐突として二人に別れの時がやってきた。