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サングラム  作者: 國崎晶
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俺とこいつの共通点




幽霊が来てから一週間、奴は俺にまとわり付き続けた。朝身支度が出来たら幽霊を叩き起こし、速やかに朝食を済ませ登校。幽霊が話しかけてくることに無視や筆談で対応し授業を終える。昼休みは屋上で幽霊の話し相手を務めながら弁当を食べる。ちなみに幽霊の昼食は登校時コンビニに寄って買っているが、その時の金は俺の財布から出ているということを理解してほしい。学校が終わるとなるべく早く家に帰り、自分の部屋に退避する。夕飯を食べ終えたあとは親の目を盗んで幽霊に飯を与え、風呂に入って寝る。一週間この繰り返し。そして、そんな日々に慣れ始めてしまった俺がいる。

土日だけは例外だった。俺は小遣い稼ぎに土日だけアルバイトをしている。朝の九時から三時まで、休憩一時間実働五時間、隣町のファミレスの厨房で働く。時給は悪くないし、俺は滅多に金を使わないから土日だけで十分。何よりこの仕事は、客の前に立たなくていいという点が気に入っている。

当然のように俺のバイト先までついてきた幽霊は、初めて入る場所に顔を輝かせていた。こいつの話を聞いている限り天国にも外食できる店があるようなのたが、いったいどこが面白いのだろうか。何にせよ仕事がやりにくくて散々だった。他の奴は視えないからいいかもしれないが、俺からしてみればすぐ側でペチャクチャうるさかったり視界を遮られたりでたまったものではない。狭い厨房内で幽霊を避けて動いていたら周りのスタッフ達に変な顔をされたし。

それと、母親のパートの仕事が休みの日も悲惨だ。朝は家に誰もいないから好き勝手できるのだが、母がいるだけで意識を張り巡らせておかなければならない。幽霊は遠慮しないし母には神経を使うし、気が休まる暇がない。……朝食代もかかるし。

そんなこんなで四月十四日、火曜日。四時間目現代文の授業中。相も変わらず幽霊は俺に話しかけていた。周りに人がいる時は静かにしてろと言っているのだが、何回言っても聞かないのでもう諦めかけている。

「なぁ和輝、見てみろ。隣の席のやつノートに落書きしてるぞ。めっちゃくちゃ上手ぇ!」

幽霊は右隣の戸田のノートを覗き込みながらこちらに手招きした。戸田、さっきから熱心にノート取ってると思ってたら絵なんて描いてたのか……。戸田はクラスでも大人しいタイプだし、授業中に近くの席の奴とベラベラ喋るよりはマシだとは思うがな。

俺からの反応がなかったからか、幽霊は戸田の隣りから俺の隣りへ戻ってきた。視界の端でうろうろされると鬱陶しくて仕方がない。教壇の教師が黒板の文字を消し始めたので、俺は慌ててシャーペンを動かした。

「なぁ和輝、今日学校終わった後暇か?」

俺が必死に板書している時に平気で話しかけてくる。少しは空気を読んでほしい。俺は黒板の文字を全て写し終わってから、その幽霊の言葉に返事をした。

【俺が普段夕方に用事ないの知ってるだろ】

ノートの端でそう答えてやると、幽霊は顔を輝かせた。いったい何を企んでいるんだ。俺は書いたばかりの文字を消しゴムで消した。ノート提出の際このままではいけない。

「ならさ、ならさ、放課後この辺案内してくれよ!」

【何でだよ】

「オレ観光したいって言ってただろ」

【あれマジだったのかよ】

「な!頼むよ、迷子になったら困るだろ?」

【俺は困らない】

「冷てぇ!冷てぇよ和輝!なぁ、ちょっとくらいいいだろ?だって家帰っても和輝暇そうにしてんじゃねぇか」

【いやだ】

「お願いしますっ!この通りっ!」

【いやだ】

「ケチ!ケチ和輝!」

【お前にかまってるほどヒマじゃない】

「ケチケチケチケチケチ!ドケチ!」

幽霊は顔の前で合わせていた手の平を一瞬にして解除し、「ケチケチ」とわめき始めた。うるさくて仕方がないが、まぁ放っておけばそのうち諦めるだろう。

【うるさいしずかにしろ】

しかしこのままでは教師に当てられた時に反応できなくて困るので、もう少し控えめにわめいてもらうことにした。ノートに抗議の言葉を書き、横の幽霊を見る。そこで気付いた。教室が静かだ。幽霊のわめき声も教師の声も聞こえない。

「?」

不思議に思って顔を上げると、幽霊があわあわしながら俺とその隣を交互に見ていた。幽霊の視線を辿ると、俺の目の前には先程まで教壇にいたはずの教師が立っていた。そして幽霊と教師だけでなく、このクラスのほぼ全ての目が俺に向いている。

「朝波君、君はさっきまで私が何について話していたかかわるかね?」

「え?いや、ええと……」

チラッと隣の幽霊を見る。あからさまに視線をそらされた。

「そりゃあわからないだろうねぇ、授業中にノートに落書きなんてしてれば」

俺は幽霊と筆談していた箇所を隠そうと咄嗟に手を伸ばしたが、教師の方が一瞬速かった。このクラスの現代文担当である田西教諭は素早く俺のノートを取り上げると自分の顔の前に広げた。

「なになに?うるさい静かにしろ、と。なるほど、君は私への悪口をせっせとノートに書いていたということかな?」

「いや、違うんですよそれは」

何でよりによってこのタイミング!俺は横目で右隣の席を見た。さっきまでノートに漫画を描いていた戸田は、今は机にシャーペンを置いて膝の上で両手を握っている。俺じゃなくてこいつに注意しろよ!

「違うならこれは何なんだね?教壇からは君が落書きする姿がしっかり見えていたが」

なら戸田の落書きだって見えてただろ!何なら前の席の瀬川がスマホいじってたのだって見えてたはずだろ、いい加減にしろ!差別だこれは!

結局俺はそれから約十分もねちねちと説教を受け、クラス中から注目されるはめになった。この教師はねちっこくて嫌いなんだ。これから一年間こいつの授業を受けなければならないと思うと気が重い。一、二年の時の現代文の担当は器もでかいし授業もわかりやすいいい爺さんだったのに……。

「和輝ごめんな。怒ってるか?」

残りの授業中妙に静かだった幽霊が、授業終了のチャイムが鳴るなり声をかけてきた。昼休みに入り、教室中が一気に騒がしくなる。

俺は幽霊の声は聞こえていたが、カバンを持つと無言で立ち上がった。幽霊はおたおたしながら俺の周りをうろついていた。こいつにも一応反省するという機能がついていたのか。

ガタッという音に意識を向けると、後ろの席の大名がイスを引いたところだった。イスから立ち上がるという大名の次の行動が予測できたので、俺は素早くその場を後にした。立ち上がった大名が俺の背中を見ている……ような気がした。

教室を出る時に、ドア近くで弁当を広げていた女子グループに声をかけられた。さっさと教室を出たいのに……と内心で文句を言いながら、笑顔で対応する。

「朝波、あんたさっきどうしたの?田西に捕まるなんてさ」

「ちょっと油断してた」

「去年先輩に聞いたけどさ、田西ってマジねちっこいからあんた次からも狙われるよ」

「マジかよ、最悪だな」

「とにかく気をつけなよ。あのオッサン可愛い女子にしか甘くないんだから」

「ああ、そうするよ。ありがとな」

俺は長くならないうちに話を打ち切って、さっさと廊下に出た。他のクラスに行く奴や購買に行く奴で廊下は普段より賑わっている。俺はそいつらの隙間を縫うように階段を目指した。幽霊も律儀に人を避けながら俺についてくる。

俺は人目を気にしながら敏捷に屋上への階段を上がった。ドアのチェーンに引っ掛けておいた南京錠をはずし、静かに狭くドアを開ける。その隙間に身体を滑り込ませ、ドアの横に用意しておいた五十センチ四方の鉄板をドアに立てかけた。すでに慣れた動きだ。

カバンを肩にかけ直しつつ給水タンクに沿うように歩く。ドアのちょうど逆側に腰を下ろし、カバンから弁当箱とコンビニで買ったパンを取り出した。

「ん」

目の前で未だにわたわたしている幽霊にコンビニ袋ごとパンを差し出すと、幽霊は安心したように表情を緩めパンを受け取った。何だか犬に餌付けしてる気分だ。

「和輝、ごめんな。さっきオレのせいで怒られたんだよな」

「まぁお前がいなかったら怒られなかっただろうな」

幽霊は「うっ」と声を漏らし、再びあわあわしたが、結局俺の隣に腰を下ろした。いつからそうしているかは忘れたが、こいつは昼休みだけ実体化して、俺の隣に座るのだ。

「まだ怒ってるか?」

「もう怒ってねーよ。俺のスルースキル不足のせいだ」

「ほんとか!?ほんとにもう怒ってないのか!?」

「そう言ってるだろうるせーな」

幽霊は途端に笑顔になると焼きそばパンの封を開けた。俺はすでに広げていた弁当箱からウインナーを摘んで口に放り込む。

「なぁ、今日の放課後どっか行こうぜ」

「嫌だって言ってるだろ」

「何でだよー。いいじゃねぇな。家帰ってもどーせすること無いだろ」

「アホか。家に帰ったら全力で休むんだよ」

「休むのは明日だって出来るだろ。じゃあ今日休んでいいから明日行こう、な!」

「明日でも明後日でも嫌だよ。面倒くせー」

チラッと横に目をやると、幽霊がジトッとした眼差しで俺を凝視していた。俺は構わずに弁当箱に視線を戻し、卵焼きに箸を突き刺した。

「つーか行きたきゃ一人で行けばいいだろ。お前ならバス代も電車賃もかからないんだし」

「一人で行っても楽しくないだろ。それに部下達が探しに降りてきてたら困る」

「お前がその部下に見つかったって俺は何もしてやれねーぞ」

「いいよそれでも。だから一緒に来てくれよ」

俺は卵焼きを飲み込むと大きく息を吐いた。

「しょうがねーな。で、どこに行きたいんだよ」

「やったー!さっすが和輝!信じてた!」

幽霊はひとしきり喜んだあと、ようやく俺の質問に答えた。これが答えと呼べればの話だが。

「ちなみに行き先は決めてない。気の向いた方へ進む計画だ」

「はあ?お前そんなんに人を付き合わせるつもりか?」

「だってオレはこの辺知らないし……。和輝が案内してくれよ」

「言っとくけど今日だけだからな。あと時間かかるようならお前置いてさっさと帰るぞ」

幽霊はへらりと笑いながらぶんぶんと首を縦に振った。俺は箸を握り直して食事を再開する。なんか絆されちまってるなぁ。俺こんなキャラじゃなかったと思うんだけど。

「なぁ和輝、今日の夕飯何だろうな」

「さあなぁ。昨日は煮物だったから今日は洋食か中華じゃね」

「オレあれがまた食べたいな。ハンバーグ」

「それは無理だな。ハンバーグは人数分しか作らないから」

「えー!何とかしてくれよ和輝!」

「どうしろっつーんだよ。つうかな、お前はもっと俺に感謝しろよ。親の目盗んで飯持ってくの大変なんだぞ」

更にその後の皿洗いや風呂での見張りについての大変さをわからせてやろうとしたその時、ガタンという金属がアスファルトに当たる音が聞こえて俺と幽霊は肩を跳ねさせた。ドアに立てかけておいた鉄板が倒れたのだ。それはつまり、内側からドアを開けた人物がいるということ。

幽霊は肩が跳ねるのと同時に霊体化した。それと一緒に、手に持っていた焼きそばパンも俺以外には視えなくなる。いったいどこのどいつだ?この屋上に入ってくる奴なんてそうそういないはずだが。それとも、入学したての一年生が鍵が開いているのを見つけて入ってきたのか?

相手の足音に意識を集中させながら息を殺していると、屋上にやってきた人物が給水タンクの裏から姿を表した。その顔を見て俺の眉間に自然とシワができる。

「朝波。いつもこんなところで弁当食べてるの?」

給水タンクの裏から姿を表したのは同じクラスの大名瑞火(おおなみずほ)だった。ちょうど真後ろから日を浴びて、その表情の乏しい顔は影になっている。

「屋上って立入禁止じゃなかったっけ。いつからここで食べてるの?」

「お前こそ何しに来た?屋上は立入禁止だぞ」

大名の質問を二回もスルーしたせいか、大名は俺の質問に答えなかった。だが、数歩あった距離をゆっくりと詰めると、風のせいで乱れた髪を耳にかけ直して俺を見下ろした。

「私もここで食べていい?」

「お前がここで食いたいなら俺は席を外すけど」

大名が近付いてきた時点で俺の隣から立ち上がっていた幽霊は、俺と大名の間で困惑しながら二人の表情を交互に見ていた。この能天気にもこの場の雰囲気が最悪だってことはわかるみたいだ。

「言い方が悪かったわ。あなたと一緒にお弁当を食べてもいい?」

何だこれは戦争か?昼食に誘う顔じゃないし、たぶん俺も誘われてる顔じゃない。幽霊は相変わらずおろおろしながら、俺の答えを待っている。普通に考えたらもちろんノーだ。だが相手から仕掛けてきた今、断ると逃げたことになる気がする。いいだろう、ならこっちも受けて立とう。

「勝手にしろ」

「そうさせてもらうわ」

大名はそう答えると俺の隣、さっきまで幽霊がいた場所に腰を下ろした。居場所を失った幽霊は、俺と大名の前で膝を抱えてしゃがみ込んだ。

一、二分沈黙が続いた。俺は引き続き箸を動かし、大名はカバンから弁当箱を取り出した。先に口を開いたのは大名だった。

「誰かここにいたの?」

俺はその問を聞いて、飯を喉に詰まらせそうになってしまった。目の前の幽霊も目を真ん丸くして驚いている。何故わかったんだ?この位置じゃドアの前までは声も聞こえないだろうし、まさか視えているなんてことは……。俺はなんとか冷静になって飯を飲み込み、なるべく平静な声で答えた。

「何でだ?」

「ここに誰かのパンがあるから」

大名はそう言って、自分のすぐ右脇にあったコンビニ袋を俺に見せた。中には封の切れていないメロンパンとパック入りのジュースが入っている。

俺はつい幽霊を睨みつけた。幽霊は両手を合わせて必死に謝罪の意を表している。幽霊が霊体化した時に持っていた焼きそばパンは一緒に視えなくなったが、脇に置いておいたコンビニ袋はそのままなのだ。真新しいパンがこんな所に置いてあるのは明らかにおかしい。

「それ、俺が来た時にはもうあった」

「そう。意外とこの場所使ってる人がいるのね」

俺は声が震えないように気を付けながらどうにか取り繕う。大名はパンを少し離れた位置に置き、箸箱から箸を取り出した。幽霊は「セーフ」みたいな表情とジェスチャーをしているが、俺はその顔面を無性に殴りたくなった。

その後数分間、俺達の間に完全に会話はなかった。幽霊はどうしていいかわからないという顔をしていたが、結局何か行動を起こすことはしなかった。先に口を開いたのはまたしても大名だった。

「さっきのあれは何だったの?」

「あれって何だよ」

「授業中の落書き」

どうしてさっき教室で女子グループに話しかけられた時と同じ顔ができないのだろう。同じ話題なのに、笑顔を装うことができない。何故だかわからないが、俺はこいつのことが嫌いなんだと思う。

「授業中ノートに落書きしたら悪いか?」

「あなたらしくないじゃない」

俺らしくないだと?たしかに授業中ノートに落書きをするなんて、完璧に俺らしくない。実際ノートに落書きなんて初めてしたと思う。だが、お前は俺の何を知っているというんだ?「あなたらしくない」という言葉が出るほど、俺とお前は仲が良かったか?

「何を書いていたの?」

「お前には関係ないだろ」

俺は残り少なくなった飯を急いでかき込み、弁当箱を手早く片付けて立ち上がった。弁当を食い終われば俺がここにいる理由は無い。

「もう行く」

一応一言告げてから歩き出す。幽霊も慌てて立ち上がった。さっさと教室に帰ろう。そう思ったが、数歩進んだところで大名が俺を引き止めた。その言葉に俺はつい足を止めてしまったのだ。

「まだ見えてるって言うの?」

振り返った。大名は同じ体勢でそこに座ったまま、俺の目をじっと見ていた。外側に跳ねた毛先が、斜めに流した前髪が静かな風に揺れる。

俺は今どんな顔をしているだろう。呆然としている?それとも相手を睨みつけている?何故だか、俺は大名から目を離せなかった。その黄色い瞳があまりにも懐かしい色をしていたからかもしれない。

「和輝?」

幽霊の声でハッと我に返った。幽霊が不思議そうに俺の顔を覗き込んでいる。もう大名の顔は見えない。俺は幽霊の向こうにある大名の目を見ていたのだ。いったいどれくらいの時間そうしていたんだろう。十秒にも感じたし、十分にも感じた。

結局俺は何も答えられずに屋上を後にした。大名は何も言ってこなかった。俺はもう、大名がどんな顔をしているか確かめることができなかった。俺と大名の間に入ってくれた、おそらく無自覚であろう幽霊の行動に感謝したい。




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