俺と気持ちの爆発
六月二十六日金曜日。四時間目の授業終了のチャイムが鳴り終わった途端に、目の前の背中がムクリと起き上がった。前の席の瀬川は今日二時間目に登校してから、三時間ぶっ続けでずっと居眠りをしていた。普段からスマホを操作したりしていれどここまで明確なサボりはなかったから、おそらく今日はどうしても眠かったのだろう。
四時間目の終了、つまり昼休みの開始と共に目覚めた瀬川には悪いが、今はこいつに用がある。俺は立ち上がると瀬川の机の横に立った。
「瀬川」
声をかけると、瀬川は「何?」という顔で俺を見上げた。いや、喋れよ。
「五、六時間目の講演会の資料作り、俺とお前に押し付けられてる。昼休み視聴覚室に来いだって」
「え……聞いてないけど」
「まぁ、お前寝てたからな」
瀬川は明らかに嫌そうな顔をした。そりゃ俺だって嫌だよ。何で弁当食う時間返上してそんな内職しなきゃなんねーんだ。それにしても、前の席の瀬川は表情に乏しいやつだと思っていたが、こういう感情はわかりやすく前面に出してくる。
「つーか、お前が寝てたせいだぞ。三時間目の数学で、三宅がお前を指名したんだよ。で、後ろの俺が巻き込まれた」
瀬川の席は左右前全て女子生徒が座っている。おそらくオッサンである三宅は、女子生徒を巻き込むより俺を巻き込んだ方が自身に降りかかる被害が少ないと考えたのだろう。
「なら僕らはいつご飯を食べるの?」
「弁当食いながらやれだと」
「終わるわけがない」
「それは同感だが、もう一度言うぞ。俺はお前の巻き込み事故だ」
今日の五、六時間目は、三年生を全員体育館に集めての講演会だ。講師としてリハビリ施設の院長が来校し、主に発達障害について話をするらしい。その時に生徒に配る冊子作りを俺達二人が押し付けられたのだ。何でも今回の講演会の進行担当が三宅教諭らしく、自分の担任クラスの適当な二人を選出したというわけである。今日は居眠りをしている瀬川を選べば他の生徒のブーイングを受けることも少ないという考えの元のチョイスだろう。つまり俺は完全なる巻き込み事故だ。
「ねぇ、なら私も手伝おうか?それ」
そう声をかけられ、俺と瀬川は顔をそちらに向ける。おそらく昼食が入っているてあろうスクールバッグを手にした、このクラスの委員長の古之河夏海が立っていた。
「ありがたいけど、悪いだろ。友達待ってるし」
古之河の二、三歩後ろで、彼女の友人二名が成り行きを見守っていた。
「全然大丈夫だよ。人手多い方がいいでしょ」
俺は瀬川に「どうする?」という視線を向けた。瀬川は悩むそぶりを全く見せず、古之河の目を見てこう答えた。
「ありがとう古之河さん。助かるよ」
その一連の流れを見て俺は思わず無言になった。なんてふてぶてしい奴なんだ。せめて悩むフリでもしたらどうなんだ?
「気にしないで、みんなでやれば終わりそうだね」
古之河は待たせていた友達に一言謝罪し、鞄を肩に掛け直した。
「さっ、時間もないしさっさと視聴覚室行っちゃおうか!」
瀬川が立ち上がり、俺も机の横にかけておいた鞄に手を延した時、俺の後ろの席の大名が立ち上がった。
「ねぇ、私も暇だから手伝いに行ってもいい?」
俺は固まり、瀬川はゆっくりと振り向き、古之河は一瞬だけ表情を消して悩んだ。
古之河が何に悩んだかはわからないが、俺と彼女は思考するにあたり確実にスタートダッシュが遅れた。この場で悩む必要がなく答えが返せるのは一人だけだった。もちろん瀬川だ。俺達が一瞬迷った隙に、瀬川はさっさと返事をした。
「いいの?手伝ってくれると嬉しいけど」
「気にしないで。別に昼休み約束してる友達もいないし」
「そう。じゃあお願い」
瀬川と大名の二人だけでさっさと話はまとまり、彼らは鞄を肩にかけいよいよ教室を出る準備をした。
大名がいると居心地の悪い俺は、なんとかこいつを排除できないかと古之河の方に目を向けた。古之河は自分の中で計算が終わったらしい。いつも通り人気者の笑顔を貼り付けて大名に言った。
「ありがとう大名さん。四人でやれば余裕で終わりそうだねっ」
古之河がそちら側についたのなら、俺はもう諦める他ない。俺の表情を覗き込んで、一部始終を見ていた幽霊が「まぁこんなこともある」と言った。




