俺と現実の悪夢9
家に帰ると八時前だった。朝出掛けて夜帰ってきた俺に、母親は満面の笑みで「おかえり」と声をかけた。友達と遊んできたと思ったのだろう。風子には友達がいないが、まぁ俺にも友達はいないからな。
帰ってきてとりあえずリビングに顔を出した俺に、母さんは何か広告のような物を差し出した。わざわざリビングのテーブルに用意してあったものだ。
「何だよこれ?」
「納涼祭。来月あるんだって」
「いや何で俺に渡すんだよ」
「和輝毎年興味なさそうにしてたけど、今年は行くかなって」
「いやだから何で」
「も〜う、お母さんに隠さなくたっていいのよ」
母さんは俺の二の腕をバシバシと叩いた。
「あんた最近彼女できたんじゃない?」
「できてねーよ」
「まぁまぁ、無理に喋らせようなんて思ってないから。とりあえずこれ持っていきなさい」
そう言って母さんは俺の手に納涼祭の広告をねじ込んだ。正解に微塵もかすっていない誤解を解きたかったが、これ以上やり取りを続けるのも面倒臭そうだ。それに幽霊が帰ってきているか早く確認したい。俺は黙って広告を受け取ると、さっさとリビングを後にした。
二階の自室を開けると、ベッドの上で横になっている幽霊と目が合った。彼は飛び起きるとその場であぐらをかいた。
「よすがは?」
「出かけた。さっきまでいたけど」
「出かけたって、大名のところに戻ったわけじゃねーのか?」
「たぶん違う。真面目なやつだからな。一人反省会してるのかなって」
「なるほど」
俺は勉強机のイスを引き出すと腰掛けた。手にしたままの納涼祭の広告を適当に机の上に置いて、脚を組む。
「昼間の化物が悪霊ってやつか」
「うん。よすがから聞いたのか?」
「この間お前が風呂に入ってる間にちょっとだけな。悠葵ちゃんを放っとくと悪霊になるぞって注意された」
「ああ、もちろん悠葵もいつかはああなる」
若干の間ができた。俺はすぐに口を開く。
「すげー強かったな。あの化物。死んだかと思った」
「悪霊はその気になれば人を殺せるからな。自我がなくなってただ暴れ回るんだ。霊子の暴走って感じだな」
「あの犬連れた女の人、無事かな」
「大丈夫だと思う。被害が出なくて良かった」
「悪霊は生身の人間に干渉できるのか?」
「オレ達が具現化できるのと同じだ。霊子が衝撃で一時的に力を増すと、悪霊の意思に関わらずこっちの世界の物に触れたりできる」
「なるほどな。……お前は怪我とか大丈夫だったのかよ」
「オレはなんともないぞ。よすがは脚を挫いたらしい。腫れてた」
俺は脚を組み直して居住まいを正した。
「悠葵ちゃんはどうだった?追いかけたんだろ?」
その言葉に、幽霊は左右に首を振った。ハネ散らかした天然パーマの毛先がふるふると揺れた。
「今は一人になりたいって、もう喋ってくれなかった」
「そうか」
「悠葵からしたら、オレ達もあいつと同じ天界の存在だもんな」
「あいつが死神なのか?」
「うん。よすがからどこまで聞いてる?」
「たいしたこと聞いてねーよ。浮遊霊を連れてくのが死神の仕事ってことくらい」
「そうか。まぁそれがわかってたら全部知ってるようなもんだ」
幽霊は脚を伸ばして、ついでに全身で伸びをした。猫みたいだ。
「どんな奴だった?死神。モヤが酷くてオレとよすがからは全然見えなかったんだよ」
「若い男だったぞ。黒髪で、毛先すげー揃ってんだけど、こっちがこの辺で、こっちはこの辺なんだよ」
そう言いながら俺は右手の平の小指側の側面を右耳に当て、左手は同様に左顎に当てた。
「で、けっこうフランクな感じの喋り方だった。軽い感じ」
「てことは、花韮野次郎だな。あいつかー。オレ達が出て行っても上に告げ口しなかったかもな、もしかしたら」
「仲間になりそうな奴なのか?」
「面倒臭がりなんだ、あいつ。どんな話したんだ?」
「悠葵ちゃんのことだけだよ。見つけたら祓うって」
「そうか」
階段を上がる足音が聞こえて、部屋のドアがノックされた。母さんが夕飯が必要かを聞きに来たらしい。俺は腹がペコペコだったので、迷わず夕飯を食べる選択をした。部屋のドアを開ける時、背後から幽霊のでかい腹の音が聞こえた。




