俺と現実の悪夢2
「で、結局何もなかったな」
「まぁこんなもんだよな。オレだってずっと探してるのにそんな簡単に見つかったら驚くぞ」
幽霊はこう言っているが、俺がメモ帳にバツ印をつけるたびにがっかりしていることを知っている。人数が増えただけの違いだが、今までと違うこの雰囲気が、今日は何か見つかるような気にさせるのだ。
滋賀銅鐸の森から出た俺達はバス停へと向かった。さすがにそろそろ風子を家に返さなければならない。
「風子、兄貴は大丈夫か?」
「うん……あ、お兄ちゃんからメッセージきてる……」
スマートフォンを確認した風子はそう言ってメッセージを開いた。返信に悩んでいるところを見ると、帰りが遅いことを怒られたのかもしれない。
スマホに注目しながら歩く風子のペースに合わせて、全員の歩みがゆっくりになる。無言に耐えかねたのか幽霊が何か言いかけた時、前方を見ていた悠葵ちゃんが気抜けした声をポツリと落っことした。
「あ、あれ……」
悠葵ちゃんの声にまず幽霊がそちらを向いた。何か面白いものでも見つけたと思ったのだろう。こういう子供心に真っ先に付き合ってやるのはたいていこいつだ。幽霊は悠葵ちゃんが中途半端に持ち上げた人差し指のその先を見て、目を見開いた。
幽霊がそれを確認した時、よすがが前方を振り向いていた。彼女は後方の俺達の方を見ていたため反応が遅れた。よすがのおかっぱ頭の毛先が揺れて、驚きに震える睫毛を俺から隠した。
これが集団の前方を歩いていた三人の反応だ。後方の俺と風子が反応したのは、幽霊が叫んでからだった。
「走れ!!!!」
その声が聞こえた瞬間、俺は肩をどつかれてよろめいた。よろめいた勢いでもと来た道を走り出す。
「え?え?」
一拍も二拍も遅れて、俺をどついたのは実体化した幽霊だと理解した。状況がまだ理解できていない風子は、幽霊に腕を引かれてわけもわからぬまま走っている。その隣でよすがが悠葵ちゃんの腕を引いているのだが、今の俺ではそれに気づく余裕がなかった。
「振り向くな!走れ!」
幽霊がまた叫ぶ。俺は懸命に脚を動かした。前へ、前へ。背後からうめき声が聞こえた気がした。
「きゃああああ!」
風子の悲鳴で思わず振り返る。振り返って後悔した。風子も気になってつい後ろを見てしまったのだろう。顔面蒼白になる風子、珍しく真剣な顔の幽霊、眉間にしわを寄せたよすが、ほとんど泣き出す寸前の悠葵ちゃん。その後ろに、化物がいた。
「ーーーー!」
俺は恐怖のあまり声が出なかった。風子の荒い呼吸音が聞こえる。恐怖心で俺の走るスピードも落ちていた。
「和輝!走れ!あの角まで!」
俺は懸命に走ったが、脚が思うように動かない。身体が重たい。言うことを聞かない。もともと運動は得意でないのだ。俺のスピードなどたかが知れている。このままでは追いつかれる。それってつまり、死ーー。
「ぅああぁあぁぁああ」
悠葵ちゃんが泣き出した。恐怖に耐えられなかったようだ。悠葵ちゃんと風子の手を引きながら走るよすがと幽霊は思うようにスピードを上げれない。
「〜〜!」
俺は再び振り返ってしまった。みんながちゃんとついてきてくれているか不安だったからだろう。結果から言えば、みんなしっかりと俺の後ろにいてくれた。そして、化物と目が合った。
「うわぁあ!」
「和輝!前見て走れ!」
化物は黒くて、ドス黒くて、影に目がついているみたいだった。違う、ちゃんと見ればわかる。人間みたいな形の本体から、真っ黒な湯気みたいなのが出て揺蕩っているのだ。それで化物を実物よりも何倍にも大きく見せている。
真っ黒な人間みたいな化物は、黒くて何もわからない癖に、目だけがギラギラ光っていて、その二つの目で俺を睨みつけてくる。その化物が俺達の後ろ五メートル程のところまで迫っているのだ。
「きゃぁああああ!」
「!?」
五人の中の誰のものでもない悲鳴に、俺は三たび振り返った。二十代半ば頃の女性がアスファルトの上に倒れていて、その上に化物がのしかかっている。ジャージにTシャツというラフな格好と、すぐ隣で吠える小型犬を見るに、犬の散歩中だったのだろう。おそらく霊の類が視えない彼女は、突然押し倒されて身体も動かせずパニック状態のはずだ。
「よすが!」
「はい!」
よすがは悠葵ちゃんの手を離すと、足元の霊子を蹴って突撃した。普通の人間では有り得ない、バネでも蹴ったかのようなスピードで化物に突っ込んでゆく。
「おい!よすがが!」
「大丈夫だ!よすがは強い!」
幽霊はそう言いながらも、風子を俺に預けた。俺が風子の両肩を受け止めたのと同時に、彼はよすがの加勢に飛び出していった。




