俺とあの日の記憶7
雨がざあざあ降る音が聞こえる。夜中の二時。布団の中で目を閉じて、雨が屋根やアスファルトを叩く音を聞いていた。
「なぁ」
「どうした?和輝」
やにわに声をかけると、幽霊はすぐ返事をした。いびきをしていなかったので、まだ起きているのは知っていた。
「そういやお前さ。その想い出ってのが見つかったら、その後どうすんだ?」
「う~ん……。そうだなぁ……」
ゴソゴソと布が擦れる音がする。どうやら寝返りを打ったらしい。幽霊はしばらく考えてから答えた。
「そのうち上に帰るんじゃねぇかなぁ」
微睡みの中で言ったような、ゆっくりした声だった。
「そうか」
「寂しくなるか?」
「調子乗んなよ」
「わかってるわかってる」
幽霊のニヤニヤとした笑顔が目に浮かぶようだ。これ以上言っても不毛だと、俺は口を閉じた。
「天界に帰ってもさ、佳子に会えるわけじゃないんだ」
雨がざあざあ降る音が聞こえる。それがどこか遠くの世界のように感じて、俺は一生懸命になってまぶたを持ち上げた。
「和輝だったらどうする?」
幽霊が首をひねってこちらを向いた。たぶん。見えていないけれど。でもわかる。
「お前は帰った方がいいよ」
「寂しくならないか?」
「お前にはお前の住む世界があると思うし、待ってる人もきっとたくさんいる。ずっとはいない方がいい。……と思う」
よすがを見ててもそう思う。きっとこの世界にいるべき存在じゃない。でっかい羽根を背中に生やしたこいつらには、地上は少し窮屈そうだ。
幽霊は俺の答えを聞いて、三つ数えるほどの間をあけると、「そっか」とだけ返事をした。
雨が激しい。六月に入ったばっかりなので、梅雨というわけではないだろう。
幽霊と出会って約二ヶ月。水祈が死んでから一年と二ヶ月だ。
「覚えといてやるよ。お前のこと」
暗闇に慣れてきた目をそっと閉じた。ようやく眠たくなってきた。
「大人になって仕事始めて家族ができてジジイになって死ぬまで、お前みたいな間抜け面の神様がいたこと、忘れないでおいてやる」
返事はいらない。もう寝る。眠いんだ俺は。
「ありがとな。和輝」
鋭くなった聴覚に、幽霊の声がそっと滑り込んできた。
「和輝がさ、おじいさんになって天寿を全うしたらさ、また上で会おうな」
人は忘れられたら死ぬと思う。俺は水祈のことを思い返す。かつてのクラスメイトや近所の人達から忘れられてゆく水祈を、せめて俺の中でだけでも生かしたい。生きていてほしい。
だからきっと、俺はこの幽霊のことも思い返すだろう。俺のエゴのためだけに。地上で生きたこいつを殺したくないから。
俺はいつも記憶を辿っているのだ。記憶ってものは酷く曖昧で、どんなに忘れたくないことでも脳から消えてしまったり、都合のいいように勝手に改竄されたりする。俺は忘れたくない思い出を忘れないために記憶を辿るのだ。この先俺が社会人になって、結婚して、子供が生まれて、よぼよぼになって死ぬまで、この想い出を俺の中に残すために、何度も何度も同じ記憶を辿るのだ。
俺は、お前も俺と同じだってまだ信じている。
お前は忘れられ死んでゆく恐怖を知っているはずだから、お前のこともずっと覚えておいてやる。俺が必死に記憶をなぞっているみたいに、お前が想い出の欠片をかき集めているように、お前のことを何度も何度も思い返してやるよ。約束だ。




