俺とあの日の記憶6
「お、よすががいるぞ!ほら和輝見てみろ!」
「見えてるっつーの」
六月一日、月曜日。夕方の四時。学校を終えた俺は、幽霊と共に近くの花屋に来ていた。尾田花店。野洲高校から徒歩五分のところにある、よすががアルバイトをしている花屋だ。
この幽霊が、よすががバイトをしている姿を見たいと騒ぐからわざわざ寄り道したのだ。まぁ俺も一目見てやろうと思っていたので、どちらかというと乗り気で着いてきたのだが。
俺達が塀の陰からこっそり覗くと、よすがはちょうど店先で接客をしているところだった。どうやら花の色の合わせ方について聞かれているらしい。会話が聞こえるわけではないが、よすがと客との雰囲気でわかった。
「あいつ、ちゃんと答えられんのかよ」
「よすがが花選んでるぞ!」
俺の心配をよそに、よすがは手早く二、三種類の花を選び、ひとまとめにして客の顔の前に差し出した。黄色とオレンジの大ぶりの花に、小ぶりの白い花を合わせたようだ。ところどころから覗くグリーンもアクセントになっている。
「えぇ~。あいつすげーセンスあるじゃん」
「さすがよすがだな!」
「あの仏頂面からあのセンス出てくるって誰が予想できんだよ」
客の男性はよすがのアレンジを気に入ったらしく、そのまま彼女にブーケ作りをお願いしたようだ。二人連立って店の中に入ってゆく。
「バイト始めてまだ三週間くらいしか経ってねーぞ」
「もう花束作りまで任されてるなんて、よすがはほんとにすげぇ奴だなぁ」
「人は見かけに寄らないんだなぁ……」
笑う時といえば俺を小馬鹿にする時くらいである万年仏頂面なよすがだが、花束を見繕う繊細な感覚を持ち合わせていたらしい。どちらかというと花なんて枯らすか握りつぶしてしまいそうなイメージだが。
しばらく外で待っていると、先程の男性が黄色い花束を持って出てきた。男性は満面の笑みで礼を言い、よすがは無表情で頭を下げた。男性とすれ違うようにして俺達は店に近付く。
「江戸川様!いかがなさいましたか」
「おい、俺もいるんだが」
俺達にすぐ気が付いたよすがは、隣の幽霊に駆け寄った。どうやら俺のことは見えていないらしい。目の病気なのだろうか。
「よすがの様子見に来たんだよ。頑張ってるかなと思ってさ」
「江戸川様の補佐程ではありませんが、なかなかやりがいのある仕事ですよ。お客様の喜ぶ顔が目に見えるのがいいですね」
客の表情が判別できるのか。どうやら視力は正常らしい。俺の表情にも目を向けてもらいたいところだ。
「よすがは真面目だし、努力家だからな。どんな仕事もこなせると思うぞ」
「嬉しいお言葉です。来週からは寄せ鉢を教えてもらえる予定なんです」
「もうそんなに仕事を覚えたのか!よすがはすごいなぁ」
俺はニコニコしながらよすがを褒める幽霊の横顔を横目で見た。褒められたよすがも明るい雰囲気を放っている。その明るい調子でよすがは言った。
「江戸川様のお仕事の調子はいかがですか?確かお仕事を始めたのは私と同じ頃だったかと記憶していますが」
幽霊の表情が一気に曇った。俺は心中を察して、しかし気の利いた言葉も浮かばずそのまま黙っていた。静けさを増す俺達によすがが訝しげに眉根を寄せる。
「江戸川様は休日のみのご出勤ですものね。まだ出勤回数も少ないでしょうし、お仕事を覚えるのはこれからですね」
よすがに悪気はないのだろう。出勤回数を重ねてゆけば新しい仕事を教えてもらうことになるだろうし、お互いに頑張りましょうね。と言っているのだ。しかし幽霊と俺の口元には引きつった笑みが貼り付いていた。
「大名さーん」
その時花屋の店先に、店長らしい中年の男性がエプロンで手を拭きながら現れた。よすがの姿を見つけ、それから俺達を認識する。彼は数歩分の距離をこちらに近寄ってきた。
「お友達?ちょっと中でやってもらいたい仕事があるんだけど、後のほうがいいかな?」
「いえ、大丈夫です。こちらこそ怠けていて申し訳ございません」
「いや、すまないね。今から取りかかれば上がりの時間までには終わると思うから」
よすがは「では」と言って幽霊に小さく頭を下げると、店の中へ姿を消した。よすがの態度を見て、店長は俺のことを学校の先輩だと思ったかもしれない。実際よすがが頭を下げたのは幽霊に対してだがもちろん店長に視えているはずはなく、しかも俺は制服のままここに来たので、店長がそういう勘違いをしても無理はない。大名の戸籍を使っているならよすがと俺は同い年という設定のはずだが、そんな細かいことを覚えてはいないだろう。
「よすが、すごかったな。あんなに要領よく仕事を熟していて……」
「ああ、お前とは大違いだな」
実は昨日、俺は駅近くのスーパーに、幽霊の仕事ぶりを視察しに行ったのだ。俺と幽霊はほとんど同じような時刻にバイトをしているので奴の働いている姿を見ることは難しかったのだが、昨日は俺のバイト先のファミレスが近年稀に見る暇さで早上がりを命じられた。まぁ、厨房でアルバイト達がダラダラとスマホを弄っていたら、店長もそうさせたくなるだろう。
二時間程早く上がれたので、その足で幽霊の務めるスーパーへ向かったのだ。食品売り場の品出しと聞いていたので、売り場をうろつけばすぐに見つかるだろうと思っていた。案の定奴はすぐに見つかったが、そこにあったのは世界を統べる存在が先輩アルバイトに散々注意を受けている姿だった。
しばらく様子を伺っていたが、どうやら幽霊は猿でもわかる簡単なミスを何度も繰り返しているらしい。例えばドリンクコーナーで、常温の商品は冷えた商品の後ろに品出しする、など。そういう些細なことを、事前に伝えていたにも関わらず何度もミスをする。そりゃ先輩もイライラしだすわけだ。
おいおい神様よ、俺の名前使ってんだからしっかりしてくれよ。
先輩から開放されてしばらくシュンとしている幽霊に声をかける。予定通りならまだバイトをしている時間なので、俺の登場に驚いていた。
「和輝!どうしたんだ?」
「バイト早めに終わった。お前の様子見に来たんだよ」
俺が一部始終を見ていたことを知らない幽霊は、腰に手を当てて今にも「エッヘン!」と言い出しそうな表情をした。
「任せろ!バッチリだ!」
「全然バッチリじゃねーだろ見てたぞさっきから」
「え!」
幽霊は途端にもじもじした。怒られているところを見られたのが恥ずかしいらしい。
「お前さすがに仕事できなさすぎじゃね?天国で何してたんだ?」
「神様にそんなに難しい仕事はないからなぁ」
「いやペットボトル並べるくらいもっと簡単だろ」
「でも部下達もいないし……」
「マジモンのお飾り神様じゃねーか」
俺は思わずため息をついた。幽霊は無言で手の平を合わせる。そしてその手の向こうからチラッと俺の表情を伺った。
「まぁ頑張りたまえよ朝波和輝君。品出しくらいすぐにコツ掴めるさ」
幽霊の肩をぽんぽんと叩く。
「和輝~!オレ頑張るよ~!」
「おー頑張れ頑張れ」
「よすがには言わないでくれ~」
「わかったわかった」
泣きつく幽霊を引っペ剥がす。ドリンクコーナーに近寄ろうとした女子高生が、俺達を見てサッと進路を変えた。
「明日よすがの様子見に行ってみるか」
「いいな!それ!よすがのことだから手際よくやってると思うが」
「そうか~?あいつ花屋とか向いてなさそうだけどなぁ。何で花屋をセレクトしたんだ」
「よすがはかわいいし看板娘になれそうだな!」
「どこ見て言ってんだよお前。俺にはクソみたいな仏頂面にしか見えないが」
というやり取りがあって、よすがの様子を見に来たわけだ。ちなみにあの後すぐに先程の先輩アルバイトが様子を見に来て、新人バイトの朝波君がまた怒られる前に俺は退散した。まぁ後で聞くと、全然仕事が進んでいないと結局怒られたようだが。
「部下のほうが優秀だな」
「仕方ない。オレには何もないからな」
俺はその言葉が気になって、つい幽霊の顔を見た。特に変わりない、いつもと同じ表情をしている。なーんにも考えていなさそうな表情だ。
幽霊の言ったことが、こいつにしては珍しくネガティブな声音に聞こえて、俺は一瞬ドキッとしたのだ。
「そんなことねーだろ。お前きっと人望あるよ」
それだけ言うとさっさと踵を返した。用事も終わったし速やかに家に帰るに限る。
幽霊は跳ねるような足取りで俺のあとを追った。
「ありがとな!和輝!オレ頑張るよ!」
「そうかよかったな」
元気そうで何よりである。




