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サングラム  作者: 國崎晶
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俺とあの日の記憶4




「朝波氏」

ベッドでゴロゴロしながらスマホをいじっていると、天井からよすがの上半身がニュッと出てきてそう言った。幽霊は珍しく想い出探しで外出中だ。だが俺の名前を呼んだということは、幽霊でなく俺に用があるのだろう。珍しく。

よすがは俺のことを「朝波氏」と呼ぶ。初めて呼ばれた時は「平安時代かよ」というツッコミが口から飛び出そうになった。おそらくよすがは他人を呼び捨てで呼ばない性格で、しかし俺を「朝波さん」と呼ぶのは気恥ずかしく、だからといって「朝波様」とは呼びたくなくて、落ち着いた先が「朝波氏」だったのだろう。

とにもかくにも、呼ばれた俺はとりあえず上体を起こした。

「あなた、瑞火様とはそんなに親しくないと言っていましたね」

「ああ、それがどうした」

俺は「大名の話かよ……」という表情を隠しもしなかった。よすがも特別大名に対して交情を持っているわけではないのだろう、俺の表情に文句を言うことはない。

「瑞火様は妹様を亡くされていると言っていましたけど、それはどのように亡くなられたんです?」

最悪の話題だ。ここに幽霊がいたら、みえみえの誤魔化しで話題を逸らしてくれるのだろう。

「何でそんなこと聞くんだよ」

「いや、あなたは知っているのかと思って」

「知ってはいるが、知りたいなら大名に直接聞けばいいんじゃねーの。気にしてねーぞあいつ」

「…………」

よすがは一瞬黙ったが、すぐに話し出した。会話のテンポが急に乱れたので、俺は妙な気分になる。

「そうですね。たしかに気にしてはいないようです。しかし私はあなたの口から顛末を聞きたい」

こいつ、酷なことを言いやがる。いくら俺と水祈の関係を知らないからって。よすがを見上げる俺の表情は、漫画で例えるなら「うげぇ」とでも言いそうなものだっただろう。

「俺の口から聞いて何か意味あんのか」

「まぁあります」

「どんな」

「聞いてから判断します」

俺は相手に聞こえるようにわざと大きなため息をついた。よすがはそれを華麗に聞き流す。

「別にそんな説明する程のことでもねーよ。父親が帰ってきたら、母親が娘を殺してた。首を絞めてだ。それが一年前。当時多少ニュースにはなった。俺は他には何も知らねぇ」

「母親が娘を?」

「そうだ。その場で父親が通報してる。母親も特に逃げもせずに罪を認めている」

「なるほど」

よすがは顎に手を当てると、それだけ呟いて俺をジッと見つめた。そんなに見られるとムズムズしてきて、俺は無意識に脚の位置を変えた。

ひとしきり考えると、よすがはパッと顔を上げてこう言った。

「あなた、瑞火様と水祈様、どちらの方が好きですか?」

俺は急な問いに面食らったが、迷わずこう答えた。

「俺は大名が嫌いだ」

悩む時間のロスがない分、よすがには即答したように感じたかもしれない。

よすがは一つ頷くと、「そうですか」と言った。これはこいつの満足のゆく答えだったのだろうか。

「で、何なんだよ。わざわざ俺に聞いた意味」

「何の話です?」

「さっき聞いてから判断するって言っただろ。まさか忘れたわけじゃねーだろうな」

「覚えていませんね」

「その年でボケ始まってんのかよ」

「私は生まれてからもう七十五年も経っているんですよ。痴呆くらい始まっても不思議ではありません」

「ババァじゃねぇか」

「天使を目の前にして死にたいとは珍しい」

こんなアホみたいな問答をしていても埒が明かない。俺は折れた合図に再びため息をついた。

「わかったよ。言いたくないってことだな?」

「言わない方がいいと判断した、という方が正しいですね」

「俺が大名を嫌いだからか?」

「違います。水祈様が殺されたからです」

俺は努めて冷静に「あ、そう」と口にした。

用は済んだとばかりに、よすがは身を翻す。部屋に入って来た時のように、そのままの流れで壁から出て行こうとする彼女の背中に俺は声をかけた。

「なぁ」

俺は緩慢な動きでベッドから立ち上がった。宙に浮いた天使と、少しだけ距離が近くなる。振り返ったよすがのオカッパ頭が扇のように広がる。

「お前にも言っとくぜ。俺は水祈が好きだった。今も変わらず好きなままだ」

よすがは目を見開くと、俺の言葉を吟味して、ようやく「そうですか」とだけ言った。その瞳に浮かんでいた色は憐憫だろうか。珍しく、彼女の瞳が少しだけ揺らいだ。

半身のままだった体勢をゆっくりとこちらに向ける。布の多い衣装の袖や裾がよすがの動きと共にふわりと漂う。こいつ、口も目つきも悪いけど、天使なんだ。神様の眷属なんだな。

こちらに向き直ったよすがの言葉を待つ俺は、まるで託宣を待つヘレネスのようだった。

「ならば、やはり言わずして正解でしたね」

しかしよすがはそれだけ言うと、サッと背を向けて壁の向こうへ消えていった。はたと周囲を見回すと、そこは生活感に溢れた、ただの自分の部屋だった。

「どういう意味だよ…… 」

しばらくその場に突っ立っていたが、よすがが戻ってくることはなかった。





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