俺とあの日の記憶2
「よし、行ってこい」
俺は野洲高校の制服に身を包んだ幽霊の背中をバシッと叩いた。幽霊に制服を貸しているので、俺は私服だ。野洲高校の優しいグレーのブレザーは、正直あまりこいつには似合っていない気がする。
「おう、任せろ!」
幽霊はニカッと笑ってみせると、サービスカウンターへずんずんと歩いていった。
今日は五月四日。有言実行の幽霊は、自分の通帳が出来上がったその日のうちからバイト探しを始めた。次の日にはネットで面接の申し込みをし、その二日後には連絡がきて面接の日が決まった。それが今日、五月四日月曜日である。ちなみに現在ゴールデンウィーク真っ只中だ。
俺がアドバイスし、幽霊が選んだアルバイトは、野洲駅の近くの大型スーパーだった。食品売り場内の、精肉部門か惣菜部門が理想だ。レジ打ちや品出しよりは、裏にこもってあまり客の目に触れない方がいい。大勢の目の前でうっかり実体化が解けたりしたら大変だ。
俺は幽霊がサービスカウンターのスタッフに案内されたのを見届けると、踵を返した。面接が終わるまでどこかで時間を潰そう。俺はとりあえずベンチを探すことにした。
一時間は待っていない頃。幽霊を送り出して四十五分程経ったくらいだろうか。フードコートの脇のベンチでスマホをいじっていた俺の頭に「待たせたな!」という声が降ってきた。顔を上げると、隣にいた幽霊がニカッと笑った。送り出したときと同じような笑顔である。
「おう、どうだった」
「何か最初に計算問題させられて、その後店長と面接した!」
「ほーん、そんなんあるのか。常識チェックみたいなやつか」
俺は立ち上がると、スマホをポケットに突っ込んだ。
「とりあえず帰るか。合否はまた連絡してくれるんだろ?」
家に帰って財布とスマホを机に放り投げる。ベッドにダイブした幽霊に「制服を脱いでからにしろ」と注意した。
いつものヒラヒラした服に着替えた幽霊は、遅めの昼ごはんにコンビニの明太子パスタの封を開けた。
「で、どうなんだ。受かりそうなのか?」
「ああ、バッチリだ!なんか人手不足らしくて、ほぼ採用って言われたぞ」
「そうか。そりゃよかったな。あのスーパーは時給もそんなに悪くないしいいんじゃねーの」
俺はカフェオレのフタにストローをぶっ刺した。幽霊の昼ごはんを買うためにコンビニに寄った際、センスのいいパッケージに釣られてつい買ってしまったのだ。
「一安心だな!オレも早く働きたい!」
「合否はいつ教えてくれるって?」
「今週中には連絡するってさ!」
履歴書には俺の名前俺の住所俺の学歴俺の連絡先が書かれている。証明写真と自己アピールだけ幽霊のものだ。一緒に証明写真を撮りに行った時「これは一応心霊写真なのか?」と妙な気持ちになった。
「そういえば、人手が足りてるから肉と惣菜は無理って言われたぞ」
「は!?」
「もっと人手不足のところがあって、その部門ならほぼ採用って言われた」
「それは何売り場なんだ?」
「何て言ってたかな?」
幽霊はハンガーに掛けてある俺のブレザーに手を延ばすと、ポケットの中をゴソゴソと漁った。小さく折りたたまれた紙が出てくる。おそらく面接をした人にもらったのだろう。
「日配部門だって。飲み物とかお菓子とか、棚から減ってたら補充する仕事なんだと」
俺は思わずため息をついた。なるべく裏方の仕事にしろって言っておいたのに。
「で、お前はなんて答えたんだ?それでいいって言ったのか?」
「ああ、合格したかったし、商品を並べるだけならオレでもできそうだ」
まぁいいだろう。天使達もまさかスーパーの中までいちいち覗くまい。それに、こんなに豪勢な服を着ているお前らの神様が、エプロンをつけてドリンクの品出しなんかしてたら見ても気付かないかもしれない。
「まぁいいんじゃないか。お前を探してる部下達もあれきり見ないし、もうこの辺にはいないんだろ。日本だって広いしな。今頃別のとこ探してんだろうな」
俺はスマホでSNSのアプリを開いた。ツミッターという、百四十字まで文字を投稿できる有名なショートメッセージサービスだ。検索ボックスに【天使】と入力する。
「今天使の目撃情報は三重県が多いみたいだな」
「もうこの辺にはいないんだな!」
「たぶんな」
俺はスマホを机に置くと考え込んだ。
「よすがの行方不明がどう思われてるかが気になるな」
「よすがは神殿内でも真面目な奴って認識されてたからなぁ。事件になってないといいけど」
「事件ならお前の方がなってるんじゃねーの?神様なんだろ?何か反社会的勢力みたいなやつに誘拐されたとか、そんな話になってるかもな」
普通に考えたら、神様が勝手に地上に行くなんて考えにくい話だ。誘拐などを疑うほうが普通である。幽霊はようやくそのことに気付いたのか、困ったようなバツの悪そうな、そんな顔をした。
「みんな心配してるかな……」
「戻るか?天国に」
半分冗談、半分本気でそう言ってみる。ヘラヘラしていた幽霊は口をキュッと結んだ。
「オレは帰らない」
「そうかよ」
「佳子に会うまで」
「会えるといいな」
俺は幽霊に背を向けると机に頬杖をついて、スマホの画面を点灯させた。特に目的があったわけではないので、すぐにまた消灯させる。振り返ると、幽霊は黙ったままこちらを見ていた。
「どんな人なんだ?その木下さんって」
世間話のように軽いノリで聞いた。実際、世間話をしようという気持ちで言った。しかし幽霊は答えるまでに少し時間を要した。
「うーん……。目元が優しくて、落ち着いた声をしてる」
俺は幽霊の様子に違和感を覚えた。いや、覚えたのは怒りの感情かもしれない。違う、それもしっくりこない。
「お前はその人のどんなところが好きなんだ?」
幽霊は先程と同様に悩んでから答えた。
「オレは佳子のことが大切だったんだ」
俺の心に湧いたのは、違和感や怒りではない。きっと失望と幻滅だった。




