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サングラム  作者: 國崎晶
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俺と神様の転合2




男は駅へ向うかと思ったら何の説明もせずに電車に乗り込んだ。天使達から離れるのにちょうど良かったので、俺は文句を言わずにそれに倣った。

しかし電車に乗っている時間がやたらと長い。せいぜい二、三駅だろうと思っていたが、気付けば五駅、六駅と過ぎ、結局降りたのは八駅離れた泉町駅だった。

「ここに何があるんだ?」

「近くに事務所がある」

我慢ならずに駅を出たところでそう尋ねると、簡潔な答えが返ってきた。なるほど、確かにこいつらだって事務所くらい持ってるか。その事務所になら天使達を追い返す万全な用意があるのだろう。

そして今現在その事務所で、ソファーに腰掛けた俺達の前にお茶が置かれている。

俺は黒くて少し堅いソファーで小さくなりながらキョロキョロと室内を見回した。黒いソファー、安っぽそうな茶色いテーブル、白い本棚に詰まった色とりどりの紙製のファイル。ベージュの壁紙はところどころ若干黄色くなっている。部屋の最奥には一応所長机のようなものが設置してあり、その上は電話や書類、本などが積み重なっていてだらしが無い。

この事務所の持ち主である兄妹は、俺達にお茶を出すなりバタバタと動き回っていて忙しがない。男が苛つき気味に指示を飛ばし、妹が脚に袴の裾をまとわり付かせながらパタパタと歩き周っている。何かの準備をしているらしい。

俺は表の看板に書いてあったこの事務所の名前を思い出した。【栗生除霊霊媒事務所】。この兄妹の名前はおそらく栗生というのだろう。

「待たせたな」

俺と幽霊がぼーっと茶をすすっていると、男がそう声をかけながら目の前のソファーに腰を下ろした。額にはうっすら汗が滲んでいる。

「結界を強化していた」

「このくらいの強度なら、あいつらなら簡単に破るぞ」

何も聞いていないのに説明する男と、曇りのない目で言葉を返す幽霊。幽霊の推察を聞いて男は付け足すように言った。

「探知遮断メインの結界に張り替えたんだ。ステルスってやつだな」

男の言葉は本当なのだろうが、どうにも言訳臭く聞こえてならない。だがまぁ、今はそんなことを気にしている場合ではないだろう。

「それで、あんたらは俺達を匿ってどうするつもりだ」

俺が本題を切り出すと、男は向かいのソファーにどっかりと腰を下ろした。ちょうど、これ以上見上げ続けるのは首が痛いと思っていたのだ。

「お前にはほとんど用はない。俺達が欲しいのはそっちだ」

男は顎で幽霊を指した。偉そうでふてぶてしい動作だ。男の印象がまた一つ悪くなった。

「お前が神だなんだという話は半信半疑だが、お前の霊的強さは認めている。その妙ちきりんな服もなかなかイカしてるし、死後の世界から来たのだろう。俺達はお前を匿う代わりに死後の世界の情報が欲しい」

「天界の情報を得てどうするつもりなんだ?」

「別に。どうもしない。ただ知っているのといないのとでは色々と変わってくるだろう。それとも何か?天界の情報とやらはこの世で何かしらに悪用できるものなのか?」

幽霊は二、三秒男の顔を見つめていたが、すぐに表情を緩めていつもの間抜け面に戻った。気の抜けたようなやつだが、こいつだってたまには真面目な顔ができるのだ。

「それもそうだな。お前らが知ったところでどうにもならないことばかりだ。わかった、お前らの知りたいことに答えよう。でも一つ条件がある」

「条件?何だ、言ってみろ」

「話はお前と二人でしたい」

それを聞いて、俺は思わず幽霊を振り向いた。この男と二人でってことは、俺も席を外すのか。俺が聞いてはいけない内容なのか……?と一瞬ネガティブな方に考えるが、頭を振った。妹の方に席を外させるのが目的で、平等にするための取り計らいかもしれない。

「風子、こいつと部屋出てろ」

「うん、お兄ちゃん」

「ついでに外見張っとけ。何かあったらすぐ呼べよ」

「はい」

妹はソファーを立つと俺の方を向いた。誰も一言も発しなかったが、俺はゆっくりと立ち上がった。妹が俺に「行こう」と声をかけてドアの方へ向かった。俺は座ったままの幽霊を見下ろす。幽霊は俺の視線に気付いて、大丈夫だと言うようにニカッと笑った。目を細めて目尻が上がる、いつものキツネのような笑みだ。

俺は結局何も言わずに、妹の後に続いて部屋を出た。すぐ背後でパタンとドアが閉まる。俺はそのドアを一瞬振り返って、「こっちだよ」と手招きする妹を追いかけた。

この事務所は四階建てのビルの二階にある。一階は雑貨屋、三階はフィットネスジム、四階は本屋になっている。俺達は事務所のドアの階段に並んで腰掛けた。陽の当たらない階段はひんやりしている。

「名前、なんていうの」

沈黙が気まずくて声をかける。が、名前なんて聞かなくてもわかっている。栗生霊媒事務所で兄貴から「ふうこ」と呼ばれているのだ。こいつの名前は栗生風子だ。

「栗生風子。風の子って書いて風子だよ」

「へぇ。年は」

「十七歳。あなたは?」

「朝波和輝。高三」

俺は右隣の風子に目を向けた。背中に垂れた長髪の毛先がべったりと床についている。それが何故だかもったいないと思った。

「十七ってことは二年生?」

「ううん、学校は行ってないの」

「なんで」

「お金もないし……学校に行ってやりたいこともわからないし……」

「あの兄貴は行けって言わないのか?」

「うん……無理して行くこともないって」

風子はそこでいったん言葉を切って、「それに仕事があるから」と付け足した。俺は何だか納得できなくてモヤモヤした感情を覚えた。別にどうしても学校に行けというつもりはないが、学校で友人とふざけ合ったりするのが楽しい年頃なのではないか?放課後の寄り道や机を寄せ合って食べる弁当など、思い出作りに励むべきではないか。俺が言えた口ではないけれど。

「仕事っつっても、兄貴がいるだろ」

「お兄ちゃんは祓う専門だから。それに、わたし達半人前だからいつも二人でいなきゃ」

「半人前とは思えない動きだったけどな。お祓い的なやつが半人前ってことか?」

「ううん、お兄ちゃんのお祓いは一流だよ。一般霊で祓えない霊はいないんだよ」

「へー」

お兄ちゃんは一流ってことは自分がまだまだってことか?正直霊とかお祓いとか、話題にイマイチついていけないが、今後もあの幽霊と生活するなら少しでも話を聞いておいた方がいいだろう。俺は知らないことが多すぎる。

「なぁ、あいつ強い霊だって言ったよな。それってどれくらい強いんだ?」

「あの人すっごく強いよ。お兄ちゃんに除霊されて無傷どころかほとんど痛がらなかったんでしょう?」

おそらく先日のコンビニでのことを言っているのだろう。あの男、どうやら一部始終話しているらしい。この子も俺を幽霊を匿う悪いやつだと思っているのだろうか。

「除霊って痛いのか?」

「抵抗すればする程痛くなるよ。力の流れに身を任せればほとんど痛くないよ。むしろ温かいくらい」

「ふーん、よく知ってんだな」

「うん、わたしはお兄ちゃんみたいにできること少ないから」

「少ないから」、だから何なのだろうか。俺の視線に気付いて、風子は困ったように微笑んだ。もともと下がり気味の短い眉がさらに下がる。俺はなんとなくその微笑みから目を逸らしてしまう。それを誤魔化すために、理由もなく周囲を見回してみた。壁と階段しかなかったが。

「兄貴のこと好きなんだな」

「うん、大好き。お兄ちゃんはいっつもわたしの為に頑張ってくれてるんだ」

風子は俺に視線を戻して続けた。その瞳はキラキラと輝いているように見える。黄緑色の垂れた大きな瞳だ。

「お兄ちゃんはね、何でも出来るし、強いし、かっこいいんだよ。いつもわたしを助けてくれるんだぁ。だからわたしもお兄ちゃんに何かしてあげたいっていつも思ってる」

今度こそその瞳から目が離せなかった。どうしてこんなに吸い込まれそうな気持ちになるのだろう。俺がずっと見つめているので、風子は不思議そうに小首を傾げた。

「和輝君は兄弟はいる?」

ハッとした。とっさのことに何も声が出なかった。それでも何とか一瞬前の記憶を辿り、質問の内容を思い出す。

「……いや、俺は一人っ子だ」

捻り出した自分の声が遥か遠くに感じた。何てことだ。何てことに気付いてしまったんだ俺は。

俺は思わずそっと両手で耳を塞いだ。風子が何か兄貴を褒めるようなことを言っている。しかしその声は全て俺の脳内に溜まり、グルグルと回り混ざって意味の無い音の集合体になった。それでも塞いだ耳の隙間から風子の声が流れ込むのが止まらない。「和輝君は兄弟はいる?」だと?「和輝君は」。集合体の中でその一言だけが存在を保っていた。

何てことだ。こいつ、水祈に声がそっくりだ。





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