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サングラム  作者: 國崎晶
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俺と無慈悲な世界のモメント




「痛ッ!」

唐突に発された幽霊の小さな悲鳴に振り返る。幽霊は肩から地面に倒れ込んでいた。頭の上では輪っかが光っている。俺は動揺した。周囲からはこいつが突然消えたように見えただろう。幸いその瞬間を目撃した者はいなかったようだが、俺は気が気でなかった。

まだ倒れたまま顔をしかめている幽霊の側にしゃがみこむと、小声で声をかける。

「おい、どうしたんだよ。立てないのか?」

浮ける幽霊に「立てないのか?」という問いはおかしい気がしたが。

幽霊は俺の言葉には応えず、正面に視線を向けた。一体何を見ているんだと俺もそちらを見ようとした時、しかしその前に理由がわかった。

「おい少年、そいつ霊だぞ」

その声が降ってきてコンマの差で俺は顔を上げる。そこには二十代半ばの黒髪の男性が立っていた。目元が鋭く、細身だが比較的筋肉質で背が高い。彼はジャージにパーカーというラフな格好で、抜け目なく幽霊を見下ろしていた。

「れ、霊って……こいつに何したんだ」

この男は霊が視えている。まさか幽霊の部下より先に霊が視える人間に出くわすとは。だが男も同じことに驚いているようだった。

「お前霊体が視えるのか」

霊体である幽霊の側にしゃがみこんだ俺を、男は少しまぶたを持ち上げて意外そうに見ていた。どうやら、実体化している幽霊に俺が騙されていたのだと考えていたらしい。

俺が何も答えないでいると、男がすっと右手を上げた。まるでピストルのように親指と人差し指を伸ばし、手のひらには紙片が握り込まれている。

「和輝」

名前を呼ばれたと思えば、突然腕を引かれ立たされた。再び実体化した幽霊が俺の腕を引いて駆け出す。俺はつんのめりながらも脚を動かした。こんな目立つところで実体化するなんて、と思う余裕はなかった。

逃げる俺達を男は追ってきた。自転車に構っている余裕は無い。俺達はコンビニ横の路地に入り、出くわす曲がり角を全て曲った。一刻も早く男の視界から姿を消したかった。

「な、何なんだ、あいつ……!」

「わからん!和輝、もっと早く走るぞ!」

馬鹿言え!俺はこれで全力疾走だ!ぐんとスピードを上げる幽霊の背を見つつ、対策を考える。このままでは俺のスタミナ切れでジエンドだ。

脚と同時に脳みそも超回転させる俺の目に、ブロック塀に寄せるように設置されたゴミ収納庫が映った。

「おい、幽霊!止まれ!」

ちょうど収納庫の目の前で急ブレーキをかけた幽霊に、内心で親指を立てる。

「俺を上げてくれ」

身の丈程ある収納庫の屋根に片手をかけながら言うと、幽霊はすぐにその意味を汲み、両手を重ねて腰を落とした。俺は遠慮なくその手のひらに片足を乗せ、収納庫の上にひらりと乗る。

俺の背丈ほどもあるこの収納庫に一人で乗るのは難しいだろう。俺が乗ると収納庫はガシャリと金網を揺らした。俺は塀の中の物置の屋根に飛び移り、更に家の瓦屋根に飛び、そのまま屋根を駆け抜け反対側のブロック塀の上に着地した。俺がアスファルトの上に降り立つと同時に、ブロック塀から霊体化した幽霊が飛び出す。

「巻けたか?」

「たぶん」

家一軒分しか離れていないにしても、隣の路地からこちらへ来るにはぐるりと回らなければならない。その間にさっさと家に帰ろうと俺達は再び走り出した。と言っても俺はすでにヘトヘトで、スピードは先程までより断然劣るが。

「何なんだ、あいつ。何でお前が幽霊だってわかったんだ?」

「わからん。不思議だ。霊魂同士でもわからないものなのに」

「もう意味わかんねぇよ何なんだよあいつ。何で攻撃してくんだよ。つぅかどうやって攻撃されたんだ?お前」

俺が見たところ、男は手にレシートのような紙切れを握っている以外はほとんど手ぶらだった。状況的におそらく遠隔からの攻撃だと思うが、まさかあの紙切れを投げつけたわけではあるまいし。

「何か光線みたいので攻撃された。横からやられたからどっからそれが出てたのかは見えなかったけど、オレの前に和輝も攻撃されてたぞ」

「え!?マジかよ!俺何ともねーぞ」

俺はとっさに左脇腹に手を当てた。怪我をしているどころか、服にも傷一つついていない。

「霊子での攻撃は霊子にしか効かないんだ。和輝の身体には霊子がほとんど含まれてないから。でもすげー濃度の攻撃だとたぶん和輝にも影響ある」

「なるほどな、わかったぞ。つまりあいつは、俺とお前のどっちかが霊だとわかったが、どっちなのかはわからなかったからどっちにも攻撃して確かめたんだ」

「それでもオレ達のどっちかが霊体だとわかったのは不思議だけどな」

今や俺は走るのをやめ、完全に歩いていた。それでもあの男が追いかけてくる不安感から、せかせかと足を前に出す。

俺達は路地を抜け、車道が延びる大きめの道へ戻ってきていた。すれ違った主婦が不可解そうな目をこちらに向けたので、俺は慌てて声のボリュームを下げる。

「そもそも何で攻撃してきたかだな。悪霊退散ってやつか?」

「オレは悪霊じゃねーぞ!」

「わかってるよ、神様だろ。つぅか神って死んだらどうなるんだ?」

「任期を終える前に死んでも、すぐに次の神が生まれるだけだ。オレはもう五十年神やってるから、次の神候補がもう選ばれてて研修期間に入ってる。そいつが神になる」

「ふーん、何かあっさりしてんだな」

家に帰ると、リビングのテーブルで父がカップラーメンをすすっていた。おそらく帰ってきたばかりである母は、荷物も片付けずにソファーに横になっていた。眠っているわけではないらしく、ただテレビを眺めている。

「あら和輝、おかえり。遅かったわね。十時まで帰ってこなかったら連絡しようと思ってたのよ」

「友達と夕飯食ってた」

「そうなの。でも遅くなるようなら連絡ちょうだいね。何かあったんじゃって心配になるから。それ、和輝のぶんのお土産よ」

母の人差し指の先には土産屋の袋が置いてあった。やけに薄っぺらい。ノートとかクリアファイルとか、そんな物が入ってそうな雰囲気がぷんぷんする。

母は俺のお座なりな「ありがとう」を聞くと、またソファーに頭を預けた。俺は今度はダイニングテーブルの父に歩み寄る。

「父さん、一応弁当買ってきたんだけど帰るの遅くなった」

「おお、買ってきてくれたのか。ありがとうな、和輝」

父はほとんど空になったカップ麺の容器を手放すと、コンビニ袋の中身を取り出した。そして表情を固める。そりゃそうだ。あれだけ盛大に走り回って弁当の中身が無事なわけがない。

俺は何も言えないでいる父から無言で離れると、薄っぺらい土産を手にしてリビングを出た。階段を上り、自室に落ち着く。

「さて、あいつの対処法を考えるか」

俺はイスを回転させると、どっかりと腰を下ろした。正直、疲れた。

幽霊は出かける前に放った自分の着物をぽいぽいと退けると、ベッドの縁に座る。お互いに定位置である。

「二度と会わないように願う!」

「そうだな、あいつに探知能力が付いてないことを祈るか。で、次に会った時どうする?」

俺は土産屋の袋から中身を引っ張りだした。小学生が喜びそうな文具セットだった。ご当地キャラのイラストがプリントされている。そこは異人館の土産を買ってこいよ……。

貰い物は何となく捨てられなくて引き出しに入れたが、おそらく次の大掃除でゴミになるだろう。

「でもあいつ人間だった。人間なら暴力で解決できる」

「お前ほんとに神かよ……」

「人間は結局最後は暴力で解決しようとするだろ。それで負けた方が勝った方の言うことを聞くんだ」

幽霊の言葉で俺が真っ先に思い浮かべたのは戦争だった。何年前に死んだって言ってたかは忘れたが、そういやこいつは戦争の時代を生きていたのではなかったか?

「……まぁ、お前の言うとおりかもな。それに確かに、相手が人間なら対処法はある。とりあえず明日スタンガンでも買いに行くか?」

「武器はあった方がいいな!オレは逃げれるけど、和輝は大変だ」

「いざとなった時俺を見捨てたら末代まで恨むからな」

「そんなことしない!安心しろ!それにもしもの時の奥の手はある」

「奥の手」という単語と共にドヤ顔を決める幽霊。その顔を無性に殴りたくなったが、俺にそんな元気は残されておらず、鼻白むだけに留めた。

なんにせよ、心配事が増えたのは困りものだ。幽霊を連れ戻しに来る部下にも気を遣わなければならないのに、謎の男まで現れた。大名にもまとわり付かれるし、この幽霊が来てからろくなことがない。

いくら話し合っても解決策は浮かばず、俺達はついに黙りこくった。このまま無言で向かい合っていても仕方ないと、就寝することに決める。俺は明日の英語の授業で教師に当てられそうな問題を数問だけ解くと、さっさと布団に潜り込んだ。

しばらくすると、暗闇の中に幽霊の寝息が混じり始めた。あと五分もして熟睡すれば、またあの耳に悪いいびきが聞こえてくるのだろう。俺はそれまでに眠ってやろうと意気込んで、ぎゅっと目を閉じた。




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