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サングラム  作者: 國崎晶
21/131

俺と秘密の作戦会議




それから一週間、俺は大名を憎まないように意識して過ごした。急に当たりが柔らかくなった俺に大名の口数はだんだん増え、それに比例して俺のストレスは溜まっていった。

今一度確認するが、俺はもともと大名のことが嫌いなのである。こいつのことを考えると、なぜか胸がムカムカして仕方がない。それは今に始まったことではなく、少なくとも中学生の頃にはもう自覚していた。

自分でも嫌いだと認識しているやつからのアクションが日に日に増えるこの状況を一週間も耐えたのだ。褒められはすれどなじられることなどあっていいはずがない。

「和輝、なぁ和輝、大名が呼んでるぞ」

腕を枕代わりに机に突っ伏して寝たふりをする俺に、隣の幽霊が呼びかけた。後ろの席の大名がさっきからしきりに俺の名を呼んでいることは知っている。なんならシャーペンのお尻で背中を突かれていることにも気がついている。幽霊は俺が居眠りをしているのだと思っているようだが、俺は幽霊も大名も故意に無視しているのだ。

四月二十三日木曜日。今日の最終授業である六時間目が始まってすぐのことだった。英文法の授業のはずが、教室に入って来たのは何故か数学が担当の三宅で、彼は教壇に立つなり「畠山先生が腹痛で倒れたので六時間目は自習」と言って教室を出て行った。おそらく隣のクラスの授業が数学なのだ。それにしても、畠山はいったい昼飯に何を食ったんだ。

そんなわけで、三宅が出て行った直後生徒達は歓声を上げて大喜びし、各々仲のいいやつと固まった。皆一様にスマホを取り出して談笑し、特定の友達がいない俺のようなやつはイヤホンを耳につけ机に突っ伏した。ちなみに、教卓には三宅が置いて行った自習用のプリントが乗っている。誰一人として手を付けないが。

自由を言い渡され無法地帯と化した教室でひたすら寝たふりをする。しかし突然目の前のイスが引かれ、思わずほんの少し顔を上げた。前の席の瀬川がスクールバッグを持って立ち上がったところだった。瀬川は一見真面目そうに見えるが堂々と遅刻し堂々と授業中スマホをいじるような意外と大胆不敵なやつだった。今も、自習ならここにいる意味は無いと判断しさっさと早退するつもりなのだろう。

しかしそんな広壮豪宕のせいで俺の狸寝入りはあばかれてしまった。左隣でしゃがんでいる幽霊はパッと顔を輝かせ、後ろの席の大名は「おはよう、朝波」と小さな声をかけた。俺は心の中でため息をつき、振り返る。振り向き様視界の端で瀬川が廊下に消えて行った。ちくしょう。

「よく眠れた?」

「……普通」

自分でもわかるぶすっとした顔で一言答える。しかし答えているだけマシだ。つい一週間前までは、大名の声なんてほとんど無視していたのだから。

「夜眠れてないの?」

「どうだろうな」

そう言って俺は隣の幽霊を睨む。幽霊は何故睨まれたのかわからずコテンと首を傾げたが、よくもそんな無垢な顔ができるな。お前のいびきがうるさいから眠れないんだよ俺は。

「私、よく効く睡眠薬知ってるけど。シュラーフっていうやつ。ドラッグストアで買える」

「これ以上酷くなったら考える」

こいつ睡眠薬なんか飲んでるのかと考えながら適当な返事をする。まだほとんど会話をしていないが、これ以上続けるのが面倒になり、俺はバッグを掴むと立ち上がった。大名がすぐに反応する。

「帰るの?」

「まぁな」

そう返して俺は驚いた。何と大名はイスを引いて立ち上がり、机の横にかけていたかばんを肩にかけたのだ。

「一緒に帰ってもいい?」

俺はポカンと口を開けたまま、かろうじて「……ああ」と答えた。予想外のことに思わず肯定と取れる返事をしてしまったが、よく考えたらここは「一人で帰りたい気分だ」とでも言っておくべきだった。今更遅いが。

大名は教室後方のドアへ数歩踏み出してから、こちらを振り向いた。その顔には「帰らないの?」と書かれている。俺は渋々重たい足を動かした。幽霊が何故だか嬉しそうな表情で俺についてくる。

微妙に横には並ばず、大名と少しズレた位置を保ちながら廊下を歩く。階段を降り、下足室で靴を履き替えるまで一言も会話はなかった。ローファーに踵を入れる大名の顔を、幽霊は覗き込むように観察した。

「久しぶりね。一緒に帰るの」

「そうか?」

「小学生以来よ」

思い返してみれば、俺は小学生の頃すでに大名のことが嫌いだった気がする。そして水祈のことが好きだった。当時から性格が若干捻くれていた俺は、それを恋だと認めようとはしなかったが。

普段登下校に使用している裏門はサボり防止で教師が立っているので、俺達は滅多に使わない正門へ向かう。大名の足取りはこれでもかというほど緩やかで俺はイライラを隠せずにいた。

ポツリポツリとどうでもいい話をしている大名の一歩後ろを歩きながら、俺は下足室を振り返った。つい先日、俺はこの場所でこいつに割合酷いことを言ったと思ったが、今のこいつはいったいどういう感情なんだ?嫌なことは忘れるような都合のいい脳みそをしているのだろうか。

「それで、その犯人は結局誰だったと思う?実は近所の野良猫だったの。あの猫、二階の窓を自分で開けてうちに入ってくるのよ、驚くでしょ。窓の鍵を取り替えたらさすがにもう入ってこなくなったけれど、あの猫裏の村井さんがいつも餌をやっているはずなのに、うちの夕飯を盗んでいくなんて本当最悪よね」

俺は数分ぶりに大名の声に耳を傾けて、内心で大きなため息をついた。何故女の話はこんなにつまらないのか。大名の家の焼き魚が猫に食われた話などどうでもいい。何と返したらいいかもわからない、反応に困る。

俺が完全に口を閉ざしてから五分程経過した時、大名は不思議そうな顔で俺を振り返った。どうやら俺が一言も発していないことにようやく気が付いたらしい。俺は大名の話に適切な相槌を考えて、頭をひねり、脳みそを絞り、結局「何故俺がこいつの為にこんなに努力しなければならないんだ」という結論に至って口を開くことはなかった。俺が無言のままなのを話を聞いていなかったのだと解釈した幽霊が、親切にも「裏の村井さんは野良猫達に餌をあげているのに飼っていないと言い張るのはおかしいって話だぞ」と耳打ちしてくれた。耳打ちにしてはでかい声だったが。

「朝波、大丈夫?」

「何がだよ」

「調子が悪そう。早く帰って横になった方がいい」

「ああ、そうするよ」

俺はそう答えるや否や歩調を早めた。大名を追い越しずんずん歩く。そのスピードは、こいつに合わせてダラダラと歩いていた時と比べて倍ほどに速い。大名は小走りで俺の隣に並ぶと、同じ速さで歩き始めた。

「今日は、お母さんは仕事?」

「さぁな。そうなんじゃねぇ」

「そう。……一人で大丈夫なの?」

「子供じゃないんだから大丈夫だろ」

そもそも一人じゃねぇし、と内心で呟く。幽霊は並んで歩く俺らの前を、こちら正面を向ける体制で後ろ向きに歩いていた。最近は人や物をすり抜けるアクションが増えたこいつは、どうやら現世での歩き方に慣れたようだ。ふらっと出掛けて、壁を抜けて俺の部屋に帰ってくるこいつを見ると、「本当に幽霊なんだな」と馬鹿みたいなことを思う。

「……熱があったりしたら大変。私、お粥くらいなら作れるけど」

「気にするな、俺はたいていいつも疲れてる」

「そう」

というか、父親と二人暮らしでお粥くらいしか作れないのかこいつは。父親は朝から晩まで仕事だろうし、必然的に家事はこいつの役目になるはずだが。そう考えて、そういや掃除も洗濯も炊事も母親の手伝いは全て水祈がやっていたなと思い出す。俺の中で水祈の存在が色濃くなると、それに比例して大名への憎しみが増すので俺はなるべく無心で足を動かした。

歩くスピードを上げた俺達はあっという間に家の近くへ到着し、その分岐点で別れることにする。俺は足を止めることもなく「じゃあ」とだけ告げると、右の道を進んだ。大名の家へは左の道を行く必要がある。大名は「あ、うん、また明日」と言って俺を見送った。俺は絶対に振り返らないと決めてずんずん歩いた。

玄関の鍵を開けて家に入る。入るなり大きく息を吐いた。すぐに閉めたドアをものともせずすり抜けて入ってきた幽霊は、ため息をついた俺を見て「どうした?和輝」と声をかけた。

「窒息死しそうだった」

「でもちゃんと会話してたじゃねーか」

「してたうちに入るのか?あれは」

階段を登りながら言葉を交わす。自分の部屋に入るなりかばんを勉強机の上に置き、倒れこむようにベッドに腰掛けた。普段からベッドの上を定位置にしている幽霊は、一瞬だけ迷ってから勉強机のイスに腰を下ろした。

「和輝が大名と仲良くしてくれてオレは嬉しいぞ」

「何でお前が喜ぶんだよ」

「友達に友達が増えるのは嬉しい!」

「俺と大名は友達じゃない」

とは言ったが、自分とこの幽霊が友達であることを否定できなかっただけ、俺はこいつに絆されていると思う。出会ったばかりの俺なら「そもそもお前と友達じゃない」くらい言っていたはずだ。それも思い切り刺々しく。

「和輝は大名のこと嫌いって言うけど、オレは和輝が頑張って大名に歩み寄ろうとしてるの見ると嬉しいんだ」

「全然歩み寄ってねぇだろ。第一何で俺があいつに歩み寄らなきゃいけないんだ」

俺はポケットからスマホを取り出して時刻を確認した。午後三時前。

「他の奴らにやってる最低限の愛想で応えてるだけだっつーの」

俺のその言い訳に幽霊は「その最低限の愛想だってつい最近まではなかったじゃないか」と言いたげな顔をしたが、結局口には出さなかった。なので俺もそれに気付かなかったことにする。

「そういや、今日は静恵さんいないんだな」

わざとらしく空気を変えるような口調で幽霊は母親の不在を指摘した。俺が学校から帰ると母はたいていリビングで雑誌をめくっているのだ。

「今日は婦人会の旅行なんだよ。日帰りだから夜には帰ってくるらしいけど」

「そうなのか。お土産楽しみだな」

「食い物だといいけどな」

婦人会だとか仲のいい友人だとかで母はよく日帰りの旅行に行くが、買って来る土産といえばダサいキーホルダーや使い切りもしないボールペン、この年の息子が喜ぶはずもないぬいぐるみなど。ひどい時は地域のゆるキャラが描かれたTシャツを満面の笑みで渡された。普通に腹に入れて終わりな物を買って来てくれると嬉しいのだが、今回も期待できそうにない。

「静恵さんはどこに旅行に行ってるんだ?」

「さぁ、どこだったかな。神戸だとか言ってたか」

おそらく母は今回の旅行の行き先を俺に話しただろうが、話半分に聞いていたのでよく覚えていない。まぁ気になるならカレンダーを見ればわかることだ。

「へー、神戸。神戸って何があるんだ?」

「異人館に行くんだってさ。まさか自分も行きたいとか言うなよ」

「えー、オレも行ってみたい」

幽霊はイスから立ち上がると俺の右隣に腰掛けた。俺はもともと端に寄っていたわけではないので、幽霊の右側は少し狭そうだ。だが、実体化したわけではないようなので窮屈ということはないだろう。

「その異人館って何があるんだ?」

「よく知らねーけど、古い洋館がいっぱい建ってんだよ。つーかちょうどお前が生きてたくらいじゃねーのか?あの辺の建物が建ったのって」

「そうなのか?でもオレよく知らねぇなぁ。でも確かに異邦人が家を建てて住んでるって聞いたことあるかも」

「お前田舎者だったんだな」

「田舎はいいぞ!まったりできる!」

「まぁ、俺もここが気に入ってるし都会に住もうとは思わないけどさ」

俺は再びスマホを取り出す。画面端には現在の時刻が三時十五分であることを示しているが、今回の俺の目的は時刻の確認ではなかった。俺はメッセージアプリ開き、母宛にメッセージを作成した。そんな俺の手元を幽霊が覗き込んでくる。

「なぁ、オレもすまほ欲しい」

「馬鹿言うな、自分で買え」

スマートフォンがいくらするか知らないからそんなことが言えるのだ。幽霊は唇を尖らせて「ケチーケチー」と言っていた。この顔も見慣れたものである。

「なぁ、何してるんだ?」

「母さんに連絡してるんだよ」

「何をだ?」

「何時に帰って来るのかって」

旅行中なのでスマホなど見ていないかと思ったが、返事はすぐに返ってきた。写真でも撮っている最中だったのだろうか。帰りはおそらく九時頃になるとのこと。夕飯はお父さんと食べてね、という一文が添えられていた。

「静恵さん、何時に帰ってくるんだ?」

「九時頃だと」

「お土産何かなぁ」

「さっきからそればっかだな」

相変わらず何の実もない話をしたり、授業で出た課題を律儀にこなしたり、なんとなく部屋の片付けをしたりしながら時間を潰す。次にスマホの画面を確認すると、六時半になっていた。俺はスマホと財布をポケットにねじ込む。

「おい、飯食いに行くぞ」

俺の言葉に、ベッドで寝転がって漫画を読んでいた幽霊がこちらに顔を向ける。俺はクローゼットから無難なTシャツとパーカー、ジーンズを取り出して幽霊に放った。幽霊はそれをキャッチするように腕を開いて、しかし全然掴みきれずに、俺に向けた目をパチパチと瞬きさせた。

「着替えるんだよ」

「これにか?」

「当たり前だろ。そんなアホみたいな格好してるやつと並んで歩きたくない」

幽霊はしばらく呆けていたが、やがてパッと顔を輝かせた。「ぽくぽくぽくチーン」という音が聞こえた気がした。

幽霊は実体化するとポイポイと服を脱ぎ、くるくると回して確認しながら洋服を着た。Tシャツの前後ろを間違えて着たりしたら面白かったのだが、普段から俺が着替える時側にいたからだろうか、それとも天国で着る機会があったのか、時間はかかったがしっかりと服を着ていた。

「和輝、終わった!」

「ならさっさと行くぞ。もう店が混んでる」

今から行けばファミレスに着くのは七時頃になるだろう。店が空いていればいいのだが。

俺は玄関を出ると、車庫の端にひっそりと停めてある自転車を引っ張り出した。中学時代に使っていた物だ。ここ二年はほとんど使っていなかったが、ちゃんと動くだろうか。

俺は自転車に跨った。タイヤの空気は多少抜けているだろうが、まぁ問題ないだろう。ここ二年ほど空気を入れたことはないが、おそらくたまに父が乗っているのだ。俺は側で突っ立ったままの幽霊に、ジェスチャーで後ろに乗るように指示した。

近くの大きな道沿いに全国的なチェーン店であるファミレスがあるのだが、そこへ行く気は鼻からなかった。近所付き合いが皆無な俺は、どこで顔見知りが見てるかわからない場所で寛ぐのを避けたがった。別にこいつと居るところを見られるのが嫌だとかそういうわけではない。俺をよく知らないやつが俺のよく知らないうちに、俺の勝手なイメージを作り上げるのがむかつくのだ。

「なー、どこまで行くんだ?」

「わざわざ自転車を引っ張り出してきたんだ、距離は察しろ」

自転車の荷台で俺に背中をくっつけてガタガタ揺られている幽霊は、暇を持て余した口ぶりだった。体力のない俺が一生懸命ペダルを回しているというのに、なんて態度だ。前後を代わってほしいぜまったく。

成人男性一人分の重さが加わった自転車はたいしたスピードが出なくて、目的のファミレスに到着するのに二十分もかかってしまった。その間に何人か同じ制服とすれ違ったが、幸いクラスメイトには会わなかった。

自転車で二人乗りする俺達を誰も不思議に思わない。俺の服を着てしまえば、こいつはどこにでもいそうな青年だった。

「和輝、ハンバーグがある!」

「そりゃあるだろ。ファミレスなんだから」

駐輪場に自転車を停める僅かな間でも幽霊ははしゃぐ。店の周りを囲うように立ててある旗に描かれたハンバーグに目を輝かせた。俺の後に続いてファミレスの重たいドアをくぐり、店内へ。放課後の暇を持て余した高校生の制服が目についた。

「いらっしゃいませ。二名様でしょうか」

俺が頷くと、店員は奥の方にある二人用の小さなテーブルに案内した。注文の際はテーブルのボタンを押す旨、お冷はセルフサービスである旨を伝えると、忙しそうに近くのテーブルを片付け出した。

「お前、何食う」

俺は幽霊にメニューを差し出した。ちなみに俺の注文はもう決まっている。マグロのたたき丼だ。このファミレスは隣町にも店舗があり、俺はその店でアルバイトをしている。このファミレスのメニューで俺が一番好きなのはマグロのたたき丼だった。

「オレ、ハンバーグがいい!」

「何でもいいからさっさと決めろ」

「このエビフライがついてるやつがいい」

幽霊の人差し指の先には、エビフライとコーンクリームコロッケが添えられたチーズインハンバーグの写真があった。数あるハンバーグの中でも割と高いものを選んだなと思いつつ、テーブルのボタンを押す。すぐに店員がやって来た。

チーズインハンバーグのAセットとマグロのたたき丼、トリの唐揚げとついでにサラダも注文する。おれは甘い飲み物が苦手だが、ジュースが飲みたいと駄々をこねた幽霊にドリンクバーをつける。店員が引っこむと、俺は水を取りに行くべく立ち上がった。

「これ、どうやって使うんだ?」

「ここにコップを置くんだよ。お前の住んでるとこにはドリンクバーはないのか?」

「飲み物は頼めば持ってきてくれる!」

「そうか、ないんだな」

こいつとの会話にもだいぶ慣れた。基本は頭を空っぽにしてればいい。出会った当初は散々鬱陶しがっていたのに、今では「楽だな」と感じている自分がいる。癪なので本人には絶対に言ってやらないが。

だが楽だと感じているのは本当で、何なら居心地が良いと言い切ってしまってもいい。それはきっと俺とこいつに同じ部分があるからなのだろう。直接言葉にして聞いたことはないが、俺達は同じものを持っているはずだ。俺の勘違いなどでは絶対にない。だから、俺はもっとこいつと会話する必要があると思った。

「ん~……なんか静江さんが作ったハンバーグの方が美味いなぁ」

幽霊は目の前に出されたハンバーグを一口食べるなりそう言った。

「そういや、お前が住んでるとこにハンバーグはないのか?」

「ハンバーグはあるけど、静江さんのが一番おいしい!」

ドリンクバーは無いがハンバーグはある、と。天国の外食店はいったいどんな雰囲気なのだろうか。もしかしたらファミレスという存在が無いのかもしれない。

「そこまで言うなら、母さんは弁当屋じゃなくてハンバーグ屋を開いた方がいいかもな」

「それは名案だぜ和輝!静江さんが天国に来たらハンバーグの店を開いてもらおう!」

「おいおい物騒なこと言うんじゃねえよ」

冗談交じりに返したが、幽霊はあたふたと「すまん和輝、そういうつもりじゃ」と謝った。こいつ、どうでもいいところで真面目だったりする。

俺はどちらかというと食が細い方なので、マグロ丼を完食するとちょうどいいくらいに腹が満たされ、完全に余っているサラダをもさもさと食べ始めた。幽霊は逆に、こってりとした味付けのハンバーグとオイリーな唐揚げを交互に頬張っている。サラダにはほとんど箸をつけていなかった。

「今日は静江さんがいないからここに食いに来たのか?」

「まぁ、そりゃあな。お前もハンバーグが食いたいってよく言ってたし」

ほとんど完食した頃、幽霊がここに来た理由を尋ねた。今更な気もするが、そもそも聞かなくたってわかることだ。

「和輝と正面向いて飯食うの初めてだな!」

「いつも並んで食ってるからな」

「何か不思議な気分だ」

「そうか?たいして変わんねーだろ」

幽霊は皿の空いたスペースに箸を置くと、膝の上で両手を握った。

「和輝、いつもありがとうな」

「どうしたんだよ急に」

「オレ、何もしてやれねぇけど、いつだって和輝の力になりたいと思ってるからな」

「そーかよそりゃどうもな」

「だから、もっと頼ってくれてもいいんだぞ」

真っ直ぐこちらに向く視線から、俺はふいと顔を逸らした。フロアの対角で若い家族が楽しそうに食事をしている。

「割と頼ってるよ、お前のこと」

その家族に目を向けたまま突っけんどんに答える。あの日のこいつの言葉が脳内に蘇った。和輝にはあんまり言いたくない。でも和輝は知らない方がいいと思う。

「そっか。嬉しいな」

幽霊はニカッという効果音がつきそうな笑顔を見せた。上がる口角と正反対に下がる眉尻の理由は考えないことにする。だって、最初に突っぱねたのはそっちだろう。

「オレがこっちに来てもう二週間くらい経ってるだろ。そろそろ呼び戻されそうで怖いんだ」

「例の優秀な部下ってやつか」

「そいつ本当に優秀なんだ。仕事はいっつも早く終わらせるし、オレの居場所もきっとすぐに見つける」

「何だよ、お前も自分を頼れとか言っておいて俺に頼る気満々じゃねーか」

「えっ?」

幽霊の間抜け面にきちんと目線を合わせると、俺はニヤッと笑って言ってやった。

「俺を匿ってくれ、だろ」

俺の言葉に幽霊はパッと顔を明るくした。

「そう、そうだ!やっと匿ってくれる気になったか!まぁオレ達友達だもんな!」

「調子に乗んな」

「あ、もう親友だったか!」

「寝てないのに寝言が言えるんだなお前」

超が付くほどどうでもいいやり取りに一息つかせ、俺は頬杖を解除してソファーに背を預けた。

「だが実際問題、その部下ってやつが来たらどうやって凌ぐんだ?何か考えはあるのか?」

ここでする話ではないかもしれないが……と思いつつも、家で話して親に聞かれるのも怖いのでまぁいいかと言葉を続けた。

「そもそも、その部下ってのは一人で来るのか?何か物理的な手段を取ってくるのか?」

「いや、何人かの班を作ってくると思う。物理的な手段っていうのは、殴ったりしてくるかってことか?」

「ああ、そうだな。武器で脅してきたり」

「抵抗したら殴ったりはされると思う。殺されはしないだろうけど」

意外にも淡々と言う幽霊に、俺は思わずポカンと口を開けた。

「おいおい、仮にも天国だろ」

「天国は王政だしな。下の人間達は理想郷だと思ってるみたいだけど、全部神殿が管理してて堅苦しいとこもあるんだぜ」

「しかし暴力に訴えてくる可能性があるとなると、俺らはどうしたらいいんだ?つうか、その部下達も実体化できんのか?」

「位の高い部下は全員具現化できるぞ。基本的に力の強いやつがなる職業だからな」

「俺殴られるの嫌なんだけど……」

自慢じゃないが俺は喧嘩は強くない。むしろ喧嘩など人生で一度もしたことがない。

俺はこっそりと幽霊を値踏みした。外見は喧嘩っ早そうだが、性格を考えるとこいつも喧嘩などしたことはないだろう。

「でも抵抗しない限りは暴力には出ないと思うぞ」

「お前は抵抗する気はないのかよ」

「そりゃあ……あるけど」

「なら抵抗しない限りは~なんて話しても意味ないだろ」

俺が悪態をつくような口調で言うと、幽霊はニヤニヤを隠しきれていない顔で何度も頷いた。

「しっかし、考えの一つもないのに無関係な俺に匿ってくれなんて頼み込まれてもなぁ」

「逃げ回るしかないな!」

「家ばれたら無理だろ」

「引っ越すか!」

「できると思ってんのか」

真面目に考えようとしない幽霊に、俺は隠しもせずため息をついた。ほんの少しだけ会話に間が空く。幽霊はグッと表情を引き締めると口を開いた。俺のため息に反応したわけではないだろう。おそらく言い出しかねていたのだ。

「あのな、和輝。もし部下達が来たら、オレのことは視えないふりしててくれ。オレ飛ぶのすげー速いから、たぶん逃げきれると思うんだ。そしたらまた和輝のところに帰ってくるから」

幽霊はゆっくりと、だけれど切れ間なく言った。それから俺の反応を伺うように見つめてくる。

俺は太ももの上でいじっていた指先から顔を上げ、幽霊と目を合せる。俺の口からは、思っていたよりずっと拗ねたような声が出た。

「……それが最善ならそうするけど」

「うん。和輝を担いでたんじゃたぶんオレも速く飛べないと思う」

幽霊の言っていることは現実的だと思う。もしその部下達が来た時に、俺は足手まといにしかならないだろう。それならば俺だけさっさと離れた方が幽霊も動きやすいはずだ。

「でもよ、もし相手が俺のことも知ってたらどうすんだよ。事前に調べてるかもしれないだろ」

言い終わってから、事前に調べているなら道中を狙わずに直接家に来るだろうなとぼんやり考えた。

「その時は……どうしようか」

「どうしようかじゃねぇだろ。真面目に考えとかないと、いざとなった時に動けねぇぞ俺は」

「拳で語り合うしかないな!」

「お前何か武術やってたのか?」

「神になった時護身術はちょっとだけ教わったけど」

「話になんねぇな」

まぁ護身術を会得している分、お話にならないのは俺の方なのだが。俺のステータスはと言えば、ちょっと身が軽いくらいで体力はカスだ。腕力も無い。完全に役立たずである。

「だが冗談じゃなくちゃんと決めといた方がいい。何か弱点とかないのか?吸血鬼で言うところの十字架とか、ニンニクとか。追っ払えそうなやつ」

「ニンニク持ち歩くとか臭そうだな!」

「真面目に考えろっつってんだろ」

「すまん。でも弱点って言われても困る。あいつらの弱点ってことはオレの弱点でもあるだろうし」

「そりゃ確かにな」

「ただ和輝は具現化しないと殴れないだろうから、具現化を邪魔できる何かがあればいいんだけど」

そう言われて俺は考えた。具現化を邪魔できる何か。傍らのコップを水滴が伝う。幽霊は黙っていた。おそらくこいつも頭を絞っているのだろう。おかげで向かい合う二人に沈黙が舞い降りた。コップの水滴がテーブルに着地して、ちょっとした水たまりを大きくした。

「そもそもお前らの実体化ってどんな感じでやってるんだ?」

俺の問に幽霊は顔を上げる。モサモサ頭の毛先がちょいと跳ねた。

「うーん……わかりやすく言うと、身体を構成してる霊子に器を与えてるって感じかなぁ。霊子を別物に作り変えてる感じはしないんだ。でもその器をどうやって作ってるかって言われると、口で説明するのは何か難しい。昔勉強させられたんだけどな……」

「いいよ、お前の説明はわかりにくいことの方が多いから期待してない」

「酷いぞ和輝!オレは一生懸命……」

「はいはい、で?続きは?」

幽霊はわざとらしく唇を尖らせながら先を続けた。

「この肉体の具現化はすげー力を使ってすげー疲れるから、霊子の薄い場所じゃできないことの方が多い。高い山で酸素が少ないと運動がしにくくなるんだろ?それと一緒だ」

「なるほどな。前言撤回するよ、お前例えはわりとわかりやすい」

つい先程まで不満顔をしていた幽霊は、俺の褒め言葉にあっさりと破顔した。照れながらも、気を良くして説明を続ける。

「霊子の薄い場所で具現化できるやつはほとんどいない。もともと力がべらぼうに強いやつか、霊子を作る道具を装備してるやつか、そういうやつだけだ」

「だとしても、どうやって霊子ってやつを下げるんだ?当然だけど、ここは現世だから霊子を下げる道具なんて無いぞ」

「そうなんだよなぁ……」

「いい線いったと思ったんだけどな。唯一出た弱点らしい弱点だし」

まぁ弱点と呼ぶにはいささか弱すぎる気がするが。

俺達のテーブルは再び静かになった。もう何も案が出てきそうにない。そんな雰囲気だった。

「失礼いたします。空いているお皿お下げいたします」

唐突に降ってきた声に顔を上げると、営業スマイルを貼り付けた店員がこちらを見ていた。会釈するように小さく頷くと、店員は皿を片付けてさっさと戻っていった。

「そろそろ出るか」

財布とスマホを掴んで立ち上がると、幽霊は驚いて俺を見上げた。

「えー!まだ何の解決策も出てないのに!」

「仕方ないだろ、店が出てけって言ってんだよ」

幽霊は「オレには聞こえなかったぞ」とぶつぶつ言っていたが、結局俺についてきた。この世界で身寄りのない幽霊は、どう足掻いたって俺についてくるしかないのである。

レジで会計を済ませ、店先の駐輪場に停めておいた自転車にまたがる。顔で荷台を指し示すと、幽霊はそこに飛び乗った。自転車が大きく揺れる。

「そういや、お前ってどれくらい実体化してられんの。もう二時間くらい経つけど」

ペダルを漕ぎながら背中に声をかける。ガタガタと揺れるリズムの合間から、幽霊の脳天気な声が返ってきた。

「一日二日具現化するなんて余裕だぞ」

「なんだ、そうなのか。すげぇ力使うっつってたから、数時間しかもたないのかと思ってた」

「そういや、和輝とあんまりこういう話したことないな」

「聞かない方がいいのかと思って遠慮してたんだろうが」

向かう時はいつまで経っても到着しないという印象だったのに、帰りは早く感じるのは何故なのだろう。日が落ちた後の冷風が頬を撫でる。

「相手が近付いた時に気配とかって感じねぇの?漫画とかではよく気配で敵が近付いてるのがわかるもんなんだけど」

「漫画のことはよく知らねーけど、気配はしないな。だってそんなのしてたら上じゃすげー重たいだろ」

「そりゃそうか」

言われてみれば、今俺の周りにいる全ての人間が何か気のようなものを放っていたら、疲れるどころではないだろう。きっと重力が二倍になったように感じるはずだ。確実に人がひしめく都会では生きていけない。

「じゃあ相手が来るのをビクビク待っとくしかねぇんだな」

「心構えして待っとこうぜ!」

「したからっていつ来るかわかるもんじゃねぇけどな」

家から一番近くよく利用するコンビニが見えてくる。俺は自転車のスピードを緩めて、その駐輪場に駐車した。

「コンビニ寄るのか?」

「ああ、父さんの夕飯買わないとな」

九時頃帰ってくると言っていた母は、おそらくもう夕飯を作る気はないだろう。父は普段料理をしないし、今日は遅くまで仕事をする予定だと言っていた。今から帰ってちょうどいいくらいのはずだ。コンビニ弁当で申し訳ないが、無いよりマシである。

五百円程の手頃な弁当と菓子パン、幽霊にねだられたスナック菓子を購入し、コンビニ袋を片手にブラブラ提げながら店を出る。

背後で自動ドアが閉まる音に混じって、唐突に幽霊の小さな悲鳴が聞こえた。

「痛ッ!」

反射的に振り返ると、幽霊は肩から地面に倒れ込んでいた。頭の上では輪っかが光っている。俺は動揺した。周囲からはこいつが突然消えたように見えただろう。幸いその瞬間を目撃した者はいないようだが、俺は気が気でなかった。

俺はまだ倒れたまま顔をしかめている幽霊の側にしゃがみこむと、小声で声をかけた。

「おい、どうしたんだよ。立てないのか?」

浮ける幽霊に「立てないのか?」という問いはおかしい気がしたが。

幽霊は俺の言葉には応えず、正面に視線を向けた。一体何を見ているんだと俺もそちらを見ようとした時、しかしその前に理由がわかった。

「おい少年、そいつ霊だぞ」

その声が降ってきてコンマの差で俺は顔を上げる。そこには二十代半ばの黒髪の男性が立っていた。その男の鋭い目と視線がぶつかる。俺の首筋を一雫の汗が流れた。





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