俺と一年後の気持ち4
俺は顎の下まで布団をかぶり、暗闇に慣れた目で天井を見つめていた。夜中の三時。幽霊のいびきがうるさい。
あれからもう一年なのかと考えていた。一年はもっと短いものだと思っていたが、心の整理を済ますには十分な長さだったらしい。俺と水祈の十年間が、たった一年で整理がついたと思うと納得のいかないところはあるが、人間とは薄情なものなのである。
水祈は、姉のことが好きだっただろうか。彼女との会話の中で、何度か大名の話題が出たことがあった。それは「お姉ちゃんが修学旅行で買ってきたおみやげの菓子がおいしかった」だとか、「お姉ちゃんが部屋の掃除をして要らなくなった服をもらった」だとか、「お姉ちゃんがリビングで電子ピアノを演奏してくれたが自分より上手くてすごいと思った」だとか、他愛のないものばかりだった。
だが今考えてみると、大名が家族に買ってきた菓子を水祈が食べただけだし、大名が出したゴミから服を拾って再利用しただけだし、大名がピアノを弾いていたリビングに水祈がいただけだったのだろう。
水祈は他人を恨んだり憎んだりすることが得意なタイプではなかった。いつもニコニコと笑っていて、誰も彼もをその懐に抱き込んだ。そういう分け隔てなく愛を与えることができるところが、誰からも好かれ愛されるところが、大名は我慢ならなかったのだろう。
水祈は他人を恨んだり憎んだりすることが得意なタイプではなかった。だからきっと大名を恨んではいない。大名とどんな最後を交わしたのかは知らないが、水祈にとってあいつが唯一無二の姉なのなら、俺があいつを恨むのは見当違いではないのか。それは水祈が望まないことなのではないのか。
生憎、俺は水祈のように綺麗な心は持っていない。気に食わないやつは気に食わないし、嫌いなやつと仲良くしようだなんて思わない。第一印象で「こいつ無理だ」と思ったら必要以上に関わろうとはしない。そんなひねくれた俺でも、水祈の隣は心地よかった。彼女の隣は心がすっと軽くなったし、強張らず笑うことができた。
俺は水祈の意思を尊重することにした。俺は大名を恨まない。水祈の母親ももう恨まない。父親を恨むのもやめる。一年かけてやっと出した俺の答えだ。俺が誰かを恨んで荒んでゆくことを、きっと水祈は望んでいない。
寝返りを打った幽霊の手の甲が、バシッとベッドの角に当たった。直撃したのはマットレスの部分だったので痛みはほとんどないはずだったが、それでも幽霊は目を覚ました。やはり、こいつは眠りが浅い体質なのだろう。
「和輝、さてはまだ起きてるな」
「何でわかったんだよ」
「神様パワーだ」
幽霊がキツネみたいに目を細めて笑った顔が頭に浮かんだ。
「お前さ、前に言ってたじゃねーか。天国から地上が見えるって」
「言ったっけ。でも見えるぞ」
「それって顔とかも判別できんのか」
「全然見えねぇよ。すげー目がいいやつで、男か女か判別できるくらい」
それを聞いて、俺はホッとしたような残念なようなよくわからないため息を吐いた。
「だって天国ってすげー高いとこにあんだぞ。そこから地上が見えるってだけでも不思議なのに」
「そりゃそうか。実際何で見えるんだ?幽霊になると視力が上がるのか?」
「何か地上と天国の間にある霊子が澄んでてどうのこうのって偉い学者達は言ってる。でもオレらにとっては正直どうでもいい。あんまり気にしたことないし、からくりなんてどうでもいいし」
「まぁそうだろうな」
会話がひと息ついて、薄暗い部屋を静寂が支配した。
「和輝、もう寝ろよ。明日も学校だろ」
「お前が話しかけてきたんだろうが」
「そうだったっけ」
幽霊は「おやすみっ」と言うと、ガバッと布団をかぶった。俺はおやすみと返す代わりにこう言った。
「つうかな、お前やっぱりいびきうるせーんだよ」
床に敷かれた布団からは「悪い悪い」と返ってきたが、その声は笑っていてとても反省の色が感じられなかった。




