俺と彼女の関係5
「ただいま」
玄関を開けるとちょうど洗濯物のカゴを持った母親が目の前の階段を下りてきて、俺は帰宅を告げる挨拶をした。
「おかえり和輝~。今日制服クリーニングに出してきたんだけどね、二十五日になるまで戻ってこないわよ」
「うん。いつでもいいよ」
狭い階段を母が降り切るのを待ってから二階に上がる。部屋の時計を見ると、普段家に帰ってくる時刻とほぼ同じだった。うちの高校では授業をサボって途中で帰ってしまう生徒が多いが、俺は早引きしたことはない。すぐに母親が心配するからいつもと違う行動はなるべく避けたいところだ。
俺はカバンを机の脇に置いて、ドッカリとイスに座った。幽霊はしばらく部屋の中をうろうろしていたが、結局定位置であるベッドの上に収まった。
「そういや和輝ってさ、霊体が視えること親に話したりしてねぇのか?」
幽霊が話しかけてきたので俺はそちらを向くようにイスを回転させた。手持ち無沙汰な足を組む。
「言ってねーよ。物心つく前はあそこに人がいるとか言ってたけど、俺が変なんだってわかってからは誰にも言ってねー」
「でも親なら信じてくれんじゃねぇのか?親ってそういうもんなんだろ?」
「人ってやつは自分が見たことないものはなかなか信じられねーもんなんだよ」
例えそれが自分の子供の言葉でも。俺は幼稚園児の頃には自分がおかしいと気付いていた。親を信頼して小学校に上がってからも幽霊が視えるなんて言っていたら、おそらく病院か寺かに連れて行かれていたことだろう。親の理解に早めに見切りをつけておいて良かったと思う。
「でもよぉ、誰か話せる人いなきゃ辛くねぇか?相談とかしたいじゃねぇか」
「……誰にも話したことないとは言ってねーじゃねーか」
俺の言葉に、ダラッと座っていた幽霊が勢い良く姿勢を正した。
「え!?話したことあるやついんのか!?」
幽霊は目を真ん丸にしている。親にも話さないことを他の誰かに相談したことに驚いているのだろう。普通に考えれば、しょせんは赤の他人より、一番長い時間一緒にいる親に相談するところだろう。だが俺は違った。
「一人だけな。そいつなら誰にもバラさないと思ったから」
「誰に相談したんだ?学校の友達か?」
「昔この辺に住んでた奴だよ」
「そいつの名前は?」
俺は少し迷ったが、彼女の名前を教えてやることにした。こいつに教えたってどうにもならないという思いと、こいつに教えたら何かが変わるんじゃないかという思いが、俺の中で矛盾しながら存在していた。俺は久しぶりにその名を呼ぶべく口を開く。
「みず……」
そこで、背後にある部屋のドアが突然開いた。反射的に振り返ると、洗濯し終わった俺の服を持った母が経っていた。バクバク鳴る心臓を押さえ付けながら要件を尋ねる。
「……どうしたの」
「あんたその布団使ってないんでしょ?片付けちゃっていいかしら」
母は洗濯物を差し出しながらそう言い、俺は手を伸ばしてそれを受け取った。
「い、いや、これは……」
床を占領する敷布団に目をやりながら、必死に言い訳を考える。これは幽霊が家に泊まった日に親が出した布団で、今でも幽霊が寝るのに使っている物だ。こいつを片付けてしまうのは非常に困る。
「お、俺がたまに寝てるから。たまに床で寝たい気分の時に俺が使ってるから。気が済んだら自分で片付けとくよ」
「そうなの……?でも片付ける時は言ってね。しまう前に干しちゃわないといけないから」
母はそう言うと、目の奥に疑いの色を残したまま部屋を出て行った。パタンと閉まったドアを見て、大きく息を吐く。
「お前、何ぼーっとしてんだよ。お前も何か言い訳考えるくらいしろよ」
「すまん、何も思いつかなかった」
母からは視えないくせに隠れるように部屋の角に張り付いていた幽霊は、ホッとした顔でベッドの中央に戻った。というか、床で寝たい気分って、言い訳として辛すぎだろ……。
「俺下行ってくる。あんまり部屋にこもってると疑われそうだ」
俺は立ち上がるとドアのノブに手をかけた。幽霊は「オレも行く!」と言って立ち上がる。結局二人一緒に部屋を出た。
いくら他の人間に姿が視えないと言っても、幽霊一匹飼うにはそれなりのリスクを覚悟しなければならないのかもしれない。