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サングラム  作者: 國崎晶
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俺と彼女の関係4




屋上のドアの前で幽霊を見つけた時、すでに六時間目が始まって十五分が経っていた。てっきり大名を追いかけてトイレに行ったものと思っていたから、トイレの前に誰もいなくて焦った。幽霊の姿も大名の気配もないし、もしあの二人が会話するようなことになったら非常に都合が悪い。今日の昼休み、幽霊は大名に俺と仲直りしてくれるよう直接説得したいとか言っていたし、あのモサモサ頭なら本当にやりかねない。

授業開始ギリギリに教室を出たにも関わらず大名とすれ違わなかったということは、大名はどこかでサボっているということだ。俺はその場所が構内か外かを知るためにまずは下駄箱へ行き、大名のローファーがあることを確認した。外には出ていないとわかったので、構内のサボりポイントを探して回る。校舎を駆けずり回っても二人の姿は見つからず諦めかけたとき、屋上の給水タンクがパッと頭に浮かんだのだ。

俺は階段をゆっくりと上がりながら、ドアの前でこちらを見て突っ立っている幽霊に声をかけた。幸い大名はいない。

「こんなところで何してんだ」

幽霊は俺が完全に上がり切るのを待ってから口を開いた。

「トイレ行ったら道に迷った」

「嘘つけ」

状況から考えて、大名は屋上にいるのだろう。ドアを開けたすぐ目の前にいるのか、給水タンクの裏にいるのかはわからない。俺は薄暗い階段室で幽霊と向き直った。

「何で屋上に出ないんだ?」

幽霊はふっと視線を逸らすと、屋上へのドアを見やった。まるでドアの向こうの大名が見えているような目だった。

「オレだけ行っても意味ないって思った」

「俺に行けって言ってんのか」

幽霊は何も答えなかったが、俺に向けた瞳がそうだと言っていた。今度は俺が視線を逸らす番だった。

「行かねーぞ。行きたきゃ一人で行け」

俺はそれだけ言うと答えを待たずに階段を下った。幽霊がついてきているかはわからない。振り返ってちゃんとあいつがいるか確認するのが嫌だった。

前方のドアから教室に入ると、生物の国見教師を含むクラス中の視線がこちらを向いた。俺は真っ直ぐ教卓へ歩いてゆき、国見に「体調が悪いので帰ります」と低い声で言うとそのまま自分の席へ向かった。カバンを持って後方のドアからさっさと教室を出る。授業もあと三十分しかないし、教師もそれを止めることはしなかった。

教室を出ると、階段の踊り場の手前に幽霊が立っているのが見えた。俺はその二十メートル弱の距離をずんずんと歩いた。

「帰るぞ」

すれ違いざまにそう言い、足を止めずに階段を下る。幽霊は着物の袖や裾をバタバタさせながら俺についてきた。

「授業はどうしたんだ?」

「サボる」

二十分も遅れたら出なくても一緒だ。残りの授業を受けたってどうせ出席扱いにはならない。ならこのまま帰ってしまった方がいい。

それに、今日はもう大名の顔を見たくなかった。

下駄箱でローファーに履き替え、裏門に向かって歩く。駐輪場の脇を通ると、裏門でサボり防止のために立っている教師と目が合った。俺はなるべく具合が悪そうな顔をして言う。

「すみません、体調が悪いんで帰ります」

「そうか、一人で帰れるのか?」

「家はすぐそこですし、さっきまで保健室で休んでましたから」

そう説明すると、教師は疑わしげな表情を和らげ「気をつけて帰れよ」と言った。ああいう教師はサボりの常連だけ注意して他はノーマークだ。早退届けもあって無いような物だし、適当な嘘でいくらでも乗りきれる。

俺は教師に小さく頭を下げ、教師が開けてくれた安っぽい門をくぐった。数歩歩いたところで幽霊が振り返って空を見上げた。おそらく屋上を見ているのだろう。

足を止めていたために俺と離れた数歩の距離を幽霊は駆け足で詰めた。俺は目の前の角を右に曲がる。何も聞かれていないのに、自然と声を出していた。

「大名のことが嫌いな理由がわかったんだ」

幽霊は突然のことに何も言えなかった。俺は背後で幽霊がどんな顔をしているかわからなかった。だがこいつだって、俺がどんな顔をしていたかわからなかっただろう。

俺はそれ以上何も言わなかった。何でこんなことを言ってしまったのだろう。喧嘩がきっかけで嫌いになったと説明してあったのだから、わざわざ言わなくても良かったではないか。俺は唇を噛み締めた。その感情を誤魔化すように歩く速度を早めた。

普段と違う道を歩いていることに幽霊が気付いたのは、道を逸れてからだいぶ経った時だった。ほとんど無言で俺について来ていた幽霊は、突然ひょうきんな声を上げる。

「あれ?何かいつもと道違くねぇか?」

「今頃気付いたのかよ」

俺は前を見たまま小さな声で返す。一人でぶつぶつ喋っている姿は怪しいとか、それを誤魔化すための小細工とか、そういったものを考える余裕が心になかった。

「寄り道してくぞ」

寄り道という言葉に幽霊は若干テンションを上げる。こんな気持ちでなくとも、寄り道は必須なのだ。この時間に家に帰れば母親が何か言ってくるはずだ。

「どこに寄るんだ?」

「公園」

公園と聞いて、幽霊は俺達が出会った日に寄ったあの公園を思い浮かべたことだろう。だが俺が向かっているのはその公園ではない。その公園は学校を挟んで家とは反対側だ、道が全然違う。今俺が向かっているのは、俺の家のすぐ近くの公園だ。

目的地に到着し、自分の思い浮かべていた公園とは違う場所だということにようやく幽霊が気付いたようだ。公園の中心では学校帰りの小学生が何人か騒いでいる。俺は公園の隅へ向かい、木陰にあるベンチに腰を下ろした。この一角だけひどく静かで、まるで別の世界のようだった。

否、別の世界だったのだ。一年前までは。

幽霊は誰もこちらを見ていないことを確認してから実体化し、俺の隣に座った。二、三分の間俺達は無言だった。

「なぁ、大名を嫌いな理由がわかったってどういうことなんだ?」

幽霊はこちらに顔を向けて尋ねる。俺は少し俯き気味に前を見たまま、何と答えようか考えた。

「……俺は大名のことが漠然と嫌いだった。理由はわからないがとにかく好きになれなかった。でも、今日その理由を知ったんだ」

「じゃあ昼オレに言ったこと嘘だったんじゃねぇか」

考えた末素直に答えるという結論に達した俺だったが、それに幽霊は当然の言葉を返してくる。

「仕方ないだろ、あの時はまだ俺にも理由がわかってなかったんだから」

「じゃあ理由知ってたら教えてくれてたのかよ」

再び二、三分沈黙が続いた。無視するつもりはなかった。ただ、何て答えたらいいかわからなかったのだ。先に口を開いたのは、またもや幽霊の方だった。

「何となくだけどさ、オレと和輝ってちょっと似てるとこあると思うんだ」

奇遇だな、癪だが俺もそう思っていたところだ。幽霊はぶらぶらと持て余した足先を眺めながら続けた。

「和輝にも、何か忘れたくないものがあるんじゃないか?その記憶が底に沈んでしまわないように、いつも必死に水面を掻いてるんじゃないのか?」

その通りだった。こいつが、俺の内側をこんなに解ることに、とても腹が立った。と同時にひどく安心した。こいつの失ったものは誰だろう。

「……お前の言う通りだ」

肯定の言葉を吐き出す時、心臓が大きく脈打った。今まで押し込んできた感情を全てぶちまけたい衝動に駆られた。赤ん坊のように泣きじゃくって、飲み込み続けてきた形容できない気持ちを吐露したかった。

俺の心にはぽっかりと穴があいているのに、そのは堪えてきた感情でいっぱいだったのだ。

「やっぱり、そうだと思ったぜ。だから和輝にはオレが視えるのかな」

「……アホか。俺と同じ状況の奴なんてたくさんいるだろ」

「そうかもしれないな」

幽霊は足をぶらぶらさせたまま、目を細めてふっと笑った。俺は彼女の話を誰にもしたことはなかったが、こいつになら話してもいいかなと少しだけ思った。

「好きな奴がいたんだ。だがもうそいつはこの世にいない」

声に出してみるとそれが実感できた気がした。言霊って本当にあるのかもしれない。

「両想いだったのか?」

「たぶんな」

「……もう会えないのか?」

「お前のおかげで会えるかもしれないって知った」

探せばまた会えるってわかったから、少しだけ生きる気力が湧いてきたような気がする。だが俺の前向きな言葉とは逆に、幽霊は浮かない顔をした。

「どうしたんだよ。お前の方はもう会えないのか?」

そう尋ねると、幽霊は口をもごもごと動かして「探せば会えるかもしれない」と答えた。俺と同じ答えなのに、このトーンの差は何なんだ。

「だったらもっと前向きになりゃいいだろ。何でそんなに暗いんだよ」

人がせっかくやる気になっているのに、隣でそんな憂鬱な顔をされては迷惑だ。むかつくが発破をかけるためにそう言ってやると、幽霊は悩み抜いた挙句にこう返した。

「和輝にはあんまり言いたくない」

「何だよ、言えよ。ここまで話したんだから」

「でも和輝は知らない方がいいと思う。きっとオレみたいになっちまうから」

そして幽霊はこう続けた。

「そうなったらすごく苦しいから」

こいつはさっき俺と自分は似ていると言った。だが今は俺と自分は違うと言った。何が苦しいんだ。俺が今まで味わってきた苦しみとは違うと言うのか。

こいつが俺と自分は違うと言ったことに、何故だかひどく腹が立った。

「まぁお前が言いたくないならいいんじゃねーの。これ以上は俺も聞かねーよ」

俺は頬杖をついて前に向き直った。ブランコで小学生の男の子と女の子が飛ばした靴の距離を競って遊んでいるのが見えた。俺はその光景からそっと目を逸らす。

「なぁ和輝、大名と幼馴染みだっていうのは本当か?」

「またあいつの話かよ。つーか幼馴染みじゃねーし。家が近かっただけだ」

そこまで言って幽霊が黙ったままだったので、俺は言い訳がましい先を続けた。

「ジジイのお前が知ってるかはわかんねーけどな、小学校では低学年のうちは集団下校するんだよ。近くの地域の奴で固まってみんなで帰んの。だから大名とは二年間一緒に帰ってた。それだけだ」

本当にそれだけだというのに、こいつは何を根掘り葉掘り大名について聞きたがるんだ。一体何と答えればこいつは満足するんだ?とても仲が良かったとでも言えばいいのか?

「和輝は大名のことが何となく嫌いなのに、何で小さい頃は一緒に遊んでたんだ?昨日言ってただろ?公園で遊んでたって」

幽霊がこちらを向いたのがわかったから、俺は右だけは向かないように気を付けた。一拍置いてから答える。

「大名と遊んでたっていうか、その場にもう一人いて、俺とそいつが遊んでるところにいつも大名がいた」

「なるほどなー。二人で遊んでたわけじゃなかったのか」

「当たり前だろ。……その時の俺があいつを嫌いだったかは覚えてねーけど」

小さい頃三人で遊んだ公園はここだった。遊具はかなり新しい物に代わったし、花壇の様子も今とは全然違うが、あの頃三人で作った砂の山や、逆上がりを練習した思い出が蘇ってくるような気がする。俺はその頃からあいつが好きだった。公園に来ればあいつに会えると知っていたから、俺はこの場所が大好きだった。

「そろそろ三時半だな。帰るか」

まとわり付く思い出を振り払って立ち上がる。一年ぶりにここに来たが、どうやらまだ引きずっているようだ。ここにいると心が休まるのと同時に、ひどく虚しくなる。

俺が公園の入り口に向かって一歩踏み出すと、背後で幽霊も立ち上がった。次に振り返った時には霊体化しているだろう。

「なぁ、和輝。最後に一ついいか?」

さっさと帰りたいのだが、まだ何かあるというのか。俺は半分だけ幽霊の方を振り返ると、「何だよ」と先を促した。幽霊はまだ実体化したままの目で俺を見ている。

「和輝の思い出の人って、大名に関係あるか?」

俺は数秒間その目をジッと見返した。だがすぐに踵を返すと入り口の方へ足を進めた。

「ねーよ」

俺は少し嘘をついた。だがその嘘は、もうバレている気がする。




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