俺と彼女の関係3
昼休み。チャイムが鳴る前にすでに教科書を片付けていた俺は、素早く立ち上がるとカバンを掴んで教室を出た。普段は上る階段を今日は下る。相変わらず俺の周りをうろうろしている幽霊が、さっそくこの行動に突っ込みを入れる。
「なぁ、どこ行くんだ?屋上行かねぇのか?」
俺はポケットから取り出したスマートフォンに【今日はべつの場所でくう】と打ち込んだ。幽霊が慌てて画面を確認する。
「何でだよ。……大名が来るからか?」
【わかってるならきくな】
俺は下駄箱で靴を履き替えて外に出た。外で弁当を食う物好きもちらほらといるらしい。人気の無い場所を求めて辿り着いたのはセミナーハウスの陰だった。
「仕方ねーから今日はここで食うか」
俺はセミナーハウスの壁にもたれかかるように、そのわずかなコンクリート部分に腰を下ろした。この場所を選んだ理由は、まず人気が無いという点、そして屋上から見えないという点からだ。俺がコンビニ袋を差し出すと、幽霊は浮かない顔でそれを受け取った。
「なぁ和輝、大名が屋上で待ってるんじゃねぇか?」
「知らん。俺はあいつと飯を食いたくない」
幽霊は俺の隣に腰を下ろして、膝の上のコンビニ袋を置いた。普段ならすぐにパンにかぶりつくところだが、今日はそれをしない。俺は構わず弁当箱を開けた。
「でもさ、和輝と一緒に昼飯食べたいって言ってたのに、可哀想だろ」
「だから一緒に食べてやれって?」
幽霊は頷いた。俺はため息をつく。
「あいつと食ったらお前と雑談はできねーぞ」
正直、これで勝ったと思った。こう言われてはこいつは黙り込むしかないと思った。しかし幽霊は、俺の目を真っ直ぐに見るとこう言った。
「それでもいいぞ。オレは家でたくさん話せるから」
俺はしばらくその目から視線を逸らすことができなかった。ハッと我に返り、弁当箱のおひたしを箸でつつく。
「お前が何であいつの肩持つのかは知らねーけどな、俺はあいつが嫌いなんだよ」
「何で嫌いなんだ?何かされたのか?」
何故あいつが嫌いなのか。そんなこと俺が教えてほしいくらいだ。何となく嫌い。自分でも理由はわからない。だが、嫌いという感情は自覚している。不思議だ。俺は大名が嫌いなのに、大名を嫌いな理由は無いのだ。
だが、だからといって理由は無いけど嫌いなんて馬鹿正直に答えたら、この幽霊はそれではいけないと言うに決まっている。俺は大名が嫌いな理由を適当にでっち上げることにした。
「昔いろいろあったんだよ」
「昔っていつだ?」
「い、一年くらい前かな」
「それまでは仲良かったのか?」
「良くはないけど悪くもなかったな。クラスも別だったし」
「一年前何があったんだ?」
「ちょっとばかし喧嘩をな」
「喧嘩なら謝れば済む話だ」
「俺は悪くないから謝りたくない」
「でも大名はもう怒ってないぞ?和輝が許せば仲直りできるんだぞ?」
俺は完全に止まっていた手を動かして、唐揚げを口に放り込んだ。
「俺はあいつと仲良くしなくないんだよ」
唐揚げの咀嚼もほどほどに、ご飯を口に運ぶ。口の中のそれを一気に飲み込んだ。
「お前もさっさと食えよ。昼休み終わるぞ」
そう言ってやると、幽霊はまだ何か言いたそうな顔で、しかし焼きそばパンの封を開けた。
「最後にさ、和輝と大名が喧嘩した理由聞いてもいいか?」
幽霊はそう言うと焼きそばパンにかぶりついた。リスみたいに両頬を膨らまして噛み砕いている。俺はご飯を喉に詰まらせそうになったが、何とか立て直すと曖昧に答えた。
「そんなこともう覚えてねーよ。昔のことだからな」
してない喧嘩に理由なんてあるわけがない。たとえ相手はアホ幽霊だとしても、これ以上この話を続けるとボロが出そうだ。早く別の話題にしなければ。何かそれとない話題を考えていると、幽霊はパッと顔を上げてこちらを見た。
「わかった、オレが和輝の代わりに謝ってきてやるよ!」
「はあ!?」
俺は取り落としそうになった箸を慌てて握り直す。幽霊は名案だという顔で話し始めた。
「具現化すれば大名とも話せるし、和輝の友達だって言って話してくるよ。和輝が言いたくないならオレが言えばいいことだろ?」
「ちょっと待て、どうしてそうなった。言っただろ、俺はあいつと仲良くしなくないんだよ」
幽霊は少しだけ眉をキリッとさせると、ズイッと俺に顔を近付けた。その分俺は後ろに下がる。
「和輝、人の出会いは一期一会だぞ!同じ機会なんて二つとないんただぞ!ここで大名との繋がりが切れてもいいのか?奇跡的に出会えた一人なんだぞ!」
「いやむしろ切りたいんだよ俺は。機会なんて二度と来てたまるか」
「切りたいなんて寂しいこと言うなよ!何億人もいる中で出会えた一人なんだから、何か意味があるはずだろ!」
「どうしたって反りが合わない奴っているだろ!そういう奴は関わらないようにすればいいんだよ!」
いくら人気が無い場所だからって怒鳴り合うのはあまりよろしくないだろう。午後の授業でセミナーハウスを使う教師が準備に来るかもしれないし、それにすぐ目の前は教師用の駐車場だ。それに気付いたのは怒鳴ってしまった後だったが、それに幽霊が怒鳴り返すことはなかった。奴はすっと口を閉じると、俺に詰め寄るような体勢を元に戻した。
「和輝がそこまで言うなら仕方がないな。無理強いするのは良くない」
「わかってくれたか」
「ああ、和輝の人間関係にオレが口出しする権利もないしな」
幽霊はそう言うと、握りしめてぐちゃぐちゃになってしまっている焼きそばパンを食べ始めた。俺も食事を再開する。
やけに素直に聞き入れたじゃねーか。何だか気持ち悪いくらいだな。まぁこれ以上大名に関わらないならなんでもいい。俺は大名と仲良しこよしする気なんて毛頭ない。してもいない喧嘩に仲直りなんて出来ねーしな。
その後俺達は大名とは全く関係ない話をして昼休みを過ごした。チャイムが鳴るギリギリに教室に戻る。こちらをジッと見る大名を視界の端に捉えながら席につく。一、二分してチャイムが鳴り、プリントの束を抱えた教師が駆け込んできた。
「いやー、昼休みに採点してたんだけどさ、間に合って良かったよ」
世界史の教師はプリントや名簿を教卓に置きながら笑ったが、それに反応する生徒は誰もいなかった。この教師は若いし背も小さいし、純朴な性格をしているので生徒からは少々馬鹿にされているのだ。
「それじゃあ、今日はまず、前回やった小テストを返すよ。出席番号順に取りに来てね」
俺は教師が取りに来てねと言う前にすでに立ち上がり、教卓に向かっていた。ニコニコとした顔で手渡されたテストプリントを見ると、三十点満点中二十八点。あの教師は成績で生徒を差別することは絶対にしないが、点数の良い者には自然と笑顔を浮かべるので、よく観察していればクラスメイトのだいたいの点数がわかる。席につくと、俺のプリントを幽霊が覗き込んだ。
「和輝二十八点って……オレと同じくらいじゃねぇか」
プークスクスと笑う幽霊に、俺は三十点満点を示す【30】という数字をトントンと指で叩いた。幽霊が途端に静かになる。
午後のダラダラとした雰囲気のまま授業は進んだ。世界史の福田教師は教科書を取り落としたり教壇に躓いたりしたが、なんとか授業終了のチャイムまで乗り切った。チャイムが聞こえると居眠りをしていた何人かの生徒が顔を上げる。
「では、今日はここまでにしましょう。次の授業ではまた小テストをするからね。皆さんしっかりと家で復習をするように」
福田の締めの言葉も聞き終わらないうちに二、三人の生徒が立ち上がって教室を出て行った。完全に休憩時間ムードになる。みんな十分しかない休みで出来る限り授業の疲れを取ろうと必死だ。チョークを片付け終えた福田が、教科書類を抱えるとこちらに近づいて来た。
真っ直ぐこちらに向かって来る福田に幽霊はわたわたしたが、用があるのは後ろの席の大名だった。福田はちょうど教科書を片付け終わった大名ににこやかに声をかける。
「大名さん、新学期はどうかな。上手くやれてるといいんだけど」
福田の気遣う言葉に大名は「はい」とだけ答えた。俺は二人のやり取りを何の気無しに聞く。
「無理せずにゆっくりいつも通りに戻ればいいからね。大変だと思うけど、僕もいつでも相談に乗るから……」
「はい。福田先生、ありがとうございます」
大名が福田の声を遮るように心のこもっていない礼を言った。お節介すぎるのだ福田は。何人かのクラスメイトは大名の方をチラチラと見ているし、必要以上に教師に構われるのは迷惑だろう。確か福田は去年大名のクラスの担任だったから、世話を焼きたくなるのもわからないでもないが。
福田は頑張れ的な言葉を残して教室を出て行った。ドアを開ける時抱えていた名簿を落としてしまい、近くにいた生徒に拾ってもらっていた。ヘコヘコ礼を言うその姿は教師というよりは生徒だなと思った。
福田の姿が消えると大名は立ち上がりドアの方へ向かった。先程福田の名簿を拾った女子生徒達に何か声をかけられていたが、大名は一言だけ返すとさっさと教室を出て行った。休み時間はあと五分しかないが、トイレにでも行くのだろうか。
「和輝、オレちょっと便所行ってくる!」
幽霊はそう言うと大名の後を追うように教室後方のドアへ駈け出した。俺は「は!?」と叫びたくなったのを何とか堪える。咄嗟に幽霊の腕を掴んで引き止めようと思ったが、突然手を突き出したら俺はただの変な奴だし、第一俺にあいつは掴めやしない。仕方がないのでなるべく落ち着いた様子を装って立ち上がり、幽霊を追うためドアへ向かった。
「あ、ちょっと朝波」
が、しかしドア付近にいた女子生徒に呼び止められる。福田の名簿を拾い、大名に声をかけた生徒だ。俺は一瞬無視してやろうかとも思ったが、なんとか平静を取り戻して返事をした。というか、何でこいつらはこんな所に溜まって立ち話なんてしてるんだ?二人共このクラスなんだから自分の席で話せばいいのに。
「さっき福ちゃんが大名さんに何か言ってたけどさ、あれってぶっちゃけどう思う?」
「どうって?つーか何で俺に聞くんだよ」
「あれ?朝波って大名さんと家超近いって聞いたけど。小中も同じだって」
いったい誰がそんなことを振れ回ったんだ。まぁ事実ではあるが。それに、地元のこの高校では、何も大名とだけ小中高一緒なわけではないのだ。小学校からの顔見知りは他に何人かいる。大名とだけ特別仲が良いみたいな言い方は止めてほしい。
「そんでさ、さっきの福ちゃんの話って、やっぱ去年のあれだよね?そりゃ福ちゃんは善意でやってんだろうけどさ、大名さん的には迷惑なんじゃないかなって思うわけよ」
「で、うちら福ちゃんにそれ教えたげようかなって思ってるんだけど、朝波的にはどう思う?」
どう思う?と言われても、どうとも思わないというのが本音だ。そんなことよりもさっさとあのモサモサ頭を追いたい。俺は当たり障りのない言葉を捻り出す。
「いいんじゃないか?大名も蒸し返されていい気しないだろうし」
「だよね~。ちょっと福ちゃんってくどい時あるもんね」
俺の答えを聞き、女子生徒はホッとしたようにへらっと笑った。そういえば、こいつは去年大名と同じクラスだったか。ニクラスしかない就職クラスで去年俺とは別のクラスだったのだから、たぶんそうだろう。同じクラスだからって大名のこと気にかけているのか、頭は足りないがいい奴らだな。
だが俺にとっては大名などどうでもいい。もう行っていいかというオーラを出そうとしたその時、彼女の次の言葉が俺を引き止めた。
「大名さんだって早く忘れたいだろうしね。福ちゃんもそっとしとけばいいのに」
俺は「こいつは何を言っているんだ?」と思ったし、実際顔に出ていたかもしれない。いや、確かにこいつの言うこともありえないわけではない。だが俺は大名の腕や脚に痣があるところは見たことがない。だから、そうではないと思っていたのだが。
「なぁ、その忘れたいってどういう意味だ?普通忘れたくないもんなんじゃねーか?」
「こいつは何を言っているんだ?」という顔をするのは、今度は彼女達の方だった。二人は顔を見合わせ、先程まで浮かべていたへらっとした笑みを引っ込めた。
「どういう意味ってどういう意味?意味わかんないんだけど」
「あんた大名さんと家近いんじゃないの?その……大名さんちの事情とか知ってたんじゃないの?」
全く答えになっていない。さっさと答えを教えてくれ。俺は逸る気持ちを抑えながら慎重に尋ねた。
「そりゃ母親の事は思うところはあるだろうけどさ、忘れたくないことだってあるんじゃねーの?」
二人は再び顔を見合わせる。先程より数倍不可解そうな表情をしている。
「一年の時は大名さん結構言ってたからさ、その時のクラスでは割と有名……というか常識って感じだったんだけどさ、」
彼女達は声をひそめると、それを俺に教えた。